第158話 十二の死(下)
♢♢の間は3人称です。
越前国 長崎城南東
斎藤軍の先頭に掲げられた首を見て、本願寺の大将、下間頼言は隣にいた杉浦玄任に話しかけた。
「約定通り、朝倉の大将は死んだか。其の首を以って協力して斎藤を討つ。面白い事を甲斐の隠居も考えた物だ。」
「我等は如何あれ、仏敵たる彼の男を許さぬ。其れだけだ。」
「朝倉よりも、か?」
「高田派と手を結ぶべしと主張したのは典薬頭と調べはついている。典薬頭のせいで美濃・尾張・三河の敬虔なる門徒は討たれた。朝倉は何時の日か潰す。然れど今は典薬頭への恨みを晴らすべき時!」
杉浦玄任はそう言うと馬に乗って前の部隊に近付き、叫んだ。
「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」
門徒たちが呼応する。
「「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」」
「御仏の御心に寄り添う事を忘れ、人の身に刀を刺し、其の体を切る事で治したと嘯く男を、我等は許さぬ!」
「「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」」
「極楽浄土へ!いざ御仏の敵に天の裁きを!」
「「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」」
「進めぇぇ!」
そして、本願寺門徒は動き出す。後先は考えない。未来は浄土にあり、天にある極楽への道をただ走っている最中なのだから。
♢♢
本願寺門徒の突撃が始まった。距離はまだあるのに、どう見てもトップスピードだ。1km近い距離を全力疾走しつづける気か?それは人体には無理な話だ。
「慌てるな。火縄銃部隊、射程に入り次第一斉射撃。」
「御意」
十兵衛が鉄砲隊へ伝令を向かわせる。1500丁の火縄銃に正面から突撃というのは無謀だがある意味正しい対処法だ。接近すれば火縄銃は無力化されるのだし。問題は、それが出来るだけの胆力と徹底させられる統率力が軍全体にあるか、なのだが。
一定の距離に近づいたところで火縄銃が一斉に火を噴く。バタバタと倒れる本願寺門徒。弾込めの間に近づく敵を見ると、かなりの敵が大型の盾を持って接近していた。
「弓矢を防ぐ盾か。火縄まで防がれるか?」
「殿が仰っていた貫通力?が違います故、突き抜けるのでは?」
新七郎と少し傍観者の気分で見ていると、第二射で盾を持った本願寺門徒も先ほどと変わらずバタバタと倒れていく。
その後方から迫る兵は、今度は木の盾を二重に重ねたような物を持っていた。当然だが重そうで、走りに勢いがない。
火縄銃が撃ちかけられると、彼らは盾を前に身を隠して止まる。斉射が終わるとまた動き出す。しかし遅い。
とはいえ火縄銃に狙われても生き残っているのは確かなので、門徒たちは歓声を上げながらその後ろに続いている。
「面倒だな、重ね盾とは。至近まで来れば貫通出来るかもしれんが、其れでは後ろの兵に肉薄される。」
「殿、織田の若殿の様に騎馬で攻めるべきかと。動きの鈍い敵には騎馬が適当に御座います。」
「あと、弓を少し射かけさせよ。上に盾を向けるか見ておきたい。」
「御意。火縄隊は朝倉側に向けまする。」
信長が以前やっていたように陣形が崩れたら送り込もうと準備させていた騎馬隊を送り込む。木曽氏から和睦の際手に入れた大量の馬で編成した騎馬隊1500だ。指揮するのは芳賀兄弟。弓矢に気を取られていた敵を一気に轢き潰していく。
西に抜けた火縄隊からは、朝倉の兵が本願寺門徒の後方に位置を変えたと連絡が来る。武田信虎自身がまだ何かしてくる気配はない。逆に不気味だ。
「信虎は何も動いていない、か?」
「時折伝令を本願寺に向かわせて居りますが、其れだけですな。」
「何が狙いだ、信虎」
俺と十兵衛は信虎の動きを見逃さないように注視し続けざるをえなかった。伝令の向かう先に変化がないかも含め、後手後手に回っているのを自覚しながら。
♢♢
武田信虎はまた1人伝令を送り込んだ。
「先程の部隊をもう十歩東に動かさせよ。」
「はっ!」
彼の言葉に、伝令は急いで本願寺の下へ向かう。そして、彼が動かした部隊が、絶妙に斎藤の騎馬隊が勢いにのるのを許さない。門徒を打ち破って騎馬が加速しようとする、そこに指示を出した部隊がぶつかっていく。
