第153話 三好長慶、勇躍【地図あり】
♢♢まで1人称、その後最後の♢♢まで3人称です。ちょっとだけ時間軸が戻るので(本当はこういう構成にしたくなかったのですがキリが悪かったのでこうしています)分かりにくかったら申し訳ありません。
地図はこちらです。ついでに147話以降の波多野晴通の動きも加えてあります。
収穫後は織田の軍勢と浅井の軍勢の小競り合いの後冬になった。お互い大きく動くに動けず、織田は支配地域の安定化に多くのリソースを割かれた形だった。
そして俺はといえば、美濃に一度戻った後で畿内で起きた戦乱によって身動きがとりにくくなり、この一連の小競り合いには関わることができなかった。
畿内での戦は俺にとって予想だにしない方向へ転がり、そしてその影響で俺は畿内への海路確保に躍起にならざるを得なかったのだ。
その戦のことを思えば、松平広忠が負傷して戦場にはもう立てないであろうことなど些細な事ともいえた。
♢♢
摂津国 三宅城
夏の盛り。朝倉・浅井連合を織田・斎藤・京極連合が姉川で破った頃。
三好宗三入道はついに睨み合いから直接武力行使に打って出た。それは芥川山城という京への防衛拠点が三好筑前守長慶の家臣の居城であり、宗三入道の影響が少し入っている河内十七か所と呼ばれる輪中地帯や茨木長隆のいる茨木城との連絡が出来ない状況を打開する為だった。
これに対し三好筑前守長慶は高槻・芥川山の両城に三好長逸・篠原長房を派遣して防衛を厚くし茨木攻めに十河一存と摂津国人を送り、自らは守口付近から河内十七か所に兵を送って宗三入道方の輪中を破り、筒井氏に攻められている遊佐氏の救援が可能な状況作りを進めようとした。
全体の統轄のため三宅城に入った筑前守長慶は、そこで松永弾正久秀と合流し波多野氏が部隊の再編を終え南下を再開したことを知った。
「如何見る、弾正」
「現在我等が御味方は茨木・芥川山・交野に別れて居ります。此れに波多野を抑えるべく兵を割いては穴と為る場所が出来ましょう。そして其れを見逃すと思える程、某宗三入道を甘く見て居りませぬ。」
「そうであろうよ。彼れは厄介な事に頭の良い男なのだ。だから困って居る。」
長慶が今回各地に送った兵は全て集めれば25000にはなる。この兵数は管領細川晴元がどう頑張っても揃えられない数字である。筒井の援軍が入れば、届くであろうが。
「和泉を抑えるのに置いた兵を引き上げるのは怖い。根来寺が味方して居るとは言え、其の隙を許してくれる筒井では無い。」
「いっそ茨木を力づくで落としますか?彼の城が楔に為って我等は苦しんで居ります故。」
「其れも悪く無い。が、其れでは宗三入道は出し抜けまいよ。」
長慶は今まで何度も宗三入道を失脚させようとしたが、結局最後は管領細川晴元の意向で彼は失脚しなかった。そのため長慶は今回こそ戦場で彼を討ち取る事で確実に宗三入道を排除しようと考えていた。
「六角が動く事は在り得ませぬ。殿が腰を据えて討ち取るというのは?」
「公方様が収めようと動いたら終わりだ。公方様が動く前に決着を付けたい。」
「うむむ……ではもう餌で釣る他御座いませぬな。」
「餌か。我が前線に出るか?」
「其れはいけませぬ!其の様な遣り方は断じて某許しませぬぞ!」
まるで飼い主を止めようと噛みつく犬のような顔つきで弾正久秀が止める。
「戯言よ。しかし餌か。そう言えば京の米相場が上がりつつあると其方申して居たな。」
「甲斐のナヰ(地震)に加え朝倉・浅井と斎藤・織田が戦をしていて、米が美濃から余り運ばれなくなって居りますので。」
「堺周辺は米に困って居らなんだな。」
「代わりに織田経由で海路で米が運ばれて……まさか?」
「堺に連絡して千石用意致せ。大至急だ。皮屋なら出来る。」
「畏まりました!」
命令を与えられた子犬の様に早足で部屋を出た弾正久秀に苦笑しつつ、彼は更なる一手を模索し続けた。
♢♢
摂津国 芥川山城
盆が過ぎて暑さに翳りが出てきた頃、勝竜寺城にて芥川山城攻めを指揮していた宗三入道に立て続けに摂津の動きで報告が届いた。
