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第177話 かみのけいじ

最初の♢♢までだけ三人称です。

 河内国 高屋城


 11月。紀伊国南の沖合で地震が発生。


 広範囲に揺れが生じたこの地震で、大和国内でも被害が発生。筒井順昭が対大内・尼子のため三好の河内防衛が薄くなると判断し、攻勢をかけようとしていた矢先のことだった。


 大和東部まで影響を受けた筒井は戦どころではなくなったため、順昭は春に朝廷から通告されていた和睦の条件を全面的に受け入れ、撤兵した。

 高屋城で順昭はこう言ったと記録が残っている。


「天が三好に味方したか、我等が地の怒りを買ったか」


 この後約1年半、筒井氏は復興のため活動を沈静化する。


 そして伊勢・志摩で九鬼に押されていた北畠氏も、これ幸いと兵を伊勢に退いたため、畠山高政は高屋城で孤立。筒井からの僅かな支援で城を維持するも、攻め手に回る余裕を失って三好は大軍を播磨に派遣することが可能になるのだった。


 ♢♢


 美濃国 稲葉山城


 冬になった。越前は雪に閉ざされ、金津や三国湊の復興も一旦停止だ。敦賀はほぼ無傷で手に入ったので敦賀から近江に出る街道の整備はちまちまと進めている。


 稲葉山に戻って今年の状況を見る。冷夏が進み、うちの米はある程度安定しているとはいえやはり収穫量が落ちた地域も出ている。更に寒さに強い米が必要かもしれない。信濃などの寒さが厳しい地域では食糧不足になりかけ、北条の支援で武田が食糧を配り支配を強めようとしているらしい。武田から北条を経由して甲州金がうちと織田に流れてくるようになった。織田・北条と共同で進めている計画には良い流れだ。


 2,3年前から始めたミツマタを使った製紙がようやっと軌道に乗り出した。美濃ではこうぞを主体に作っていたが、阿波や尾張でミツマタの存在を確認した。栽培を拡大してもらいつつ、うちで製紙技術の確立を進めてきた。元々ミツマタは一部の地域で使っていたようだが、主にガンピの補助材料として使われていたのでミツマタだけで作るのはあまり行われていないらしい。

 しかしミツマタの方が紙が薄く、かつ柔軟で光沢がでる。これは今後を考えると絶対に必要だと俺は思っていたので、楮和紙と並行で始めたわけだ。


「で、薄葉紙うすようしは出来たか?」

「薄くて丈夫、というのは或る程度は。しかし折っても破れぬ柔軟さで透ける程というのは難しいですね。」


 製紙業専門の管理官(学校の1期生でもかなり優秀だった男だ)は俺のオーダーの難しさを語る。最近は大量生産を主体としていたので、職人も早く安定した紙を作る技術を磨いていたそうだ。1枚1枚の質にこだわる職人を集めているが、あまり数が多くないので試行錯誤中というわけだ。


「出来ぬか?」

「殿がやれと仰る限り某はやるだけで御座います。実際、他の者も多少なりとも成果を出して居ります。負けられませぬ。」


 先日、高炉研究班が試作高炉で一定の成果を出したのが彼の闘志に火をつけたようだ。製油・製紙・製薬は現状のうちの屋台骨だ。その1つを任せているのだから相応に信任しているし、それを理解できない男ではない。


 薄葉紙は最終的に色々な分野で使うものだ。織田・斎藤・北条・三好・六角の支配領域ではかなり紙の値段が下がって普及が進んでいるがそれらとは用途が違う。品質第一で頑張ってほしい。


 ♢


 翌週。関にある蛍石の採掘場から大きな蛍石が届けられた。

 蛍石自体は元々製鉄時のスラグ処理への利用目的とちょっとした宝石的な贈り物として使っていたが、大きな結晶が出た場合は持ってくるよう伝えてあったのだ。実物は直径20cmくらいで、なかなかの大きさだった。蛍石の塊自体はこのくらいの大きさの物も出るが、結晶単位でこの大きさは珍しい。透明なものでこのサイズは滅多にお目にかかれない。


