第156話 十二の死(上)【地図あり】
状況整理は途中で挿し込んだ地図でもある程度わかるようにしているので、そちらもご参照ください。
美濃国 稲葉山城
立春を過ぎ、雪解けも間近となった頃。
畿内情勢への対応や綿花栽培の指示、さらに越前側から朝倉への圧力がけなどを指示していたところ、九州から報せが届いた。
大友氏で家督相続に関わる争いあり。
その報を聞いたことで俺の記憶が思い出す。戦国ゲームイベントでも出る、二階崩れの変の発生だ。
大友氏の当主大友義鑑と息子の義鎮が対立し、結果として父親の義鑑が襲われ亡くなる事件。対立の原因は父親の義鑑が別の息子を当主にしようとしたためらしいが、それって歴史上繰り返されてきた失敗だと思うのだけれど。
『賢者は歴史に学ぶ』という言葉がある。歴史に名を残す有名人でも歴史に学べていないのだ。俺は気をつけないといけない。
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田植えなどが本格化すると、大部分の大名は農兵が動員できなくなるので動きが鈍くなる。
逆に、常備兵中心の織田や常備兵を一定数揃えている我が斎藤の家などは自由に動けるチャンスの時期だ。
当然のように弾正忠信秀殿は三河や尾張東部の兵を中心に動員を開始。浅井の小谷城を今度こそ落とそうと動き始めた。
今回は越前側から動くことになっていた俺は越前方面へ向かうため準備を始め、弾正忠信秀殿からも兵の領内通行許可を求める書状が届いた翌日だった。
朝倉宗滴が少数の兵で小谷攻めの拠点として整備していた丁野山城に攻めこみ、一部の兵糧米共々城を奪われてしまったのだ。
この時丁野山城にいた兵はおよそ4000。城には織田氏血縁の飯尾定宗がいたらしいが、宗滴は500にも満たない兵数で奇襲したらしい。飯尾殿は討死。息子は尾張にいたので家は無事らしいが、久しぶりの重臣の死に動揺は隠せない。
父道三も宗滴の動向を耳役に見張らせていたそうだが、「寡兵過ぎて監視を出し抜かれた」と舌を巻いていた。
敦賀を出立する時は僅か3騎で出陣する徹底ぶりだったそうだ。そこまでするか御老人。
このため弾正忠信秀殿は姉川での戦で奪った横山城の補修が完了し次第横山城から攻略を進め直すそうだ。俺の越前行きも当然中止である。派手に壊しすぎた横山城の修理が終わるまで攻勢には出れないという判断だ。
そんな中、前公方足利義晴様と行動を共にしていた京極高延が亡くなったという情報が入った。現京極当主の兄である京極高延は若狭武田氏によって北近江の名目上の守護に担ぎ上げようとさせられていたが、面倒なことになるのを嫌った誰かが暗殺したようだ。
父は近江の織田拡大を支援までしようとしていないようなので、恐らく織田か三好の手の者だろう。そこまでする必要があったかは分からない。傀儡の有無はもはや今の北近江では誤差だっただろうし。とはいえ前公方様と管領細川晴元はまた1つ手駒を失ったわけで、追い詰められているのは確かだろう。
そしてそんな畿内ではうちの文官たちの支援で京の安定化に四苦八苦する三好の義兄殿を、包囲網を作って管領細川晴元は畿内から追い出そうと躍起になっている。
雪解けが進んだ3月。波多野と三好政勝の連合軍が義兄方についた丹波の国人内藤国貞を攻めた。
義兄の長慶は援軍派遣の準備をしていたそうだが、波多野晴通本人が率いる部隊が丹波から南下してきたため摂津兵が使えず。波多野兵を率いた赤井直正という猛将によって内藤国貞は討たれ、丹波の三好長慶方は壊滅したそうだ。赤井直正はゲームで見た事がある。丹波の赤鬼とかそんな異名がついていた。ちなみに波多野晴通の本隊も壊滅したそうだ。
そして、河内で高屋城に籠っている畠山高政は紀伊の雑賀衆や粉河寺に支援を要請しているらしい。根来寺と遊佐氏の関係性が深いためか、それ以外の支援を得たいということらしい。高野山が早々に中立宣言を出して我関せずなのだが、大和から筒井順昭が全面的に高政を支持して動いており面倒この上ない。
これに若狭武田や別所、讃岐の管領配下国人などの動きが加わるため、畿内は今史実の『織田包囲網』と遜色ない状況になっている。遊佐・安見・畠山・一色といった諸大名の支援がなければ維持出来ないレベルだ。でも逆に言えば支援さえあれば対抗できるくらい三好長慶という人物は今すごい力を持っているという証拠でもある。
何にせよ今はちょっと俺は身動きがとりにくい。現状の整理と技術面の開発状況の確認、そして田植えの状況確認などを徹底することにした。
♢
春。
本願寺の要人、顕証寺蓮淳が亡くなった。冬に体調を崩したそうだが、畿内で出回っている薬に頑として手を付けず、最期には食事にすら手を付けずに衰弱死したそうだ。彼は実の息子を失ったことを俺のせいだと言い続けていたらしい。本願寺門徒の間でも誰も信じないような話を、だ。そのため2,3年前から本願寺のトップである証如の命で石山本願寺の奥の部屋で療養生活という名の幽閉がされていた。彼が亡くなった直後、証如は四国本願寺との対話姿勢を打ち出した。ある意味、ここが和睦への分岐点なのだろう。
