第173話 崩壊する越前、雪崩れ込む加賀 (下)
最初の♢♢まで三人称です。
越前国 長崎城
城下で、多くの兵が食事を貪っていた。
否。多くの流民が食事を貪っていた。
例年通りとなりつつある冷夏で加賀の食糧事情は決して良くなかった。夏に入り食糧の不足が顕在化したことで、強硬に南北双方と対立を掲げた加賀本願寺は窮地に陥りかけた。
能登の畠山氏とも、越前の戦乱とも関わらないために食糧を輸入する手段がない。あと収穫までの数か月を耐えられる米と雑穀の備蓄がないことへ坊官たちは焦っていた。しかし、そんな彼らに天啓の様な情報がもたらされる。
『浅井滅亡。朝倉はもう加賀と戦う余力はない』
彼らは覚悟を決める。どうせ斎藤は朝倉の次に本願寺を潰しに来る。ならば戦場を越前にしつつ食糧を獲得しに行こう、と。
そうして攻め込んだ長崎城には籠城を想定し周辺施設まで合わせて8000石という莫大な米が貯蔵されていた。越前へ雪崩れ込んだ75000の兵を1月以上養う事が出来る米。彼らは歓喜してこの地に留まり、空腹を紛らわせることにした。
そうしてできた九頭竜川接近までの時間が、斎藤氏にとってあまりにも大きな【時間】を与えることになったことに気付かず。
♢♢
越前国 燧城
燧城で城主・赤座直則の出迎えを受けた。彼は賭けに勝ったからか満面の笑みだった。本領安堵の約束もしているし、あの状況下で寝返るという決断をしたのだ。相応の胆力があると言っていいだろう。
「美濃守様、府中を如何しますか?」
「如何、とは?」
「攻められるのでしょう?某赤座一門に先陣を御任せ頂きたく」
少し前までならそれも考えたのだろうけれど。
「いや、降伏を促す使者を送る」
「成程。宗滴亡き今、朝倉も抵抗は不可能であろう、と。」
まぁそれもある。無駄に戦をして双方犠牲が出るのは避けたい。
「で、和睦なら誰を向かわせるか、だ。十兵衛。」
「であれば平泉寺を頼るが宜しいかと。使者も僧に任せれば話し易う御座います。」
平泉寺とは白山のことだ。元々朝倉氏との結びつきが強かったのだが、天台宗で比叡山との関係が深いことから今回は中立を保っていた。
俺としては邪魔しなければいいと無視していたわけだが、寝返った赤座氏にはそれとなく声がかかっていたらしい。何かあれば調停に動きたい、と。
「ふむ。では任せよう。其れと十兵衛、彼の男は一乗谷か?」
「はっ。一乗谷の屋敷に居ります」
「では、条件に入れておいてくれ」
「御意」
♢
2日後。平泉寺は前々から準備していたようで、話をしたらすぐに動いてくれた。まぁ縁故の深い朝倉氏が滅びそうなのは流石に止めたかったのだろう。
使者として向かったのは佐藤福寿坊という坊主だ。朝倉恩顧の武将の息子だそうで、最初に話を仲介するのにはもってこいだろう。
燧城に続々と兵が集結し、圧力をかけながら返事を待つ。九頭竜川以北を制圧した本願寺勢は長崎城で停止しているらしい。今がチャンスだ。時間が少し手に入ったおかげで東氏の援軍も間に合った。耐えられるうちに交渉をまとめたい。
そして4日後、思わぬ人物が朝倉から出向いてきた。
「小泉藤左衛門尉長利に御座る」
朝倉氏で奉行人として名を売っている小泉長利が揃ってやってきた。重臣中の重臣だ。護衛すら最低限にし、どう見ても降伏の使者である。
「良く参られた。先ずは宗滴殿と景光殿の骸を御渡し致そう。文姫も一緒に。彼女が看取ったので。」
「忝い。だが、我々としては何より大事なのは若殿の御命。御助け頂ける様先ずは其の話を願いたく。」
彼らが来た理由は主君の命だけでも助けることらしい。越前中部で孤立した朝倉軍はかなり動揺していたらしく、最悪守りの堅い城で籠城戦をしつつ玉砕覚悟の決死隊を複数組んで俺に一矢報いるなんて話まで出ていたそうだ。
しかし南部壊滅の報にもはやここまでかとなった直後に平泉寺からやって来た使者によって助命の道が開けた。そのため、現時点で一番誠意を見せられる彼が選ばれたらしい。
「一乗谷以外の全領地没収というのを考えている」
「一乗谷は米が獲れる地では御座いませぬ。皆が飢えて死にまする。」
