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第172話 崩壊する越前、雪崩れ込む加賀 (中)

最初の♢♢まで三人称です。

 越前国 敦賀


 その屋敷では、怒号が飛び交っていた。


「山崎殿、勝手に出陣されては困る!」

「今敵の先鋒を止めずに居れば敦賀まで乱入されかねん!北部には本願寺が来ているのだぞ!若殿の御命も危ないのだ!軍議など悠長に三日もして居る場合ではない!」

「しかし、誰が指揮を執るか決めねば統一して動けぬのだ。」

「一刻を争う状況で動かぬなど許されぬわ!もう良い!文句が在るなら後で首でも所領でも幾らでも持って行け!」


 多くの朝倉重臣が集まる中で、【今すぐ兵を率いて敵を止めなければ御家が滅ぶ】という主張と【指揮する人間を決めなければ各個撃破され御家が滅ぶ】という主張が真っ向から対立していた。このうち戦場で生きてきた宗滴の懐刀と呼ぶべき勇将・山崎吉家は兵を出さねば負けると考えていた。目前の敵にまずは対処すべく、彼は独断で宗滴配下の一部将兵をまとめて出陣した。


 一方、朝倉景隆や鳥羽一族などの朝倉氏一門は誰をトップにするかで大揉めに揉めていた。トップを決めなければ統一した防衛、特に宗滴の作り上げた防衛システムは機能しない。そしてこの揉める様子にうんざりしたのが山崎吉家以下宗滴の幕下で活躍してきた将だった。


「最も練度の高い兵が突出しては不味いと分からぬのか、彼の男は。」

「しかし、既に敵は刀禰坂とねざかに迫って居るとか。」

疋壇ひきた城には既に攻め込まれているやも」

「疋壇殿を助ける為にも、此処は早急に誰が指揮するか決めるべき!」

「ならば貴公が指揮を執られよ。裁判の決断の早さは亡き殿も御褒めであったからな!」

「いやいや、某では貫目が足りませぬ。やはり一門でも血の濃い景隆様が。」

「いやいやいや」


 結局のところ、『宗滴の後継』という重責を担える人材がいないのが最大の問題であった。朝倉景紀(かげのり)という後継者を乾坤一擲の斎藤美濃守義龍殺害失敗で失い、遺された景紀の遺児景光(かげみつ)は初陣を終えたばかりで大将は出来ない。つまり宗滴の下で歴戦をくぐり抜けた将兵も従わないという事であり、従う人間を決められずただ攻め込まれることに我慢できなかった彼らがついに出陣してしまったのである。


「いっそ山崎殿に任せては?」

「彼の男は大局を見て動ける人間では無いぞ」

「だが兵の人気は在る」

「相手は美濃守とマムシだ。謀に対処出来ねば」


 結局、彼らの求める人間が宗滴だけであり、そして宗滴は意識が戻らない状況において打開策はないに等しい状況であった。


 ♢♢


 越前国 道口みちのくち


 城主の疋壇一族は隠居の身だった疋壇の御老体だけが腹を切って忠義を示し、残りの面々は城下の定廣院じょうこういんで出家する条件で開城した。数が圧倒的で味方がいつ来るか分からない状況では農兵主体の彼らでは耐えられなかったらしい。先鋒軍による2日の攻撃と追いついた本隊からの大砲2発で慌てて使者がやって来たくらいだ。城を接収し、そのまま守備兵を置いて即座に進軍を再開した。


 そのまま敦賀へ街道を進んで行くと、敦賀の手前にある衣掛山きぬかけやまの麓で朝倉軍と遭遇した。遭遇した、というだけに相手も進軍真っ最中であり、こちらも異常に接近した敵を把握してすぐに陣形を整えていたら朝倉軍が進んできた状態だった。

 相手はうちの軍勢とこんな場所で会うと思っていなかったらしく動揺し、こちらはこちらで相手が動揺しすぎてどうするのこれ状態になった。とはいえいざ戦だとなれば各将が毅然と指揮を行い、中央の俺の陣幕まで報告が届く。十兵衛の元で統一した戦闘行動が行われ、火縄銃と弓による遠距離攻撃で相手を乱す。


「十兵衛、朝倉が変だぞ」

「宗滴が居ない故でしょう」

「まるで統一した行動がとれていない。酷いな」


 素人に毛が生えた程度の俺でもわかる。これが総大将を失った軍隊なのだろう。中にはこちらに接近すべく川に飛び込む兵まで現れた。当然のようにこの部隊は機動力を失って弓の餌食となっていく。