「筑前守(長慶)が茨木攻めに大軍を派遣」
「茨木攻めと芥川山への支援に高槻に米二千石を入れた」
というものだった。
すぐさま宗三入道は見抜いた。
「罠だな」
「罠ですか父上」
「分からぬか、政勝。筑前はな、我が首が欲しくて堪らぬのよ。」
宗三入道は自分の首の価値が分からない男ではない。自分が死ねば管領は飾りとなり、六角・三好を中心とした政権ができてしまう。管領に対しては忠実な宗三入道にとって、それは許されない敗北である。
「だから態々我等に伝わる様に我等が不足し困って居る兵糧の情報を教えて来たのよ。わしが此の城を出てでも欲しがる様に、とな。」
「成程」
感心している息子に対し宗三入道は少々戦馬鹿に育てすぎたかな、と悩んでいると、そこに新しい一報が届く。
「波多野様、摂津入りせず此方に向かっているとの事!」
その瞬間、彼はその手があったかと頭を抱えるのだった。
♢♢
摂津国 高槻城
「御注進!波多野軍が山城国に入りました!間も無く勝竜寺城に入城致します!」
「良し、餌に釣られた阿呆が来たぞ!」
筑前守長慶の狙い通りだった。丹波も近年波多野晴通の求心力低下で米相場が値上がりしている。日本海側からの米の入手も上野遠征を続ける上杉氏によって北陸の米が買い占められて困難であり、毛利と尼子も絶賛合戦中。丹波も苦しい状況から、二千石の米は魅力的に映ったのである。
「波多野が勝竜寺城に入れば、必要な米が更に増えて京周辺の米相場は更に苦しく成ろう。さぁ、如何する宗三入道。」
「流石殿に御座います。まさか真っ先に波多野に米の情報を流すとは……」
「弾正、流したのでは無い。味方に教える筈が、間抜けな早馬が文を波多野兵の近くで落としたのだ。」
「左様に御座いました。流石殿は知恵が働きますな!某では思いも付きませなんだ!」
お前は素直すぎるからな、とは口が裂けても言えない長慶は次の一手を弟の松永長頼を呼んで打たせるのだった。
♢♢
三日後。
丹波の内藤氏が長慶の旧領復帰という飴に釣られて蜂起すると、波多野氏は山城から出られなくなった。14000もの大軍を抱えてしまった勝竜寺城は、あっという間に減っていく兵糧を前に高槻城を攻めるべく動かざるをえなくなっていた。
芥川山城から兵が出てこない程度に抑えを残し、彼等は高槻城へ出陣。高槻城は2000程しか兵がいないという情報だったため、彼らは尋常ならざる士気で城を目指し、ほぼ休む間もなく城に攻めかかった。
途中、茨木城が陥落したという報を受けても彼等は止まらず、そして遂に高槻城を落とした。
そこにあったのは大量の米。米。米。
波多野兵は最前線で大損害を出しながら城攻めに貢献したことから、兵糧米の過半を得ることとなった。
早速周辺では大量の飯が炊かれ、兵たちが一部の物見を除き食事にありつこうとしたその時。
三好義賢率いる騎馬部隊が凄まじい速度で城外の部隊に襲いかかった。
彼らは早い段階で芥川山城に入り、時機を見て背後をつくべく待機し続けた部隊だった。
芥川山城の兵が減ったことで騎馬による突貫が行われ、そしてそれを三好宗三入道が知る前に彼等は高槻城に辿り着いたのだった。
そして、これに前後して十河一存率いる摂津国人らが茨木城を落とした勢いに乗ってやって来た。全ては宗三入道の首を獲る為。芥川山城を最悪一時的に放棄しても構わないという、三好長慶の覚悟の一手だった。
寛いでいた波多野兵は一気に混乱し、十河隊の攻勢に呑み込まれた。一定の警戒を怠らなかった宗三入道と政勝の部隊だけは何とか対応して見せたものの、後背を突かれることを予想していなかった事や城攻め中に夜襲などをされないかという緊張感を常に持ち続けていたことで、疲弊しきっていた彼らの兵はこれを押し留める余力を失っていた。
夜の帳が降りようとする頃、大量に炊かれた米のうち無事なものも水分が飛んでパサパサになったところで、
「三好宗三入道、討ち取ったあああああ!」
