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第167話 怪物の動く余波で

遅くなりました。


最後だけ♢♢が三人称です。

 美濃国 稲葉山城


 年が明けた。1552(天文21)年の始まりだ。


 年初の挨拶で帝が譲位の意向を示された。譲位にかかる費用は六角・織田・斎藤・三好・北条から総額7000貫が足利義藤様名義で寄付され、帝は院の復興も同時に宣言された。上皇の住まいである仙洞御所も再建が始まり、院近臣・北面の武士の再編も進められる予定だ。後花園天皇以来の譲位・践祚せんそということで朝廷は湧き、民衆も喜んでいる。


 これに伴い六角義賢殿は正五位下へ、織田は信長が従五位下弾正少弼を継いだ。父親である信秀殿は従五位上近江介に、三好の義兄である長慶殿は筒井との停戦命令を得た。俺は典薬寮の人事権を与えられ、典薬助に半井兄弟、典薬大允に曲直瀬道三を命じた。更に豊が女医博士に女性として初めて任じられた。前例がないものだったが、種痘の際帝に仕える女房の方々と接する機会があったのが実績として認められた形だ。

 北条も義父の氏康殿が相模守に正式に任じられ、関東管領の後継としての地位を確立しようとしている。

 俺が種痘した方仁親王が後を継ぐ予定だ。今回の費用で親王の生母で亡くなった万里小路様を皇太后として追贈する予定らしい。


 筒井がどう動くかは不明だがこれで彼らの動きが止まれば朝廷工作は成功と言えるだろう。今回朝敵となった陶隆房を幕府は非難した。管領細川晴元も大内義隆殺害を事前に知らなかったようで、陶の動きには流石についていけないようだ。三好を共同で攻める素振りは見られない。

 むしろ同調するような尼子が厄介だ。春になれば但馬に攻めてくるだろう。山名氏は風前の灯火状態だが助けに行ける勢力などない。尼子の当主晴久は修理大夫任官の可能性もあったが今回の件で取り消された。そこまでして何をしようというのか。


 ♢


 冬は人の行き来を阻害する。が、雪に閉ざされない場所もある。

 例えば比較的温暖な地域。といっても最近は九州でも雪が降るそうだが。それでも暖かい地域はある。

 そして降水・降雪量が少ない地域。瀬戸内海沿岸は前世も雨や雪が少なかったが、この時代においても同じだ。


 そして、寒かろうと人が生活する以上物の動きはあり、人の動きもある。だから情報だけは美濃にも入って来るし米含め多くの物が売れるのだ。

 そんな商魂たくましい商人たちから情報が入った。薬種商の小西行正である。彼は備前・備中・播磨に商圏を伸ばし、うちの漢方と油を売り儲けている。


「で、火急の要件とは何だ?」

「備前・播磨の浦上様の御兄弟が意見の対立で家中分裂して居るのは御存知で?」

「三好の義兄殿から伺ったな」


 三管領四職の名門赤松氏。現在は播磨を辛うじてある程度治めているが、分家も多く1つにまとまらない。そんな赤松氏に昔から仕えて守護代も務めていた浦上氏が、徐々に独立して活動するだけでなく対尼子氏で方針の違いから兄弟喧嘩となり、備前の浦上氏(弟、反尼子)と播磨の浦上氏(兄、親尼子)で分裂してしまったのだ。


「で、其の浦上が如何した?」

「家臣の宇喜多直家に弟の宗景が討たれました」


 宇喜多直家か。あのやけにペラペラ喋るのが好きだった男だ。


「元々宇喜多は父親が臆病者だったらしく我が薬屋と商いをしている阿部殿の下に住んでいたのは御存知の通り。其の後彼の者は浦上様の家臣に復帰するのですが、臆病者と言われながら真面目に働くと城主様からは覚えが良かったのです。」


 だが、宇喜多の仇に当たる島村盛実が強固に尼子討つべしと主張しこれに浦上宗景が同調したことで備前の浦上氏は独立することに。


「しかし備前では元々松田氏等の国人が尼子と誼を通じて居り。浦上様も一枚岩とは言えなかったのです。其処を宇喜多直家が突いていた様で。」


 最初に狙われたのは島村盛実だ。彼と共に宇喜多直家の祖父を殺した親尼子の浮田国定を唆し、直家は島村盛実を叛逆者に仕立てて殺した。其の後浮田国定と浦上宗景の対立状況から浦上宗景の側近となり、その隙をついた。


「年明けに浦上様が討たれ、今は浮田国定と合戦中との事。彼の兵には尼子の援軍が混ざっているそうで。」

「尼子晴久。此処にも手を出して居たか」


 松田氏も支援をしているらしく、宇喜多直家は備前東部を平定せんという勢いらしい。史実でも謀略で下克上を果たした男として有名だったが、成程この世界でもその名を轟かせるらしい。


「噂では在りますが尼子と陶で上洛をしようとして居るとか。備前の動きは其の為の物やも知れませぬ。」

「上洛?周防から如何やって上洛すると?毛利が居るのに。」


 毛利は大寧寺の変で大内からほぼ独立したと聞いたのだけれど。


「尼子と陶で圧力を掛けている様で。先鋒として京へ共に行けと安芸門徒も煽動して居るとか。」

「毛利が其処まで後手後手なのか?」


 あの謀神、戦国ゲームでは謀略系のステータスいつもマックスだったのに。


「手が足りぬのでしょう。尼子晴久は祖父である経久の薫陶を受けて居ります。陶にも江良・弘中という知勇兼備の将が居りますし。」


 そんな武将いたっけ?ゲームでは毛利にはいなかったから陶と一緒に厳島で死んだかな?


