第175話 宮内卿最後の教え(下)
最後の敦賀前の♢♢まで三人称です。
越前国 金津城
平井宮内卿は、金津に向かっていた。その数約2000。本願寺に支配された地域で動くにはあまりにも心許ない兵数だ。しかし彼は迷うことなくためらうこともなく長崎城を迂回してここにやってきた。そこには、斎藤の家とあまりにも大きな因縁を抱えた1人の男がいた。
「やはり居ったの、朝倉式部」
朝倉景鏡。本願寺に寝返り、朝倉と斎藤の双方に仇となった男。金津に入り、この地で4000を率い支配を進めるべく活動していた。
「自身が優位な兵数。孤立した敵。さてさて如何出るかな?」
平井宮内卿はここを崩せば本願寺は完全に越前からの撤退せざるをえなくなるだろうと考えていた。だからこそ、彼は自分の命さえ賭けてこの場に乗り込んできた。前線の本願寺はあと1日あれば立て直すことができるだろう。その間に各砦は各個撃破か敵の撤退によって立て直すことができるであろうことは宮内卿には読めていた。
だからこそ、そこから再度仕切り直して攻めてくる前にもう1つ相手に衝撃を与え、敗北したと思わせなければならないと彼は考えていたのだ。
一方、景鏡は城内で逡巡していた。
家臣や残っていた本願寺の有力者は孤立した敵、それもどうやら大将格がいるならばうって出て破ることで越前制圧に大きな弾みをつけたいと考えていた。
しかし景鏡はどうしてもその選択に違和感を覚えていた。自分の命を危険にさらす時に感じる、ちりちりとした焦りと背筋の寒気。それが目の前にいる自軍より少数の敵から感じられ、積極的にこの安全な城から出ようと思えなかったのである。
「臆したか朝倉の!既に九頭竜川攻めが大きな損害を出して居る以上、此処は其の劣勢を跳ね返す絶好の機会ぞ!」
「左様左様!此処で平井宮内卿を討てば敵は忽ち動揺し崩れましょう!何を躊躇う事が御座いましょうか!」
「……」
嫌な空気だ、と景鏡は思った。此処に籠っていれば間違いなく自分たちが死ぬことはないのに、なぜか目の前の興奮した将兵は危険に飛び込もうとしている。そのように感じた景鏡は、黙って嵐が過ぎるのを待つくらいのつもりで彼ら攻めるべき派の言葉を聞き流していた。もう少し待てば三国湊を押さえるべく向かった堀江氏が戻ってくるため、彼らと合流してから攻めるのでも遅くはないと感じていた。
「此の男、まさか敵に通じて居るのでは?」
1人が発したその言葉が、場の空気を変えた。即座に、景鏡は周囲から命の危険をうっすらと感じ始める。
「此れ程分かりやすく敵が目の前で待って居るのは、我等が怒って打って出た時に背後を襲う為ではあるまいか?」
「我等加賀の衆が劣勢と為った故に、斎藤に既に通じて居るやもしれぬ。」
景鏡は違う、と言っても聞く耳を持ってはくれないであろうことを悟った。既に殺気立っている彼らに常識的な判断を求めても無駄だろう、と。景鏡としては非常に合理的に動いているつもりだが、周囲は既に疑念を抱き受け答えを間違えれば自分の命がない状況になっているのを感じていた。
「分かった。其処迄皆々が意気軒高なれば某も出ない訳にはいかぬ。支度をせよ。」
「はじめからそうすれば良かったのだ。全く。」
誰ともしれぬ小言を聞きつつ、そろそろ三国湊を押さえに向かった兵が戻るのに間に合わぬな、と景鏡は久方ぶりに舌打ちを鳴らした。
♢♢
城下が騒がしくなると同時に、物見を務める耳役から宮内卿に情報が入った。
「敵は打って出る様子」
「そうかそうか、乗ってくれた様だの」
あえて隊列も何も組まずに秩序のない状態で城下に構えていたのが功を奏したか、それとも兵力差が後押ししたか。宮内卿には分からなかったが、これ以上時間がかかるなら城下に向けて主君が作った『めがほん』とやらで挑発することも考えていた。それを考えればやらずに済んで良かったと考えていた。大声を出すのは老体には厳しいためだ。
「では火縄を前に。数は十分在る。敵が身動き出来ぬくらい派手に撃つのだぞ。」
「ははっ!」
警戒のため出てきていた本願寺兵に城内にいた兵が合流していく。わらわらと兵が増えるが、どこか緊張感とまとまりに欠ける。
「弓兵を数えよ」
「余り見当たりませんね」