「朝倉の精鋭が、此処迄烏合の衆と為るとはな。」

「殿、此れが軍の脆さに御座います。将無き軍は軍に非ず。野盗の群れにも劣る物。」

「恐らく大将を務めるは山崎吉家だが、全体を掌握出来て居ないのだろうな。」

「五百を率いる事は出来ても、千を率いるのは其の才と経験無くば無理、と言われます故。」

「そうだな、俺に其の才は無いから十兵衛に任せて居るのだ。」


 十兵衛光秀が実質的なうちの総大将だ。俺は大軍を用意する側で、指揮する人間じゃない。その程度は俺にもわかる。


「御安心を。某、殿の武を支えるべく此処に居ります故。」


 そして、十兵衛の的確な指揮は大軍を扱うのに不慣れな山崎吉家をじっくりと崩し、少しずつ選べる選択肢を奪いながら優位な状況を作りだした。相手の打てる手を狭め、早い段階で次に対処すべく兵を動かしていく。相手は「少しましな選択」を選ぶが、それを十兵衛が追い込み優位を積み重ねる。陽が傾き空の赤色が濃くなる頃には、ほぼ一方的に損耗し分断された朝倉の将兵が散り散りに逃げるしかない状況だった。


「此れで敦賀を囲えますな」

「十兵衛、兵の疲労は?」

「問題無いかと。休み休み戦って居りましたので。」


 大軍を入れ替えながら攻め手の勢いを保つ戦い方は、特に昼を過ぎると効力を発揮する。動きの鈍る相手と、フレッシュな我が軍という構図が生み出せるのだ。


「では、周辺を十分警戒しながら進軍を開始せよ。疲労した兵は陣幕で休ませてから追いつく様に。」

「はっ」


 さぁ、敦賀を落とせば実質朝倉は終わりだ。手を緩めずいこう。


 ♢


 越前国 敦賀


 翌早朝。敦賀の町を遠巻きに囲う。道中で宗滴恩顧の将が数人降伏してきた。うちの2人は息子娘らの助命と宗滴の側で死なせてほしいと言ってきた。

 つまり、敦賀には彼がいるという事だ。先行した物見の兵によって町の周辺で逃げ出したと見られる大量の兵が目撃された。敦賀にもうほとんど兵はいないらしい。


 入り口で100ほどを率いて敦賀入りを塞ごうとしてきたのは旗印を見る限り朝倉景光だ。あの朝倉景紀の遺児である。まだ元服が終わったばかりであろう彼に、しかし強い覇気を俺は感じた。


「如何する十兵衛」

「火縄銃で仕留めまする。彼れは覚悟を決めた男の顔。近付かれるは危険にて。」

「分かった。そうせよ」


 景光は火縄を前に出した時に卑怯者、それでも武士かと叫んでいたが俺は容赦しなかった。突撃してきた彼は2度目の斉射で落馬した。片足を引きずりながら、それでも槍を杖代わりに立ち上がって来た。その姿を見た十兵衛は徐に愛用の火縄銃を取り出し、景光の射程まで馬で駆けて行った。


「天晴れに御座る。明智十兵衛光秀、敬意を込めて御命頂戴致す。」

「や、やらせぬ。御爺様は俺が守ると、父上に……」


 無慈悲な一発が、景光の額を撃ち抜いた。最期まで、十兵衛は彼に近づかなかった。


 ♢


 町は静かだった。本来なら諸将がいるはずの敦賀中心の朝倉屋敷も、門の前に女性が1人待つのみだった。

 頭を下げながら待っていた15くらいの少女は、俺の一隊が近付くと顔を上げ無表情にぽつりと一言呟いた。


「御爺様が御待ちです。どうぞ中へ」

「御爺様?」

「金吾様で御座います」

「という事は」

「どうぞ。既に中には殆ど誰も居りませぬ」


 少女はそう言って門の中に入っていく。数人が中に先に入り、人の気配がないと驚いた様子で報告してきた。

 中に入ると、待っていた彼女は再び歩き始める。時折警戒しながら進む俺達に合わせて止まり、そしてひたすら中へと誘っていく。屋敷は既に囲んでいる。危険はないはずだが、何かが俺の冷や汗を止めてくれない。