そしてほぼ時を同じくして土佐の英傑・一条房基の死が伝えられた。噂によると暗殺らしいのだが、土佐守護だった細川氏が内部で家督争いをしている間に土佐一国をまとめあげたのが一条房基という人だった。そのため今の土佐は一条氏の勢力下だったわけだが、先日の氏綱討伐後に土佐守護に管領細川晴元が細川氏として10年以上ぶりに復帰していた。しかし実質その支配は一条氏にあったわけだが、今回の彼の死で土佐はまた管領が影響力を増大しそうだというのが十兵衛含む父・叔父・平井宮内卿の悪巧み軍団の見解だった。
「長宗我部氏と本山氏が和睦したらしい。長宗我部は仇敵山田一族へ兵を向け、本山は阿波の大西氏に兵を向けている。」
「大西といえば、俺と同じく義兄殿から妹を嫁に貰って居ましたね。」
「阿波でも有力な親三好派国人だ。其れを邪魔したいのだろう。安芸氏も嫡男の国虎という男を阿波に派遣しているとか。」
「四国側から三好殿を崩そうというわけですか。讃岐の香西も十河氏の本拠を荒らそうと動いていると聞きました。」
「安芸氏が攻め込んでいるのは海部の領地。海部氏は朝鮮や明向けの日本刀を多数造っている。三好や堺の経済にも痛手を与えたいのだろう。」
父道三も三好からの情報だけでなく耳役を各地に派遣して情報を集めざるをえないと言っていた。人員は拡張しているらしいが追いつかない勢いで各地の動きが活発化している。
焦りがつい顔に出ていたようで、久し振りに平井宮内卿に肩を軽く数回叩かれた。
「若、焦っては出来る事も出来なく為りまする。深く息を吸って、息を吐く。」
深呼吸を宮内卿の声に合わせて3回。両頬を平手で軽く叩く。うん、切り替えよう。
「加賀の本願寺は相変わらずか?」
「能登の畠山氏が神保氏・椎名氏と組んで北から加賀に攻め込んで居る様ですが、最近出来た尾山の御坊が強固で攻めあぐねているらしく。」
「尾山……金沢御堂だったか。厄介だな。」
加賀北部の本願寺は守りを固くし、朝倉領を攻めようと必死らしい。ただ、既に宗滴に2度打ち負かされているとか。宗滴恐ろしいな。どこにでも出てくる。
各地の情勢が動く中、織田は夏頃に横山城の修復が終わりそうということで連絡が来た。城の修復の目途が立ったので、再度攻勢に出るつもりらしい。
今回も俺は越前へ向かう。一乗谷から越前府中を目指し兵を出して、宗滴が出てきたら一乗谷に逃げる。彼が浅井に向かったらまた府中を脅かす。という楽な仕事である。
「まぁ、本願寺と朝倉が相互に疲弊してくれている内に越前を奪いたい所だ。」
「左様。狂った坊主と死にたがりの百姓の相手は老い先短い爺にでもさせておけ。」
「父上も大分短そうですが?」
「戯け。其方の娘達に今度こそ折り紙を教えてわしが『じいじ、じいじ』と慕われるのだ。其れ迄死ねぬ。」
「兄上、其れを成し遂げるには後十年は生きねばならぬぞ。」
「道利、御前も若い心算で居るなよ。腰に来るのは或る日突然だからな。」
忙しかったため少し間が空いたが、最近は美濃にいる機会が多いため妻たちが妊娠・出産ラッシュである。娘も数人生まれたのだが、相変わらず俺も父も産まれたばかりの子には泣かれる。俺と父の違いはそのうち俺に慣れる子供たちと、決して懐かない父という構図だ。最近は絵本や玩具、そして折り紙にその秘訣があると考えた父が必死に折り紙を覚えている。問題はそもそも近づけば泣かれるのに折り紙なんて一緒にできるわけがないことだが。
「留守は任せます、父上。」
「そういう時は国を奪われぬ様腹心を残してわしと弟達を監視せねば甘いぞ。」
「残念ながら、皆とは仲が良いですし、いざとなれば母上達が止めましょう。」
「動じなくなったか。詰まらぬ。もう良い、さっさと一乗谷へ行って来い。そして顔を忘れられて嫌われると良い。」
やさぐれアラウンドシックスティという新しい威厳のない存在へジョブチェンジした父を、叔父と宮内卿は声を出して笑っていた。
身動きできない主人公。宗滴も、長慶も、信秀も、晴元も、自分の最善を尽くして状況を有利にしようと画策を続けています。
三好包囲網に対し、中途半端な介入は事態を悪化させかねないので六角も和睦のため奔走するしかないのが面倒な状況です。
今話で名前が出ていきなり退場する大友義鑑や一条房基も面白い人物ばかりですが、このあたりの人物まで触れているとキリがないのでここまで触れずいきなり退場という形にしました。
信長前世代では四国と言えば三好元長・一条房基・長宗我部国親というくらいすごい人なのですが、史実では若くして自殺とか暗殺とか色々言われている人です。本作では暗殺にしています。氏綱というライバルのいない細川晴元にとって、土佐を動かすのにこれほど邪魔な位置の人物もいないので仕方ないですね。