「だから数えるのだ。何処かに密集して居る筈よ」
耳役は片目望遠鏡を見ながら陣容を報告していく。5分ほどで片側に徐々に弓兵が集まり行くのを、耳役は見つけた。
「彼の隊が弓矢を持って居りまする」
「良し、では其処だけ程々に戦は済ませようかの」
宮内卿は火縄銃を中央に集める。敵が鶴翼に開くのに対し、あえて露骨に中央の兵の数を少なくした。中央には朝倉の旗印。明確に景鏡を誘う布陣である。
「右に弓兵が多い故、火縄を左に多く配置せよ。右は弓同士で撃ち合えば其れで良い。」
「騎馬がほぼ敵に居りませぬから、鶴翼なれど包囲せんと狙って居る訳では無さそうですな。」
傍にいた若武者がそう答える。
「良く見えて居るな。名は何という?」
「竹中彦左衛門に御座います」
「あぁ、そう言えば北部に移された岩手氏が其の様な名を名乗って居ったな。」
「はっ。兄が其の当主に御座います」
最近若く有望な人間が増えているのを宮内卿は感じていた。
明智十兵衛光秀はもはや若き主君の右腕であり、戦なら日根野・大久保・芳賀の三家兄弟が存分に活躍する。情報収集は服部党が耳役を支え、国内の整備には義龍肝煎りの学校出身の面々が活躍し始めている。いずれも宮内卿の半分にも満たない年齢の者が主体となって動いている。もう道三より高齢の自分の出る幕ではないと彼は考えていた。息子の綱正も凡庸だが若き主君を支える1人ではある。一門も少しずつ元服し義龍を支えていくことになるだろう。
だからこそ、彼は戦場に出るのはこれが最後と決めていた。ここで自分の後継者たる十兵衛に手本となる教えを見せる事。彼はそのために戦っていた。
♢♢
戦場は右側の膠着と左側の砲火による斎藤側優勢で始まった。火縄銃700が2隊に分かれて交互に射撃する状況に、本願寺の軽装農兵は次々と倒れ、あっという間に崩壊した。それでも正面の朝倉景鏡は動かなかった。本隊を動かした先に死の気配があることを彼は見抜いていたためである。
右側の陣では弓矢が飛び交い、少数の弓兵しかいない本願寺側は数で倍ながら完全に膠着していた。こうなると左側の陣で一方的になっている分兵の士気がどんどん失われていく。無策や臆病では勝てない状況である。
右側の陣は兵数で勝ることを理由に本願寺の坊官が小競り合いを止めて突撃を命じた。これに呼応する形で、正面の景鏡以外の率いる大部分の兵が突撃を開始した。景鏡は相変わらず動かないため、僅かだが寝返った時用の兵が残された。結果として、この部隊にとって残ったのは不幸中の幸いとなった。
「今こそ好機!撃て!」
大花火が本願寺を襲う。ある程度密集した(というより、密集しないと向かう先が統一されない)農兵が爆音と閃光の直撃を受ける。朝倉が大きく動揺したこの攻撃を、彼らはまだ知らないため、その衝撃は訓練されていない兵という要素も加わり朝倉以上に響いた。
何より、真っ先に扇動する坊主たちが逃げ出し、蹲り、気絶した。その姿を見た兵たちは、命を捨てて戦うという幻想から文字通り【覚めた】のであった。
逃げ出す中央の兵たち。左側の陣が火縄銃でボロボロになっていたために、突撃を開始して後方にスペースのできた右側の後方に殺到した。ちなみにその先頭で逃げるのは朝倉景鏡である。数少ない本願寺の弓兵はこの津波のように押し寄せる逃走兵に呑み込まれ、あっという間に矢を放つ本願寺兵はいなくなった。
これで突撃をしかけた兵が孤立する形となった。左側の陣の生き残りは既に城下を抜けて北方へ逃走しており、中央の兵も追撃から右側の陣の後方へ回りこみつつあった。宮内卿により布かれた槍衾によって乱戦となっている彼らは逃げるに逃げられず、やがて後方に回った軍勢によって挟み撃ちにあい、壊滅した。
城の周辺に残っていた兵は、あまりにも圧倒的な軍としての力の差を見せられたため即座に逃げ出した。心理的に火縄と大花火を避ける様に東に逃げた彼らを宮内卿は追わず、城にも入らずに近くの茂みに火縄銃の部隊、城下に長弓の部隊などを潜ませた。
そして夕刻。到着した堀江景忠率いる部隊は静まりかえった様子の金津城を不審に思い兵の歩みを止めさせた。そこは茂みまで300mあまりの距離であった。つまり、
「撃て!」