「戦で我が軍で戦う度に褒賞金を出そう。其の金で養うと良い。」
「せめて、今の府中の城周辺というのは」
「府中は今後造る新しい都市と敦賀を結ぶ要衝に為る故渡せないな。」
前世の日本地図で見た記憶で考えれば、福井市は一乗谷を降りた平地付近だ。で、府中はその福井と敦賀を結ぶ陸路の要衝だ。こちらとしては一乗谷の奥地にいてくれた方が開発がやりやすいのだ。
「其れでは、美濃守様を信じて戦で呼ばれるのを待てと仰るので?」
「少なくとも、条件を呑むなら本願寺との戦には必ず呼ぼう。活躍次第で土地も追加で与えよう。」
「出来れば、我らが生きていけるだけの所領をお願いしたく。」
「分かった。其れは約束しよう」
「後は我等の処分に御座いますな。偽薬の事を知っていた家臣一同、既に裁きを受ける覚悟は出来て居りまする。」
そして、まぁ条件面の話だ。聞けば敦賀郡司以外の重臣クラスなら景鏡がやっていた偽薬販売を知っていたそうだ。
「此方連名にて既に切腹の命在らば実行致す名簿に御座います。」
「……いや、其処までする心算は無かったのだが」
しかし、そこで十兵衛が進言してくる。
「殿、恐れながら此度の件、領内では偽薬は死罪と定めて居りますれば、他国者は許すというのも不公平に御座います。我等は偽薬を決して許さぬという事を内外に示す為にも、此処は厳し過ぎる位で調度良いかと。」
「うーん、十兵衛がそう申すなら」
「但し、代わりに一族の知らなかった者には御咎め無しで一乗谷に住み仕える事を許すべきでしょう。土地も多少は許すべきかと。」
「ではそうしてくれ」
「御意」
その言葉に小泉は平身低頭で「我が子も覚悟して居りましたが、有り難き事に御座います」と言っていた。やれやれ、事前の打ち合わせ通りとはいえ、人に死ねと言って平然としていられる人間じゃないのだけれど。
♢
越前 府中城
城の前で、朝倉の若き当主が正座して待っていた。
前日まで自分が責任をとると騒いでいたらしいが、朝倉の当主として生き延びるのが最大の責任と宗滴の手紙にもあったため結局折れたそうだ。正直言えば今後の朝倉を思うと生きてこの先を頑張らねばならないという時点で十分生き地獄だと思う。
切腹したのは河合久徳、朝倉景隆、小泉長利、青木景康、半田吉就、福岡吉清ら総勢12名。正直見たくなかったが俺が処罰を決めた以上仕方なかった。人の死が減るようにと願って戦っているのに、自ら殺さねばならない人がなぜこうも増えるのか。辛いがしかし一日も早い織田の天下統一に向けて我慢するしかない。
朝倉延景は泣きながら家臣たちの死にざまを見ていた。そしてその終了後、俺の『龍』の字を受けて朝倉龍景を名乗ることを宣言させた。朝倉氏は20代前半の武将(魚住景固・河合吉統・福岡吉家)が柱石となって一乗谷を許され、大名家としての朝倉氏は滅亡した。
彼らの降伏後に山崎吉家ら敦賀郡司家の諸将が降伏した。宗滴の遺体を丁重に扱ったのが功を奏したのか、彼らは自らの主の死に立ち会えなかったことを大いに悔んでいた。忠臣たちの殆どは俺と戦い死んでしまった。どうしようもなかったとはいえ、逃げた先が敦賀以外だったために彼らは再集結もできず精鋭は消滅した。敦賀から宗滴を運ぶ人員すら、あの瞬間に用意することは出来なかったのだろう。
そこで文姫と朝倉龍景を婚姻させ、敦賀郡司家と本家を統一することにした。彼らを一乗谷で一括管理する形とし、全ての元凶は朝倉景鏡でそれを皆で討つ事で全部チャラにしよう、的な流れにした。
細々とした処理を行いつつ、大急ぎで九頭竜川の砦に兵を送り込んだ。織田兵も含め前線に並べた兵数は17000。敵の4分の1だが、鉄砲隊とまだ壊れていなかった5門の大砲が平井宮内卿を中心に集まったのだ。残務処理で動けない俺と十兵衛の代わりに、何とかしてくれるだろう。
朝倉降伏、延景は一乗谷のみで壮年以上の重臣がほぼ切腹し終了しました。一乗谷は一大消費都市ですが米などの収入はあまり見込めない土地。まぁ反抗する力も基本与えない方向ですね。徐々に金銭による褒美を根付かせようという主人公の狙いもあったりします。
次話から対本願寺と織田の若狭武田攻めが始まります。




