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第133話 斎藤美濃守の上洛 その6 斎藤義龍

遅くなりました。これも全部アルゼンチンとアイスランドが良い試合をしたのが(言い訳見苦しい)。


最後の♢♢以降だけ三人称です。

 山城国 京


 波多野兵が河内に入り、六角・織田の軍勢と共に俺は京に入った。

 京の町は予想に反して穏やかだったが、所々に燃えた屋敷の跡があり、筒井順昭による細川国慶一派の追求が激しかったであろうことが窺えた。

 道端に佇む家を失ったであろう人々が、うちの旗を見ると近寄ってくる。予見できたので食料を準備しておいたおかげで彼らはそれを受け取ると頭を下げながら離れていく。信長の兵にも手伝わせて、織田のイメージアップ兼知名度上げ上げ作戦である。


「此れが『徳』というものか。」

「徳?」

「うむ。義兄上の行いは正しく五徳其の物よ。故に人は義兄上を慕い、人が従う。都での評判は畿内に広がり、日ノ本に轟く。然れば義兄上の薬は人々に広まり、斎藤の名と共に斎藤典薬頭の作る品々への信と成る。そして義兄上は儲かり、織田も儲かる。」

「風が吹けば桶屋が儲かる、か。其れとも情けは人の為ならず、か。」

「ほう。面白い言い回しであるな、義兄上。今度使ってみよう。」


 あれ、これもなかったか?よく考えれば桶屋なんて見たことないか。失敗した。


「意味としては情けをかける事が誰かの為でない、という事か?」

「いや、三郎。情けをかければ巡り巡って最後は自分に返って来るという意味だ。」

「ふむ。つまり最後は己の為に成るから情けを積極的にかけよ、という事か。」


 面白い、と呟く信長。


「桶屋が儲かるのは何故ぞ?あ、いや、考えてみよう。同じ意味なら風で桶が飛んでいく事で桶が足りなく成る、か?」

「残念。風で砂埃が舞って盲人が増えれば三味線が必要と成る。三味線が必要に成り猫皮が足りなく成るので猫が殺され、鼠が増えて桶を囓るという話だ。」

「迂遠よな。だが何気無い事が時代を動かす事は間々在る。愉快な教えだ。」

「まぁ、盲人が増えるのは俺が許さぬがな。」


 懐から小さな陶器の瓶を出す。信頼できる防腐剤がないので毎日随伴の医師団に作らせているが、今日は使っていない。


「其れは何ぞ?」

「目薬だ。此処に塗り箸を入れて薬液を眼に垂らす。」


 主成分はもちろん水だが、塩化ナトリウムと硫酸亜鉛を配合している。硫酸亜鉛は柿野・洞戸の鉱山から採れる閃亜鉛鉱を炉で熱して取り出している。酸化鉄などの不純物が混じっているのを温度調節(といっても職人のカンだが)で亜鉛を取り出して精製している。硫酸は昨年の濃尾の乱の間にかなり大量に作った。硫酸亜鉛は収斂作用で血管を収縮し、圧迫による痛みや炎症を和らげる。とはいえ流れ込む血液の増加は基本的に体内の異常を治すためだ。根本的な治療が出来ないと治療とはいえない。そこはもどかしい。


「使い過ぎるのは良くないが、煮炊き場等の煙を使う仕事の者には重宝する。」

「火縄銃の部隊が使うのか。義兄上は其れも見越して居た訳だ。」


 冬になると美濃の人々は家に籠る。暖をとるため囲炉裏で火を焚くのが普通だ。すると目が煙でやられる。最初はこれを何とかしようと思って作ったものだ。

 しかし信長の言う通り、現在最も目薬を使うのは火縄銃の部隊だ。彼らは日頃から訓練の合間や訓練の終了後に目薬を求める。

 だから福利厚生として金はとらずに使わせているので儲けは出ていない。畿内ではぜひ販路を開拓したいところだ。


 ♢


 山城国 室町御所


 昔日の栄華が窺えるのに、屋敷の壁にできた蜘蛛の巣がその盛衰を伝える場所。通称花の御所と呼ばれた足利将軍の屋敷・室町御所に諸将が集まりつつあった。



 遊佐長教については前公方足利義晴様から助命の執り成しがなされたため、遊佐は名目上弟の遊佐太藤(たかひさ)が守護代となることで決着が付いた。事実上畠山も遊佐も失うものはあまりない。しかし中央の役職などは新公方様である足利義藤様の下でリセットされ、新しい畠山統一当主の畠山義続は能登へ帰国させられた。