「雪解け後には尼子と陶で反陶を露わにしている吉見氏を攻めるとか。東西から挟まれては吉見も如何しようも在りますまい。」


 本気で上洛するのだろうか。調べた限り陶に反発する国人も少なくはないのに。


「美作・播磨・備前・備中・但馬などの諸国は今揺れに揺れて居ります。明との交易も途絶えがちで、美濃守様の薬が我等の要に御座います。」

「分かった分かった。生姜は尾張でも作って居るから、其方にも声は掛けておく。」

「有難う御座います。今後も小西を御贔屓に」


 寒い今の時期は生姜湯が飛ぶように売れる。更にザビエルの一行も土産にあげたらかなり驚いていた。戻って来た時この前飲んで美味しかったと言われた。生姜自体の生産は各地でしているがそこは典薬頭ブランドだ。俺の名で売られる生姜の方が良く効くと評判らしい。プラシーボか。日本人は今も昔も変わらないのかもしれない。



 小西から聞いた話を父道三や越前から帰国した叔父道利らに話した。すると父が、


「面白いな。三好と共に上洛を阻止せんと動いて居るのが赤松・山名・一色とは。」


 と言われた。成程。そしてその三好に援護射撃をしているのが土岐を掲げるうちと斯波・京極を掲げる織田だ。


「古き幕府を支えた者達と幕府を壊してきた者達の戦だ。真に上洛してきたならば、だがな。」


 大内の上洛で応仁の乱は決定的に壊れたし(呼んだのは山名宗全だが)、尼子は朝倉と共に守護大名の領地を簒奪したはしりである。


「そして其等を呼び寄せたのは京極を追いやらんとした浅井。成程納得ですね。」

「わしが思うに六角次第よな。管領と共に陶に味方するかしないか、はっきりして居らん。」

「波多野は陶に書状を出したようですが、尼子が其の使者を捕えてしまったそうで。」

「敵にも味方にも成れず、か」

「不貞腐れて丹波に兵を退いたそうです」

「或る意味互いにとって最良の選択をしたやもしれんな」


 トラブルメーカーは必要ないのだ。お互いに。だから俺も父も六角を、六角定頼の動向を気にしているのだ。彼の決断が、三好の運命を左右しかねないのだから。


 ♢♢


 近江国 観音寺城


 六角弾正定頼。1人の巨星が、墜ちようとしていた。

 医師の治療も届かず、漢方薬ではどうしようもないものだった。

 脳梗塞。この時代の医師に治せと言うのは酷だろう。僅かに意識を取り戻しただけでも、医師の治療が間違っていなかったことを示しているだろう。


「父上」


 震える声は六角の若き当主である。


「すまぬ……此の様な時に、支えてやれなんだ……」


 その表情は筒井順昭を一喝したのと同じ人物とは誰も思わないだろう。顔が能面のように動かず、左頬だけがぴくぴくと動いて声を絞り出している。


「今は御休み下さい。御体に障ります」

「良い。もう、助からぬ。己の体が、動かぬのだ」


 既に弾正定頼は右半身不随となっている。左も足は動かない。生きているのが奇跡といっていい状況まで症状は進行していた。


「父上、其の様な事を仰らないで下さい」

「良いか、義賢。中立だ。中立を、守るのだ」


 それは、死にゆく父が遺す息子への最期の教え。


「我が死を隠せ。家臣にも、今知って居る者以外、話すな」

「もう、もう御休みを」

「若狭の武田だけ、斎藤と織田に渡せ。此れで尼子は防げる」

「ちち、うえ……」

「甘えるな」


 その瞬間、筒井順昭の背筋を凍らせた声が響く。


「ち、ち」

「もう、其方が六角の当主なのだ。甘えは捨てよ。幕府が残るか否かは、御前次第だ」


 まるで全盛期に戻ったような声音は、しかしその瞬間だけだった。


「頼むぞ、頼む……」



 六角弾正定頼。死す。

 しかしその瞬間、六角の遺された若き当主の顔に、もう涙は流れていなかった。


宇喜多直家、史実よりずっと早い下克上です。背後には尼子晴久。そして毛利が身動きとりにくくなっています。国力の違いがこのあたりに如実に出ていますね。


六角定頼も死す。史実とほぼ同じ時期に亡くなりました。激動続く畿内情勢に、どう影響するか。それは次回以降で。

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