第150話 姉川の戦い(中)【地図あり】
近江国 姉川
真新しい木製の城門にいた兵は、その瞬間何が起こったかを理解できなかった。
城門の上で弓を構え、矢をいつでも番えることができる状態で待機していた彼らの真下を、高速で蹴鞠の球ほどの何かが突き抜けていった。そう。城門を突き抜けた。
相応に分厚い木製の門が、ただの一撃で穴を開けられたのである。彼等は、今まで火縄銃という「音の恐怖」については十分知らされていたが、目の前に現れた「破壊力のある恐怖」を一発では理解できなかった。
「二発目、準備よーし!」
「撃てぇぇぇぇ!」
だから、二発目の発射に対しても何ら対策を講じず、目の前の恐怖に棒立ちを続けてしまったのは責められるものではないだろう。
轟音と共に城門の上部構造の一部が吹き飛び、そこにいた兵が城門から叩き落された。四肢が有り得ない方向に曲がったままぴくりとも動かず地面に横たわる姿を見て、初めて彼等は恐慌状態に陥ることができるようになった。
「うわあああああああああああ!」
「に、逃げろおおおおお!」
「斎藤が得体の知れぬ道具で攻めて来る!」
城門の将が真っ先に奇声を上げて城門を飛び降りた。兵たちも慌てて城門から逃げ出す。飛び降りた中には当然着地がうまくいかず怪我をする者もでたが、彼等には目先の恐怖以上に怖いものはないためその痛みを感じずに足を引きずりながら逃げていく。
「突撃いぃぃぃぃ!」
「おおおおおおおおおおおお!」
一気に守備兵のいなくなった城門に、斎藤の先鋒が雪崩れ込むように突進した。
城門が破られるまでにかかった時間は、およそ15分。戦闘らしい戦闘は、最後まで起きなかった。
♢♢
織田軍と朝倉・浅井軍の戦っている地域と横山城は大きく離れていないため、朝倉・浅井の本隊もその轟音を耳にすることとなった。
浅井側はその意味を理解できず目の前の鉄砲隊に精一杯だったが、3年前の合戦で火縄銃の集中砲火を受けていた朝倉軍は即座にそれが危険な何かであることを理解した。
朝倉宗滴は事前に生き残っていた兵から手に入れた情報から、この轟音を火薬による何かと判断。即座に最前線で指揮をとる養子の朝倉景紀に弾正忠信秀の軍を損害無視で叩くよう連絡した。
「嫌な予感がする。己の力の及ばぬ何かに戦を引っ繰り返される、そういう時の予感ぞ。」
間も無く彼が得た物見からの報告で、彼は浅井方にも同様の攻撃をすべきと進言することとなった。城門を壊された横山城がどこまで保つか、戦意を喪失した兵の恐慌が城内の守備兵に伝播すれば一刻の猶予もなく城が落ちる可能性もあったからだ。
「城攻めで数的優位と成ったのを喜んで居った浅井の小僧が我が危機感を理解出来れば良いが……」
渋面をつくりながら朝倉の精兵を消耗することを厭わない戦い方は、正に「勝つためには何でもやる」男の覚悟が滲み出ていた。
♢♢
織田軍は高い士気で数に勝る敵とほぼ互角に戦っていた。
開幕直後に大砲で横山城の城門が破られ、早くも城内での乱戦に突入しているとの報告が彼らを勢いづかせた。
弾正忠信秀は直後に攻勢を強めた朝倉軍への対処を優先することを即決し、浅井軍を抑える役目を募った。
真っ先に名乗り出たのは、松平広忠。
「本隊から渡せる兵は余り多くないぞ。」
「むしろ、援護など必要御座いませぬ。」
松平広忠は、決死の覚悟を見せた。
「其の代わり、此の役目を無事務めあげましたら、我等松平の恩賞に土地を頂きたく。」
弾正忠家の方針もあり、流通量の増えた金銭での恩賞が国人や領主に対しても増えていた。豊かさを増した弾正忠家。しかし、土地は直臣たちへの配分が圧倒的に多かった。その中で、松平広忠は土地を求めた。
「土地ならば、近江に成る。父祖の地を離れる事に成るぞ。」
「構いませぬ。今より豊かで、広い場所に家臣を連れて行きたく。」
「で、あるか」
三河は既に、松平広忠という人には呪われた土地となっていた。父を殺され、今川に狙われ、織田に狙われ、本願寺に荒らされ、家臣たちは今の状況に決して不満がないわけではない。父祖の地といっても足利幕府成立以降の地であり、言う程地域に根付いてもいない。
だから彼は、この戦で賭けに出る事にした。最大限に自分を売り込める、この戦に。
「では、松平の1200に任せる。浅井を止めて参れ。」
「承知」
6500の浅井兵を、松平1200が止める戦が始まった。
広忠は浅井の先鋒に対し本多忠高の200をぶつけた。本多一族は当主の忠高を失いながら浅井兵に損害を出し、一時的な膠着を作りだすことに成功した。
浅井も海北綱親・赤尾清綱という重臣を前線に投入し朝倉と共に突破を図ったが、松平広忠本人が石川清兼らを引き連れて前線に現れ、猛攻を凌ぐ状況となった。
