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第130話 斎藤美濃守の上洛 その3 公方様御乱心

 近江国 大津


「大和の筒井が京に援軍として入ったか。」


 六角左京大夫義賢殿が琵琶湖西岸から戻ってきた頃、京では細川国慶が情勢不利のため援軍を招き入れていた。

 大和の筒井順昭や高田為成といった大和勢である。


「しかし、大和の国人たちは木沢の乱以来公方様に対して反抗心が強いな。」

「木沢の影響は在るでしょうな。其れ以上に、木沢を利用して勢力を拡大した筒井の野望が透けて見えまする。」


 そう、筒井順昭は今や大和随一の大名と呼んで良い立場にいた。対抗するのは管領細川晴元の猶子が跡を継いでいる越智氏くらいである。

 古市・十市・箸尾ら大和の国人はここ数年で次々と筒井に敗れており、もはやその統一は目前と言っていい。管領との関係からすれば敵方につくのはある意味当然かもしれない。


「とは言え、此方が強いと見れば又寝返る程度の関係であろう。切り崩すのは難しくない。南が勝てば全てが終わるだろう。」

「管領様が丹波の波多野・三好の総力で摂津を攻める予定でしたね。」

「左様。内藤への抑えを残して丹波兵4000を摂津に入れた。摂津国人も管領の側についた。芥川山城は失ったが、大勢は管領殿有利だ。」


 三好も四国の兵を動員し20000近い数になっているらしい。畠山は河内・紀伊を中心に14000を動員。細川氏綱の5000と合流しこちらも2万弱となっている。


「一大決戦となりそうですね。とはいえ京は守る場所では御座いませぬ。」

「彼の地は地の利を生かす戦を京雀たちが許さぬ故な。」


 京は守りにくいと言われるが、それは地形的な意味ではない。地形で言えば山に囲まれた実に守りやすい場所なのだ。問題は権威的な部分。京は天皇が住まう地なので、地の利を生かそうとすると京の人々に舐められるのだ。


 京を押さえても人々に舐められれば権威も何もない。京を戦火に巻き込むのは「弱い証」と思われる。だから皆が京の外で戦い、敗れれば京を撤退するのだ。


「さて、そろそろ父上が合流される頃だが。」


 真野城の六角弾正定頼様から連絡があった。周辺の安全が確保されたので大津に戻るというものだった。大津への道中には公方様がいる衣川きぬがわ城がある。当然途中で合流して大津に来るものと思っていた。


 弾正定頼の帰還の報せが届く。


「此度は援軍感謝致しますぞ、美濃守殿。名実共に美濃の覇者に成られたのだ、今後の御活躍に期待しますぞ。」

「有難き幸せに存じます。江の方様は御任せ下さい。」

「うむうむ、彼れも幸運な事よ。天下一の名医ながら日ノ本随一の名将に再嫁を許されるとは!」


 上機嫌でやってきた弾正定頼は、命の危険があったとは微塵も感じさせない様子だった。恐らく彼は自分が危機にあったとは思っていないのだろう。それほど今の六角氏は盤石な大名だ。


「して、公方様は何処に居られる?」

「はて、父上と共に参られたのでは?」

「衣川の方が近い故先に行くと文が届いて居ったが……まさか!?」


 弾正定頼様の顔が僅かに歪んだ。一瞬遅れて左京大夫義賢殿も焦りの色を浮かべると周囲の重臣にこう叫んだ。


「至急山科への道を探せ!此のままでは公方様が我らの手から離れるぞ!」

「公方様が氏綱方につく、と?」

「美濃守殿、公方様は先日御嫡男を元服させた。近江で元服させ跡継ぎとして将軍位を譲るとしたのだ。父上を烏帽子親にしてな。」


 日吉神社で行われた元服の儀は京を敵に奪われた中で行われた。京で将軍の譲位が行われないだけでなく元服までさせたのは異例だが、早い段階で将軍から一種の院政へと立場を変えたかった足利義晴様は、菊童丸様の元服を推し進めた。新公方様の名は足利義藤様。御年12歳である。名前に見覚えがあったので記憶を辿ったら13代目の剣豪将軍だった。まだ子供なので剣豪にはなっていないのか?それとももう剣の腕は非凡なのか?誰かに聞こうかと思っていた矢先だった。


