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第129話 斎藤美濃守の上洛 その2 六角の本気【地図あり】

途中の♢♢から三人称です。


地図はこちらをご覧ください。近江の拡大図がなかったのでクラフトマップ様の地図を利用させていただいております。

挿絵(By みてみん)

 近江国 永原城


 桑名を経由して伊勢から近江に入った。

 観音寺城に手勢だけで挨拶に向かおうとしたところ、既に前線の近い永原城に向かったと先回りした伝令がやって来た。


 何かあったのかと永原城に向かったところ、六角左京大夫義賢殿が9000という大軍で永原に陣を布いていた。


「お久し振りに御座います、左京大夫様。」

「お久し振り典薬頭殿。いや、美濃守殿とお呼びすべきかな?おめでとう。」

「お初にお目にかかりまする。織田弾正忠が子息、三郎信長に御座います。」

「おお、尾張の麒麟児殿か。お会い出来て光栄ですな。」


 和やかに会話は始まったが、陣内は緊迫感に満ちている。それもそのはず、この先にある瀬田城を京にいた細川国慶が一度攻めてきたためだ。


「で、瀬田や敵の様子は?」

「敵は寡兵にて被害はほぼ無きに等しいものだった。しかし面倒な事に大津の門徒の過半が挙兵し、父上や公方様と連絡が取れぬ。」


 細川国慶の攻撃は大した物では無かったそうだが、何より厄介なのが近江でも本願寺門徒が動き出したという事だ。実質的に本願寺派を取り仕切っている蓮淳の御膝元が蜂起したわけで、蓮淳は失権を免れないだろう。


「流石に顕証寺や称徳寺は加担して居らぬ。が、全人衆まろうどしゅうの過半が与しているので身動きが取れぬそうだ。」

「本願寺はかなり弱っているのでしょうか。高田派は我らが支援している故、濃尾の本願寺は追い出しましたが。」

「義兄上、弱っているが、其れ以上に上に立つ者への不信感が強いのではないか?」

「流石麒麟児殿。蓮淳を罷免すべしという声は大きい。以前から問題は在ったが、近年の本願寺派の分裂や高田派に押されている状況に過激な派閥が勢力を増している。此れが加賀・越中門徒だ。摂津や播磨・河内の門徒は証如・蓮淳の声が届くが、加賀では遠すぎる。しかも三河門徒が壊滅した時本山が有効な手を打てなかったのが各地の本願寺門徒を不安にさせた。」

「守ってくれぬ本山の言う事は聞かぬ、と?」

「左様。今の本願寺は畿内の揉め事に関わらず山科へ戻れる様に力を取り戻す事に在る。然れど実態は三好・斎藤・織田に依って勢力は弱まるばかり。故に加賀門徒の力強さに惹かれる者も多いのだろう。」


 面倒な、と呟く左京大夫義賢殿を横目に見つつ陣内を見回す。兵たちの緊迫感は本願寺門徒が紛れ込んでいないかを危惧するためだろう。信仰は大名への忠誠に時に勝るという。


「して、我らには如何動いて欲しいのです?」

「美濃守殿と三郎殿には国慶を牽制して頂きたい。」

「門徒相手は六角の兵で?門徒が兵に居る場合は……」


 俺の疑問に対し、六角の現当主はきっぱりと言い切る。


「六角の威信を賭けて、大津は我らが押さえまする。」


 その眼力は、まだ及ばないが確かに弾正定頼の息子らしい、思わず息をのむものだった。


 ♢


 近江国 膳所ぜぜ


 六角勢は船を使い坂本へ渡り始めた。これを妨害されないために俺と信長の兵合計6000が瀬田城から陸路で琵琶湖沿岸を進む。

 殿原衆が六角についたのは大きい。彼らから聞いて六角弾正定頼が真野まの城で加賀門徒らを押し留めていることも分かった。途中にある伊黒城は六角や公方様を支援すべく抵抗し、城主の法泉坊一族は敗走したそうだ。



 そんな堅田周辺へ向かう途中、膳所付近で敵兵を発見した。数はおよそ5000。旗印は細川国慶本人の物だ。茶臼山の古墳を挟んで街道沿いに互いに布陣する。

 左に信長を、右に芳賀兄弟を置き、中央を平井宮内卿に任せる。十兵衛光秀は策について、


「特に必要無いかと。畿内の大名ならば火縄銃の事も理解して居りましょう。最初に斉射をして間合いが詰まれば火縄部隊を下げて戦うのみです。相手は我らを放置して六角軍に攻めかかれませぬ故。」


 事実、最初の火縄銃の斉射では相手も動揺は見られてもそれだけでは崩れず。

 相手は農兵と見られる前に立つ兵が歯抜けに倒れていくが、そもそも騎馬に乗った敵が前にいなかった。騎兵の混乱を嫌ったようだ。


 それを見た信長から至急の伝令が届く。


「我が軍は次の斉射の後正面の騎兵無き敵に切り込む故、援護を願いたいと。」

「成程。確かに殿が入れ込むだけの人物ですな。」


 十兵衛の言われるがまま許可を出すが先か、火縄銃の斉射の後信長の軍勢は真正面の敵部隊から大きく逸れて中央の軍勢に馬廻り含む騎兵だけで突っ込んだ。


 伝令が彼らに伝える余裕はなかった。無駄に信頼されている気がする。俺の返事が遅れていたらどうするつもりだったのか。

 十兵衛もその動きの早さにわずかに驚きつつも火縄の部隊を後方へと下げる。手旗信号を見たらしく火縄兵が後ろに下がり、中央の宮内卿は兵を二手に分けて左の放置された敵軍と信長の後方支援に兵を割り振る。


