第124話 濃尾大乱 その10 畿内
全編三人称です。
近江国 観音寺城
六角氏の主だった家臣を集めた評定は、土岐二郎頼栄の父殺し以降5回を数えた。
しかし、様々な動きがあまりにも目まぐるしく、どう動くかが決まらずにいた。
これにはまだ当主となって日が浅い六角左京大夫義賢の経験値不足も理由ではあるが、何より厄介なのは領内の本願寺勢力だった。
本願寺の寺院を多く抱える大津瀬田の領主・山岡景隆は、義賢の当主交代と同時に山岡氏の家督を継いだ。将軍家の家臣としても活動する彼は、この評定の中でも特に苦しい立場だった。
「公方様は名声の回復に尽力した斎藤典薬頭様を助けよと申されますが、領内には本願寺に属する者今も多く。一揆でも起こされては困りまする。」
「山岡、領内は其れ程不安か?」
「長島の者共が弾正忠家に手痛い損害を受けました。彼の戦いに自ら向かって負傷し帰って来た者が居りまして。」
「近江の本願寺が総出になれば、と考えたか。証如殿は如何仰せだ?」
「無用な戦は避けよ、と。只、此の決定は蓮淳殿の意向が大きい様で。」
「自らの御膝元近江の影響力が落ちては困るか。ならば蓮淳殿に乗っておこう。」
本願寺内部は今回の動きに対し統一的な動きをとれなかった。
加賀・越中の一向一揆は朝倉と和睦し越中で攻勢を強めるなど連動した動きを見せたし、長島本願寺は大和守家と行動を共にした。
しかし本家の本願寺は上記の地域以外この一件に関わる事を禁じた。
特に近江の本願寺は実質的トップである蓮淳の管理する寺院が多く、ここが戦で損害を受けると直接蓮淳の責任問題となる。そのため蓮淳は自らの保身のため近江の本願寺参戦を許さなかった。
しかし、彼らなりの義憤に駆られた義勇の者が一部長島経由で参戦。蓮淳はこれに激怒し破門を命じたが、誰も言う事を聞かず半ば暴走しかかっている。
「美濃の戦が長引くなら我らも動きを決め易かったので御座いますが。」
「恩を売る事も出来よう、京極を抑える事も出来よう、典厩を討つ事も出来よう。などと皆で申して居たら終わって居ったわ。」
「典薬頭様は戦まで上手とは正に御仏の御加護が有るやも。」
「此度の件は火縄銃よ。彼れを揃えねばならぬという事。日野は如何じゃ、蒲生。」
左京大夫義賢に話しかけられるのは日野の領主である蒲生定秀。六角定頼・義賢親子の信任篤い人物である。
「戦の評判が届いて以降近隣から注文が多数来て居りますが、殿からの注文が先という事で後回しにして居ります。」
「うむ。他家に渡すのは我らが相応の数を揃えてからよ。火縄で典薬頭に攻められたら困る故な。」
「しかし、実際其処まで恐れる物に御座いますか?」
実物を持っている蒲生定秀はイマイチ理解できないという顔で家臣たちを見回す。
「実物が如何な物であれ、人は火縄銃が上げた戦功を知って居る。故に目の前にすれば恐怖で逃げ出すであろう。そう成らぬ為には自らも火縄銃を揃え、敵に回しても怖くないと見せるのが一番よ。」
「成程。流石は殿に御座います。此れならば御家も安泰ですな。」
しかし、楽観的な声色とは裏腹に、六角氏の若き当主は深刻そうな表情を浮かべていた。そしてそれを、同じく楽観的に返した蒲生らの眉間にも、深い皺が刻まれているのだった。
「其れが目下一番問題では有るのだが……な。」
♢♢
近江国 海津
京極の兵が骸を晒す中、浅井左兵衛尉久政は昏い憎悪を隠そうともしていなかった。
「殿、京極勢は鎌刃城に向かって退きました。御味方の勝利ですぞ。」
声をかけたのは赤尾清綱。亮政の代からの重臣である。
「勝利……?此れが勝利か?」
左兵衛尉久政の言葉に、周囲の兵もまとめて口を閉ざす。
「良く見よ。近隣の田畑は荒らされ。漁村も荒れ果て。京極勢を追い出すことは出来たが……失ったのは我らばかりではないか!」
