第161話 折れた大樹の倒れた先に
美濃国 稲葉山城
春になった。
小見の方の体調面の心配もあり、また蝶姫とその娘が落ち着くまで、念のため俺は越前に向かわないことにした。代わりに東部のまとめ役をしていた叔父の道利に兵を預けて砦の増築を頼んだ。東部の遠山氏などにも兵糧こちら持ちで兵を出させ、総勢12000である。
これからの準備も色々とあり、めまぐるしい日々を過ごす中で畿内から一報が入った。摂津有馬を別所氏が攻撃するも三好の援軍により敗走。塩川氏が波多野晴通と協力して摂津池田氏を攻めるも三好の援軍により敗走。そしてこれを囮として管領の本隊である三好政康・香西元成らが京都を襲撃するも、松永兄弟や三好長逸らの活躍で撃退した。
報告はどれも三好方の勝利を伝えていた。しかし十兵衛も俺も、危機感を抱かずにはいられなかった。
「何処の戦場でも、三好は攻め込まれるのを撃退するだけに御座いますな。」
「やはりか。義兄殿は追い詰められつつある。」
「最初は包囲していた畠山高政の城も、今では近隣の城を包囲されぬ様守りを固めて居る状況。そして畠山を支援して居るのが……」
「筒井順昭。そして伊勢の北畠か。」
伊勢の北畠氏は現状支配下にあった九鬼との対立から鳥羽周辺で九鬼水軍と小競り合いを続けている。しかし陸上の部隊は比較的余裕があるため、六角氏の邪魔をする意味もあって大和経由で河内に援軍を送っていた。この援軍を有効利用して攻勢に出ているのが筒井順昭だ。
「限定的にだが六角と争いながら三好に対し攻勢に出て居るのは筒井だけだからな。」
「殿の立場からすれば歯痒いでしょうが、我等が六角の参戦を防いで居ると思わねば成りませぬ。」
「分かっている。越前を取らねば、新しい動きには出られぬ。今六角と対立する行動は朝倉を利するだけだ。」
三好筑前守長慶は京の行政面で手一杯。松永兄弟はそれを補佐しつつ山城に侵入しようとする管領の兵を倒すため八面六臂の活躍。十河一存は摂津で別所や塩川、そして波多野と戦い続け、物資と人を安宅水軍が支える。遊佐や安見ら畠山の家臣を篠原長房が堺から支援し、四国で攻めてくる讃岐国人や土佐国人を三好義賢が抑える。人員は各地に分散し、かなりギリギリである。
ちなみに筒井が大和から京に直接攻めてこないのは、六角弾正定頼に出禁処分をくらっているからだ。また山城国人を皆殺しにされては困るので、六角から「京に来たらうちの兵でお前を殺す」と脅しが入っている。そのため河内に全力を出しているのだ。恨まれているな、筒井順昭。
「弾正忠様は近江に向かうべく動員を開始されました。遠江で五千、三河で八千、尾張で一万九千。」
「近江の兵も合わせれば40000か。凄まじいな。」
「特に三河は沿岸以外は根刮ぎ動員をかけて居りますな。松平一門は引っ越しを兼ねて居る様子。」
「先日産まれた市姫を、先の戦の褒賞として人質の竹千代に将来嫁がせると言っていたな。」
「北近江を任せる代わりに一門に松平広忠を、そして三河武士を取り込もうという事に御座いましょう。」
史実より織田と松平の関係は深く、そして主従の色合いが強くなりそうだ。
越前は無理せず行くと決めている。北近江で織田が全力を出す上、そちらが終われば無償で越前にも援軍を出してくれる約束なのだ。
畿内は油断できないが、こちらの状況は楽観的と見ていいので、千宗易にもらった茶道具で茶でも飲もうかと思い、小姓に道具を出すよう伝えていた時だった。
服部一族の1人が血相を変えて開けた障子の先にある中庭に駆け込んで来た。
「御注進!河内にて遊佐長教様、時宗の坊主に殺されまして御座います!」
その一報はただでさえ厳しい畿内情勢に、更なる試練をもたらすものだった。
♢
遊佐長教。根来寺との関係が深いことや、強い出世欲もあって一時は畿内の支配者にも手をかけた人物。
それが、死んだ。
翌日。急遽大桑から集まってもらった父道三と平井宮内卿を加え、4人で話し合うことにした。
「父上、遊佐殿の件、如何思われましたか?」
「十中八九、前の公方の仕業だな。」
「というと、身罷られた足利義晴様?」
「細川氏綱に一時味方した事、其れによって京を追い出された事。挙げれば終わらぬ程遊佐は面倒な相手だった。」
「戦に敗れて隠居し一族の遊佐太藤殿に守護代を譲って尚、影響力は在りました。」
「わしが亡き義晴公だったら其の頃から狙って居っただろう。管領も手を貸しただろうな。波多野の娘を離縁した筑前守(長慶)が後室に迎えたのが遊佐の娘。数少ない味方同士結束は強まったが、結果として遊佐を狙う理由は増えた。」
「実行の判断は、管領でしょうか?」
「或いは、幕臣の誰かであろうな。幕府に最も拘る者達だ。其れを壊した遊佐は憎くて憎くて仕方なかったであろうよ。」
そして、問題は誰が遊佐を殺したかではない。
