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第151話 姉川の戦い(下)

最初の♢♢までと、最後♢♢の後2つが3人称です。

 近江国 姉川


 朝倉景紀は自分の器を正しく理解している男だった。

 自分では偉大な義父に並ぶことは無い、と。


 彼は確かに朝倉氏同世代の中では文武両面において飛び抜けた才覚を持っていたが、朝倉氏累代の中で最高とも称される宗滴に及ぶものではなかった。


 だから、彼は宗滴に命じられたその命を、躊躇うことなく受け入れた。


「景紀、其方美濃守と相討ちと成れ。」

「畏まりました」


 そして、山崎吉家ら重臣をことごとく囮とし、兵数の有利を生かして彼は馬廻りら近臣のみで織田軍を突破した。織田軍も弾正忠信秀を守ることが最優先なため、本陣を狙う彼らの囮を放置できなかったのが原因といえよう。

 囲みを突破し、斎藤美濃守義龍を討つ。戦は既に敗れた。ならば戦後の損益をいかに自分たちに有益とするかなのだ。朝倉景紀は斎藤義龍という男を討てれば、この敗戦にも、自分の死にも意味があると思った。


(不甲斐ない義息で義父上には申し訳無かった。だが此処で斎藤美濃守を討てれば!義父上の目は正しかったと人々に言われるだろう!)


 そんな決死の行動をさせるほど、斎藤義龍という人物は偉大な存在となっていた。


 ♢♢


「殿、御下がりを!」


 真っ先に俺と朝倉景紀の軍勢の前を塞いだのは奥田七郎五郎利直だった。身長的に俺より高く、俺の体を全面に守れるのは彼含め数えるほどしかいないからだ。

 そのすぐ後に孤児院出身の大男が奥田七郎五郎の前に立ち、俺を完全に隠すように周りに兵が集まる。

 火縄銃の登場から俺も狙撃による暗殺という手法には気をつけてきた。事前にこうして動きを馬廻りが確認しておく程度には。


 敵歩兵が火縄銃を構えた。相手から発射音が2、3響いた。あらぬ方角に飛んだものもあったが、1発が前にいた大柄な小姓の肩を貫く。


「くっ!」

「大丈夫か!」

「何の……此れしき!殿を守ったと思えば誉れに御座る!」


 他の大柄な小姓と位置を交代し、奥にいた騎乗の軍医が包帯を巻く。俺は何があっても顔を出さない。出したら彼らの仕事の邪魔になる。

 銃撃は1度のみだった。数発の矢が俺の近くに降り注ぐが、馬廻りの盾持ちが俺の周囲を守る。自軍の兵が続々と敵に殺到する。もう彼らからは攻撃も来ないだろう。


 少しだけ緩んだ空気に、しかし新七郎が大声を出してそれを許さない。


「気を抜くな!此処が最も狙われる時ぞ!」

「「応!」」


 すぐにまたピリッとした空気が戻る。

 そして、


「右手より敵襲!」


 今度こそ本当に、朝倉景紀の最後の一手が姿を現した。


 ♢


 騎兵のみ300。それが朝倉景紀の死出の旅に付き合う者達だった。


 朝倉宗滴の子飼いとして数多の戦場を経験したであろう老兵から、将来を期待されるであろう筋骨隆々とした精兵まで様々な兵が望遠鏡から視認できた。

 彼らに共通しているのは覚悟の目。死しても俺の首をとるという、決死の表情だ。


「まさか、此処まで大回りして兵を送り込んで来るとはな。」

「浅井と松平の戦って居た地域を更に大回りしなければ此処には来れませぬからな。」


 十兵衛は正面の壊滅しつつある浅井との戦の指揮で動けず、兵の一部は先程の敵への対処で離れている。

 恐らく、俺の今生で最も強く命の危機に晒されている状況だ。つまりそれは、俺の代わりに誰かが死ぬ可能性が高いという意味でもある。

 焦りがある。でも俺が落ち着かないでいると新七郎が俺を止める。


「御安心を。医師も居ります故、怪我人も救えます。」

「其方は俺の悩み所が良く分かって居るな。」

「もう随分と貴方様の側仕えをして居ります故。」


 2500近いうちの軍勢に、朝倉の精兵が速度を緩めることなく突撃してきた。騎馬兵相手なのでこちらは当然前面に槍衾を作り、待ち構えている。なのに、敵は全く速度を緩めずに真正面から突撃してきた。

 数十の騎馬兵が槍に貫かれ、死んでいく。九頭竜川で多くの本願寺門徒を恐怖させた朝倉の精兵たちが、槍衾を自分の体で崩すために死んでいく。


 先頭の騎馬兵が自らの命でこじ開けた槍衾の隙間に、次の騎馬兵が文字通り屍を越えて突撃してくる。雨のように弓兵から矢が彼等に向かって飛んでいく。後方で1人、また1人と矢を受けて落馬する。先頭の兵も密集の中で足が止まり、槍に三方から穿たれて絶命していく。それでも彼等は止まらない。

 通常の戦場ならば1人で3人も5人も討ち取るであろう精鋭の騎馬兵が、ただ俺への道を切り開かんと突撃してくる。本陣を下げるか悩んでいると、最初に火縄銃で狙って来ていた敵集団から2,3人が突破してこちらに向かって来ていた。当然のようにそちら側に残っていた兵が束になってそれを潰すが、下がるには厳しい。