「ぬぬぬ、其処で囲い込んで潰せぬか。所詮門徒は門徒か、侍の動きは出来ぬか。」
「高望みは出来ませぬな」
側にいる赤兜の青年がやや呆れながら言う。
「ま、其れも在るが。抑此の戦、負けなければ十分故な。」
「門徒が斎藤の兵と潰し合う限り、我等には益しか在りませぬ。」
「そういう事だ」
その言葉に、もう片方の側にいた朝倉の家紋入り甲冑に身を包んだ若武者が吠える。
「勝てるなら勝たねば我等は後が無いのですぞ!座して緩やかに死ぬのは御免に御座います!」
「落ち着け。何時迄獅子の心算だ。」
「な!?」
「朝倉は既に弱き者、獅子に狩られる兎だ。獅子の心は捨てよ。」
信虎は眉間に皺を寄せつつ、若武者を睨みつける。
「宗滴は其れが分かって居るが、其方の様な若造が其れを分からねば朝倉に未来は無いぞ。」
迫力に、若武者は気圧されて口をつぐむ。
「勝てるならば其れが一番。然れど敵は此方より強い。ならば無理はせぬよ。」
そう明るく言う顔はしかし決して予断を許さぬ雰囲気を纏っていた。
♢♢
初日が終わった。
結局騎兵を封じられたと気付いた段階で彼らを後方に逃がし、泥沼の歩兵同士の合戦となった。途中途中で側面を狙う動きも入れたが信虎に要所要所で動かされた部隊によって効果的な損害は与えられず。
兵の質では負けていないものの、ごちゃごちゃとした戦に引きずり込まれた感は否めなかった。
十兵衛も「相手を気にしすぎた」と悔しそうにしていた。明日は主導権を握らなければならない。
と、夕方の軍議で話し合っていると物資の集積拠点近く、南側に敵軍が接近しているという情報が入った。数は多くないが、兵站だけでなく今回の要となるのがこの拠点だ。朝倉の兵力的に目の前の敵を叩ければ勝ちだが、戦略的には集積拠点をとられるのは最悪だ。
「十兵衛、兵の一部を戻したら如何なる?」
「中途半端な兵を戻しても中途半端な結果に成りますな。集積拠点も後手に回り、目の前の敵への対応も後手に回るかと。」
「今日1日でも此方に相応の損害が出ている。門徒はまだまだ数が多い。集積拠点にも守備兵は居るし対処出来る兵力だが、要なのは変わらない、か。」
「拠点まで兵を戻しても本願寺門徒が追って来るかは分かりませぬ。其処まで奥深く門徒を入れるのは朝倉にとっても博打と成りましょう。」
「……よし、中途半端に戦い続けても本命が滞っては意味が無い。拠点まで兵を退く。」
「御意」
翌早朝、整然と大久保兄弟を殿に俺達は九頭竜川沿いの集積拠点まで兵を退いた。追撃が来た時のため準備をしていたが、特に追撃は無く。一定距離を保って信虎がついてきただけだった。
本願寺門徒はこちらが思った以上に損害が多かったらしく、早々と兵を退いた。火縄銃の斉射はかなり効いていたらしい。とはいえ火縄銃に対して構わず突っ込んでくる敵というのは厄介だというのを再認識した。
信虎の軍勢は途中で一定距離でついてくるのも止め、そのまま長崎城へと退いた。拠点付近の敵兵も離脱し、大量の斥候が周辺をうろつくだけとなった。無傷の朝倉軍は状況次第でこちらを抑える事も出来るだろう。少なくとも、どこかの城攻めを始めようとすれば信虎の部隊が邪魔してくる。
だから、当初の目的通り城攻めはしないことにした。
♢♢
一時的にせよ斎藤軍を退かせた(しかも朝倉の兵はほぼ無傷で)武田信虎に朝倉兵は勢いづいた。次にどこを攻めてきても斎藤の兵を打ち破ると息巻く諸将に、しかし武田信虎は一切安心も油断もしていなかった。
(怪しい。何故彼処で奴等は退いた?確かに本願寺と潰し合いは本意では無かっただろうが、退く様な戦況には成らぬ様状況は動かして居た筈)
そして、3日間の休息を兵に与えた終わりに、その答えが朝倉諸将に示された。
「御注進!明け方、松岡に敵の砦が現れました!」
「砦が現れた!?如何いう意味だ?」
「其の儘に御座います!昨日まで陣幕の張られた敵の陣だった筈が、朝には砦に成って居りました!」
「其方が怠けていた……だけではこうは成らぬな。見張りは十や二十では無い。」
一気に浮つく諸将を見て、信虎は斎藤義龍という男の本来の狙いはこれだったと気付いた。
しかし、このタイミングは気付くにしてもあまりにも遅きに失したものだった。
♢♢