 中央が騎兵の勢いに一気に瓦解した。信長の目は本物だろう。脆くなった部分も的確に見抜いていた。

 中央の崩壊に騎兵がいない国慶軍は対応が遅れに遅れる。火縄を恐れるあまり騎馬を極端に減らし、戦場での速さを失った結果がこれだ。


 後詰と化した宮内卿の兵がボロボロの中央を襲う。勝負あったというやつだ。十兵衛も追撃の準備を指示し始める。

 後方から離脱する集団を服部半蔵保長(やすなが)の一族が発見したが、彼らは騎馬のため追いかける事は不可能と判断。周辺の門徒が中心だったため山城の兵は削れなかったものの、近江に細川国慶がちょっかいを出せる余力はこれでほぼなくなった。


 1刻(約2時間)の戦闘でこちらは勝利。うちの兵は損害らしい損害はなく終わった。火縄銃で撃ちかけた後に陣形の崩れた敵を追撃しただけなので当然ともいえる。

 織田軍は200程を失ったそうだが、本願寺の坊官の首をとったり敵の将を討ち取ったとのことで上機嫌だった。捕虜は1000程。一応逃げた兵が六角の背後を襲わないよう追撃やら周辺捜索やらを負傷兵の手当てと同時に進めるので、我々の出番はこれで終わりになるだろう。万一国慶が京の兵を率いて攻めてきても困るし、守りやすい場所で敵の動向を探るのが主になりそうだ。


 ♢♢


 近江国 堅田かたた


 火が渦巻いている。

 ただの火ではない。肉を焼く臭いが周囲にたちこめる火だ。


「おお、なんと罰当たりな……御仏を恐れぬ所業に御座いますぞ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」


 堅田の蜂起に加わらなかった僧が、その火に向かい拝んでいる。


「其方らが止められなんだ故に此れは起きた。」


 六角左京大夫義賢は、静かに言い放つ。


「落ち度は貴様ら坊主にある。導く者なら、最期まで導き通せ。曖昧な者を我は好かぬ。」

「し、しかし殆どの者は其処まで強く反抗して居らず……」

くどい。六角に背くと如何なるか、其れを考えられぬからこうなるのだ。」


 数百の男女問わぬ遺体を燃やしながら、彼は顔色一つ変えず後ろの部下に指示を出す。


「次に行くぞ。逆らう者は殺せ。従う者は改めて光応寺に従わせろ。逃げるのは許さぬ。」

「反発する者が出ませぬか?」


 不安気な山岡景隆に対し、六角の若き当主はまるで後ろの火をその身に取り込んだかのように強烈な眼光で山岡を射抜く。


「反抗出来ると思わせなければ良い」


 ♢♢


 近江国 八屋戸


 樹下じゅげ神社周辺で休んでいた能登畠山・加賀本願寺連合軍の本隊は、堅田での六角軍の根切りに近い所業に怒り、遊佐続光の意見を無視して南下を開始した。


 衣川城にいる公方や真野城にいる六角弾正定頼は早い段階で救出されると判断した彼らは、数の優位が生きる比良にある樹下神社の周辺で休憩していた。白鬚しらひげ神社周辺に高島七頭への備えを置き、万全の構えで琵琶湖西岸を押さえたはずだった彼らは動揺したのである。


「まさか六角の若当主が其処までやるとは。」

「此のままでは罪なき同胞が次々と殺されてしまう!」


 そんな声に、遊佐続光も数で劣るがために無視はできず。結局彼らに引きずられるように南下を開始した。

 幸いだったのは若狭武田から兵が合流したことであろう。堅田周辺から逃げ出し合流した門徒も合わせて1万2000弱となった彼らは六角軍と決戦すべく南下し、八屋戸で両者は激突した。



 蒲生定秀・青地長綱らが前面に出て本願寺門徒を圧倒するも、若狭武田の兵を率いるのはかつて「甲斐の虎」と称された武田信虎である。若狭兵を中心に平井定武・目賀田めがた秀保の隊を崩し、後藤賢豊らと激戦を演じた。


 これに乗じて本願寺門徒が中央を崩そうとした時、六角本陣が動いた。


「遊佐を崩せ。其れで終わる。」


 六角左京大夫義賢は左軍で進藤賢盛と一進一退の攻防を続けていた遊佐続光を一気に急襲。遊佐隊が疲労から反応が鈍いうちに一気に中央部を貫くように崩し、続光を敗走に追い込んだ。


 そして、当主自ら率いる1500の兵の前に、事態に追いつけない下間融慶の部隊が横っ腹を晒していた。


「六角の本気を甘く見た報いを受けるが良い。」



 下間融慶は抵抗らしい抵抗が出来ずに討死。本願寺門徒は指揮系統が崩壊し若狭武田の兵と連携がとれる状況ではなくなった。


「此処はわしの死に場所では無い。退くぞ。」


 武田信虎の号令で若狭武田兵が撤退したため、撤退の命令さえ誰も出せない状況となった本願寺門徒はこの日だけで3000が死亡。六角軍はその恐ろしさを近江全域に再認識させ、畿内最強は六角氏であることを思い出させるものとなった。

 加賀門徒は若狭へ撤退。強硬派もこれに従って近江から脱出し、近江国内に六角氏に逆らう本願寺門徒はいなくなった。


 それは同時に、長島本願寺の完全な孤立も示していた。

六角は現状でも斎藤氏より動員は多いですし兵も精強です。今回も北近江の備えに兵力の3分の1は残していますし大津周辺の見張りに兵を残しているので実際は9000の倍以上動員できます。


六角氏の最盛期を舐めてはいけません。


本願寺門徒は暴走した人間が実質これでパージされたので、間接的に弾正忠家の長島攻めを邪魔する人間は近隣にいなくなりました。細川国慶も損害を受け、北・東側は管領方が圧倒的有利です。

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