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第159話 ウルトラCってもう大した難易度じゃないよね

 美濃国 稲葉山郊外


 冬。織田もうちも守備を残して兵を退いた。守備と言いつつ兵数はそれなりなので、油断して敵が無防備なら十分攻め込める人数だ。そのため朝倉も浅井も一部兵を動員し続けているらしい。経済的に無理を強いつつ領内で不満が溜まればこちらの思い通りだ。うちの兵?ボーナスが出るから残る兵は希望者殺到で抽選だったくらい士気が高いです。


 そんな状態なので北部の武田信虎も動くに動けない様で、小谷城周辺の宗滴も軍事的には動きがない状況だ。冬は国内の状況を見て回ったり新しい技術の研究・開発を進めるのが最近のルーティーンだ。

 今日は郊外で進めている耐火煉瓦の焼き場に来た。耐火煉瓦の試作を始めて6年が経った。配合比の記録は相当な量になっている。


 責任者をしているのが学校出身の21歳の青年だ。初期の朝倉との戦争で父親を亡くして以後、うちで面倒を見るうちにかなりの学力、それも理系の能力を見せたのでここで働かせている。


「何とか鉄が融ける温度には耐えられる様に成りました。直ぐに駄目に成ってしまいますが。」

「となると1500度から1600度か。高炉には少し遠いな。」


 鉄の融点は1538度だ。これに耐えられないと高炉は作れない。ドロマイト自体は2852度まで耐えられるはずだが、不純物がまだまだ多いのだろう。


「高温でも形を維持していた物を混ぜ合わせながら少しずつ形には成って居ります。毎日火ばかり見ている御蔭で火の色で少し温度が高いか低いかは分かるように成って来ました。」

「目をやられぬ様気を付けよ。色眼鏡を忘れるな。」

「ははっ!」


 三河の設楽で採れる水晶の中には煙水晶という灰色が入ったものがある。これを使って火を使ったり太陽観測したりする仕事の人間にはなんちゃってサングラスを与えている。効果がどれ程あるかは知らないが、目がやられにくくはなると信じたい。科学的にサングラスを作る方法なんて流石に習ったことが無い以上仕方ない。



 焼き場を後にし、次に活性炭の焼き場に向かう。

 活性炭はほぼ作り方が確立している。石炭から作るのは質が良くないのであまりせず、基本は竹などから作っている。最近は硫酸から塩酸などの安定製造が可能になり、塩酸を使って塩化亜鉛を用意できるようになったので活性炭が多孔質の良品で作れるようになっている。おかげさまでペニシリンの製造精度も上昇中だ。ゴム手袋は厚さが均一になかなかできないが、こういった現場で使う分には問題ないので積極的に投入している。


 活性炭は少しずつだが遠征時の飲み水用などにも使っている。生水は腹を壊しやすい。俺も川の汲み上げは得意ではないので、場所によっては活性炭で水を浄化してから飲んでいる。当然だが幼い我が子たちの飲み水や妊娠中の妻たちもこれを使っている。少し過剰だと言われるがまだまだ衛生面が未熟なこの時代だ。過剰で結構。


 最近はこの一帯の焼き場は不審な人間を見かけなくなった。結局は竹を焼いたり、粘土を焼いているだけに近いからだろう。実験データも紙でしている記録は現代理科用語が混ざっていて忍者やら草やらでは理解できないだろうし。塩酸やら硫酸やらの製造現場は城内の一番警備が厳しい場所だ。そこを見なければ謎の液体やら石やら粉を加えて何かしているとしか分からないからだろう。


 一番大事な部分だけ徹底的に秘匿していれば良いのだ。正直うちには技術を盗もうとかそういう類のスパイ系の人間はひっきりなしに来ている。でも核となる技術だけは防諜を徹底しているので結局彼らは大きな成果を得られない。日本に広まりつつあるのは千歯こきとか洗濯板といった木工ばかりだ。あれらは気付いたら畿内でも使っていたし、先日の博多行きでも見かけた。まぁそのあたりに目がいって肝心な技術が奪われなければそれで良いのだ。

