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第131話 斎藤美濃守の上洛 その4 摂津決戦【地図あり】

本日は斎藤義龍の旧暦の誕生日です。めでたいですね。


しかし主人公は出て来ず全編三人称です。


地図は↓をご覧ください。

挿絵(By みてみん)

 摂津国 高槻たかつき


 細川氏綱も遊佐長教も、協議の結論は一緒だった。


「摂津を取らねば勝てない」


 京という場所は守る場所ではない。京に至る地形を利用するのは臆病者とそしられ、中に招いては地の利は生かせない。

 即ち、京より手前の手前で防衛線を張る事が求められる。

 それはつまり、東においては瀬田であり。南であれば木津であり、西であれば丹波八木がこれにあたる。


 そしてこの観点で言えば既に氏綱の戦線は崩壊している。瀬田は六角氏の下で盤石となり、いつ京が襲われてもおかしくないのだ。


「だからこそ、南西の要たる高槻から摂津を奪わねば勝てない。」


 そこで。三好の生命線である四国と管領の逃げ場となっている丹波を物理的に遮断すべく、彼らは摂津を攻める事で一致した。

 最悪京は取り戻せるが、摂津が繋がっていてはいつまでたっても彼らは畿内で優位に立てないのである。四国から再起を図れる三好と、丹波の山奥で兵を集める管領細川晴元が連携できない状況を作る事が求められた。


「しかし、其の為には摂津国人の協力が必須では無いか、其方は文で池田らを裏切ったと聞いたが?」

「何も摂津に居る者に拘る必要は御座いませぬぞ。」


 にやりと笑う遊佐長教に対し不快感を隠さない細川氏綱だったが、同時に彼以外に自分の側についた味方も居ない状況である。口から出かかった「芝居がかり過ぎている」という言葉を彼はギリギリのところで踏みとどまるのだった。


 ♢♢


 摂津国 伊丹城


 その日、伊丹親興(ちかおき)は真夜中になって目が覚めた事に苛立ちを覚えていた。妙な興奮があり、もう一度眠ろうとして横になっても眠れないのである。


「誰ぞ在るか。白湯を持て。」


 起き上がり、寝所の側に控える小姓にそう呼びかける。しんとした城内では身動きする者の様子が見られない。


 怪訝に思って彼が屋敷を出ると、そこには自身の側室の1人が首元を斬られ倒れていた。気づけば足元も血だまりになっている。


「な、な、何が!?」


 そこに、1人の黒装束の男が現れる。


「む。気付かれたか」

「な、な、何奴!?」

「只の里帰りだよ」


 そう言った男が顔の覆いを取ると、そこにあったのは城主の見覚えがある顔つき。


「お、叔父上!?」

「まぁ、似ていような。共に逃げた者は皆そう言う。父に似ていると。」

「ま、ま、まさか、千代松!?」

「今の名は雅勝だ、従兄殿。返して貰うぞ、我が父の城!」


 続々と屋敷内から黒装束の男が飛び出してくる。自らの小姓や重臣の首を持つ彼らを見て、親興は悟る。


「そうか、遊佐か。遊佐に唆されたか。愚かな。」

「分かっているさ、利用されて居る事は。」


 伊丹雅勝は黒装束の1人から渡された槍で親興の左胸を一刺しする。

 ぱくぱくと口を開け閉めしつつも喉元を抑える親興。肺が破れ、血が気道を塞いだ者が空気を求める動きだ。


「だが、父上を討った仇敵で、しかも助けられた鳥羽の水軍に圧力をかける弾正忠の味方をする管領だけは、許すわけにはいかぬのよ。」


 槍を抜くと力なく倒れた従兄を一瞥することなく、伊丹雅勝は周囲の黒装束に命じる。


「一月耐えよ。然らば遊佐殿が勝つ。励めよ、根来の闇よ。」

「御意」


 こうして、摂津中部の伊丹城は突如かつての城主の子・伊丹雅勝を迎えて管領に反旗を翻した。


 ♢♢


 摂津国 三宅城


 伊丹城の反乱と連携するように、遊佐長教は主力軍20000を率いて茨木城・三宅城を襲った。茨木城主茨木長隆は摂津の有力者であり、管領細川晴元の実務面を強力に補佐していた男である。

