第136話 北近江への介入
最後の♢♢以降だけ三人称です。
美濃国 不破関
秋を告げた色とりどりの葉が地面に柔らかく積み上がり、朝が冷え込み始めたその日。
京極から救援の要請が入った。曰く、浅井の横暴を止めるべく御助力願いたし、と。
浅井とうちの関係は難しい。六角の援軍で亡き二郎サマが北近江を荒らした時や、本願寺との関係から裏で互いが互いを妨害したことがある。
国友の鍛冶衆が連れ去られたのも彼らは根に持っているだろうし、何より偽薬の販売に間違いなく関与している。
とはいえ浅井も京極も名目上は幕府に属する有力者であり、そこはうちと変わらない。格でいえばうちと京極が国主格で上位、浅井は守護代格で下位という程度。
先の戦では濃尾の乱で攻め込んだ京極が氏綱討伐のため和睦を提案するも浅井が拒否し北近江は争い続けた。結果若狭武田や間接支援をする朝倉を止めることは出来なかったのだが、これはあまり大きく問題視されていない。
結局、六角も管領も公方様も彼らをそこまで重視していないからだ。互いが争っている限り朝倉の畿内介入を防げるから六角は飛び火してこない限り程よく争わせて和睦を仲介していれば良いと思っている。
しかし、戦っている当事者たちはそうもいかないわけだ。京極は戦では浅井に勝てないが領内の安定で勝り、浅井久政は戦で勝つものの領内の荒廃で国が貧しいため継戦能力に乏しい。
「で、不破殿の領内が安定したか見に来た訳だが。」
「近年は不破関を越えようと破落戸が来る事も在りますが、抑殿が京の民を受け入れると同時に近隣の民も受け入れて居りますれば。奴等も仕事の欲しい者は普通に稲葉山を頼りまする。」
「厄介なのは雇われて荒らしに来る者か。」
不破光治殿は先日の美濃の乱で叔父の当主が二郎サマにつき、それを安藤や氏家の支援で倒し当主となった。
しかし、その影響で西美濃四人衆と呼ばれた勢力図から不破氏は脱落し、西美濃三人衆と呼ばれるようになった。
「まぁ、此処が攻められると面倒なのは事実だ。然れば関は強化せねばな。」
「総漆喰は乾くのに時間が掛かるので、内側を殿の仰るせめんと?で造りまする。」
「関の狭間は火縄が撃てる形にせよ。此処には今後火縄の部隊を常駐させる事も在り得る。」
不破氏は西美濃国人の中でも土岐氏に忠実だったことで有名な一族だ。忠臣一族だけあって前回の乱では分かれたが、光治殿は幼子である現土岐当主と俺への忠節を誓っている。江の方様を迎えたので俺を国主として認めてくれているらしい。セメントはここ数年で実用できる程度にノウハウを積んできた。以前否定されてから少しずつ実験を重ねてきた甲斐があったというものだ。漆喰と二層にしても十年弱は強度が保てる。それだけの間大丈夫なら十分だろう。
諸々の指示を出し終え、近江を出入りしている馴染みの商人たちを集めてある屋敷へ向かおうとしたところ、思わぬ先触れが不破関に届いた。
公方様の使者、石谷光政殿の来訪である。
♢
石谷氏は将軍家に代々仕える土岐一族だ。御走衆の家柄で、本人は前公方様時代に将軍側近に加わった人物だ。
現在は主に義藤様に仕える立場だが、今回は諸事情で前公方様の使いで来たそうだ。
「京極の事、何とかして頂きたく。」
「何とかとは如何いう意味でしょう?」
腹の探り合いは嫌いだが、迂闊に安請け合いできる案件ではない。公方様の勢力争いに巻き込まれても良い事はないと若狭武田がこの前身をもって教えてくれたのだ。
「彼れでも幕府代々の守護一族。此のまま浅井程度の家に滅ぼされるのは不憫に御座います。」
「浅井程度と仰いますが、斎藤の家も元は守護代一族でしか御座いませぬ。其れも我らは直接血の繋がりは無く。」
「貴殿は御母堂が土岐の血を引く故我らが同族に御座います。」
母の深芳野は稲葉氏出身だが、その母(つまり俺の祖母)が一色氏の出。祖母の兄弟が頼芸様の祖父にあたる人物なので、俺は土岐氏の遠縁と言えなくもない存在なのだ。
「其れに貴殿は帝の覚えも目出度き御仁。浅井を継いだ六角の子とは格が違いますな。」
どうにも家柄や官位を意識する人の様だ。嫌味ではないが外側を気にしすぎに見える。
「其れ故、前公方様は何とか其の命脈保てぬ物かと頭を痛めて居られます。」
「はぁ。と言う事ならば浅井殿に和睦する様文を御出しに成られれば如何でしょうか?」
「此れ迄幾度も幾度も和睦を結んでは破り合って居るのでな。公方様は無意味だと文を書こうとして呉れませぬ。」
剣豪将軍に見捨てられてるのに父親と家臣は助けたいのか。不思議な話だ。
「其処で、公方様の側で仕えている高慶殿を次の当主として北近江に兵を進めて頂きたく。」
何を言っているのだろう、この人は。
