第132話 斎藤美濃守の上洛 その5 京へ
最後の♢♢だけ三人称となります。
近江国 大津
大和衆が離反し、細川国慶が討たれた。
先の合戦で三好の義兄殿の弟、十河左衛門尉一存が細川氏綱を討ったので、細川氏綱周辺の乱は一気に終息に向かいつつある。
それ自体はめでたいことだが、問題も山積みになっている。
1つは目の前の人々の処遇だ。
「簀川藤八が息子、兵庫助助貞に御座います!美濃守様に是非とも御支援賜りたく!」
「十市新二郎遠勝に御座います。以前父と共に種痘をして頂き、真に有難う御座いました。」
「此の子は箸尾為綱。一昨年筒井順昭に父を謀殺され居城を奪われた子に御座います!」
「岡因幡守、美濃守様と共に京へ上洛する末席に加えて頂きたく!」
「越智氏当主、家広の叔父で家頼と申します。美濃守様には国慶との戦に勝利為された事、心より御慶び申し上げまする。」
大和の国人で、筒井順昭に追い出された面々だ。筒井順昭は辣腕だったが、それゆえにかなり恨みも買っている。
恐らく氏綱劣勢と見て大和を離脱しこちらに合流しようというところで摂津での三好の一戦を聞いたのだろう。彼らは筒井を国慶共々討つべしと血気盛んだった。
「筒井順昭は既に細川国慶を討って其の首と引き換えに降伏を管領様に願い出ていますね……頼られたのは嬉しいのですが。」
この言葉に、集まった人々は動揺を見せる。
「越智殿、管領様の伝手で何とか出来ぬのか?」
「いや、わしの言葉では出来て越智氏の奪われた城を取り戻すのが限界であろう……管領様も此度の件で政権が不安定であると見られる様に成るであろうし。」
「ううむ……此のままではついて来てくれた家臣たちを食わせるのも儘ならぬぞ……」
頭を抱える者、ひそひそ話で側の家臣と話し始める者などに分かれる。明らかに動揺しているが、彼らにも家臣がいて食い扶持は必要なのだろう。
ふと思ったのが今の美濃。はっきり言えば兵を率いる将が不足している。城主もまだ決まっていない城が在ったりして、うちの孤児院出の代官が管理だけしている場所もある。
「若し、若し大和の地での再起のみに拘りたいという事で無ければ、ですが。美濃は先年の乱で将が不足して居ります。我が地で領主と成る、というのは如何でしょうか?」
やって来た人々が一瞬固まる。数秒だったが長く感じる沈黙の後、最初に乗ってきたのは十市新二郎遠勝だった。
「美濃守様、我が十市の家は幾度も大和を追われて来ました。籤引き公方に、畠山義就、細川政元。皆我等を大和より追い出した者に御座います。」
「なら、大和に戻られますか?」
「いえ、某もう大和の争いの多さに辟易致し申した。京の傍は魔境に御座います。美濃は先の乱で争いも収まったと伺って居ります。是非お世話になりたく。」
直後、十市に賛同するように声をあげたのは簀川兵庫助助貞だ。
「某は木沢様に世話になった身。木沢様は生前美濃守様を大層器が大きいと仰っていた。我等が美濃で必要とされるならば、大和の争いも減り民の為にも成りましょう。」
一方、大和に拘った者もいた。箸尾・岡・越智氏だ。特に越智氏は領地を全て奪われたわけではなく、かつ管領の猶子を当主としている関係で領地の返還は可能だろうとの読みだった。
「こうして頼りながら御供出来ぬ事申し訳ない。」
「然れども父祖伝来の地は捨てるわけにいきませぬ。」
「春日社の神人としての立場も御座いますれば、御容赦を。」
大和の国人で興福寺や春日大社の影響を受けていない家はないと言っていい。春日大社の支援する符坂は大山崎と油座同士競合しているという事情もある。彼らもあまり俺を頼りすぎるわけにはいかない事情があるのだ。
「しかし、其れだと十市殿も春日社の神人だが?」
「今の春日社は我ら十市を守ってくれませぬ。興福寺の方が仲が良かった程で。」
応仁の乱の頃以後は興福寺の方が十市氏のために動いてくれていたらしい。春日大社は越智氏にどうしても肩入れしがちなのだとか。南北朝の頃から一貫して春日大社に与した越智氏は信頼が篤いのだそうだ。
とはいえ大和情勢に詳しい上に家臣も揃った部下が増えたわけで、人材不足のうちとしてはありがたい限りだ。
「此の御恩に報いる事出来ます様一所懸命で槍働きさせて頂きまする。」
御家人かよと思ったが、よくよく考えれば国人だと御家人と変わらない思考の人間も多いのは当然かとも思った。一部の人は源頼朝の所領安堵の書状を今も家宝として持っていると聞くし。
「では他の皆さんは管領様に執り成しさせて頂きましょう。とはいえ筒井殿が手土産を持って降伏したので、何処まで此方の希望が通るかは分かりませぬが。」
「忝い」