 当時は画期的だったとはいっても今では日本中で見られる物が増えつつある。でもそれで生活が楽になる人が出るならそれはそれで良いということだ。


 ♢


 美濃国 稲葉山城


 屋敷に戻ると、正室のお満に呼ばれた。彼女は妊娠中なので毎日労りには行くが、夜は共にしないようにしている。体の負担を考えてだが、今日は朝一緒にいたのに珍しい。


「殿、江の方様ともう少し御会いに為られませ。」


 部屋に入り近くに寄るやいなや、鈴のような声で彼女にそう言われた。最近は少しだけ声が大きくなった。子供に話しかけた時大泣きされて耳に響いたのがきっかけらしい。


「近々で子が出来て居らぬは江の方様だけ。豊も幸も子は出来て居ります。此の儘では在らぬ噂を立てられましょう。」

「いや、其の、えっと」

「殿、まさか江の方様のお乳が余り大きく無いので手を出されないのでは在りませぬか?」

「いや、其れは無い」


 確かに江の方は実はうちの女性陣で一番サイズが小さい。しかし前世でも「貴賎なし」と呼ばれたものだ。俺ほどのマイスターになれば小さいなら小さいなりの愛し方というものを知っている。


「では、何故?」

「やはり、主筋の御正室だったというのを考えてしまって、な。」


 別に誰かの妻だったとかはどうでもいい。だが相手が元自分の主君というのはやはり色々と思うところがあるのだ。どうしたって頭を下げていた相手だし、気後れしてしまう部分はある。


「最近は江の方とも話はするのだが……」

「共に一夜は過ごせませぬか?」

「難しいな。心が乗らない」


 実際、お満も対応の難しさには一時期苦慮していた。今でも昔の癖で彼女を「様」付けで呼んでいるし、部屋の広さなどで待遇差をつけて側室という面を強くはしているが、江の方の側に仕えている女性も国人の親族やらが結構いる。あまりお互いが廊下などですれ違わないようにどちらも気を遣わざるをえず、屋敷の間取りまで弄ることになっていた。

 それでも、お満が正室だ。だから江の方に俺との子が出来ぬのを、彼女が心配する。あまり長くこの状態が続けば正室である彼女にも批判が出かねないのも事実だ。


「ですが、そろそろ御覚悟を決めて頂かないと。」

「だよなぁ……。すまぬ、迷惑を掛ける。」

「いいえ、貴方様の御力に成る事が、何よりの願いに御座いますれば。」


 肩に手をかけ、そのまま抱き寄せる。ふわっと漂う香りはリンスをした髪から香る清潔感を感じる香りと、服から淡く香るほんのり甘い沈丁花の匂いだ。


「良い香りだ。お腹の中の子も安心して居るだろう。」

「殿の様な御方と結ばれた事、其の幸いを、思いを御返し出来て居ますか?」

「十分だ。其方は自慢の室だ。」


 耳元で聞く彼女の声は俺を癒してくれる。俺の心を奮い立たせる。頑張ろう。お満と豊と幸と、そして江の方とその子供たちの幸福のために。


 ♢


 夕刻。食事に頼芸様の遺児、太郎法師丸様と江の方を呼んだ。太郎法師丸は父を幼くして亡くしたため、今は俺を父親と思い込んでいる。江の方本人が2人父親がいると教えているそうだ。現在数えで6歳。やんちゃの盛りで、よく2つ上の俺の嫡男である喜太郎と遊んでいる。


「父上、昨日、はじめて自分の名前を書けまして御座います!」

「ほう、見事な字よな」

「父上より上手いと川村図書に褒められたのです!」

「図書め、余計な事を」


 見たら俺の方がまだちょっとだけ綺麗な字だった。ヤバい、もうあと2,3年で抜かれそう。というか喜太郎には抜かれている。喜太郎は前にこちらをからかってきたので全力で追いかけ回してくすぐりの刑に処した。定期的にやって来るあたりマムシの孫だ。油断ならない。次は足裏を徹底的に責めてやる。

 本当は主家筋として上座に居て俺は敬語で、というのが正しいのだが、江の方がそれを良しとしない。美濃の主は俺で良いというスタンスだ。一応俺からこの子には本来はこうだ、と少し前に話したのだが、


