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第137話 関東の覇者と伊達の迷走

全編三人称です。

 上野国 平井城


 平井城内は蜂の巣をつついたような状態だった。


 6月、梅雨の時期を過ぎたその頃。ついに北条の軍勢は上野の守護代格の1人である長尾景孝ながおかげたかの守る蒼海おうみ城に迫った。北条綱成を大将にその数22000。関東管領上杉憲政(のりまさ)は平井城に近い藤岡に布陣する北条氏尭の兵10000を気にして兵を出す事が出来ず。結局長野業正の少数による奇襲を用いた妨害も横綱相撲のような安定感で物ともせず、北条綱成は蒼海城を落とした。既に後方の金山城は由良ゆら成繁なりしげと名を変えた岩松氏家老の横瀬成繁に簒奪され、北条氏に臣従している。つまり利根川沿いに上野中部へ向かう道を北条氏が確保したことになったのである。


「此のままでは平井は孤立する!」

「長野は如何した?彼の者が箕輪衆を連れて来なければ勝ち目は無いぞ!」

「海野氏に援軍は頼めぬか!?」

「武田が大井氏を攻めて居る故、上野には兵が出せぬと。」

岩櫃いわびつの斎藤は何と言っている?」

「彼奴は既に北条と武田に通じて居る!羽尾や鎌原に兵を出して海野一族の結集を邪魔して居るではないか!?」


 歴史的大敗となった須賀谷原での合戦以降、山内上杉氏は押し込まれ続けている。その為氏綱の死で疎遠となった古河公方も、表立って北条氏に反発はしていない。既に上野の東部と下野南西が北条氏に従い、常陸では土岐原氏の斡旋で小田政治が北条方についた。

 更には芳賀兄弟を追い出した宇都宮尚綱(ひさつな)も那須高資(たかすけ)や結城政勝や小山高朝(たかとも)、佐野豊綱の連合軍に破れて宇都宮城を失い、佐竹義昭(よしあき)の下に逃げ込んでいる。


 今や関東で北条氏と敵対するのは佐竹・江戸・大掾だいじょうら常陸の衆と宇都宮残党、山内上杉・里見といった限定された勢力のみとなっていた。



 評定の間にようやく重臣が集まり話し合いを始めようという段階になっても、集まった面々は不安や焦燥感を隠そうとしなかった。なにより彼らが不安なのは、北条氏相手にここまで一戦必敗ともいえる戦いぶりの当主山内上杉憲政であった。


「皆、静まれ、静まらぬか!」


 憲政は大きな声を出すが響かない声のため奥の家臣まで届かない。そのため騒々しさがなかなか抜けない。

 そこに脇に控えていた長野業正が年齢を感じさせない身のこなしで下座の話し続ける将に向き直り、


「静まれ」


 決して大きい声でもなくやや間延びしたような声が、しかし不思議と耳まで届くバリトンに似た響きの声が広間に響く。

 しんと静まりかえった広間で、業正は「出過ぎた真似をしました」と憲政に一礼して元の姿勢に戻った。


「ん、ん。では先ず諸々の報告を聞こう。」


 痰が絡むときの様な、少し喉が痛むアピールをしつつ憲政が応えた。


「佐竹は小田・結城の侵攻を受けて居り、現在真壁への援軍で手一杯との事。」

「古河の公方様は氏康を快くは思って居らぬのであろう?何とかならぬのか?」

「北条が強すぎて厳しいでしょう。家臣ならば秘密裏に会う事は出来ますが、せめて我等が一度でも戦で勝たねば支援は出来ぬ、と。」


 それぞれが口には出さないものの、小さなため息や肩を落とす姿が見える。

 援軍は期待できない、味方は城を失ったばかり、良い判断材料がないのだ。


 上杉憲政自身も必死に頭を回転させて打開策を考えている様子は見ればわかるものの、だからといって簡単に思いつくような策は既に検討されている。主君が諦める様子ではない上無能というわけでもないので人々は彼について来ているが、結局のところ戦で一度でも勝たねば状況が変わらないという事実は変わらないのである。