「烏帽子親まで務めながら逃げられたと在れば恥などと言う生易しい物では無い!何としてでも阻止せねば!」


 陣内から大慌てで数名の伝令や将兵が出て行く。しかし面倒な事になった。公方様は何を考えているのやら。


 ♢


 山城国 比叡山延暦寺


 6月。斎藤・織田連合軍は坂本に一時待機し、情勢の確認を優先する事となった。そのため延暦寺の僧たちから俺が招待されることとなり、一部の家臣を連れて比叡山を登る事となった。ちなみに、信長は日吉神社で行われる正五位上下野介四条隆益様による庖丁式の儀式を見たいと言って坂本に残った。


 比叡山では歓迎を受けたが、その場には酒などは並ばず。内部改革を進めていますよというアピールも兼ねているようだった。

 そこで接待役の僧に聞いたのが、偽の漢方薬についての情報だった。


「何度か坂本でも偽物が出回りまして。調べた所、北の若狭や浅井領から運ばれている様子で御座いました。」

「やはり朝倉の仕業か。」

「其れがそうとも言えぬのです。」


 どうやら、朝倉領内では薬の素となる植物の栽培と加工は行われているらしい。これはうちの耳役も手に入れていた情報だ。


「浅井の家中に美濃和紙を買い求める者が居るそうで。薬包紙と同じ物を買って居るとか。」

「浅井が?」

「ええ。光眼寺の僧が目撃したそうで。」


 光眼寺は小谷城のお膝元といえる位置にある天台宗の寺院だ。寺社のネットワークはこの時代侮れない。スパイ的な活動をされていても基本的に口出しは難しいのだ。


「となると、朝倉と浅井が絡んで居る、という事に成りますか。」

「しかも、本願寺に属する寺で此の者達は寝泊まりをして居る様子。我等も看過出来ぬ故坂本への出入りを禁じましたが、完全に彼奴らを排除する訳にもいきませぬ。」

「面倒ですね。しかし此度の一件で其れも押し切れるのでは?」

「関わって居るのは大部分が何を運んで居るか知らされて居らぬ下っ端の僧や門徒故、彼等も通行を許さぬと成ると大津と戦に成り兼ねませぬ。」


 本願寺もやり方がエグい。あくまで浅井に頼まれて荷運びの手伝いや宿泊場所の提供をしているという体裁で関与しているらしい。


「今は戦で門徒も大人しくして居り偽薬は此方に来て居りませぬ。然れど、何も手を打たずに居れば再び出回りまする。」

「青の印は真似されて居ませぬか?」

「彼れは如何様にも出来ぬと思ったのか見ませぬな。青にしても色が鮮やか過ぎて真似出来ぬ様子。」


 流石に高級薬用の袋にしているプルシアンブルーの押印は真似できなかったらしい。漢方の服用が終わったら印の入った袋は回収する仕組みになっているし、こちらはそうそう真似することは出来ないだろう。


「兎に角、典薬頭様の医を悪用する不届き者に御座います。見つけ次第荷を検めますが、出来る限り早く元凶を取り除かれます様提案させて頂きまする。」

「忝い。誤った薬では人は救えませぬからな。此方も対策を進めましょう。」

「噂では一栢いっぱく様も越前を離れたとか。朝倉は形振り構わぬ姿勢です。恐ろしい。」


 谷野たにの一栢は越前で医学書を書いたこの時代の名医だが、俺の影響で名声に翳りが出ていた。朝倉が薬を悪用するのは許容できなかったのだろうか。先日越前を離れ、関東に向かったらしい。


