第182話 大内上洛阻止戦 その3 防水火縄
前回木曜日は投稿できず申し訳ありませんでした。途中と最後に♢♢の部分で三人称になります。
但馬国 豊岡
大急ぎで円山川を挟んで東側に布陣を開始する。敵は川に近寄らずに川の西側の岸に布陣と陣幕の設営だけを済ませていた。
「火縄銃を恐れて、か?」
「有り得ますな。渡河中は誰もが無防備に為ります故」
明智十兵衛光秀が布陣を済ませて戻って来る。ちなみに信長は謎の勘で夜明け前に目を覚まし、馬廻りと共に夜番を甲冑を着込みながら待っていたそうだ。新しい人類か何かかお前は。
そしてこちらが準備が整った頃、南から尼子方の増援がやって来た。旗にたなびく家紋は十兵衛と同じ木瓜の紋とそれが3つの三つ盛木瓜の紋。但馬の国人であり元山名家臣の太田垣氏と八木氏だ。既にこちら岸に渡って来ている。
「援軍を待っていたか。織田は既に南を押さえる陣形故問題は無いが」
「渡河地点は南になるでしょうな」
しかし、俺と十兵衛の予想と違い、尼子新宮党の兵はじっとこちらを窺うように動かなかった。それは但馬国人と織田軍が開戦しても変わらない。
「不味いな。織田兵より敵の方が多い」
「田結庄の残党も加わって居ますな」
「しかし、何故敵は動かない?」
「我等より敵の方が兵数は多い。其れだけに兵数に勝る敵が攻め手に加わらないのは変ですな。」
大砲を撃ち込むのも考えたが、これから但馬の城攻めにも使う上、尼子本隊が来た時に距離感という手札を見せない状況で当たりたいという理由もあってやめる事にした。火縄銃は準備万端に川岸を狙っているが、こちらより大軍の敵が動かない状況が続く。南方では織田軍がやや兵数に劣りながら柴田・佐々らが奮戦し、側面へ回りこもうとした八木隊を最近頭角を現した滝川彦右衛門一益の一隊が防ぐ。騎兵が足りないこちらとしては十分な戦いだが、決定打に欠ける戦いだった。
だらだらとした戦いの中、ふと気付くと空が暗く重たげな雲に覆われつつあった。まさか。
「敵の狙いは雨か?」
「火縄は基本雨には弱い物に御座いますからね」
「十兵衛、敵の様子は?」
「確認させましょう」
望遠鏡を持った兵が対岸を確認すると、「慌ただしく走り回る兵が!」との声が聞こえた。当たりか。
「如何やら其の通りに御座いますな」
「此れも又地の利か。雨の気配を感じ取っていたか」
事前に山名から聞いた話でそろそろ豊岡は雨期に入るとは聞いていたが、5月に入ったばかりの今日ピンポイントで雨が降るとは。
「普通の火縄相手なら此れで勝てたであろうな」
「残念ながら、殿の火縄は普通では御座いませぬ故」
兵たちに箱から火縄を出させる。柿渋の塗られた渋紙で包まれた火縄銃は湿気に強い。おまけに銃本体の要所には漆で防水が施されている。
父道三から出されていた課題。雨に強い火縄銃。それがこれだ。皿に水が入らないよう種痘で犠牲にした兎の皮を利用している。台風やゲリラ豪雨的な雨には勝てないが、多少の雨ならば特に問題なく対応できる。
敵が小船を使い、板を渡して渡河の準備を始める。水深が深いわけではない場所なのに、とても慎重だ。
「此の時期は未だ雪解け水が混じり川の水が冷たい儘だとか」
「成程。馬にとっても良くないか」
相手はきちんとこの地域の特性を理解している。だが残念ながらこちらの火縄の対応策までは分からない。ならば。
「多少の人数が渡り切ってから斉射を行え。別に敵を全滅させる必要は無い。新宮党を動揺させ、此方が優位と示せれば良い。」
「御意」
そう。別に大勝せずともこれから援軍はどんどん来るのだ。雨に強いと知られるくらいは構わない。
♢♢