握った拳の中で、小手の紐が耐えきれずに切れても、力を入れることを止めない。
「近年は戦の影響もあって荒れるばかり……京極も同じ筈なのに何故攻めて来られる余裕があったのか!?」
「恐れながら、美濃で争いが起こる数日前に、道三入道より京極に兵糧米が贈られて居りました。」
「斎藤……道三……ッ!!」」
「名目は当主の高延の子である高弥の元服祝いですが……その実は我らを抑える物だったかと。」
斎藤道三は年明け早々に元服した現当主の息子への祝いとして米を贈っていた。この米を兵糧として京極氏は兵を出し、浅井領に攻め入っていた。
目的は浅井と朝倉が連動しないために京極に逆に攻め込ませて浅井の動きを封じる事。そしてその狙いは見事に成功していた。
荒れ果てた海津を見れば、当分浅井氏が他国に攻め込む余裕がないのは明白だ。
「何処までも我らを振り回しおって!」
「しかし、今は京極を何とかせねば成りますまい。」
「分かっておる!鎌刃を取り戻す。佐和山を何時までも奪われたままにはしておけん。彼れは浅井の城だ!」
浅井という言葉に殊更強い語感をこめて左兵衛尉久政は叫ぶ。
家臣たちは慣れた様子でそれを受け流しつつ、攻めに転じるだけの兵糧がない状況でどうすべきか考える。
「今年は例年通り米が獲れそうだが。海津は収穫出来ぬとなると、さてさて何時鎌刃に攻め込めるやら。」
赤尾清綱のぼやきは、天に吸い込まれて虚空にのみ届くのだった。
♢♢
河内国 若江城
叫び声が木霊する。
「おのれ道三めえええええええええええ!!」
部屋中の障子という障子に穴をあけ、届いた文もビリビリに破いた遊佐河内守長教は息を荒くしながら少しずつ理性を取り戻していた。
「殿、此ればかりは仕方ありませぬ。」
側にいるのは2人。坊主と家臣然とした男である。
「松!其方火縄銃の事何故報告せなんだ!……いや、分かって居る。典薬頭程の量を揃えられなんだなら朝倉との戦は予見出来ぬ。」
「すまない兄上。うちももう少し早く火縄銃を手に入れて居れば……」
坊主の名は根来寺松坊。河内守長教の弟である。
「恐らく道三入道は火縄の事を知って居ったのだろう。忌々しいが我らは後手を取らされた。」
「如何なさいますので?」
「氏綱は踏ん張っている。が、四国の三好兵が渡海の準備を始めた。もう長引かせるのは無理だ。」
「では、挙兵するので?」
「いや、今すれば負ける。三好の勢いもだが、美濃と尾張が安定すれば兵を送り込める様になる。せめてあと一月あれば変わったが……」
そこに、血相を変えた家臣が飛び込んでくる。
「殿、稙長様が屋敷で倒れられたと!」
「……この状況で、だと!?」
遊佐河内守にとって、最悪のタイミングで半ば傀儡としていた主君・畠山稙長が倒れた。
「御裁可頂かねば挙兵も何も決められぬ。……そうか、そうするか。」
「倒れられたのを理由に支援を切りますか?」
「そうせい。我らにも如何様にも出来ぬ事がある。」
少しだけ落ち着いた遊佐は、と同時に人の命を助けるという斎藤典薬頭を脳裏に思い浮かべる。
「若し彼の者が人の生き死にまで操って居ったら……道三と合わせて、誰も敵わぬな。」
彼は典薬頭という人間が『御人好し』であることを理解した上で、その贅沢な状況を思い背筋の寒気を感じていた。
畿内情勢の変化。
史実では遊佐長教は細川氏綱に協力し挙兵しますが、この世界ではそこまで至らない可能性が出てきました。
畠山稙長の史実死因は不明でしたが、石鹸の使用などで寿命が延びています。その分最悪のタイミングで遊佐の邪魔になっているような、上手く利用できそうなような。
浅井久政と京極氏の争いに一手打ってあった道三によって久政は美濃に介入できませんでした。放置していた場合不破関で一戦は避けられなかったと思います。
火縄銃を集める勢力も増えてきました。生産地を抑えている六角はその独占を図りたいところです。