 その居城が大軍に呑みこまれた。


 茨木長隆自身は早い段階で見切りをつけ丹波へ逃げたが、こうした管領の部下らしい命第一の行動こそ彼がイマイチ大物になれない理由である。


 城主一族のいない茨木城はほぼ即日で降伏。翌朝には大軍が三宅城を襲った。ここにいたのは裏切らないようにと遊佐長教から頻繁に書状を受けていた三宅国村である。当然のように怒り心頭だった彼は徹底抗戦の構えを見せたが、攻撃前に遊佐長教から送られたのは本願寺からの使者だった。熱心な本願寺門徒でもある彼は阿波の浄土真宗として分派した東光寺派との仲立ちを図りつつ石山本願寺に帰属しており、使者を無下にするわけにもいかなかったのである。


「何用か?」

「石山は此度の戦に関与すべからず、と申して居ります。」

下間しもつまの坊官には分からぬであろうが、この城は管領様の家臣たる我が城だ。決して本願寺の城では無い。」

「此方、証如様からの直筆にて。」


 その言葉に三宅国村は目を見張る。証如は本願寺のトップではあるが、実態は蓮淳という大叔父が実権を握り、彼は傀儡に過ぎない。その傀儡本人がわざわざ直筆で手紙を書いて送ってきたのである。


「三宅は関与せずに戦を収める立場に成って欲しい、とな。いやしかし、其れでは池田殿に不義理が過ぎる。」

「池田殿は伊丹城の反乱で孤立して居る。威勢は良いが何も出来ぬでしょう。」

「そういう問題では無いのだ!」


 使者の文を受け取るが、彼は結局3日3晩籠城し、周辺から氏綱の兵がほぼいなくなっても何も身動きをとれなかった。



 それが、三宅氏の運命を分けた。



 ♢♢


 摂津国 堀城


 三宅城に僅かな兵を置いた細川氏綱・遊佐連合軍は吹田城を落とし、堀城へと向かっていた。


 堀城は木沢長政の反乱で中継拠点として整備された砦に毛が生えた程度の城であり、防衛能力は高くない。

 ここを奪う事で石山本願寺までの管領方をほぼ一掃でき大物浦までの河川一帯を掌握できる為、自然と氏綱の軍勢は逸りが出ていた。


 彼らの元には管領の兵が伊丹城と一庫ひとくら城(山下城)を攻めているという情報が入っており、三好の兵は越水に集結中と聞いていたためでもあった。



 そこを、三好伊賀守利長(長慶)という傑物に突かれた。



 彼らが堀城を包囲し始めた頃、伊賀守は先行部隊として弟の十河そごう左衛門尉一存(かずまさ)率いる4000を使い、細川氏綱の隊を襲った。

 氏綱は7000を率いていたが、十河の軍勢の勇敢さに後手に回り、更に連日の行軍の疲れを取る前に陣を布いたばかりだったため兵の士気は低かった。

 連戦連勝だったことも足軽や農兵を浮足立たせていた。彼らは讃岐の精兵による、友が討たれても屍を越えて先頭の十河左衛門尉に食いついていく姿勢に戦慄を覚えた。


「鬼だ!鬼だ!!十河は鬼を従えて居る!!」

「鬼と思うなら、人の身で抗わんと思うでないわ!!」


 十河の讃岐兵は氏綱を窮地に陥らせた。しかし氏綱の相方は遊佐長教である。奇襲は予測の範囲内であった。彼にとって予測外だったのは、


「報告!掘の城内から打って出る兵在り!」

「何者か!?」

「三階菱に五つ釘抜、三好の長老、長逸ながやすに御座います!」


 三好伊賀守の側近中の側近である、長逸が城内に居たのである。


 遊佐長教は稀代の謀略家を名乗れる人物である。畿内に限れば斎藤道三とも互角に渡り合える力量の持ち主だが、彼はどこまでも謀略家だった。つまり、戦術家として優れていたわけではなかったのである。


(長逸が討てれば畿内の三好の支配地域は崩壊する。氏綱を助けても長逸に逃げられては損害がこちらばかり多くなって不利か?氏綱の代わりは国慶や氏綱の弟が居る。其れでも構わぬのでは?)