三好義賢隊から歓声が上がり、これを機に一斉に彼らの軍勢は総崩れとなった。
十河一存は波多野晴通をあと一歩まで追い込むも家臣の籾井一族が全滅しながら晴通を逃がしたため、辛うじて彼は戦場を離脱した。
大量の将兵が追撃戦の中で討たれ、多くの宗三入道の配下が討ち取られた。
しかし三好政勝の首が無かったため、翌日長慶は疲弊した一部の兵を残し追撃を行った。
そして。
♢♢
美濃国 稲葉山城
俺が美濃に戻った頃に筑前守長慶殿から届いた書状には、
「三好政勝を追いかけていたら京に入ってしまいました。管領は既に近江に逃げて居り、前公方様も幕臣と一緒に逃げてしまいました。残っていたのは公方様と伊勢氏だけです。助けて。」
と書いてあった。すぐさま山口藤右衛門光広らうちで雇っていた元山城の住人を派遣したが、筒井氏が細川氏綱を裏切る時に多くの山城国人は討たれ、そして今回の高槻での戦で数少ない生き残りも討たれた山城は権力者のいないスカスカな土地になってしまった。そのため焼け石に水状態だ。
ひとまず義兄殿は現公方の下で管領代六角定頼のまま自らは相判衆になることで形式だけ幕府を整えたそうだが、山城の安定化のために松永久秀・三好義賢・十河一存がかかりきりとなった三好氏は河内への援軍や呼応した内藤氏の支援もままならず、筒井や畠山高政の反乱も収まる気配がないらしい。
当然だが大津で勢力を盛り返そうと管領細川晴元は活動を活発化し、丹波に逃げ帰った波多野晴通もリベンジのため兵を集め始めている。
俺の場合はあくまで幕府の要請で派遣した形だが、六角氏との話からこの対立には中立を守るしかなかった。俺が三好につけば織田も三好につくだろうし、そうすれば六角は細川晴元との血縁から敵となるだろう。京の流通は崩壊し、そして戦乱は畿内全域に波及する。
救いは公方様を何とか義兄殿が確保したことだ。施餓鬼で近年威光が京限定で回復しつつあった将軍家がこれ以上京から逃げては、折角の活動が無駄になると伊勢氏が反対したらしい。そして伊勢氏の屋敷に逃げ込んだことで公方様は京に残った。逃げたのは「元将軍」と「いつも逃げている管領」である。
何より、この一連の戦は六角氏によって「三好一族の争いに筒井・波多野・遊佐らが介入した戦」とされているおかげで、名目上幕府は分裂していない。管領代六角定頼は管領や前公方にしきりに書状を出し、和睦するよう仲裁の動きを見せている。
「如何なると思う、十兵衛は。」
「筑前守様を受け入れると管領様が割り切れれば良いのですがね。無理でしょう。何時殺されるか分からぬ程強い相手に頼れないのが管領です。六角との血縁が在りながら今回も強く頼れなかったのです。六角が強過ぎるから。ならば此度も誰にも頼らず、前公方様を頼りに戦い続けるのでしょう。」
つまり、戦乱は当分続くという事だ。名目上は幕府がありながら、その内実は完全に崩壊している。
今までと違うのは、それでも京だけはなんとか安定していたのに、それも不安定化してしまったことだ。
畿内全域、そして周辺諸地域まで。当分戦は、終わりそうにない。
史実江口の戦いと大分違いますのでご注意ください。
・そもそも六角が参戦しない
・そのため三好長慶は無理しなかったし、宗三入道も前線には出てこなかった
・でも波多野が暴走。巻き込まれて宗三入道は前線へ
・宗三入道を討ったら管領逃げる。しかし細川氏綱・国慶配下の国人や元領主を取り込んでいない三好長慶は京の安定化を進められない
・結果京は安定せずに三好長慶の手に渡る。六角の中立を維持するために管領・管領代は元のままなので長慶の地位は低く、かつ実効支配にも問題が残る
といった形になっています。史実より長慶は不安定な政権運営を開始せざるをえない形です。
【追記】
勇躍のタイトルは長慶の勇み足でふわっとした京支配の開始を表現しているので、誤用ではありません。
感想返しがちょっと今厳しいので修正だけお返しさせていただきます。ご理解いただけますようお願いいたします。




