第143話 越前侵攻と金吾様(下)
遅くなりました。申し訳ありません。
後半♢♢から三人称です。
越前国 美山・樺八幡神社
朝倉宗滴は想像以上の傑物だった。本願寺は12000近い門徒を動員し、寝返った堀江氏も1500で越前国内を蹂躙しようとしていた。しかし、宗滴は3000を率いて本願寺の門徒と堀江の兵の間隙を縫うように攻撃に出た。両者は連携など当然出来ていないため、堀江が敵に放ったはずの弓矢が飛びすぎて門徒を混乱させたり、宗滴の旗印にトラウマが刺激された本願寺門徒を堀江の兵の前まで誘導して同士討ちをさせたりしたらしい。
更に後方にも名だたる朝倉の勇将山崎吉家を送り込んで朝倉景鏡を敗走させ、一気に形勢をひっくり返したそうだ。
で、その情報を耳役の宗滴監視役だった面々が伝えてくる前の段階で我が軍は動き出した。
宗滴がこちらに来た場合一乗谷攻めは悪手だったが、本願寺に向かったのが確定した段階で十兵衛や平井宮内卿は一乗谷攻めを提案してきた。
曰く、「今は一乗谷を攻める格好だけ見せておくべき」だ。
朝倉の国人は宗滴復帰で朝倉への支持を再び示すだろう。一乗谷の民衆もこのままならこちらの支配を受け入れるはずがない。だから攻めとるのはイマイチだ。
しかし何もしなければ臆したかと言われる。越前を奪うことはかなり厳しくなるだろう。
だが1度でも攻める姿勢を見せておけば多少は変わる。鉄砲でも打ち掛けて「我らは未だ一乗谷を狙えるぞ」というポーズをとることで、朝倉を楽にさせないことが肝要だろう。
そんなわけで一乗谷と戌山の中間地点となる樺八幡神社まで進軍してきた。一乗谷の現状を探らせていた部隊と合流したわけだが。
「一乗谷を守る部隊が少なくなっている?」
「左様に御座います。服部の手の者も確認したとの事で。」
十兵衛光秀が受けた報告では、数日前まで2000近くいたはずの守備部隊がほぼ3分の1にあたる700ほどしかいなくなっているそうだ。
「何が起きている?」
「何とも測りかねますな。しかし一つだけ確かな事が御座います。」
「其れは?」
「既に長夜叉も所在不明の孝景も彼の地には居ないという事です。」
「或いは、当主の孝景は既に死んだか、だな。重病の人間を運ぶなら必ず動きが分かる筈だ。恐らくは亡くなって居るだろう。」
指揮がとれない程の人物が自分で動けるとは思えない。そして輿での移動は数が多ければ多いほどこちらが捕捉しやすい。長夜叉と奥方らが移動している上に重病の朝倉孝景がいたら流石にうちの忍者たちが気付くだろう。それがないという事は、そういうことだと思っていいはずだ。
「本気で攻めるか?」
被害も少なく一乗谷が獲れる。そういう可能性が生まれたのは事実だ。十兵衛に聞いてみる。平井宮内卿は相変わらず黙ったまま十兵衛を見ている。
現状のこちらの兵数は7000。十分城は落とせる。むしろ、この兵数で攻めて落とせなかったら逆に舐められかねないレベルだ。
「……攻めまする!」
「よし、では行くぞ!」
十兵衛がそう決めたならそうする。俺よりこういう局面の判断は上だし、何よりここまで悩み抜き、汗をかきながらそれでもと決めた事だ。
「全軍、一乗谷へ向かう!」
命じた後、平井宮内卿がやけに楽しそうだったので声をかけると、
「恐らく殿が同じ事を此の老体に聞いたら退く様御提案したでしょう。彼奴は教えを身につけた上で己の判断を出来て居りました。其れが嬉しゅう御座います。」
「守破離、か」
「守破離?」
「教えを守り、其の後教えを自ら考え改良し、そして新しき道を作るという奴だ。」
「初めて耳にしましたな。若は真に物知りに御座います。しかしそうですな、十兵衛は我が教えを破ったのですな。」
孫の成長を喜ぶような宮内卿は「そろそろ隠居ですかの」と呟いていた。