「今後如何なるか、を考えねば為りませぬ。」
「宮内卿は如何見ている?」
「安見殿が遊佐太藤殿を補佐する形で落ち着きはしましょう。しかし、畿内の畠山を強力に引っ張って来た遊佐殿の死は緩やかに河内戦線を劣勢に追い込むかと。」
「篠原殿が和泉・河内を纏めているとは言え、畠山を補佐する形での事。難しいな。」
手元の情報をまとめた資料を見つつ、十兵衛も会話に入ってくる。
「となると、三好殿は長く保ちませぬ。今は波多野が連戦連敗して居るので諸将も三好に協力的ですが、負け始めたら如何なるか。」
「摂津国人は独立性が高いからな。我々が思う以上に、時間がないかもしれん。」
ぶっちゃけ、三好織田斎藤の連合政権というのが一番早期に戦の無い世を作れると思っていたのだが。筒井順昭という男の存在が大分ネックになっている。史実でここまで活躍したのか?俺の記憶には筒井順慶しかないのだが。
「わしは朝廷の様子を知りたいな。宗栄様を御呼びするか。」
今年出家され宗栄と号するようになった持明院基規様を呼ぶ。彼は出家し権中納言を辞めてから完全に楽隠居モードだ。とはいえ彼の息子持明院基孝様は今では従三位大蔵卿。今年姉の鶴姫(土岐頼満に嫁いでいたが二郎サマの乱で離縁となっていた)が側室として嫁ぐことになっており、うちとのパイプは依然太い。ちなみにうちからの援助で持明院邸は防備も固く内装も立派なので、妹の福姫も貴族から是非にという声が出ている。色々な声があるので決めかねているのが現状だ。
宗栄様は俺が用意した離れにいるが、暇な時はこちらの本邸に理由をつけて来たがる。今回も話があると伝えると自分が行くと言ってやって来た。
「ほほほ。今日も悪巧みかな美濃守。」
「態々御足労頂き申し訳御座いませぬ。」
「良い良い。此の前の猿楽は実に良かった。金春から分かれた座だけあって実に雅で、飽きが来ない。其の礼よ。」
ほほほと笑う姿は楽しそうだ。猿楽だけでなく蹴鞠や囲碁や最近試作した麻雀で遊びまくっているのだ。句会を開けばうちの家臣が教えを請うし、ちやほや度が高く飯が美味しい美濃はさぞかし楽しかろう。
「で、帝の周りが如何しておじゃるか、であったな。三好は新参故特別何かという事は無い。但し、美濃守の正室の家である事と飛鳥井家とは仲が良いので相応の扱いには成っておるの。」
「敵にも味方にも成らない、という形でしょうか。」
「味方寄りの中立、であろうの。良くも悪くも幕府の中で成り上がらんとしているのが透けているでの。害には為らぬという見方でおじゃる。」
良くも悪くも武家の人間でしかない、ということだろう。生きる世界が違うという雰囲気だ。
「では、停戦などを斡旋して頂くことは可能でしょうか?」
「出来なくは無い。帝はそろそろ譲位を考えておじゃる。然れども金が無い。」
「三好で用立てせよ、と?」
「三好に近しい者が帝の御為に献金などすれば、興福寺の衆徒など譲位の様な慶事には血生臭い事を出来なくなるであろうの。」
興福寺?と思ったが、傍の十兵衛が「筒井は僧兵出身にて」と小声で教えてくれた。なるほど、筒井の停戦命令くらいなら可能ということか。
「少し資金が用意出来るか調べておきます。」
「ほほほ。家族は大切に致せよ、美濃守。福姫も器量良しと京で評判故な。」
「勿論で御座います。福の嫁ぎ先は慎重に決めたいと。」
「嫁き遅れだけは気を付けよ。今年で十六。頃合い故、の。」
朝廷側の福を嫁にという希望者のまとめ役もやっていて楽しいらしい。まぁ貴族は頼られてこそだ。今の状況は彼にとって楽しくて仕方ないのだろう。福が器量良しという噂も宗栄様が流したものだ。まぁうちの福姫が可愛いのは事実だが。事実だが!
「錦小路のも相模で最近体調が優れぬと聞く。於春の輿入れも間近故、皆体調には気を付けねばな。」
「宗栄様も、今後も頼りにして居ります。」
「ほほほ。隠居の身では大した事は出来ぬぞ。」
午前中元気一杯で蹴鞠していた人とは思えない言い様だ。この人は当分死なないだろう。
現状でどれだけ資金が用意出来るか、最悪を考えて最近設立した財政部の文官たちに試算させておくとしよう。
嫁の泣く顔は見たくないのだ。助けられるなら助けたいと思うのが人情というものだ。管領に勝たれても戦乱が終わるとは思えないしね。
遊佐長教暗殺。将軍義輝(義藤)暗殺説もありますが、本作ではより遊佐を憎く思っているであろう先代足利義晴を主犯としています。義輝では若すぎますしね。そして義晴死後、最後の実行を命じたのが細川晴元(或いは幕臣の誰か)ということになっています。
三好長慶にとっては試練が続きます。筒井が健在な分史実より厳しい状況です。
婚姻外交は大事。福姫にあたる女性は史実だと斎藤利三に嫁いだ女性ですが、本作では違った婚姻相手になるでしょう。