「殿、此処は何とか海野氏に頼み込んで援軍を頼むしか在りませぬ。」

「援軍を呼べねば如何しようも無い、か。」

「殿?」

「呼ぶしかあるまい、援軍を。」

「何方からですかな?まさか越後に?」

「同族とはいえかなりの遠征を頼む事に成る。故に余自ら越後に出向く事にする。」


 長野業正の言葉に、憲政は越後から援軍を呼ぶと言い放った。


「殿が居なくなれば上野は北条の手に落ちまするぞ。」

「大丈夫だ。其方と我が子龍若丸が居れば。余は死んだ物と思い、大事も全て其方が差配せよ。其れで何とか間に合う筈だ。」


 他の家臣たちからは「殿は越後に落ち延びられるのか」「沼田も出仕出来ぬ程内部で揉めているのに越後まで行けるのか」などの声があがる。

 しかし上杉憲政は眉間に皺を寄せながらも覚悟を決めた顔をしている。


「何としても越後を動かす。此れしか最早打つ手は無し!」


 戦の時のように、周囲の声が耳に入らなくなっている主君を見て、長野業正は気付かれぬ様細く長い溜息をついていた。


 ♢♢


 陸奥国 米沢城


 伊達氏当主・伊達晴宗は悩んでいた。側近の中野宗時が部屋の前に来たことも、最初は気づかないほどだった。


「殿、殿、中野殿が」

「む。そうか。通せ」


 入ってきて早々、中野は晴宗の目の前に広げられた書状に目を向ける。


「見ても宜しいので?」

「構わん。むしろ其方の意見が聞きたい。」

「では失礼して」


 そこには、足利将軍が代替わりした事と共に、これを機に父の伊達稙宗(たねむね)と和睦しないかというものだった。


「成程。我等が優位に成った途端此れですか。流石大殿ですな。」

「厄介極まり無い。わしが公方様は無視出来ぬ事を分かっての事よ。」


 伊達晴宗の晴の字は前公方足利義晴の晴の字を偏諱へんきでもらったものだ。彼自身もこの名声を利用して自分の立場を固めている。それだけにこの書状の中身を無視することは難しい。



 天文の乱。うつろの乱。

 そう呼ばれる長い抗争が東北の地で繰り広げられている。

 理由も勢力図も複雑すぎて説明するとそれだけで1つの物語になるこの乱は、伊達の内乱に収まらず大崎・最上・葛西・相馬・蘆名・田村・山内・畠山・二階堂・白河結城といった東北の諸勢力を大きく巻き込んだ。

 発端は親子の確執だが、伊達の内部の勢力争いでもあり、周辺勢力の伊達依存からの脱却とか独立とか勢力拡大の思惑も絡んでいる。

 まさに奥州情勢は複雑怪奇。



 そんな中で、伊達晴宗は実父の伊達稙宗(たねむね)と争っている。

 最近までは劣勢だった彼だが、蘆名盛氏が田村氏との関係から自身の側に寝返ったこともあって形勢逆転に成功していた。


「しかし、先程会った使者は其処までやる気を感じませなんだ。」

「其処よ。実は公方様就任と同時に公方様の名で近江で京極と浅井?なる者が和睦したらしくてな。」

「成程。公方様の威光を畿内で先ず示したかったのを、畿内で其れが成った為此の様な田舎に拘って居らぬ、と。」


 使者もそれなりの格だが重臣という程ではなかった。手紙を渡されたこともあって饗応の隙間で中野は主君を案じて様子を見に来ていたが、確かに悩むに足る内容だったといえる。


「然れば前向きに検討すべきという評議の議題に上る様諸将に交渉するとしましょうか。」

「そうせい」


 伊達晴宗は本来この乱を曖昧に終わらせる気はない。父の稙宗が進めた政策は伊達が築いてきた強さを奪うものだった。

 相馬に伊達の領土を渡すことも、越後に介入することもそれに屈強な家臣を付けることも晴宗には許せるものではなかった。


「伊達を無茶な形で拡大するのは許されぬ。身の丈に合った拡大と其の為にわしの命が隅々まで届く形が必要なのだ。」

「正に殿が仰る通り。大殿は性急過ぎました。屋台骨を揺るがす遣り方は何時か破綻します。」


 この乱の厄介なところは、関わった伊達の人間は誰もが伊達を思って行動したことである。

 だからこそ妥協はよほど熱心なより上位の権威による介入でもない限り難しい。


 そして何より、この乱を利用して自らの勢力を拡大せんと蠢く東北の諸勢力はまだまだ自らのためにもこの乱を収める気がないのである。


関東の勢力図は次に関東情勢が出るときまとめて地図にします。北条は現状伊豆と駿河に加え武蔵・相模・下総・上総・下野をほぼ押さえ、常陸と安房を牽制しつつ上野に全力を出しています。


伊達の天文の乱は史実では1548年に将軍足利義藤の最初の大きな事績として、そして京へ戻った証として出てくるものです。

しかし本作では近江の和睦もあって京で公方の威光が発揮され、そこまで本気で介入する必要がなくなってしまった関係でそこまで本気で介入していません。

そこを晴宗に見抜かれています。

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