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第166話 スサノオ降りたちし国より

全編三人称です。

 出雲国 月山富田がっさんとだ


 師走に入り、誰もが忙しく動き回る中。2人の男が呑気に茶を楽しんでいた。

 男の名は尼子あまご民部少輔みんぶのしょうゆう晴久。数え38歳の山陰の大大名である。もう1人は宇山うやま久兼ひさかね。晴久の祖父尼子経久(つねひさ)の代から仕える家老格の人物である。

 茶を膝元に置き、柔らかい溜息をつく晴久に、宇山久兼が問いかける。


「宜しいのですか?」

「例の件か?」


 両者は主語も目的語もない会話をする。それは彼等が基本的に情報を共有している証である。


「今は西の方が騒がしゅう御座いますれば」

「陶は年明けに朝敵に為るそうだな」

「であれば益々因幡より石見へ」

「違うな。間違っているぞ。今だからこそ因幡なのだ。」


 晴久は自信と野心に溢れた笑みを浮かべる。


「天神山城が落ちた。此れで密約通り武田が鳥取城を奪うだろう。因幡は我等の物だ。此処で仕掛けるのだ。」


 因幡最大の拠点・天神山城。山名氏の防衛を担うその城も、尼子軍22000の前に3か月で屈した。そしてその直後、山名氏の諸将が逃げ込もうとした鳥取城は城門を閉ざした。城主の武田高信が尼子氏に内応したためだ。これにより因幡国の山名氏勢力は瓦解。因幡は尼子氏の治めることとなった。


「しかし、西が落ち着かねば毛利がうごめきましょう。」

「問題無い。既に手は打って在る」

「しかし、真に陶は此の話を受けるのでしょうか?罠で殿を討つ心算なのでは……」

「心配性だな、爺は」


 少しおどけた様子でやれやれといった表情を作る晴久。


「こういう時は討たれる覚悟も持って飛び込む事も肝要なのだよ。」

「しかし、尼子が一つであるには殿が居なければ!」

「思う様に行かぬ陶だからこそ、此の手を握らぬ手は無い。任せろ。」


 不安そうな久兼と、それに自信に満ちた笑顔で答える晴久は、対照的な心構えでその日を迎えることになった。


 ♢♢


 石見国 温湯ぬくゆ


 年の瀬のある日。歴史的な和睦が石見の温湯にて結ばれた。

 雲長和議と呼ばれるそれは、陶隆房と尼子晴久の間で結ばれた奇跡と呼ばれる和議だった。


 その条件は、

 ・石見の境界線画定

 ・安芸・石見・備後・備中での大内氏優位の承認

 という、一見すれば大内側が圧倒的優位なものだった。


 しかし、尼子晴久の狙いは別のものにあった。


「では陶殿。互いの友好を示す為にも、後は彼れを実行するのみに御座いますな。」

「真に、出来るのか?」

「出来まする。亡き太宰大弐(義隆)殿にも成し遂げられなかった事ですが、我が尼子が協力すれば出来ます。強い大内が、戻って来るのです。」

「強い、大内」

「さぁ、号令を発しましょう。従わぬ者は我等で滅ぼせば良いのです。長年敵対した我等だからこそ、手を組めば細川も六角も敵わぬでしょう。」

「そうだ。強い大内ならば、出来るのだ。」


 そう、彼の狙いは只1つ。


「上洛する。其れこそが、俺と亡き殿が目指した強い大内の復活なのだ。」


(自分で殺しておいて『俺と亡き殿』ね。片腹痛いな)


 大内氏による上洛。応仁の乱の頃より幾度も行われた、大内氏が最強の守護大名である証を示す事だった。先代大内義興は上洛して天下人と称された時もあった。大内義隆も上洛を目指したことがある。そして、それを阻んだのが尼子氏前当主の尼子経久(つねひさ)である。


「我等も因幡を落としました。播磨攻めと但馬・丹後を進み、援護致しましょう。」

「忝い。尼子殿が支援してくれれば上洛は為ったも同然よ!」

「御役に立てれば何より」

「しかし、何故此の様な窮地の我等に?」

「いえ、特別な事では無いのです。只、近江に居る親族を助けたくて、ですね。」


 わざとらしくタメを作り、僅かに顔を伏せる晴久。


「近江というと、北近江の」

「ええ。浅井なる土豪に嫁いだ一族の女性から文が届きましてね。助けて欲しいと。」


 浅井亮政の側室、大方殿。左兵衛尉久政は彼女の養子として浅井に入っていた。養母の伝手で、彼は希望の糸を手繰り寄せようとしていた。


「何という仁義溢れる行い。感服仕った」

「当然の事です」


 濃い顔をくしゃくしゃにしている陶隆房に、強い眼差しで応えているように見える晴久だが、内実早くこの茶番を終わらせたいと思っていた。自らの勢力を東に伸ばす絶好の機会。近江の事など、それの理由づけに過ぎないのだった。


