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第145話 亀裂

全編三人称です。

 山城国 将軍御所


 1人の若者の怒声が、雅さを僅かに残す将軍の御所に響いた。


「納得出来ませぬ!」


 あまりの大きな声に庭の鳥が慌てたように飛び去る。鳥をぼーっと眺めていた現公方足利義藤はその場からすぐ逃げ出したい心境になるが、誰もそれを許してくれないので面倒くさくなって能面のような表情に戻る。


「何故攻められ籠城して我等を待って居ただけの池田殿を罰するとは如何いう御心算か!」


 怒りの声をあげる若者の名は三好伊賀守改め三好筑前守長慶(ながよし)である。

 父や祖父が名乗った官職を正式に得ることで先の論功を終えていたが、今回の管領細川晴元の言いだしたことには反対せざるを得なかった。


 これに対するは三好政長こと宗三入道。三好一族だが筑前守長慶とは元父の領地をめぐって対立している。池田信正は先の細川氏綱の反乱で氏綱に攻められ、摂津での合戦に三好長慶が勝利するまで籠城を余儀なくされた。その池田信正は主だった論功行賞に呼ばれず、本領安堵のみと考えていた本人に逆に処罰を課すと管領が言い出したのである。


「本願寺の様な門徒を纏める力無き坊主は御咎め無し。其れで居て摂津の国人に此れでは示しが付きませぬ!」

「落ち着かれよ筑前守。管領様にも御考えが有るのだ。」

「管領様の御考えとは如何いう物か!信賞必罰は公方様の公明正大なるを示す為にと譲れませぬぞ!」

「管領様は池田殿が茨木様を助けなかった事を問題視して居る。」


 茨木長隆。管領の右腕であり、氏綱に攻められ自城をあっさり放棄して逃げた人物である。


「茨木様は氏綱と戦う事もせず逃げたでは在りませぬか!」

「池田殿が救援を出して居れば籠城も出来たやもしれぬ、という事だ。」

「其れは無理な話。援軍を出して居れば池田殿は籠城も儘ならなかったでしょう。」


 そこで、それまで一切言葉を発しなかった管領細川晴元が口を開いた。


「怖いのぅ。池田は本心では茨木を討たせて後に彼の城を奪う気だったのであろう。そして行く行くは我が屋敷を襲う気だったのだ。怖いのぅ怖いのぅ。」

「か、管領様!池田殿は其の様な御仁では御座いませぬ!」

「分からぬ。人の心は目に見えぬ。怖いのぅ。怖いのぅ。其方も我が命を狙って居るであろう?父の仇たる我を。出世の邪魔である我を。」

「今は其の様な話はして居りませぬ!」

「否定せぬ。怖いのぅ。怖い。今は筑前守が一番怖い。」


 会話にならない状況に筑前守長慶は拳で床を強く叩くと、宗三入道を一睨みして立ち上がり、部屋を出て行こうとする。


「此の屋敷に攻め込むのか?我が命が憎くて仕方なかろうな。怖い。怖いのぅ。」

「兎に角!池田殿から領地を没収されると言うなら彼の御方は我らが預かります!召し上げるなら我等以外の方がされると宜しいかと!」


 大股でいかにも怒り心頭といった様子で部屋を出たのを見て、管領は再び「怖いのぅ。怖いのぅ」と呟くのだった。



 この日以降、三好筑前守長慶は公方の、いや、管領のいる御所に姿を見せなくなるのだった。


 ♢♢


 摂津国 越水こしみず


 池田信正が処分を受け入れた為、三好筑前守長慶は彼を自らの客将として迎え入れた。

 出仕しない長慶は三好一族を越水に集めて連日会議を行い、管領と距離が近い正室(波多野稙通の娘)を遠ざけるなど不穏な行動を繰り返すのだった。


 夜、話し合いを終えた長慶は一族のまとめ役である三好長逸(ながやす)と自室へ戻りながら話をしていた。


「殿、公方様も管領様もまだ目立った動きは見せて居りませぬな。」

「管領も建前が在る。建前を失えば戦で人はついて来ない。京雀たちには池田殿を保護した事も伝わって居るのだな?」