♢
越前国 一乗谷城
一乗谷を守備していたのは朝倉の若き俊才と名高い河合吉統だった。彼は城下は完全に放棄し、文字通り一乗谷の山間にある城だけを守っていた。
包囲だけでは落ちる前に宗滴が戻ってくる。慌てて力押しが最悪なので初手から損害覚悟で大盤振舞いとした。夜には火縄銃で轟音を鳴らし、あの戦の生き残りや噂を聞いた兵を眠らせない。
3日ほどで河合吉統は開城と兵の助命を条件に降伏。彼は捕虜となった。彼を補佐していた一乗谷の土豪真柄氏も降伏し、幼い跡取り息子を人質に差し出してきた。
城下に降り立つと絢爛豪華な庭園と寺社が並ぶ様子が目に入る。それと同時に、人々があまり報告と変わらず普段通りに見える生活を続けているのが見えた。
「何故彼等は平常通りなのか」
そう呟くと、傍にいた新七郎が当然といった様子で答える。
「恐らく、殿が一乗谷で乱暴狼藉をするとは思って居ないのでしょう。典薬頭としての行いに就いては誇張無く伝わって居るでしょうし。」
「いや、確かにしないが……主君が変わったのだがな。」
「あぁ、そういえば殿は新しい町を手に入れるのが初めてで御座いましたね。」
「斎藤の家が持つ領地の増えた場所は土岐や其れに与した者の領地故混乱が余り無かったのも分かるのだが。」
新しい領主となったら不信の目で見てくるか表面上は歓迎の雰囲気でも演出してくれるのかと思っていた。戌山では余裕もないので城下を見ていなかったので少しどういう反応になるかドキドキしていたのだ。
「彼等は自分達の生活を脅かさず、そして税を重く取らぬ領主なら誰であっても変わらぬと思って居る物です。」
「朝倉の力で小京都と迄呼ばれる此の一乗谷に居てもか?」
「殿、そもそも彼等は朝倉一族など自らの目で見た事が無いのです。ですから顔も知らぬ領主様が顔も知らぬ領主様に変わっただけとしか思って居りませぬよ。」
言われて気づく。そうか、戦国時代の人々は領主の顔も知らないのだ、と。
前世では自分の住んでいる地域の市長や県知事は選挙の時期に嫌と言うほど名前と写真を見た。選挙カーでしきりに自分の名前を連呼している姿や、市の広報紙で気付けばその姿は目にしていた。
この世界にそれはないのだ。だから彼らにとって、朝倉氏とは税金を取る領主でしかなく、俺も次の税金をとる領主でしかないのだ。
「其処から、変えねばなるまいか。」
「殿?」
「いや、何でも無い。只、気づいただけだ。」
俺は大事な事に気付けた。信長が天下を獲る為にも、俺がぼんやりと考えている信長の天下に向けて提案したい形も、信長を人々が知らなければダメなのだ。朝倉も噂程度では彼ら民衆に領主の為人を伝えているだろう。しかしそれだけでは足りない。それだけでは「日本」としてのまとまりも生まれないだろう。
また1つやることを確認できた意味でも、この一乗谷を手に入れた事は意味があったと俺は感じていた。
結局、防衛線を固め一乗谷を守れる体勢をつくった後も宗滴は来なかった。
彼らの狙いに俺達が気付くのは、それから1月ほど経ってからとなった。
♢♢
越前国 府中城
朝倉宗滴は成長した長夜叉と会っていた。
「わしの居ぬ間に大きゅう成ったな。顔立ちも父に似て来たではないか。」
「あ、有難き幸せに御座います。」
父に似ていると言われるとはにかむように笑う朝倉長夜叉。次の当主は彼以外有り得ない。
「では、元服後の名を伝えるとしよう。名は孫次郎。孫次郎延景と名乗るのだ。」
「孫次郎……父上と同じ名。」
「そうじゃ。其方こそ先代を継ぐ者なのだ。」
「御任せ下さい。逆境なれど、金吾様が居れば必ず越前の全てを取り戻せまする!」
意気込んでいるが、宗滴は内心強く焦っていた。現状は決して芳しくないのだ。