尼子敬久は新宮党の中でも戦場では慎重な男だった。だからこそ火縄銃を恐れ、川岸に近寄らずに布陣した。数日前に出雲・伯耆で雨が降り出した。但馬も同じ日本海側であり、そして降水量の多い地域である。南部は豪雪地帯で知られ、ここ豊岡も盆地で梅雨に雨が多く降る。織田軍が動員を開始した4月前後は雨が最も少ない時期だったが、梅雨も近づいてきた今は雨が降りやすい。火縄銃への脅威を正しく持っていた尼子敬久は、だからこそ夜であっても雨の降らない日に渡河を目指すことはなかった。
だが、彼の身に着けた手甲を水が叩き始めた。
彼の待ち望んだ雨である。
「天運は尼子に味方したか」
彼はそう呟くと、大急ぎで渡河の準備を始めたのである。冷たい播但山地からもたらされる川の水を避けるべく小船を用意し、板を渡して簡易式の橋としてでも兵の消耗を抑えることを優先した。全ては斎藤の軍勢に痛撃を加え、南の国人と共に織田の先陣を挫く為である。
しかし彼が目にしたのは、300ほどが渡河した直後に雨の中でも容赦なく向けられた銃口と、そこから放たれた無数の射撃に貫かれ崩れゆく新宮党の兵たちの姿だった。
♢♢
敵がこの状況でもあまり大軍を一度に渡らせようとしていないのを確認し、俺は先陣の300ほどの兵を倒すよう命じた。一斉に放たれた火縄の一撃は渡河を終えた部隊に容赦なく襲いかかり、そして屍の山を築いた。渡河しようとしていた敵は凍りついたように動きを止め、そして「退け!戻れ!」という大声と共に整然と川岸から撤退していった。さすが尼子の精鋭といったところか。
しかし火縄でほぼ全滅させたのは騎兵が半数を占める部隊だ。どうやら騎兵でまずこちらに突撃している間に残りの本隊を渡河させる予定だったらしい。馬に冷たい川を渡らせてからのこれは痛いだろう。馬は川岸の一段低地にいたため火縄の被害にあまり遭っていない。同じく馬の側にいち早く駆けていた敵の騎兵もそのまま馬に乗って対岸へ渡り始めた。
十兵衛の命令が辺りに響く。
「逃すな!渡河する兵を撃て!」
「「応ッ!」」
火縄部隊が接近する。相手も必死に川を渡るが、まだ水位は相応に高い。馬だけならまだしも人が乗っていると厳しい。中には鎧を脱ぎ捨て馬と共に泳ぐ者もいた。対岸から彼らを守ろうと矢が放たれるが、先ほどの混乱からか散発的だ。
「大花火、撃て!」
「宜しいので?」
「構わん。もう敵は存在を知って居る筈だ!」
朝倉や浅井の敗将が一部尼子に逃げ込んでいるのは若狭での調査でもう把握している。彼等との合戦で使った物は既に相手に知られていると思っていい。
「其れに、知っている事と経験する事は別だ」
「成程」
だが、知っているからと言って想像できるか?経験がなく、火薬が一般的でないこの時代で。ただそういう物があると知っていても、想像して身構えていても耐えられるか。
「撃て!」
答えは否だ。爆発を知らない人間に、破裂を知らない人間に、爆音は耐えられない。動画サイトで爆発を見た事がない人間には、想像できるものではない。
轟音が響く。対岸の弓兵が白い煙に覆われ、そして矢の雨が止まる。待っていたとばかりに火縄部隊が川を渡る兵に撃ちかける。水面から出ている体に、銃撃が突き刺さる。鎧の重さで、鍛え抜かれた筋肉の重さで、敵兵が水底に沈んでいく。
「対岸には届くか?」
「火縄では狙えませぬな。狙撃だけなら何とか」
「狙える者だけで良い」
十兵衛は個人的に射撃の練習は続けているらしいが、ここでは動かなかった。実質的な総指揮官だ、自重したらしい。
散発的に何名かが川岸で川を泳ぎきった兵を狙い撃つ。水中の兵とともに川に落ちると、派手な水しぶきがあがった。
尼子の兵が更に岸から離れていく。もう助けようと兵を出すことも諦めたようだ。判断が早い。
「此れで織田に援軍を送れるな」
「必要なさそうで御座いますが」
見れば南の織田方が押し込み始めていた。こちらの様子が音で分かったのだろう。相手が支援が来れないのに気づき戦意を失いつつあるようだ。
「まぁ、大久保兄弟だけでも向かわせよ。其れで終いだろう。」