「御蔭様で殿の評判は京でも実に良好に御座います。」

「義弟殿の施餓鬼を手伝った頃は名も知られて居らなんだが、やっと此処までは来られたか。」


 野心味溢れる顔つきは、管領と話していた時の青さや若さをまったく感じさせない冷静さをともなったものである。


「しかし、凄まじい啖呵の切り様だったと評判ですな。摂津の国人達も噂して居る様で。」

「其の位せねば人が付いて来ぬ。六角が居る以上、何時かは管領と戦うとしてもせめて義の将だと見せねば人が従わぬわ。」

「やはり六角が一番厄介ですか。」

「厄介だ。六角だけならまだ止める事は出来ようが、波多野と筒井と管領を敵に回しながら六角と戦うのは自ら命を捨てると同義だ。」

「遊佐は此方に付きましょう。波多野の娘と縁を切り次第遊佐の娘を迎えます。」

「準備を頼む。彼の盆暗では味方にするだけ無駄だ。管領の側に居てくれた方が御しやすい。」


 結果的に自分に非が少ない形で手を進められる状況に、長慶は警戒しつつも喜んでいた。


「管領は自分を憎いか、と聞いてきた。答えは否よ。憎む必要が無い。只父祖の恨みは管領を討つ理由として使いやすい故な。」


 三好筑前守長慶。彼こそが出世と野心を体現した畿内の怪物である。


「必ず幕府の頂点に上り詰めて見せる。細川晴元、御前は邪魔だ。」

「左様。幕府は殿の様な才気無くして立て直せる状況に非ず。」

「義弟殿は嫌がるだろうがな、最早戦を起こさずに畿内の平穏は訪れぬ。管領に相応しくない男を引き摺り下ろし、我が三好一門で幕府を作り直すしか無いのだ。」


 ♢♢


 11月。

 秋の収穫も終わり冬の足音が関東を覆った頃。


 管領と三好筑前守長慶の意地の張り合いは、緊張状態を保ちつつ決定的対立には至らずに続いていた。


 これは池田一族が城を退去した後、代官のみが派遣され新しい城主が決まっていなかったためである。池田一族は信正の子で三好宗三の孫でもある池田長正を城主としつつ、後見を筑前守長慶に願うことで両派のバランスをとり事態を収束させようとしていた。

 しかしこれに宗三入道が反発。後見を自身の息子である政勝にさせるよう管領に働きかけていた。

 水面下で激しく互いの主導権争いが行われる中、長慶は宗三入道への弾劾状を摂津各地に送ることで国人の結束を訴えた。

 一方の宗三入道は畿内の大名格を国人に対する統制を強めていく方向で支持をまとめた。


 公方と管領が沈黙を守る中、遂に宗三入道は半ば強行的に代官を排除するに至った。

 これに対して筑前守長慶は兵を出して池田城を包囲。内応者によって強制的に宗三入道の将を排除した。


 管領に対し元の代官を城に戻した上で公正な判断を求めた長慶と、管領に好意的な人物を城代に置くことを囁く宗三入道。


 結局、年内に公方も管領も結論を出せぬまま長慶の実効支配は続くことになった。


 長慶と宗三入道の亀裂は、最早修復できぬほど深く広いものとなっていた。

史実では遊佐長教に味方した池田信正は自害させられています。本作では遊佐に味方しなかったので所領没収ということになりますが、当時の細川晴元・三好宗三入道は池田城周辺に自分の息のかかった人間を置きたかったようで、それがこの自害という結果の理由なようです。

そのため本作でも敵になっていない池田氏を無理矢理追い出しています。目的のためには手段は問わないなんてよくある話です。


長慶は史実より穏当な活動にまだ終始しています。これは細川氏綱が既にいないため、担ぎ上げる神輿が近くにないことが原因です。

このあたりにも史実の変化が現れつつあります。


3回も名前が変わるのはややこしいので三好長慶は間の範長を飛ばしています。史実では利長→範長→長慶です。

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