やったことは秀吉のエピソードとして伝わる墨俣の一夜城だ。
それが史実だったか否かは俺は知らない。でも九頭竜川という川があり、亥山城の城下で一度組み立てまでした木材を流す。
石灰も船で運び込み、現地で砂や水と混ぜて土台や門壁に使う。
陣幕の高さまでをじっくりと造り上げ、土台が固まったら一気に建築物を組み立てる。
それだけだ。
そして砦を造る準備は1つ分だけじゃない。
3つ造る。最初からそれが本命だった。
とてつもなく金がかかるやり方だが、命よりは軽い。木曽や飛騨からも材木を買い、1年かけて準備してきたのだ。
この大軍を相手にその邪魔はさせない。
宗滴が戻って来れない今、九頭竜川方面からもいつでもこちらが攻め込める状況を作る。それが本来の目的だったのだから。
大軍がいれば普通は城攻めが目的と思う。あの武田信虎ですらこちらが退いたら兵を退いた。
実力で勝てない相手には相手の想像の斜め上を行く事で上回る。そして勝つ。
それが戦下手な俺のやり方なのだから。
♢
秋の農繁期になっても織田は小谷城周辺を攻め続け、俺も砦3つを更に強固にすべく部隊を置き続けた。
農兵が使えない朝倉は農繁期に入ると妨害の出兵も出来なくなり、冬前に部隊を退くタイミングには漆喰の城壁とスコップ工兵によって九頭竜川を用いた堀のある砦が3つ完成していた。
砦3つは有機的に連動しながら防衛が可能で、物資も数か月の籠城が可能だ。城壁は三角や四角の穴が開き、火縄銃を一定数配備して接近する敵を許さない。
防衛兵を残して俺たちは撤退した。既に父道三の下には動揺した国人からの接触が始まっているそうだ。小谷城も周辺の支城を抑えるところまで追い込んだらしい。浅井の将の中にも織田方と連絡を交わす者が出ている。
来年の雪解け後が勝負だ。一気に追い込めるだけの準備は出来た。近江と越前から一気に浅井・朝倉を潰しに行こう。
♢
帰国したところで各地の情報が集まっていた。一番大きかったのは前公方・足利義晴の死去だ。第12代足利将軍は病に倒れた後も俺の持ち込んだ医術を拒否し、朝廷から派遣された半井驢庵殿も追い返したらしい。驢庵殿も老体で無理に大津まで行った影響かこの後京で亡くなった。戦場に一緒に来ていた瑞策には悪い事をした。親の死に目に立ち会えなかったのだ。驢庵殿は死の間際に半井兄弟に俺に良く教わり一番弟子の名に恥じぬ様人を救えと遺したそうだ。俺も彼に報いなければならない。そこまで見込んでくれたのだ。彼の目は正しかったと後世に言われるだけの人間にならなければ。
そして、越後守護の上杉定実の病死。彼の死でいよいよ上杉の当主は謙信(仮)である上杉政実にわたった。北条との関係で幕府には越後守護を継がせないよう動いてもらっているが、筒井順昭は独自に興福寺に預けられていた義藤様の弟を将軍として担ぎ上げようとしている。仮に幕府が2つになればあちら側は上杉を味方につけようとするだろう。古河公方の敵対で一気に関東全体が不安定化している北条にとっては面倒な事になるかもしれない。
一方で朗報もあった。最上経由で伊達氏の内乱がほぼ終息したという情報が来た。父親の伊達稙宗の側近である小梁川宗朝・懸田俊宗という2人が討たれたそうだ。既に伊達稙宗派は残り僅かになっており、城からの脱走兵なども相次いでいるそうだ。息子の伊達晴宗は幕府に恭順する姿勢を見せているし、それが終われば伊達晴宗は上杉への出兵も考えているそうだ。
こうして、大きな動きはないものの、俺にとっては悪くない結果がもたらされ、冬がやって来た。
足利義晴・飯尾定宗・大友義鑑・蓮淳・一条房基・内藤国貞・京極高延・小梁川宗朝・懸田俊宗・朝倉景良・上杉定実・半井驢庵の12人が亡くなりました。
主人公と近しい人も、ここでしか名前が出ない人もいますが、その死は歴史を大きく動かす事になります。
史実より寿命が延びた人もいれば短くなった人もいます。そのすべてが主人公・斎藤義龍という男の動きがもたらした変化によるものです。
冬の話を1話やった後、1551年になります。朝倉宗滴・武田信虎は少しずつ厳しい状況に追い込まれる中、起死回生の一手を打てるのか。お楽しみに。
【追記】
城攻めはしない=城を落とそうとはしない、の意味です。城を落とす労力を払う事は最初から考えていなかったということです。




