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第162話 犬とも言え、畜生とも言え

全編三人称です。

 越前国 敦賀


 天文20年の年初を、朝倉宗滴は敦賀の屋敷で迎えた。高熱による体調不良で近江での年越しが不可能となり、秘かに居館へ戻って療養したためであった。


「十年前であれば陣幕の中で横になれば問題無かったというに……老いたな、わしは。」


 歯がゆそうにそう言う彼に、側近の上田紀勝が答える。


「御気を確かに。彼の日、景紀様を見送りされた時、必ずや美濃守を討つと誓ったでは御座いませぬか!」

「そうだな、其方には長く仕えた主を見捨てさせた。景紀の遺児を育てる為、敦賀の兵を纏める為に、其方に殉ずるを禁じた。」

「若にも頼まれました。室や子等を頼むと。ならば我が為すべき事は其れだけに御座います。だから!」

「分かって居る。早く体を癒し、春には再び織田を先ず近江から追い出す。其の為に、京極を唆して居るのだ。」


 京極高慶(たかよし)という人物は北近江半国守護というものに強くこだわっている。それを宗滴と浅井左兵衛尉久政は利用した。自尊心を大いに高めた高慶は大喜びで和睦を呑んだ。織田相手で端に追いやられていたのも、これを後押しした。


「京極は何処まで戦えましょうか?否、何処まで戦う気でしょうか?」

「分からぬ。が、弾正忠が動員を始めても其の意味を理解した様子は無いな。」


 宗滴も1年時間を稼ぎ、失った兵力を少しでも戻せれば来年勝負できると考えていた。そのための時間稼ぎでしかない。病床にいながら時間稼ぎというのも変な話だが、宗滴はまだ命脈尽きるには早いと感じていたし、焦っても良い事はないと考えていた。


「其の間に、波多野が三好を打ち破ってくれれば若狭から援軍が来る可能性も在るのだが、な。」

「波多野の若当主は期待外れでは済まされぬ御仁でしたな。大局が見えず、目の前の相手に全てを注いでしまう。」

「或いは、数百の兵を率いる将としてならば天下に名を轟かせたやも知れぬな。」


 先日、赤井直正という丹波の国人が城を奪い、独立した。武勇に秀で、人望もある男だ。波多野氏の配下の国人だが、独立独歩の気質を持っているが、今回の件を波多野氏が認めて城主として受け入れるなら波多野氏に従って軍役を全うすると言っているそうだ。


「数百の兵を率いるなら赤井なる男は相当の手練れよ。彼れが味方に成れば戦況も変わるやも知れぬ。」

「ですが、赤井なる男、信ずるに足るか分かりませぬ。」

「其れを呑み込む器が在れば、三好とももう少し戦える様になろうよ。」


 実際のところ、波多野氏当主の波多野晴通が下克上を認めるかは不透明だ。しかし、連戦連敗で足軽が集まりにくくなっている波多野氏にとって、赤井直正の兵は喉から手が出る程欲しいだろう。


「見透かされて居なければ良いですが。」

「まぁ、何にせよわしは先ず体を治すのみよ。春から又動ける様に、な。」


 その眼光は、未だ死の足音を感じさせない力強いものだったが、同時に驚くほど細くなった腕は、現世にどこまでしがみ付けるか不安を感じさせるものでもあった。


 ♢♢


 越前国 長崎城


 武田信虎は、春になって越前にやって来た斎藤の軍を自ら確認すべく数人の供を連れて九頭竜川沿いにやって来た。春の息吹がそこかしこに見られる中、川沿いには新しい砦が築かれつつあった。