 ガラスのレンズ職人に見せる。望遠鏡の研磨・製造を担当し、すっかりこの道の専門家となった彼にはどう見えるか。


「水晶よりは柔らかいですな」

「うむ。水晶は硬度が7、これは4だからな」

「硬度?」

「物の硬さを表す単位だ。ガラスは5前後だから、蛍石の方が加工しやすい筈だ。」


 触って軽く指で叩いただけでわかるあたり、この職人もかなりの腕になっている。5年以上作っているわけだし、任せて良いだろう。


「柔らかいというのは其れは其れで加工するのに加減が変わるのですが、まぁ何とかしてみましょう。」

「頼んだ」


 これでレンズができれば蛍石レンズになる。顕微鏡用にはうってつけのレンズになる。頑張ってもらいたいところだ。


 ♢


 美濃国 大垣城


 翌週には大垣の金生山かなぶやま近くで試作高炉の視察に向かった。既に研究開始から10年近くだ。耐火煉瓦も製鉄温度には耐えられる程度にはなってきた。しかし今度は構造の問題か温度が上がらなくなってきていた。


「鉄は溶けるのか?」

「何とか。しかし石灰や蛍石を入れると温度が下がり、鉄が融ける温度より低くなります。するとなかなか火の色が元の色まで上がらぬので御座います。」

「密閉性の問題か?それとも外気温の影響が大きすぎる?」



 色々と3日ほどかけて調べた。見えてきたのは酸素量の不足。フイゴを水車で回していたのだが、送り込む酸素の量が足りなかったのだ。

 水車を設置している杭瀬川は元々は揖斐川の本流だったそうだが、俺が4歳の頃に流れが変わり、水量も勢いもなくなったそうだ。


「杭瀬川では水の勢いが足らないか。平坦な川だからな。」

「では、別の場所に高炉を造ると?」

「いや、掘ろう」


 川を浚渫だけですまさずに少し掘って、金生山周辺から落差をつけて水車動力としよう。


「幸い、第1次の浚渫作業は美濃・尾張とも終わっているからな。」

「では、第二次計画として」

「うん。杭瀬川から下流へ水位を下げつつ氾濫を防止。水車付近で段差をつけて周辺の護岸と水車の回転速度を上げ、ふいごの改良と同時に吹き込む空気量を増やす。」

「なかなか大掛かりですな」

「製鉄は近代国家の基本だ。転炉研究よりゴールが見えてきた分此方は全力で行くぞ。」


 最近出雲からの鉄供給が途絶えがちだ。尼子は本格的に畿内へ攻め込むべく物資の販売を控えているのだろう。火縄銃の情報は届いているはずだ。俺や信長、三好が火縄銃を増やすのは面白くないにきまっている。


「何とか4,5箇所を同時に工事を始めて、1年程で済ませたいな。十兵衛。」

円匙えんしと猫車の準備を進めておきましょう。大八車も。」

「頼んだ」


 第4弾のグッタペルカも届いたので、そろそろタイヤの試作実験も始めるべきか。木製車輪はそろそろ限界だ。しかし注射器に聴診器、密閉容器など使うべき場所がまだまだ多い。自力で生産できないのは辛い。


「温室でも造るべきなのか」

「温室で御座いますか?」

「少しだけ他より暖かい部屋だ」

「何故造らないので?」


 十兵衛にはそんな便利なものがあるなら早く造れと言わんばかりの視線が投げかけられる。


「玻璃の板で部屋を造るのだ」

「あぁ、無理ですな」

「で、あろうな」


 ガラス自体が高級品だ。それで部屋が造れる量とか尋常ではない。板ガラスはただでさえ鏡として各地で欲しいと言われている。木材燃料も足りなくなる。植林ペースが以前より早いのだ。これ以上は環境に悪影響が出ないか怖くて仕方ない。水害を防ぐための浚渫では追いつかなくなりかねない。

 高炉もゴムも、先は遠い。


「千里の道も一歩から、か」

「老子で御座いますな。殿の道は先々に繋がると分かって居る道。闇雲で無いだけ宜しいではありませぬか。」

「そうだな。進んだ先で行き止まりになるよりもずっと良い」


 確かに、普通は成功するかもわからない道を歩いて技術の進歩を目指すのだ。俺はその先に未来があり、発展があると分かっている道だけを進んでいる。他人から見ればズルと言われても仕方ないだろう。


「千里の先に、安寧なる世が在るなら歩くのも厭わぬさ」


 何と言われても、俺は目指す道を変えるつもりはないのだから。


内政回。一歩ずつ確実に改良しながら高炉完成を目指しています。

蛍石の顕微鏡レンズは19世紀前半に登場。モース硬度的にも加工は出来ます。蛍石の産地まであるとか美濃は本当恵まれていますね。


1552年和歌山沖地震は詳細不明ですが奈良東部まで揺れています。南海トラフによる地震らしいです。被害の記録が殆ど残っていないですが、時期的に筒井にはクリティカルでした。


和紙も楮だけでなく三椏も使い始めました。文中は分かりにくかったのでカタカナにしてあります。

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