朝倉軍も織田の諸将の踏ん張りで決定打が打てず、まさに横山城攻めの状況と京極と合流する別働隊の到着状況次第で勝敗が決まるという戦況となっていた。
♢♢
砲撃の効果は抜群だった。十兵衛は「まだまだ城門に精確に当てられて居りませぬ」とか言っていたが、十分以上の結果だったと思う。
横山城へ雪崩れ込んだ先鋒の氏家直元殿の軍勢は、ここぞとばかりに猛攻を仕掛けた。龍ヶ鼻の本陣はあっという間に横山城の占領した郭に移り、敵城主は出来たばかりの最奥の頂上付近に逃げ出さなかった兵を集めて籠っている。戦が始まってもうすぐ半刻(1時間)。
山の中腹から戦況を見た十兵衛が氏家隊に攻略を急ぐよう命じたことからも、ここでの勝敗が戦に大きな影響を与えるのは俺にもわかった。
「十兵衛、今如何成っている?」
「新しい城故隙は余り見当たりませぬ。しかし我等には彼れが在ります故。」
そう言った十兵衛の視線の先にはフランキ砲。大人数で運ぶため、俺が本陣を移すより移動が遅い。
「ゴムのタイヤが欲しいな」
「護務?」
「あぁ、今研究中のグッタペルカの事だ。」
「あぁ、何やら面白い物が作れると仰っていましたな、そう言えば。」
研究に当てられる時間も今まで以上に少なくなっているので俺自身でやらなくても良い部分は孤児院から発展した大学で研究をさせているが、そう簡単に成果は出ないはずだ。地道にいこう。
登り坂をやっと終えて目の前の郭に向かって設置を始める。予めシャベルを持った兵に反動用の穴を軽く掘らせてあるのでそこに設置する。
「殿、念の為少し離れて下され。」
「うん、わかった」
今も性能面ではあまり信用しきれないので主な武将はフランキ砲の発射前後には近寄らない。やや遠巻きに準備を眺める。
「準備よーし!」
「撃てぇぇ!」
ほぼ間髪容れずに十兵衛が発射を命じる。爆音と共に弾が飛び出し、郭の囲いのやや下に着弾する。
「地面にめり込みましたな」
「修正して次だな、十兵衛」
「御意」
その間にも正面では城攻めが続く。定期的に発射されるフランキ砲の影響で、敵は発射時に動きを止める。いい感じに精神的にも恐怖を与えているようだ。命の危険を感じて降伏してくれるのは万々歳である。死人が減るのだから。
「二発目、準備よーし!」
「撃てぇ!」
発射音の波動で旗がはためく。今度は郭に命中した。真新しい城壁だが、木製ではフランキ砲を止めることは出来ない。
「良し、穴の開いた地点からも攻め寄せろ!」
「「応!」」
一部の兵が山の斜面を駆けあがり、穴の開いた城壁部分に殺到する。人手不足となっている敵はそこを塞ぐ余裕はない。
「此れは、終わりますな。城攻めが半日と掛からぬとは。流石殿に御座います。」
「フランキ砲の御蔭だ。今後我が家でも造っていくぞ。」
「頼もしいですな」
20分と経たずに、城内から勝ち鬨が上がった。呼応するように全員で勝ち鬨を上げる。戦場に届くように。もう横山城は落ちたぞと敵軍に知らせるために。
♢
2000の兵を残して4000で急ぎ戦場へ部隊を向かわせた。
フランキ砲は運ぶ余裕がないので郭に置いてきた。今必要なのは速度だ。
火縄銃の部隊が後方に下がっていたので合流する。直後に松平隊が一部を残して崩れ、こちらに突撃をかけてくるのが見えた。
「城は落ちても尚攻めて来る、か。見事な将兵だな。」
「彼の旗印は赤尾ですな。今一度火縄銃で撃ち掛けまする。」
「十兵衛に任せる」
まもなく十兵衛の指示で火縄の部隊が一斉に構える。騎兵を中心にこちらへ突撃する浅井軍に、火薬の轟音が一気に届いた。
白煙が戦場を包み込む。双眼鏡を持った兵が簡易式の脚立に乗って上空から確認する。
「敵は如何成って居る?」
「騎馬兵が馬から転げ落ちて動きが鈍って居ります!歩兵は頭を抱えて蹲って居ります!」
「煙が晴れ次第二射目を続ける!」
浅井軍はほぼ火縄銃の大量射撃を未経験だったため、かなり大きなダメージとなったようだ。
そしてその隙に稲葉良通殿の部隊が側面に回りこみ始めている。
気付いた雨森隊らしき兵が側面へ兵を送ろうとするが、そのタイミングで第二射が行われる。
兵は再び足を止め、地面に伏せるため迎撃の準備は何も進まない。
そして突破されたはずの松平隊の一部も後方から浅井軍に襲いかかった。一気に崩壊する浅井の兵たち。
「浅井はもう終わりですな。後は朝倉ですが……」
そう十兵衛が呟いたその時、側面に朝倉の旗が見えた。
「彼れは……朝倉景紀!」
僅か200程で織田兵を振り切って来た、宗滴の後継者の姿だった。
横山城陥落。浅井の兵も松平広忠の決死の防衛と最後の火縄銃斉射で壊滅しました。
残るは朝倉軍のみです。