大花火の射程圏内だった。爆音が突如堀江の兵を襲い、動揺した兵たちの前に茂みから火縄銃を装備した兵が現れる。
「もう一つ!」
二度目の爆音で正しく認識した兵たちが混乱を始める。迎撃どころか耳が一時的に聞こえなくなる兵まで現れ、指揮系統が崩壊したところで、火縄銃の部隊が射程圏内に到着する。振られる青い旗。これに合わせて一気に兵が火縄銃を撃つことで、移動のため細長い列となっていた堀江兵は一部が文字通り全滅した。秩序のない行列の真ん中に、砲撃による穴があく。それを見た兵におこるのは恐慌状態だ。
城側へと逃げた兵は次々と城下で弓兵に四方からの射撃を受け討たれた。元来た道を戻ろうとした兵は伏兵により退路を塞がれ投降した。そして軍を率いた堀江景忠は行列の後方だったために退路を断たれ、最期は火縄銃に蜂の巣にされた。
「良し。では金津を押さえたと殿に伝えよ」
「はっ」
耳役を派遣した宮内卿は、同時に降伏した兵を数人放って金津陥落と三国湊も落ちたという虚報を本願寺の本陣に情報を伝えた。
♢♢
越前国 敦賀
9月15日。本願寺の兵40000が加賀へ撤退した。俺たち斎藤の勝利で戦は終わったことになった。
金津での戦によって朝倉配下だった訓練された兵を失い、余剰人口が消失したことで領内で賄える状況となった加賀総大将下間頼言は撤退を宣言して堂々と逃げていった。後には荒廃した長崎・金津一帯と、一部破壊された三国湊が残された。
食糧も家も失った人々が多数出たため、臨時で施餓鬼を行い、砦建築用に集めていた資材で急遽復興作業が行われた。冬になる前に人々の住居を用意しないと大変なことになる。本当は織田軍の支援をしたかったが、結局9月末には信長率いる18000が若狭を蹂躙し当主の武田信豊は尼子氏の下へ逃走した。一色氏の後背を織田が固める形となり、尼子の侵攻に備えられる状況となった。
こうして越前は一気に斎藤の領地となった。しかし対本願寺の防衛線の再構築が必須であり、荒廃した北部の復興も必要だ。日本海貿易を織田と両家で独占できる状況とはいえ、あと2年は加賀へ攻め手に回れる状況にはならなさそうだ。
福井の新城は結局住居整備に使われない石灰での土台作りと各郭を囲う外壁のみの整備となった。上から見たら掘立小屋と迷路みたいな関係である。ただし、越前の民には自分の城より民の家を優先してくれる殿様扱いされるようになったが。焼け出された人々や養いきれず送られた一乗谷の住人を福井に集め、城下を形成していく。大事業になりそうだ。
10月に入る頃には収穫も終わり、越前は当然まともな収穫がないため年貢免除として治安回復を進めていた。
そこに織田から使者がやって来た。彼らの情報に、俺は悠長に越前復興に手を尽くしていられなくなることを再認識させられた。
「但馬が尼子の手に落ちました。山名殿は我が織田家に助けを求めて居ります。」
一色の石川殿も同時に俺と織田を頼ってきた。既に寒気が訪れつつあるため今年は戦う事にならないだろうが、次の大敵は尼子で確定だろう。出雲・伯耆・美作・因幡・但馬・隠岐の全域と備後・備中・播磨・石見に勢力を持つ大大名だ。気を引き締めねばならない。
世代交代。現代では考えられないくらい早いペースで進むそれがここでおこっています。
宮内卿は史実では1585年まで生きた(享年93歳!)人物なので要所要所で今後も顔は出しますが、あくまで相談役的ポジションに留まるでしょう。
いわゆるロケット花火は近江で使われた関係上、越前の本願寺にはまだ伝わっていないためこういう結果を生みました。情報伝達と確度の違いが大きく影響しています。
本願寺は一旦撤退しましたが、大軍ゆえ追撃は厳しいため40000は無傷で逃げました。とはいえ朝倉から流れた訓練された兵は宮内卿の手で大分削られたので徐々に烏合の衆が残っていくことになります。
基本的に本願寺を支えたのは雜賀などの傭兵と大量の農民兵と私は考えています。傭兵の練度が高い部隊を数だけはいる農民兵が支えることで、攻めに回ると織田の常備兵を圧倒できるという構図なのではないかな、と。本作では傭兵がいないのでかなり難易度低めです。
但馬が落ちたことで尼子の拡大が進みます。生野銀山を尼子が手にしました。次回は尼子と陶の動きに入ります。