 そして、そんな一瞬の思考が勝敗を分けるのが戦場なのだ。


「長教、今其方、此の首と氏綱を天秤に掛けたな?」


 長逸は動きの止まった遊佐の軍勢に対し、三好勢が持つ全火縄銃に当たる30丁を一斉に撃ちかけた。

 再び火縄銃の存在に思考が停止する遊佐長教。


 その隙を許す三好軍ではなかった。篠原長政・長房親子の隊2500が遊佐の側面を突いた。決して多くはない彼らの部隊はしかし、思考停止で動きの止まっていた遊佐の軍勢をその場に釘付けにするのには充分だった。


 そして、満を持して三好伊賀守(長慶)の本隊5000が氏綱本隊の目前に現れた。


「滅べ、細川氏綱。我が栄達の為に!」


 阿波から送られた兵のうち、精鋭を選んで先発した三好本隊は瞬く間に氏綱の兵を血の池に沈めていく。それと連動するように、讃岐の兵を引き連れた十河隊が氏綱の本陣に食い込んだ。



「細川氏綱、十河左衛門尉が討ち取ったりぃぃぃぃぃいいいい!!」


 返り血と汗でドロドロとなった十河左衛門尉一存が大声を轟かせたことで、2刻(4時間)に及んだ合戦は一気に終息へと向かった。遊佐軍は追撃を受けながら撤退し、奪った諸城を一気に失った。


 その途中、中途半端に敵兵が居ないにも拘わらず籠城していた故に三宅氏は寝返ったと判断され、城を篠原長政に攻められる事となり、驚いた三宅国村は城を捨て本願寺に逃亡することとなる。


 遊佐長教は摂津の維持を諦め管領へ和睦の使者を派遣するも、氏綱を討ったと知った管領細川晴元は大喜びで残党殲滅の命を下した。


 ♢♢


 山城国 京


 燃えていた。

 屋敷が燃えていた。


「いやはや、逆賊討伐も楽では御座いませぬな。」

「公方様はきちんと大津まで御送りしたか?」

「無論無論に御座いますぞ。しかし国慶殿も風流が足りぬな。庭の草木に拘らぬから煙が臭くて敵わぬ。」


 燃やした犯人である筒井順昭とその家臣井戸覚弘は、拘束され目の前でじっと目を閉じている細川国慶の前でのんびりと会話を続ける。


「逆賊の首一つと公方様を御届けすれば咎めは来ぬであろう。しかし又大和の山奥から遣り直しであるな。」

「殿、其れは仕方ありませぬ。斯くも戦乱の世は非情な物にて。」


 周囲には国慶に協力した山城国人の無残な死体が揃う。縄を打たれ身動きとれぬ国慶は、しかし何も変化を見せない。


「では国慶殿、命乞いはせぬのか?」


 筒井順昭の言葉に、しかし彼は一言呟くのみだった。


「因果応報」


 傍に控えていた井戸覚弘の刀が一閃する。

 首と胴が中途半端に離れた為に苦悶の表情が浮かぶ国慶の首に、もう一度刀を振りおろす。


「因果応報、か。なれば、何時か此の首も誰かに討たれよう。」


 筒井順昭は燃え盛る屋敷に近寄っていく。

 普通なら熱風で立っているのが辛いであろう位置で、彼は火に向かって語りかける様に笑いながら声を発した。


「だが、其迄に因果とやらは如何程我を苦しめるのであろうな?死したる者の無聊ぶりょうなぐさめる程の物に成るのかな?」



 この日、遊佐長教を除く畿内動乱の主犯格は壊滅した。


 しかし、大和に巣食う怪物は、その功績をもって尚火種として巨大な勢力を維持することとなった。


地図作成は ID:jHWznJug0 様と神奈いです様にご協力いただきました。

神奈いです様は最近新作を始めておられますので是非そちらもご覧ください。

https://book1.adouzi.eu.org/n6770et/


根来は正確には忍者とは少し違いますが、破壊工作とかは出来ると判断しました。遊佐長教の弟からの人脈です。


筒井順昭は種痘で寿命が(何年かはまだ明言しませんが)伸びています。その分この時期でもかなり筒井氏の活動は活発です。

細川氏綱・国慶は史実より早く退場しました。これが三好にとって、細川晴元にとって、そして遊佐長教にとってどう影響するかが今後の畿内でのポイントの1つとなります。

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[気になる点] 「長教、今其方、此の首と氏綱を天秤に掛けたな?」 その時代、天秤がないと思います(西洋伝来) 中国伝来の竿秤ならあるかもですが。
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