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第125話 濃尾大乱 その11 去る者と来るもの

遅くなりました。申し訳ありません。

 美濃国 稲葉山城


 戦は終わった。残るのは大量の後始末だ。

 目下最大の懸案は六角氏から来ていた正室の江の方様と遺児である。

 美濃支配の正当性を主張する上で欠かせないお2人だが、同時に中途半端に政治に口出しされると厄介なことになる存在でもある。


 稲葉山城で保護した後、お満と共に幸や豊に相手をしてもらっている。慰めるなり気を紛らわせるなり相手の状態次第でうまく対処してほしいと頼んでいた。豊は看護師としての訓練もして来たので特にお願いしていた。


 しかし、稲葉山城に戻って来た俺に豊が告げたのは意外な一言だった。


「江の方様は気落ちなどして居られませぬ。」

「気丈に振舞っているでもなく、隠しているでもなく?」

「はい。何か心に決めた事が御有りの御様子で。何度か御方様と2人で話し合って居られました。」


 よく分からん。父とも既に話し合っていたことが叔父から聞かされ、何を企んでいるのかと思いつつも彼女に会いに行くことにした。



 久しぶりに会った江の方様は、子供ができたためか母親の顔と女性らしさを兼ね備えていた。


「御久しぶりで御座います。我が子共々助けて頂き、感謝しようも御座いませぬ。」

「いえ、太守様を御守り出来なかったは我が不徳の致す所。」

「頼栄殿の思いを伺えなかったのは皆同じ。其の報いは太守様が受けられた。もう御気になさらず。」


 まぁ、正直根本的に俺と二郎サマは合わなかったのだと思う。口ではこう答えたが、実際時間が経てばあれはどうしようもなかったと思えるようになった。或いは史実の義龍ならば分かり合えたかもしれないが、俺は父に蟠りを持っていない。コミュニケーション不足にもなっていないので、彼の苦悩は分からなかった。仕方ないのだ。


「其れで、何やら話が在ると耳にしましたが。」

「実は典薬頭様に御願いが御座いまして。」


 このタイミングでお願いといえば可能性は2つだ。尼になりたいか息子を頼むだ。前者ならいくらでも便宜を図るが、後者だと内容次第では美濃安定化の障害になりうる。


「貴方様の室の一人に成りたいのです。」


 その言葉を理解するのに、俺はたっぷり3分掛かった。


「な、なに、を……」

「貴方様の側室に加えて頂きたい、と申しました。」

「御方様の事は其の様に為さらずとも御守り致します。勿論、土岐の次期当主も。」

「口だけでは不安なのです。貴方様を疑う心算は有りません。然れど、貴方様の御父上を私は信じて居りませぬ。」


 それを言われるとぐうの音も出ない。


「貴方様に私が嫁げば、我が子は義理の息子。縁が在れば、此方も少しは安心出来ます。」

「しかし、其処まで為さらずとも……」

「典薬頭様。私にはもう、此の子しか居りませぬ。土岐に嫁ぐ時、父定頼には六角の名は捨てたと思えと言われました。なれば今の私には、此の子の、土岐の母親としての己しか御座いませぬ。其れを守らんと全てを捧げるのは間違って居りますか?」


 彼女はかなり中途半端な立場だ。一度捨てたと思っていた六角氏からは戻らないかと言われ、戻れば再びどこかに嫁がされる。とはいえ土岐にいてもうちと対立したらまずいし、お飾りになるなら不安定な庇護下なのは変わらない。ならば身内になってしまえ、ということなのだろうが。


「其れに、弾正忠家の義弟殿には随分と優しいと伺いました。義息なれば大切に育てて頂けるかと思いまして。」


 そうやや早口で言葉を紡ぐ彼女の手元をふと見ると、僅かに震える手を必死に抑えていた。

 必死なんだろうな、というのが見えてしまった。なんとかして我が子を守ろうとしている。誰がそんな女性を邪険に扱えるというのか。


 それに、俺が土岐を後見する上でこの婚姻は説得力を増すものでもある。当事者同士が納得していればメリットが大きいものなのだ。


「畏まりました。では後日正式な場で此れを進めましょう。」

「御配慮痛み入ります。御礼と言っては何ですが、此の体、ご随意に。」


 ご随意に、と言われても困る。

 何より打算的な関係でどうこう出来るほど心は強くない。相手に嫌がられていると自覚して手を出せるほど神経図太くないのだ。


「御方様が嫌がる事をする心算は御座いません。夫婦の振りの為閨には伺いますが、其の様な事は致しませんので。」

「私個人としては、別に貴方様の事、嫌いでは有りませんよ?亡き殿の為忠節を尽くし、子が産まれる術も教えて頂きました。後継争いを穏便に収めようともして下さった方を悪く思う理由は御座いません。」


