第152話 歴史に抗う俺なりのやり方
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近江国 小谷城
浅井の兵はあまり大きく被害を与えられていないものの、京極の兵と合流した織田の別働隊に挟まれたくない敵方は朝倉景紀隊の全滅と前後して撤退した。
こちらも壊滅した松平や負傷兵の手当てなどに時間を使い、別働隊と合流した上でわずかな兵を占領した横山城に残して小谷城へ向かった。
小谷城を包囲したのは織田・斎藤・京極の連合軍19000。浅井は当主の左兵衛尉久政が籠城する兵を率い、朝倉と赤尾清綱・雨森弥兵衛らが城外からこちらを伺う形となった。とはいえ城外にいる敵は5000あまり。城内に残ったと思われる兵と合わせても8000には届かない。敵の本拠地である小谷城を包囲するのを邪魔できる兵数ではないので、攻撃は当然と思っていた。
打ち合わせのため織田の本陣を訪ねると、やや熱っぽい表情で少しぼーっとした様子の弾正忠信秀殿が出迎えてくれた。明らかに様子がおかしい。
「如何為されました?」
「何、少々疲れが溜まっている様でな。大事な時期に不甲斐無い話よ。」
歳は取りたくないな、などと言いつつ、表情は笑えていない。これは誰が見てもわかる。何かの病だ。
「十兵衛、我が陣から温度計を持って参れ。至急だ。」
「御意」
「新七郎、辛いだろうが軍医に手術一式と薬一式を持って来させろ。」
「ははっ!」
彼等は俺のやろうとしていることを理解している。診察だ。診察に必要な道具を揃えねばならない。温度計だけは高級品扱いなので別に保管していたので、それだけ別途取りに行かせる。
「美濃守、大丈夫だ、寝れば――」
「ダメで御座います。典薬頭として、それは許しませぬ。」
すぐに陣幕の中で簡易ベッドを作らせる。様子がおかしいとは思いつつも逆らえなかった諸将が小姓を押しのけて率先して手伝ってくれる。
「此れ程大事にせずとも良かろう。其れに不穏な動き在らば敵が勢いづく。」
「御安心を。敵が此方を攻める余裕は御座いませぬ。」
敵は小谷の北にある井口城や雨森城といった城に入って休息していると報告を受けている。敵も戦の後休む暇もなかったのだ。今から来ることはまず有り得ないだろう。たとえ宗滴が無事でも兵は疲れている。無理はさせまい。
道具が揃ったところで診察を開始した。光源を用意し、口を大きく開けさせて舌圧子で押さえつつ喉を診る。赤い。より正確に言えば、喉全体は赤いものだが白っぽさもあるのだ。これがいわゆるのど○○こ(正式には口蓋垂)が赤く腫れぼったい状況だと「喉が赤い」という表現になる。
「あー」という音を出してもらう。声を出してもらうと口蓋垂がはっきりする。風邪声かどうかを聞き分ける意味もあるが、それ以上に喉が見やすくなるので病院ではやってもらう事が多い。
扁桃腺を触る。右側が触ればわかる程度に膨らんでいる。ほぼ間違いないだろう。
「温度は?」
「三十七をやや超えて居りますな」
同行していた半井瑞策がメモリを読む。俺と室の平均体温がこの温度計で35.5度から37度の間である。37度を超えているなら熱がある状態といえるだろう。
さらにグッタペルカで肌との密着性が向上した片耳聴診器で肺と心臓の音を聞く。痰が少し絡んでいる気配はあるが、肺炎の気配は聴き取れない。心臓の鼓動もある程度聴いた感覚では異常がある気はしない。
「風邪ですね。温かくして、体に良い物を食べて、休みましょう。」
シンプルだが、これ以上に言うべきことはない。風邪はこじらせたら重病を招く。ここできちんと治すのが大事だ。
「其方の薬で治す訳には行かぬのか?其れか手術とやらで悪い部分を取り除いてだな。」
「風邪が直ぐ治る薬を創れたら、俺は神に成れますよ。」
現代でも、風邪全般に対する特効薬はない。風邪は原因となる細菌・ウイルスが違うのだ。
ウィルス風邪に効いても細菌に効かないとか、その逆とかはあるが、町医者レベルでとりあえずこれ出せば治る的な薬は創られていない。創れたらノーベル医学賞待ったなしだ。
「症状の一部を抑える薬は出しましょう。でも安静にしなければ成らぬのは変わりません。一日に一度評定を行うのは許しますが、其れ以外は人と会うのも極力避けて下さい。」
反論は許さないと言外にこめつつ宣言した。部下たちも重病なのかと俺に聞いてくるが、考え方が逆なのだ。
「重病にしない為に此処までするのだ。理解しようとせずに弾正忠殿に負担を掛ける者は、主を殺そうとする者と心得よ。」
きちんと安静にして適切に過ごせば数日で治るのだ。それを邪魔する奴は敵と同じかそれ以上に厄介だ。
彼の小姓に食事について指示を出す。
「近隣で卵を採れた農家が無いか探して来い。見つけたら高値で買って来い。其れを粥に入れて出せ。」
「ははっ!」
「葱と大根も用意せよ。大根は卸し金で大根卸しにする。蜂蜜と生姜は此方で用意しよう。」