「如何足掻いても今の京極当主では浅井に勝てませぬ。ならば一度滅ぼされた後、美濃守様の力で再興して頂くが良いかと。」
つまり、今の京極は見捨てて公方にとって都合の良い京極当主をその後に俺の力で立てようということか。
人を平気で犠牲にするタイプだ。確かに合理的だし、彼らは彼らなりに命がけで自分の立場を固めようとしての行動なのだろう。でもそれは近江で今も苦しむ人を見ていない。京極氏は最近やっとうちの支援を受け取るようになったが、浅井はいくら民が苦しんでも俺からの支援は受け取ろうとしない。
そんな浅井と前公方の考え方はまるで変わらない。京極だって正直言えばあまり大きくは変わらない。
「では、我が斎藤の力、是非御覧頂きましょう。」
「おお、受けて下さるか!」
「いいえ、破れば手痛い和睦を結ばせて見せましょう。」
朝倉の軍備再編が終わっていない今が最大のチャンスでもあるのだ。やってみせるしかない。
♢
俺は西美濃衆の一部と稲葉山の兵を動員し、8000を集めて不破関を越えた。当然だが京極・浅井から使者が飛んで来た。道案内に周辺を良く知る元破落戸の兵を入れて万全の状態のまま両者の境界争いの中心地へ赴く。
「美濃守殿、此れは如何いう事で?我等の味方をして下さるなら先触れは頂きたかったですぞ。」
「典薬頭様、此処は貴殿の来る場所では御座いませぬ。」
かなり正反対の対応をされたが、使者には同じことを告げた。
「公方様から言伝だ。今すぐ戦を止められよ。止めねば幕敵として各地の諸将が双方を討つでしょう。」
両軍は反発してきたが、京極も浅井も単独では5000動員出来るかどうかという勢力だ。両者が協力すれば俺と戦えるだろうが、そもそもそれが出来るなら始めからここまで争い続けてはいないだろう。
先に折れたのは意外にも浅井だった。京極に六角が肩入れしたら終わりだと理解していたのだろう。
「佐和山攻めはせず退きましょう。然れど奪った城は頂きます。」
「現状維持で3年。其れと偽薬の取締りへの協力を。呑めねば我等が敵と成りましょう。」
「……京極様が約定を違えぬなら。」
その状況を知った京極もその条件を呑んだ。
「浅井は信が置けませぬぞ!」
「若し破れば何方にせよ我等が協力して潰しまする。」
「……我等が美濃守殿との約定を違える事は有り得ませぬ。」
結局、一週間の対陣で両軍は退いた。石谷殿は終始唖然としていた。
「良かったですね。公方様の御威光で戦が治まりましたよ。」
「……確かに、公方様の実績には成りますな。」
満足はしていなさそうだったが、彼の至上目的はどう考えても将軍家の復活だ。畿内で戦乱が続く限りそれは敵わないし、浅井と京極の争いなんて公方勢力にとっては主題でも何でもない。幕臣を利用できそうだから利用した。その程度だろう。
「今後も公方様への忠節、御忘れ無き様御願い致しまする。」
「無論。天下安寧の為全力を尽くす所存。」
信長だって最初は幕府を再興させたのだ。俺がそれを壊す気はない。でも幕府が平和を願わないならば。俺は幕府のない時代を知っているから愛着もない。幕府が滅びる事も知っている。その時が来たら迷わない。
♢♢
近江国 小谷城
「面倒な」
夜。
書物に囲まれた部屋で、左兵衛尉久政は昏い瞳に光を入れず一点を睨んでいた。
「浅井の拡大を邪魔するか、典薬頭。」
幻視する顔は、幼い頃の善意の顔。だが、彼にはそれが自分を害する何かに見える。
「如何すれば良いのですか、父上。」
縋る様に天井に視線を移す。彼の目には父である亮政が見えている。
「六角も、京極も、斎藤も。皆が浅井を滅ぼそうとします。」
彼の耳には亮政の声が聞こえている。
「左様に御座いますね。先ずは味方を作りましょう。妹を若狭に?ええ、そうですね。正室である必要は無い。」
彼の心には今も亮政が生きている。
「ええ。必ず。浅井の為に。」
漆喰は乾燥して硬くなり、セメントは水で固まります。そのあたりの特性調査を終えた段階です。
主人公は両用してもこの地域で戦乱が続く間は耐用可能と見て大規模実験を兼ねて着手しています。
石谷光政は基本的に官位で人を見ますが、主人公程視野が広くないだけで当代的には立派に忠臣です。ここは主人公との価値観の違いです。時代的には主人公の方が異端です。
北近江は疲弊していた分強力に中央集権し戦国大名化した斎藤氏には敵いません。一睨みで一旦休戦です。
しかし火種は残ったままで、そもそも浅井との敵対的な状態は変わっていません。
偽漢方関係は詰問してもとぼけられると主人公は分かっているので、面倒なことはせず約束だけさせました。後でいくらでも文句がつけられる状況です。これについてはかなり怒っている証拠になります。