「でも今は父上あってこその美濃だと母上に聞いて居ります。だから父上は父上で良いのです!」


 とか言っていた。きちんと理解できる年齢になる前に江の方の洗脳教育が完了しそうで怖い。


「今日は母上の部屋にお泊りですか?」

「太郎法師丸、其れは」


 彼女が話題を止めに入ろうとする。だがそれは許さない。


「そうだ。俺は今日其の心算で来た。」

「おお、では1人で今宵は寝る事にします!」

「おねしょするなよ」

「も、もうしませぬ!」


 少し驚いたような江の方と、そっぽを向いて目を忙しなく動かす太郎法師丸が面白かった。



 夜。

 江の方の寝所に入ると、彼女が待っていた。


「嫌われて居る、というより壁が未だ取れぬと思って居りましたが、如何なる御心で?」


 ここでお満の名前を出すのはNGだ。他の女の話をするのは虎の尻尾を踏むより悲惨な結果しか生まない。


「何時迄も隔意が在ると思われては六角弾正も良く思わぬ。という政治的な都合と、そろそろ其の乳を味わいたいという俺の欲望だ。」

「まぁ」


 後半は少しおどけて話すと、軽く緊張した顔つきが緩んだ。


「殿は真に乳房がお好きですね。でもお満様や豊の様な立派な物では御座いませぬよ?」

「甘い。甘いぞ。世に100の乳在れば100の愉しみ方が在る。世に10000の乳在らば10000の愉しみ方が在る。そういう物だ。」

「はぁ」


 少し肩の震えが止まっていた。そのまま傍に寄り添い、ほんの少し腰を抱くように手を回す。


「済まぬ。最初は亡き殿の御子が胎に居ては不味いと自分に言い訳し、其の儘ずるずると忙しさを言い訳にしていた。」

「いいえ。気持ちは分かる心算です。」

「俺は其方の夫だ。本来なら、もっと早く安心させねば成らなかった。」


 彼女の立場はかなり複雑だ。太郎法師丸の為俺に嫁いだ。俺の人間性を信じたとは言うが、ようは俺の心変わり次第でいつ自分も息子もどうなるかわからないのだ。話は出来る限りしてきたので、そういう心配はさせなかったはずだが、それでも側室としては不安が大きかっただろう。


「いいえ。貴方様は太郎法師丸を我が子の様に育てて下さいました。其れに、誠意は常に感じられて居りましたので。」


 固さは和らいだが、まだ踏み込むには怖いという雰囲気を感じる。


「正室では無い。立場が難しかろうが、此れからはきちんと其方も愛すと誓おう。」

「御安心を。誠意と慈しみの心を受け取って来た身、とうに絆されて居りますよ。」


 少し強引に抱き寄せつつ正面を向かせた。目と目でじっと見つめ合う。もう大丈夫。義務ではなく、ただ互いの幸福のために。

 打算と政治の中で、少しずつ互いを知り合う事で創りあげた、お満とも豊とも幸とも違う、2人の形を。


 俺はやっと、彼女と完成させられたのだった。


 ♢


 翌朝、お満と朝食を摂るべく部屋に戻ろうとすると、気だるげな江の方に止められた。


「如何した?」

「昨日、お渡しそびれたので、此れを」


 そういって渡された書状は、彼女の兄弟であり、当主として活動する六角左京大夫義賢からの文だった。

 そしてその中身は、まだまだ北近江が荒れるであろう予感を俺にもたらすものだった。


「浅井と京極が、文の遣り取りをしている……だと……」


感想に御返事できず申し訳ありません。ありがたく読ませて頂き、誤字訂正は順次させていただいております。


塩酸・硫酸ナトリウムあたりは硫酸と共にある程度作れるようになっています。化学は危険性が高いので、実験室レベルで出来ても生産は主人公も慎重に進めています。ゴム手袋・注射の押し子などには既に実用化済です。ただし、ゴム手袋などはまだ厚さを均一に出来ていないので精密作業がともなう化学にはまだ怖くて手を出せない感じです。


江の方の話。流石に主人公も覚悟を決めました。子供たちも順調に育っていますのでこれからも皆仲良くが彼の、そして斎藤の家のモットーとなります。

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