「本願寺・朝倉・浅井。全て倒さねば此の流れは止まらぬでしょうか。」

「本願寺は加賀と北近江の者が関与していると思われまする。彼奴らさえ大人しくなれば本願寺の問題は収まるかと……」


 仏僧という立場からすればあまり武士に管理される状況にはなりたくないのだろう。あくまで本願寺の一部であることを強調してくる。


「何はともあれ、浅井・朝倉と此れを支援する者は薬師如来を恐れぬ不届き者だ。偽の薬は断じて許さぬ。」

「勿論に御座います。我ら叡山の衆、心は典薬頭様と同じにて。」


 頭を下げる彼らを見つつ、何とか延暦寺が焼かれないように改革が進めば良いと思った。真面目に勉学に勤しむ者もここにはいるのだ。焼いてしまうのはもったいない。



 一晩世話になった後、陽の高いうちに内部の案内を受けていたところ急報が入った。


 足利義藤様、公方として室町殿に入り、氏綱を管領に任ず。


 流石に事が事なので大急ぎで下山し、坂本経由で翌日には大津に向かう事にした。


 ♢


 近江国 大津


 大津には六角弾正定頼・六角左京大夫義賢・織田三郎信長・伊賀守護仁木長政、そして俺が集った。

 最初に口を開いたのは管領代の弾正定頼だ。


「面倒な事だ。真に面倒なことだ。」


 自身の管領代が罷免されたわけではないとはいえ、逃げられた立場のためその苛立ちは隠しきれていなかった。


「父上、いっそ討伐してしまえば良いのでは?」

「少し血気に逸っておるぞ、義賢。公方は我ら守護の上に立つ御方。軽々しく害する等と申すでない。」


 軽々しく言うなという事は、討伐自体はダメと言っていない辺り、誰も最早足利将軍家を重要視していない証拠ともいえる。


「仁木殿、大和は如何なって居る?」

「弾正様、大和は氏綱に味方する者多数だ。伊賀の衆にも誘いが来て居るぞ。」


 遊佐長教はある意味絶妙なタイミングで手を打って来たともいえる。もしこれで俺と信長が濃尾の戦でここに居なかったらと思うと冷や汗程度では済まなかっただろう。


 遊佐が山城・大和・河内・和泉・紀伊・若狭を掌握し。

 管領が丹波・丹後・南近江・伊賀・摂津を掌握している。


「要は摂津に御座いますな。」


 信長がそう呟く。


「左様。麒麟児殿の申す通り、摂津の攻防次第で此度の勝敗は決まりましょう。」

「我が六角の兵が若狭の抑えと伊賀への援軍に向かうとして、美濃守殿と三郎殿には息子義賢の上洛に同道して頂きたい。国慶を追い出し、公方様にお灸を据えねばな。」

「頼みます、美濃守殿。」


 六角は西南北へ備えを置きつつ、京へ6000を送るという。斎藤・織田連合軍6000もこれに加わり、12000で京を奪い返しに行く。対する京には筒井の大和兵4000が入り、10000ほどが集いつつあるという。


「御任せ下さい。摂津は三好殿が必ずや何とかしてくれましょう。」

「波多野の跡継ぎは頼りにならなそう故、三好の小倅に頼る他無いであろうな、口惜しいが。」


 中央の混乱は即ち日本全体の混乱に通じる。なんとか早い事収束してもらいたい限りだ。斎藤の兵にも頑張ってもらわねばなるまい。

次回は三好の様子になります。


公方様は史実では昨年末に足利義輝(今は義藤)を元服させ氏綱方につくのですが、今作では早い段階で斎藤・織田の争乱が終息したので様子見をしていました。遊佐の動きと連動して史実と同様氏綱方に転身しています。


偽薬は比叡山のネットワークも借りて犯人が判明。浅井・朝倉とは宿敵といえる関係になりつつあります。本願寺も少しずつ絡むことで相互に儲けが得られるようにして結束を強めております。朝倉と本願寺の橋渡し役が浅井です。史実でも浅井と本願寺は仲が良いので。

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