「御意」
大事なのは後詰めが行く余裕があることだ。それを見せれば敵も諦めて敗走するだろう。
そして、敵全軍の敗走とともに新宮党は対岸平野部奥の妙楽寺城に撤退した。位置的に大砲で狙いにくい場所だったので攻めるのは一旦諦めると、城崎の奈佐日本之助から連絡が入った。
「城崎周辺に隠岐水軍が到着。兵の移動を一旦停止する、か。」
「城崎には既に八千が兵糧武具含め上陸済みで御座います。如何されますか、殿?」
「一色は陸路で此方に向かって居るのだったな?」
「左様に御座います」
「其れを踏まえて信長と話してくる。奴なら恐らく撤退は選ばんだろうが、俺が播磨に行く案は無理になるだろうな。」
プランとしては織田単独で尼子を足止めして俺は播磨に向かう案もあった。但馬国人がこちらに降るなり戦で破って城を奪い取れたら、という前提ではあったが。しかしもう無理だろう。尼子本隊は大人数かつ山陰は街道が整備されていないのでまだしばらく動けないだろうが、それでも俺が自由に動ける程の状況ではなくなった。ここにいる斎藤軍2500だけでは但馬国人の妨害でもあれば被害がでる。
そして、実際に信長と話してもその部分は変わらなかった。
「義兄上の言う通りであるな。無理は出来ぬ。丹後は目立った街道が通らぬ故一色も時間が掛かろう。」
「其の後ろから残りの織田とうちの兵が来るなら、秋決戦には間に合うが。」
「夏の間に播磨に入るのは無理。仕方ない、尼子全軍を引き付けるか。」
こちらの思惑通りだけではいかないものだ。なにせ相手は山陰の雄。悪くない状況にはもちこめたが、こちらが先手を全てとるまでにはいかないようだ。
長引くのは本願寺を考えると嫌だが、恐らく尼子もこちらの状況は知っているだろう。陸路でのヒト・モノの移動も通常より資金を使うし、大大名相手の戦はやはり厄介だ。戦に使う金があったら越前の復興と発展に使いたいが、自力救済の世の中が憎い。
♢♢
出雲国 月山富田城
尼子晴久は急使の届けた文書を読んで微妙な表情を浮かべた。
「雨でも使える火縄?面倒な物を使うな、斎藤美濃守は」
「本隊が知らぬ儘戦に為らず良かったと見るべきでしょうな」
家老格の宇山久兼が晴久の言葉に応じる。
「彼の男だけが南蛮の兵器を我等より一つ二つ上手く使っている。大砲とやらは此度は使って居ない様だが、大てつはうは撃って来たそうだ。」
「凄まじい音だったそうで。受けて見ねば分からぬと新宮党からは来て居りますな。」
「厄介な敵だ。しかし、其れ故に上手く進んでいる部分も在る。」
「新宮党の被害は五百にも及んだとか」
「問題無い。たった五百だ。足りぬなら九州の奴隷でも買えば良い。鍛える時間は惜しいが、何の道新宮党は混乱するのだからな。」
尼子晴久という男にとって戦の勝敗は計算である。兵糧をいくら使い、武具をどれだけ消費し、兵をどれだけ消費したか。現代であれば『戦争を数でしか考えない』に近い。ただし、彼は数では計れない部分があることを理解した上で数で見ている。だからこそ大内・毛利という難敵を敵に回しながら尼子を発展させ続けているといえた。
「氏久の与力は未だ向かって居らんな?」
「此度の遠征では留守居をさせるとの事」
「ふん。侮られたのが好都合に成りそうだな。俺が戻る迄に準備をさせておけ。」
「御意」
晴久はただ勝てばいい戦をしていない。単純な勝敗だけで物事を見るわけにいかない魑魅魍魎を相手にしているのだ。
「尼子晴久が命じる。全軍、但馬を目指せ」
そして、尼子本隊20000が動き出す。
尼子新宮党との初戦は防水能力のある火縄で勝利しました。この防水の問題は最初期に火縄を買った時から道三から出されていた宿題になります。今回完成していたので効果を発揮した形です。
城の名前、地形など余裕ができたら地図をつけてわかりやすくする予定です。少々お待ち下さい。