「敵の兵数は?」

「万を優に超えて居ります。此れ以上近付くと遠見の道具が在る様で我等も見えてしまいますので、細かくは分かりませぬ。」

「例の筒状の道具か。厄介な事だ。」


 砦では川を流れてきた木材を組み立てたり、石灰を材料に土台や城壁を固める作業が進んでいる。


「火縄も相当数持って来ているそうだな。」

「邪魔しようと兵を送ったのですが、火縄の斉射で近付く事すら儘ならず……」

「仕方あるまい。本気で止めるには兵が足りん。」


 朝倉軍も小競り合いを続け夜襲をしかける事で相手の集中力を奪うなど、小手先の技は多用している。しかし、そういった手段ではどうにもならないレベルの戦力差がある。


「充実した兵を使い、金を惜しげもなく使い、腰を据えて攻められる事の何と辛い事か。甲斐では一度も御目にかかれなんだ遣り方よ。」

「朝倉兵も見た事が無いと言っていましたな。此れ程戦に為らず追い込まれるとは。」

「出回って居るそうだな、書状が。」

「道三入道からに御座います。印牧かねまき・青木・山崎は其の書状を金吾様に御渡ししたそうですが。」

「有力家臣が提出した事で受け取ったという国人は挙って其の書状を提出した。が、貰って居ないという者も居た。」

「真偽は分かりませぬが、敢えて書状を送らぬ者も道三入道なら用意しましょう。」

「疑心暗鬼だ。中には二通貰ったという者も居た。」

「二通貰って、一通を提出しただけの者も居るやも知れませぬ。」

「と、誰もが思う。其れがマムシの狙いよ。」


 越前領内は翻弄されている。誰が裏切るかも分からず、誰が味方かも分からない。特に北部はいつ九頭竜川が封鎖されるか分からない。そうなれば南北に朝倉領が分断される。北に本願寺門徒、南に斎藤の軍勢となれば、その恐怖たるやどれ程のものか。想像も出来ないだろう。


「戦さ場で負けねば何とか出来ると思って居ったが、世の中は広いな。強者の戦を見せ付けられた。」

「強者の、戦」

「戦とは人と金だと、此の歳になって教わった気分だ。とは言え、負けてばかりも居られぬ。其れでは何の為に此処に居るのか分からなくなる。」

「左様に御座いますな」


 斎藤の家と戦うためにわざわざ朝倉に仕えている信虎にとって、現状は不本意でしかない。文字通り『同じ土俵で戦わせてもらえていない』のだ。直接対決では基本負けていない。建設済みの砦周辺で行われる小競り合いも、被害で見れば斎藤の兵の方が損害は大きい。だが、それは相手にとって想定の範囲内なのだ。


「まぁ、此度は無理せず妨害に徹するぞ。美濃守本人が来る時でもなければ、何とかする手は無い。」

「暗殺に御座いますか?」

「何でも良い。金吾も申して居ったが勝つ事が大事なのだ。勝つ事が叶うなら手立ては何でも使う。畜生と罵られようとも、勝てば全て良し、だ。」


 そう語る信虎は、決して諦めないという強烈な意志を瞳に宿していた。


 ♢♢


 近江国 小谷城


 書物に埋まるように眠っていた男が、朝の陽光を感じて起き上がった。

 男の名は浅井左兵衛尉久政。ここ小谷城の主である。


「朝か」

「目覚めたかしら?」

「母上。此れは珍しい」


 部屋の襖を開けたのは彼の母である浅井千代鶴だ。心配そうに寝起きの若き浅井当主の傍により、顔色を見る。


「疲れて居ますね。もう少し休まれては?」

「いえ、織田の軍勢が間もなく不破関を越えます。京極に挙兵させる為にも休んでは居られませぬ」

「……久政、無理せず六角を頼っても良いのですよ。」


 その母親の案じるような言葉に、左兵衛尉久政は不機嫌を露わにする。


「母上で無ければ許さぬ御言葉に御座いますよ。」

「しかし!しかし!其方日に日にやつれて居るではないか!」


 元々細身だった体は寝不足と食事もろくに取らない多忙さで更に痩せて小枝のように頼りない。それでいて目は異様に力がこもり深い隈が刻まれている。その隈の大きさは朝倉景鏡のそれと遜色ないものである。


「其れでも、浅井の当主だから、やらねばならんのです。」


 その言葉に、千代鶴は涙をこらえるのが精一杯だった。


「母上、大方様を呼んで頂けませぬか?」

「……何を考えて居るのです?」

「無論。浅井の生きる道を」


 その瞳には、浅井の当主としてならば何者でも利用しようという強い覚悟が満ちていた。

 自らの養母をも利用するという、覚悟が。

朝倉宗滴、この時期史実では大きな活動をしていませんが、本作では戦場に出ずっぱりです。老体に鞭打っていればどこかでその分しわ寄せは来ています。


三者三様に諦めない意志を見せていますが、だからといって勝てるかは信虎が考えている通り厳しいものがあります。それでも彼らにも意地があります。

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