既に遊佐長教は畠山政国・細川頼貞ら数少ない将と共に若江城や飯盛城で抵抗しているそうだが、同時に公方様経由で管領と六角弾正定頼へ和睦を求める書状を送っているそうだ。丹波の内藤氏も降伏し、六角左京大夫義賢と俺、そして信長が入京すればほぼ合戦は終わる情勢だ。若狭の武田も動きが止まっている。
取らぬ狸の皮算用ではないが、そろそろ戦をどう終わらせるかの段階に来ているのは間違いない。
♢
山城国 山科
管領の入京を確認した後、管領代の弾正定頼様を先発として山科まで進軍したところで筒井順昭が出迎えにやって来た。
白々しくも種痘をした時にあった月代を解き、落ち武者の様な髪型に白装束である。
「此度の戦、故有って氏綱に味方致しましたが、やはり義無き戦にて氏綱を討ち、正道を歩む事を決意致しまして御座います。」
弾正定頼を前に、彼はそう言いながら地面に頭を擦り付けんばかりに土下座をする。
砂利の道で拳を立てているためその拳は傷つき血が滲んでいる。
「顔を上げられよ。大和での狼藉は元の領主に土地を返すならば許そう。其れ以外は不問にすと管領様は仰っていた。」
管領は直接沙汰を伝えず弾正定頼様へ書状を預けていた。直接伝えると怒りや反発を買うと思ったのか?相変わらず不自然なまでに怖がりだ。
管領の言葉を聞いた筒井順昭の言葉は意外なものだった。
「受け容れられませぬ」
「ほう、其の格好は真に死ぬ為か?」
「大和での戦の大半は此度の乱とは無関係。越智殿に城を返すのは道理と弁えて居りますが、他の領主が我が家に負けたのは彼等が只弱いからに御座います。」
筒井順昭は顔を上げ、弾正の顔をじっと見上げる。
「其れでも返せと管領代様が仰るなら、戦場にて決着を。覚悟は出来て居ります。」
弾正定頼は切り揃えた髭を2,3度撫でると、
「其れも道理よな」
と呟くと、扇子を脇から取り出し右手でパチンと音を鳴らしながら開いた。
後方から腹の底に響くように銃声が轟く。
順昭の右足の側で砂利が跳ねた。
「今すぐ大和に戻られよ筒井殿。此の管領代こと弾正定頼が御相手致そう。」
そう言った彼の言葉は銃声以上に腹の底にずしりと響く声色で、一瞬踏ん張らないと腰が砕けるかと錯覚する程だった。
後ろにいただけでこのプレッシャーだ。筒井順昭は更に強烈なものを受けているだろう事が容易に想像できたが、しかし筒井順昭は冷や汗1つ見せずに答える。
「弱りましたな。相手が大和の負け犬ならば、と思いましたが。管領代様に逆らう気は御座いませぬ。」
「猿芝居なら金春座でも呼ぶが良い。大和は本場であろう?」
「此れは手厳しい。では京に猿楽の者を手配して詫びの代わりとさせて頂きたく。」
再び頭を下げる筒井順昭に、弾正定頼は「次は無いと思われよ」と呟いて輿に戻っていった。
これが本気の六角氏。これが半隠居とはいえ畿内最大の実力者・六角弾正定頼。
ふと横を見ると、信長が挑戦的な目で弾正を見ていた。僅かに震えているのは武者震いか。左えくぼが見える程度には笑みも浮かべていた。
そして弾正の後ろに従うその後継者である左京大夫義賢殿。彼もまたこめかみに汗をかきながらも目は必死に父親を追わんという気概に満ちていた。
「当主の器で負けましたな」
「分かって居るよ十兵衛。元々其処で勝負する気は無い。」
「然り。殿の強みは此処では御座いませぬ。」
わずかに笑みをこぼして再び後ろに控える十兵衛を見つつ、お前も少し膝笑っているぞとは言わないでおくことにした。
♢♢
六角・斎藤・織田の一行が山科を後にした頃。
それまで軍勢にまで土下座の姿勢を貫いた筒井順昭が、側に控える島左近政勝が徐に駆けより主君を立たせた。
筒井順昭はふーっと一息を吐くと、
「完全に腰が抜けたわ。流石は六角弾正。彼れは勝てぬ。」
と、完全に家臣に肩を預けながら魂まで抜けたような声を出した。
「怪物ですな、正しく。」
「真に。残念だが又遣り直しか?」
「十市殿等は美濃に行かれるそうで。我らの支配地域は増えまする。」
「左様か。なれば平群一帯は任せるぞ左近。椿井の城を新しくせよ。」
「御意」
時間が経って背中の汗を吸い、張り付いた着物を物ともせず、彼は言う。
「痩せ我慢出来る程度には力を付けたのだ。我らは成るぞ、大和守護に。そして其の上に。」
疲れ切った顔には、しかし野心が一切褪せずに輝いていた。
この時代は六角無双ですが、信長もそれに武者震いする程度に器が大きいです。
筒井との絡みで数名の国人クラスの家臣が増えました。美濃の人手不足がこれでかなり補われる形です。
金春座は猿楽の大和四座の中でもこの時代に著名な座です。「猿芝居」という言葉の語源については諸説ありますが、本作では「芝居」が鎌倉時代から、「猿真似」「猿知恵」などが既に存在したことから既に言葉はあるという事にして使っています。
島左近……一体誰の父親なんだ……(白々しい)。