卵粥と生姜湯、これに大根卸し。シンプルだが体のためになる栄養たっぷりの食事だ。
「側仕えの其方、そして弾正忠殿が寝ずに仕事をしようとしたら押さえつけてでも寝かせろ。守れぬなら主を守れぬ不忠者ぞ。」
「か、畏まりました!」
「小姓を不忠者にしたく無ければ安静にされよ、弾正忠殿。」
「……賢しらな」
「医師としては褒め言葉ですな。後、此のマスクを忘れず弾正忠殿も小姓も付ける様に。」
診察中も付けていた麻布製の不織布マスクを複数渡す。そこまで精度は良くないが、本人が付けると付けないでは周囲に感染させてしまうか否かが決定的に変わる。飛沫がマスクである程度防げれば十分だ。
「其方、医師としては頑固者よな」
「其処だけは、今世の誰よりも正しいと己を信じて居ります故。」
♢
歴史ゲームで見た織田弾正忠信秀という人の没年は、1551年。今から2年後だ。
今回の病がこれにどう影響するのかは俺も知らない。
だが、1つだけ言える事は、俺がいる限りそんな早死には癌などで無い限りさせないということだ。
信長は早すぎる父親の死で家督相続後のゴタゴタで苦労した。付け入ろうとする今川義元はもういないが、今川義元の代わりとなる誰かが現れないとは限らない。何より家督争いのライバルだった弟の信行は先日元服したばかりだ。噂ではどこかに養子に出そうとしているらしいが、養子として出されるまで油断は禁物だ。そのあたりをきちんと片付けずに死ぬことは俺が許さない。
織田の家督争いをなくす。歴史の流れを変える。もう散々変わっているであろう歴史を、俺がさらに自分から変える。
そして天下統一を早めるのだ。それが俺の目指す道。そしてそのために万難を排して寿命を延ばすのが、俺なりの歴史介入なのだ。
先が見通せない?そもそももう歴史は変わっているのだ。西日本や東北ならともかく、近畿や東海・関東は今更である。先が見通せないのはそもそも人生当たり前だ。木沢長政は、先が見通せないどころか壊れゆく幕府を目の前にしながら、それでも平和を願ったではないか。
だから俺は自分から動く。自分が望む未来には、自分から動かないと辿り着けないのだから。平和な日本で長生きして、信長があくせく働いて日本をまとめている合間に、仲の良くなった人々と信長を囃し立てながら茶でも飲む。そんな未来へ、頑張ってもいいではないか。
♢
弾正忠信秀殿は4日目には完全回復した。3日目には体調がほぼ戻っていたが、無理矢理縛り付ける様に1日追加で休ませた。病気は治りかけが一番危ないのだ。俺がそこで手を抜く訳がない。
木登りの名人は木登りのアドバイスとして「ジャンプすれば降りられる距離が一番危ないので慎重になるべし」と言っていたという嘘か本当かわからない話を聞いた事がある。物事は終わりかけに魔が潜む。野球は9回ツーアウトから。ドーハの悲劇。世の中最後の一瞬ほど怖いものはないのだから。
結局、小谷城を攻めきるには時間が足りなかった。持って来たフランキ砲は6発目でヒビが入り使用は禁止にしたし、巨大な城なので簡単に攻め切れるものではない。丁野山城という小谷城の目の前の支城を押さえて今後の最前線として整備できたので秋の収穫前に撤収となった。
朝倉方も若狭武田の援軍に払う対価の問題があってかこちらの守備兵を除く兵の撤退と同時に越前へ撤収し、毎日のように行われた小競り合いも終わりとなった。
小谷城周辺は織田の手に落ち、浅井は秋の収穫を殆ど得られないだろう状況になったことでひとまず良しとした形だ。常備兵の増えた織田は目と鼻の先で軍を維持し、圧力をかけ続けながら少しずつ浅井を追い込むつもりらしい。
すっかり元気になった弾正忠信秀殿は、左えくぼを浮かべながら、
「浅井の力で、我等と我慢比べが何処まで出来るかな?」
とか言って悪い顔をしていた。秋の休戦期を利用して調略を開始するらしい。
しかし、忘れてはならない。朝倉宗滴は、自らの後継者を失いながらも健在だし、若狭武田は細川氏綱の乱で加賀門徒の輸送を手伝った恩義を利用して本願寺を抑え込んだため兵を全く失っていない。
近江の攻防は、まだ道半ばなのだ。
グッタペルカで改良された聴診器と温度計の活躍。基本風邪については症状を抑える漢方は主人公はあまり使わない方針です。この時代だと特に症状が緩和されると「治った」と勘違いが起きそうなので、主人公はあえて使っていません。
史実では秋口の病(流行り病?インフルエンザ?肺炎?)で信秀が出陣できないほど体調を崩し、その2年後まで活動があまり見られず病死するので、本作ではそのきっかけとなる疲労からくる風邪の発症を入れました。
この世界では風邪⇒治り切らず仕事ズルズル⇒秋に深刻化⇒出陣できなくなる の流れを
風邪⇒義龍全力で治す⇒完治で元気、に変えた形です。
戦後の諸々は次話で。ひとまず秋の繁忙期に突入するまで小競り合いを続けながら織田・斎藤・京極連合と浅井・朝倉・若狭武田連合が戦い続けたと思っていただければ良いかと思います。