「其れと、大友の返事は如何でしたか?」

「大友まで朝敵と為っては困る、と。晴英様は乗り気なのだが。」

「厳しいですか?」

「和議を結んだので攻めはしないが、味方と思われても困ると。」


 大友晴英。大友義鎮(よししげ)の弟で一時は大内義隆の猶子となり、世継ぎが産まれなければ大内の当主となる筈だった人物だ。しかし義隆の実子が産まれたため、彼は当主となれずに大友の所領豊後に戻っていた。今回の動きに際し、彼を当主とすべく陶隆房は動いた。そのため晴英は大内氏当主となるつもりであり、当初は当主の大友義鎮もこれに賛同していた。

 しかし大友義鎮は昨年二階崩れの変で当主を継いだばかりであり、内部固めがまだ中途半端な状況だった。大内との不戦の盟約は望むところだったものの、朝敵ともなれば筑後や肥後で反発する勢力がでる懸念があった。そのため、積極的な協力をここにきて渋るようになっていた。


「場合によっては大友も敵に回るやも。さすれば上洛など」

「陶殿」


 そこで、晴久は陶隆房を射抜くように見据えた。


「大友も後には引けまい。否、引かせてはならぬよ、陶殿。盟約だけは世人の知る所。此れを破れば信用為らぬ男と呼ばれると触れ回るのです。」

「そ、そうか。では其れで後方の安全を確保しよう。」


 濃い顔に似合わないおどおどとした様子に、尼子晴久は内心で溜息をつかざるを得なかった。


 ♢♢


 出雲国 月山富田城


 帰国した尼子晴久は、宇山久兼に半ば説教を受けるような話し合いをしていた。


「上手く行ったから良いですが、今後は斯様なやり方はお控え下され。」

「分かっている。大勝負だけに己を賭けねば価値が下がるしな。」

「殿!」

「分かった分かった。爺を困らせる事はせん様に致すわ。」

「大事なのは殿の御身に御座いますぞ」

「分かった」


 そう言いつつ、次の己が賭け所を思案する晴久に、宇山久兼は疑問を投げかける。


「しかし、何故西へ向かわれ無かったので?大内を、何より毛利を攻める絶好機で御座いましたのに。」

「西で動けば我等が奴の動きを知ったと気付かれていたであろうからな。」


 そう語る彼の脳裏に浮かぶのは、後世謀神とも呼ばれる毛利元就という男の顔である。


「東で動くならば毛利も只の美作遠征と見るであろう。其れ以外奴の目を欺ける先は無かったからな。」

「しかし運が良う御座いました。毛利が蠢いていた大内義隆を討つべく陶を唆す動き、気付けたのは偶然に御座いましたな。」

「全くだ。美濃守様様よ」


 彼らが毛利元就の大内義隆殺害計画に気づいたのは斎藤美濃守義龍が大内義隆を訪ねた時だ。長い年月をかけて陶隆房に仕込んでいた刃を、尼子晴久は知った。

 それまで尼子晴久は、愛憎あるとはいえ忠臣だった陶隆房なら相良武任を討てば止まるだろうと考えていた。

 しかし毛利元就が晴久との戦、そして安芸の一向衆が暴走しないようかかりきりになっていた2週間に、陶を唆していた事実を手に入れた。

 このままいけば大内義隆は死ぬ。そう確信した尼子晴久は周辺侵攻の計画をほとんど変えずに、いざという時東へ攻め込めるよう準備を進めていた。

 それが今回の陶隆房の動きを見越した因幡侵攻であった。


「しかし、此れで守護職の追認は無理と為ったでしょうな。」

「構わん。得た物は十分だ。此れから更に得る物が在るしな。」


 口の端を大きく動かして笑みを浮かべた晴久は、宇山久兼に向かい右手を掲げた。


「全軍に命じる。目指すは因幡、美作、但馬、そして丹後と若狭だ。薬師如来の生まれ変わりに、御礼参りと行こうでは無いか!」

「御意」


 ♢♢


 近江国 観音寺城


 そして、歴史の針は動きを加速する。


「ぐっ!」

「大殿!大殿!」


 多くの巨星を、抗えぬ運命に巻き込みながら。


「誰か医師を!大殿が御倒れに!」

「ち、父上……?」

「大殿!大殿!御気を確かに!」


 その向かう先を、決して示さぬまま。


本作では浅井久政は養子です。養母の1人が尼子氏の娘ということでこのような縁を浅井久政は頼りました。この尼子氏の女性は近江犬上郡の尼子氏で、かなり昔に出雲の尼子氏と分かれています。


義龍の山口下向が結果的に毛利元就の動きを封じ、尼子晴久にきっかけを与えたという変化でした。

安芸の本願寺は恨みで暴発しかねなかったので、元就自身が対処せざるをえなかったわけです。

(このあたりは山口編前後で話として軽く出ています)


強い大内を目指す陶に上洛というエサを見せた尼子晴久。毛利元就と互角に戦った史実織田信長以前の英傑によって、畿内情勢は更に混沌を極めていきます。

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[一言] 定頼公……。
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