「左手の敵も万一が在ります。後方の姉川を渡るのも隙が大きい。此処で倒しきると信じましょう。」


 小姓筆頭となった佐藤紀伊守忠能がそう判断する。俺も同意する。

 時折矢が敵方から飛んでくる。敵の中には目の前の我が軍の兵を一顧だにせずこちらに向けて弓矢で命を狙おうとする兵もいた。


 執念を感じる。俺という人間に対する、強烈な殺意。背筋が凍るような、指先の感覚がなくなるような不安感も感じる。だが一度は死んだ身だ。長生きはしたいが、ここで逃げる方が死ぬ可能性は上がるだろう。


「打倒せ!景紀の首を獲らば褒美は絶大ぞ!敵兵の首は何れも格別の褒美を与えるぞ!」


 俺の言葉に、やや気迫で押されていた味方が少し活気づく。徐々に押し込まれていた状況を、少し押し戻して優位に戻す。

 すると、先程の声を聞いたのか朝倉景紀が意外な手に出た。


「我は此処に居るぞ!斎藤の田舎侍共、我が首欲しくば来い!」


 やや離れた場所に、景紀らしき将が1人で現れる。そしてその反対側にも、似たような背格好で衣装の将が。


「否否、金吾様の跡継ぎたる我は此処ぞ!」


 双方に兵が気を取られた瞬間、ほんの僅かな隙をついて密集の敵弓兵がこちらに狙いを定めてきた。

 奥田たちは僅かに両側を守っていて、盾も射線にない。不味い!


「させるかあああああああああ!」


 矢が放たれたのが視界に入る中、射線に入って来たのは、


「新七郎!」

「甘い!」


 矢が刺さる。馬を降りてまで走りこんだ新七郎の左腕に、深々と矢が刺さった。

 周囲の兵が大丈夫かと彼に駆け寄るが、


「愚か者!戦中に俺を見るな!敵を見ろ!殿を守れ!!」


 彼は面々を一喝する。彼等もはっとした顔で持ち場に戻る。


「新七郎!無事か!?」

「殿を守れたなら、腕一本など安い物に御座います!」


 近寄る軍医に手当を受けながら、彼は変わらず発破をかけ続ける。



 この後も何度か危険な瞬間はあったが、気を抜かなくなった馬廻りを中心に最後まで俺に攻撃は届かず。

 200の歩兵と300の騎兵が全滅したところで、戦闘は終わった。


 新七郎を襲った矢には毒が塗られていたが、軍医が素早く処置したおかげで彼の腕も腐る事はなかった。

 しかし、跡が大きく残るのだけは避けられなかった。


「名誉の負傷に御座います!」


 とは言われたが、改めて俺を狙う人々の執念と殺意について考えさせられる戦となった。


 ♢♢


 兵を退きながら、朝倉宗滴は自分の後継者が死んだという報告を受けた。


「美濃守は?」

「残念ながら」

「そうか」

「後僅かの所迄は行けた様ですが……。僅か及ばず。」


 周囲の兵たちの間にも、絶望感に似た重い空気が流れる。局地戦では織田軍を大いに苦しめたものの、彼らが最初から最大目標としていた斎藤美濃守義龍の首は獲れなかった。即ち、負けである。


「紙一重、か」


 宗滴が呟く。


「美濃と越前。紙一重で此方は上手く行かず、向こうは上手く行くなと思って居ったが。」


 沈み行く夕日を琵琶湖越しに見ながら、


「戦ってみれば、分厚く成った、紙一重よな。」


 小谷城へ向かう姿には、悔しさよりもやるせなさが満ちていた。


 ♢♢


 ボロボロとなりながら勝利した弾正忠軍は、合流した織田信光の軍勢と再編を続けていた。


「何としても小谷を此の勢いの儘落としたいな、兄上。」

「であるな、信光」


 横山城の接収も終え、今は各将の被害報告を待っている状況である。梅雨も近いながら雨も降らず、涼しいくらいだが過ごしやすい程度の季節でも死体は腐るものだ。処理も時間がかかる。

 外で琵琶湖を見ながら並んで待つ信秀・信光兄弟だったが、ふいに弾正忠信秀をめまいが襲った。よろめいたところを、慌てて信光が手を伸ばす。


「っと」

「大丈夫か兄上。少し休んでは?」

「うむ。少し疲れが出たやもしれぬ。」


 歳はとりたくないな、と弾正忠信秀は笑いながら陣幕へと戻って行った。



 その左頬に、えくぼは浮かんでいなかった。

新七郎大活躍回でした。あまりオリジナルな人物に活躍をさせる気はないですが、彼含め主人公が救った人々が今までにどれだけ主人公に恩義を感じ、そのために覚悟をできているかを感じて頂ければ幸いです。


朝倉宗滴も想定外の兵器とそれを用いた盤面を引っくり返す戦い方には対処しきれず。相手が織田信秀というのもありますが、宗滴が直接主人公を殺しに来ていたらまた結果は違う部分もあったと思います。とはいえそれをやると主人公の首と引き換えに朝倉氏が滅ぶので今の宗滴にはそれが選べませんでした。

松平の被害などなどは次回以降出てきます。


次はいよいよ小谷城攻め!……と素直になるかは次回に。

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[一言] 薬師如来が薬を包む紙は、厚くも薄くも意のままに。
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