 確かにそうなんですが、友人感覚の好意と夫婦を一緒にしてはいけません。


「其れに、太守様には婚儀で初めて御会い致しました。歳もかなり上でしたし、優しい方でしたが其処まで愛情を持てたわけでも御座いません。其れに比べれば、少なくとも好ましい人物と分かっている貴方様に嫁ぐ方が、ずっと幸福な事と思いますよ。」


 政略結婚が常の戦国時代だ。結婚相手は選べない。太守様と江の方様は親子ほどの年齢差だった。次の結婚が同年代になる保証はない。ただでさえ既婚、しかも嫁いだ相手の家が壊滅的になっての離縁だ。

 同格では結婚相手は無理だろう。家臣や国人でも後妻といった立場だろうし、何より嫁いだ後は我が子と別れねばなるまい。


「お満は何と?」

「自分は幸福な婚姻を出来た身故せめて次の相手は良き縁をと。貴方様に嫁ぐのも、奥の序列を弁えれば構わぬと。」


 俺の奥向きの差配はお満がしている。彼女は優秀なブレーンがいるので実に安定した奥の秩序を定めている。

 江の方様はそれを乱すことが出来る家格の出身だ。そこは警戒して当然といえる。逆に言えば、奥の秩序を乱されない限り肯定的な意見といえよう。


「ではお満に確認をさせて頂いた後で御返事申し上げます。」

「真に大事にされて居りますね。羨ましい程に。」



 結局、幸と豊まで事前に根回しされており、お満を正室に側室筆頭を北条から来る予定の於春。そしてその次という立場で江の方様が俺の側室の1人になったのだった。


 ♢


 美濃国 大桑おおが


 元太守様の屋敷に、6人の人物が訪ねて来ていた。


 1人は森越後守可行(よしゆき)。以前から有力者として土岐氏を支えた名将だ。

 1人は各務かがみ盛正もりまさ。太守様の妹を娶り、土岐一族とされた人物。その横にいるのは土岐一族の蜂屋はちや氏やら生き残りの鷲巣わしず六郎様の御子息やらだ。


「決意は固いのですか。」


 俺の問いに、彼らは申し訳なさそうだったり、晴れ晴れとしたりと様々な表情で答えてくれた。


「我らは土岐の為に仕えて来た。斎藤の為には仕えぬ。其方には悪いがな。」


 そう答えたのは森殿。


「既に美濃に土岐一族の、其れも直系に近い我らの居場所は御座らん。我らは美濃を荒らし過ぎたのだ……」


 そう答えたのは各務殿だ。他の土岐一族も似たような沈痛な面持ちである。留守居だったため生き残った鷲巣様の嫡男が口を開く。


「父上も某も、土岐家中の事から目を背けたが故に此度の大乱は起きた。少なからず我らは責任が在る。此処に残っては禍根が残るのだ。」

「せめて、美濃に戻れる場所にて再起を。」


 そう言いつつ弾正忠家への紹介状を渡す。森殿や各務殿を他に渡すわけにはいかない。それに森って確か戦国ゲームでは信長の家臣のはずだ。森蘭丸とか。だからここは尾張に行ってもらうのが一番だろう。


「かたじけない。典薬頭様の下で美濃が一層発展する事を心から願って居りまする。」


 各務殿が代表してそう言い、部屋を去っていった。



 去る者がいれば来る者もいる。


「お初にお目にかかる。今川左京大夫氏延に御座います。」

「えっと、何故当家に?」


 堀越今川氏。今川義元と争い、敗れて何処かへ逃げていた今川氏の生き残りだ。今川了俊の末裔である。


「もうすぐ北条の姫君が嫁がれると伺いましてな。遠江には居場所が無く、此度の大乱で功を稼がんと奮戦するも及ばず。北条の世話になるには今川家臣が多く仕える今恨まれている事は自覚しております故、姫君の縁で居場所を頂ければ、と。」


 まぁ、かなり美濃国中がスカスカになりそうなので有難いのは事実なのだが。名家過ぎるのも考えものだ。受け入れない選択肢はないが。


「今後とも宜しくお願い致します。」

「此方こそ、今後は家臣としてお使い下され。」


 年上の部下を持った上司の気持ちは半井兄弟で味わったが、どちらかというと社長の御曹司を部署で預かったような面倒くささを俺は感じるのだった。

色々な事後処理その1。区切りが難しかったのでまずは出ていく人とやってくる人だけ。


六角氏夫人(本作では江の方)の動きは史実での慶誾尼を参考にしました。家臣の家に嫁ぐことで実の息子を支えるように仕向ける感じ。彼女は戦国の女としての強かさを持っている設定です。


森・各務・蜂屋・鷲巣などが織田の下へ。弾正忠家も大和守家を倒して城持ちが出来る将が不足しているのですぐに頭角を表すでしょう。

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