彼は狙い通り溝江氏の領内を奪還。それに留まらず勢いに乗って三国湊まで奪う事に成功した。
鍵となったのは朝倉景鏡だ。景鏡の「生存欲」とも言うべき力を宗滴は正確に把握していた。
「彼れは違和感を感じると命を守る行動に出る様に成っただけぞ」とは宗滴が養子の朝倉景紀に伝えた言葉だ。
十兵衛光秀の弓矢に、そして、火縄銃に狙われ命を失いかけた経験が、彼の生存への観察眼を鍛えた。
違和感を覚えればすぐに自分の命を守る行動に出る。言ってしまえば彼の能力はそれだけである。
しかし、これは前後の状況も全て無視してしまう。自軍が勝っていようと、自らが合戦で踏ん張らねばならない立場であろうと、彼は命の危険を感じたら戦場を離脱してしまうのだ。百戦錬磨の中でそういう部下を見た経験が、宗滴に景鏡の状態を見抜かせた。
「既に戦さ場の彼奴は、何者よりも弱いぞ」
実際、三国湊を落とす戦でも景鏡に少数の伏兵を放ったことで景鏡の担当した右翼側が崩壊し、寡兵ながら宗滴は勝利した。
宗滴が仕組んだ浅井・若狭武田の援軍という噂も、伏兵を過大に見せる策となった。
堀江一族と景鏡は越前国境を渡り、加賀に逃げ込んでいる。
だが、問題はそこではなかった。彼は斎藤の軍勢を読み間違えていた。
宗滴は畿内での戦にも何度も参加しており、だからこそ斎藤氏の軍略を担う平井宮内卿という人物を知っていた。
宗滴は敢えて一乗谷の兵を削り、敢えて何も仕込みが無い様に見せかける策を打った。仕込みが無い様に見せる為の策を残すことで、宮内卿の人柄ならば慎重な方針で一乗谷を奪わないと考えていた。
「宮内卿以外の人間が差配しているのか?」
「典薬頭殿の側には明智十兵衛なる者が居るそうですが、日々平井宮内卿の下で軍学を学んで居るとか。」
後にその情報を知った宗滴は、「隠居していたせいで耄碌したわ」と後悔していたという。
しかし、一乗谷を万一奪われても彼は困らないよう同時に手も打っていた。
船運に関わる土豪を一乗谷から下流へ拠点を移させ、物資の流通が滞るように仕向けていたのである。
「奪われても一乗谷に住む万を超す人々。更に守るための兵。これらを食わせるための河川の扱いを知る者無くして一乗谷の維持は困難よ。」
「戌山の者達も同様ですからね。斎藤は一乗谷の維持だけで多くの労力を使わねばならず、必然攻め込むのも困難と成りましょう。」
宗滴の策は確かに最低限の効果を発揮した。長期的には斎藤氏も疲弊するだろう。
しかし、この長期的視野の策は宗滴の寿命という問題を抱えている。
(わしが死ぬ前に典薬頭が一乗谷の流通で疲弊すれば朝倉の勝ち。わしが死ねば朝倉の負けぞ)
彼はそんな不安を抱えながら、しかし決して表面には出さず目の前の若者にこう告げた。
「御任せ下さい。此の金吾、微力ながら必ずや越前を朝倉の手に取り戻してみせまする。」
「うむ、期待して居るからな、金吾様!」
「其れと若様、わしは既に家臣に御座いますぞ。金吾様は御止め下され。」
「嫌じゃ!一番頼りにして居る大叔父様を呼び捨てになぞ出来ぬ!」
その屈託ない笑顔に、金吾様は内心を決して悟らせずに死の瞬間まで全力で斎藤氏と戦い続けねばならないと決意と覚悟を決めるのだった。
結果的に、本願寺についた堀江氏と景鏡は加賀に追い出されました。
宗滴によって元服した長夜叉は延景(義景初名)となり、体制だけは史実通りです。
しかし河合吉統は捕縛され、一乗谷と戌山は失い、朝倉景連も戦死しています。
とはいえ主人公側も順調とは言えません。食糧だけでなく物流面を担っていた一乗谷版川並衆とでもいうべき土豪が逃げており、物流に甚大な問題を残しての勝利です。
守破離については調べた限り世阿弥説は間違いのようですので、本作では主人公から始まる言葉として認知されることになるでしょう。