 畠山の影響力が低下した分、河内北部には安見一族が台頭した。安見一族は三好伊賀守(長慶)の弟で野口氏に養子に入る俺の義弟に嫁を送り込む予定らしい。親三好の畠山家臣を作る事で統一的に動けなくしたいらしいが、同時に守口は本願寺の一大拠点だ。今回の件で遊佐を補佐した本願寺を監視する意味合いもあるのだろう。


 織田には尾張・三河・遠江の三国守護が保護されている斯波氏の幼い当主に正式に与えられた。同時に守護代は尾張を信秀殿、三河を信広殿、遠江を信長がなることも認められた。正式に守護代家となった織田弾正忠家は今回の派兵の甲斐があったということだろう。



 そして俺については、


「公方様が直接会って話がしたい、と。」

「公方様が?」


 新しい公方様が六角弾正定頼様を通じて会いたいと連絡してきた。

 断れる立場でもないので会いに行く。



 奥の部屋で待っていたのは、後ろに刀を並べながらも三白眼でこちらをじっと見てくる少年だった。隣に居るのは前公方足利義晴様なので、彼が新しく公方となった足利義藤様なのだろう。剣豪将軍という単語が前世の記憶から浮かぶ。どちらかといえば不健康そうだが、実力は高いのだろうか。


 弾正様と共に頭を下げる。前口上が終わると、三白眼の少年は気怠そうに「顔を上げよ」と呟く。


「斎藤美濃守。其方の活躍真に天晴れ。此度だけでなく此れ迄の忠節は此の義藤の耳にも届いて居る。」


 抑揚が少ない声は棒読みにも聞こえるが、単純に声を出すのが面倒臭いといった雰囲気を感じる。


「其処で、其方に新しい名を与えようと思う。今の利芸は前太守から与えられた物、其れも守護代としての立場が強い物だ。」

「仰る通りに存じます」

「故に、既に名実共に美濃の主となった其方には相応の名を与えようと言う事に成った。」

「ぶ、分不相応な褒美に御座います。」


 流石に予想外だった。実際、俺の場合母の深芳野が一色の血を継ぐ関係で美濃守が許されたという事情がある。しかし上に土岐氏が名目上いる以上、これ以上独立色は出すわけにいかないとも思っていた。


「此れは幕府安寧の為でも在る。受けて貰うぞ。『義』の字を与えよう。」

「実は既に早馬で道三入道から文を貰っている。『龍』の一字を名乗りたいとの事だ。」


 父は敢えて狙ってこの字を選んでいるはずだ。即ち出世、昇り龍。下剋上の権化たる斎藤道三ちちを示す一字。


「『義』の字を与えるのは其方が初ぞ。名誉に思え。」

「恐悦至極に存じます」


 俺はこうして、史実と同じ「斎藤義龍」になった。将軍から偏諱を受けた美濃守。美濃においてはこれ以上無い名声を得たと言っていいだろう。


 ♢♢


 足利義藤は六角弾正・斎藤美濃守が下がった後、父を三白眼でじっと見つめた。父の前足利将軍義晴は苦笑しつつ視線に答える。


「不満は分かるがな。彼れは数少ない管領に抗せる手駒と成り得る者よ。」

「彼の龍、御せる者か分かりませぬ。」

「三好は強大過ぎる。今結びつけば管領が警戒する。管領代もだ。遊佐を生かした以上、此れ以上の綱渡りは出来ぬ。」

「面倒な。屋敷に籠って寝て居たいですな。」

「其方は足利の名を背負ったのだ。諦めよ。」

「働かずに寝ていたい。其の様な些細な願いすら叶えられずして何が公方か。」


 その場にごろりと寝転がる現公方に、父親は育て方を間違えたかと溜息一つ。


「やれやれ。本気に成れば何でも出来るであろうに、其方は。」

「足利が足利で在る限り何も出来ませぬよ。其れでも構わぬと思いまする。」

「だが、我らは武家の棟梁ぞ」

「父上、武家としての拘りより、長き源氏の血を使って皇家が如く君臨するが楽に御座いますぞ。」

「其れは足利の血が許さぬ。其方も何時か分かる時が来る。」


 その顔に浮かぶ影を見た義藤は、やせ気味の体をうねうねと揺らしながら隣の部屋に目を向ける。



「龍か。龍程強ければ、血の呪縛も断てるのかのう。」


 彼の三白眼は、先程前に居た大柄の青年が幻視されていた。


目薬は色々と必要性が出ていたので実は開発していましたという話。この時代で用意できるのは恐らくこのクオリティが限界かなと。主人公も眼科医ではないのでそこまで専門性の高い成分は知らないですし。


主人公がついに斎藤義龍となりました。色々と分かりにくい名前表記の統一も兼ねていますが、「龍」の字にこめた父道三の想いなども想像していただければ何よりです。

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