 耳役の1人が近くにやって来る。


「中に残っているのは4人のみ。男は医師らしき者のみに御座います。」

「朝倉の一門は何処に行った?」

「恐らく各地に手勢のみで逃げたかと」

「総大将と若当主を見捨ててか?」

「一部は府中に向かった様に御座います」


 最低限、主君だけは忘れていない者が多いならまだましか。

 そして俺が話している間も彼女は感情の読めない瞳でじっと俺を見続けていた。



 開け放たれた襖の先、人影が見えた瞬間、兵たちが反射的に刀を、槍を抜いた。

 それほどの覇気。それほどの威圧感。十兵衛と奥田七郎五郎はとっさに俺の前に立ち塞がった。


「良い家臣を御持ちだな、美濃守」


 冷や汗が額からも溢れだす。その気は病で倒れた人とは思えない。


「御初に御目にかかる。宗滴入道である」


 彼は上半身だけを起こし、肩を妙齢の女性と医師に支えられていながら、近寄れば斬られる様な雰囲気をその身に纏っていた。


 ♢


 宗滴は十兵衛を一瞥して、察したように天井を仰いだ。


「景光……死んだか。何故此の老体より先に死んだか。逃げよと申したのに。」


 その言葉を聞いて、無表情だった少女はわずかに眉間に皺を寄せる。


「立派な最期でした」

「戯け。犬死よ。何の意味も無い」


 馬鹿が、と呟くその姿は歳相応の祖父といった雰囲気を醸し出すが、顔を上げた時には元の強烈な圧が戻る。


「頼みが在る」

「頼み?」

「朝倉を、遺して欲しい」


 それは、絞り出すような声だった。


「既に大勢決し、我が未熟と不明は十分分かった。だからこそ、朝倉の血だけは、遺したい。」


 案内をしてくれた少女が宗滴の傍に置かれていた螺鈿の漆塗り小箱を持って来た。


「敦賀郡司朝倉代々の書状だ。せめて、此れだけでも伝えさせて欲しい。」

「書状、ですか」

「其方は医師でも在る。故に朝倉一族が行った事を許せぬは道理。然れど朝倉の名だけは遺したい。」


 いやいや。


「別に族滅する心算では」

「何と?」

「其方から弁明の使者も何も来ませんでしたから滅ぼさねばと為っただけで。」


 明らかに攻めるうちから使者だして斬られたら嫌だったからそのまま一気に攻めたのだが、結局今まで誰も俺に使者なんて送って来ていない。降伏したかったら使者くらい送ってくればいいのに。


「そうか、追及の使者も無く攻められた故交渉は出来ぬと思って居ったが、そうか、我が身も随分周りが見えなくなっていたらしい。」


 宗滴から漏れる乾いた笑い。前にいる十兵衛を見ると、


「いや、殿が随分御怒りだったので許す気は無いのかとばかり」

「いや、そりゃ怒っていたけれどさ」


 別に族滅とかまで考えていなかったはずなのだが。戦国大名としての朝倉氏自体は潰す気だったが。


「では、延景と其処のあやを助命して頂けぬか。延景は決して気骨の無い男では無い。斎藤の家臣としてでも、生きて貰いたい。」

「本人が如何するか分かりませぬぞ」

「文を書こう。其の位の命脈は保つであろう」


 宗滴はそう言うと、側の女性に紙と硯を持って来させる。しかし、十兵衛が口をはさむ。


「御当主を助命する利点が我等に在りませぬぞ」

「今、此の町には我が忠臣が百名程潜んで居る。何時でも合図で火が付けられる。」

「……呑めば無傷の町が手に入る、と」

「奴等が皆町から逃げた後に目覚めた故な。此れしか仕込めなんだ。」


 日頃から何でも訓練させておくものよ、と彼は文を書きながら笑う。時々手先が震えている。それでも、その文字は力強い。


「残りの条件は御任せ致す。家を残して頂けるなら多くは望まぬし望めぬ。」

「確かに」


 部下伝いに俺に手紙が渡された。ふーっと宗滴が深く息を吐く。何かが抜けていったように見えた。


「さて、少し疲れた。一眠りさせて貰おう」


 その言葉に、少女―文が青ざめる。


「御爺様、今寝ては!」

「構わぬ。もう出来る事は終わった」


 手で制し、医師をも黙らせると、彼は床につく。


「美濃守。其方の見せた新しい戦の数々。良い土産話に為りそうだ。」


 表情は見えなかった。ただ、すぐに彼の覇気を一切感じられなくなったことで、朝倉宗滴という一時代の傑物の死を、俺は看取る事となった。


「戯け。皆戯けだわ」


 文が表情を崩さず、静かに立ち尽くして泣いていた。

景光は本当はみつが土へんに光ですが文字化けすることがあるので光で表現しています。

時系列で言うと敦賀周辺に斎藤軍接近→諸将が逃げる→景光は敦賀郡司家最後の男として残る→宗滴目を覚ます→景光、逃げるよう言われて敦賀を出て町の入口で死守を決意→敦賀包囲、景光と戦闘

という順になります。宗滴は血を残そうと景光を逃がしましたが、景光は史実でも激情型の人物なので意図は汲んでくれませんでした。


朝倉宗滴とその精鋭は越前に散りました。宗滴が最後に残したものはどのように朝倉を残すのか。


実は主人公は自分から敵と交渉をここまでしていません。援軍や二郎サマのように交渉の余地のない相手との戦が多く、遠山出兵も相手からの使者が来るまでひたすら攻撃しています。なので端から見ると主人公は敵対すると絶対許さないマンです。

さらに家臣からも今回の怒りようは特別に見えています(138話あたりを見るとちょっと違った表現になっていると思います)。なのでこういったすれ違いが生まれました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 忘れようとも忘れられない(忘れる気はないですが)、「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事こそ本にて候」朝倉宗滴公の言葉…。
[一言] 主人公の名声を勝手に使って、偽薬を売りさばいた件は、医師として絶対に許しちゃダメでしょ。 浅井朝倉の悪行を公表し、警鐘鳴らすのは当然ですよ。 そうすると、浅井朝倉の名誉も評判も木っ端微塵に吹…
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