第123話 濃尾大乱 その9 清洲決戦
後半の♢♢から三人称です。
美濃国 岩村城
苗木城の明け渡しを終えて岩村城に帰還した。
岩村城主で遠山七頭の筆頭でもある遠山景前は城の前で出迎えてくれた。
「典薬頭様、我が一門衆の為御尽力頂き感謝の述べ様も御座いませぬ。」
「此れも美濃の平穏の為に御座います。今後も我ら力を合わせ安寧を築きましょう。」
意訳:助かったけれど、苗木や明知は遠山の土地なので返して。
意訳:遠山に任せられないから兵出したんだろう。今後は東濃に介入するからな。
こんな会話をしながら互いの腹の中を探り合う。木曽義康の撤兵と同時期に明知遠山氏は朝倉との戦の詳細を知ったらしい。この時代的に辺鄙な場所だから大勝利くらいは早めに伝わっても、火縄銃による歴史的勝利という部分はかなり時間がかかったようだ。
しかもすぐ近くで同じような戦が行われ、今度は馬籠遠山氏の当主が生け捕りになった。
岩村城に明知遠山氏の当主・遠山景行が頭を下げに来たのも自明の理だ。
岩村の遠山景前はこれ幸いと明知の赦免を願い出て来た。俺が菩薩だなんだと言われているから頭を下げれば許すと思っているらしい。明知に恩を売って遠山の主導権を失わないようにしたいのだろう。
しかし彼の誤算は平井宮内卿と十兵衛光秀が既にこうなることを予見し、俺にどう対処すべきか教えてくれていたことだ。
「優しさと甘さは違います」とは十兵衛の言だが、国内の統制に飴と鞭が両方必要なのは理解できる。様々な技術を使って試行錯誤もさせてもらえたのは前提として父の武力と怖さが背景にあってこそだ。
「明知の景行殿は此度の件で弾正忠様にも大いに苦言を頂いたとの事。今後は典薬頭様の旗の下遠山一族総出で尽くさせて頂きまする。」
「此方が願う事は予定通り馬籠の当主一族を稲葉山で預かる事。馬籠に斎藤から代官を置く事。そして明知殿には隠居頂き、御子息は稲葉山に出仕。城の管理は小里殿にして頂きます。」
「い、いくら何でも其処までは厳し過ぎませぬか?」
「此れは父道三が特に問題視して居る事。明知の彼の方は岩村殿からも独立せんとして居ったのです。此処で甘い対応をすれば岩村殿が舐められまする!」
横目で十兵衛を見ると「下手な芝居ですね」という目がこちらを見ていた。いいんだよ。相手は頭下げているから俺の表情まで見えないし。
「し、しかし……」
「岩村殿!此れも遠山一族の為ですぞ!」
「で、では我が子息を跡継ぎとしましょう!明知殿隠居で、我が子勘太郎を当主とさせますので!」
「足りませぬな。そもそも苗木が奪われたのは苗木に貴殿が養子に入れた御子が家中を掌握出来なかったのも原因。養子を送るだけでは安心出来ませぬ。本来なら苗木も此方で押さえるべきなのを貴殿に配慮し、反乱を犯した者の所領没収で済ませたのです。」
「そ、其れは……」
思わず顔を上げる岩村城主遠山景前。まぁそろそろ落としどころを作るべきか。
「では、こう致しましょう。明知殿は貴殿に任せる。苗木の武景殿には馬籠に置く代官に家臣の監視を任せる。そして岩村殿の嫡男に我が妹貴姫を迎えて頂き、今後の両家が力を携える様に図る。如何でしょう?」
拘った明知遠山氏の処遇で譲る。その分それ以外への影響力は限界まで削ぐ。更に次期当主にも干渉する。受け入れるのは辛いだろうが明知を取り込むことができる分遠山景前殿には最低限を確保させる形だ。
「承知致し申した。今後とも御指導の程宜しくお願い致しまする。」
「此方こそ。末永く協力して参りましょう。」
父の顔がちらついたのだろう。苦虫を噛み潰したようだが僅かに納得した様子もある。
岩村の遠山殿が下がった後、十兵衛がぼそりと呟いた。
「親子で硬軟織り交ぜられる形は、相手にとっては嫌でしょうな。」
まぁ、使える物は親でも子でも主君でも使うのが斎藤道三という男だ。俺の名声だって最大限俺に迷惑にならない範囲で使おうとするだろう。
迷惑にならない範囲なのはせっかくの名声なら使える限り使うつもりだろうからだ。ある意味信頼できる。
「しかし、貴姫も嫁ぎ先が決まるとは。嫌だなぁ。早すぎるとは思わぬか?」
思わず愚痴も出る。平井宮内卿が目を細めながら近付いてくる。
「兄弟が同じ場所に在るのは決して良い事のみに非ず。せめて嫁ぎ先で不幸が無い様願いましょう、若様。」
「そうだな。姉上の再婚先も、見つけてやらねばな。」
家族が幸せにならねば本当の幸せは手に入らない。長生きしたってそれでは意味がないのだ。
稲葉山に戻ったら姉上に会おう。そして今度こそ、彼女に幸せになってもらうのだ。
♢♢
尾張国 清洲城外
梅雨が明けた頃。
三河・遠江を平定した織田三郎信長は両国を織田信広・平手政秀に任せ、8000の兵を率いて那古野城に入城した。
大雨で清洲と那古野が睨み合いを続けている状況で、信長は着々と吉良氏や桜井松平氏の所領を安定化させていった。信広はこれに従う形となり、必然三河では「次の当主はやはり三郎様か」という噂が流れることとなった。
水野氏の援軍や弾正忠信秀本人の動員も合わせ、弾正忠家は11000を結集して大和守家との決戦に臨んだ。
大和守信友は織田三位・坂井大膳ら今川との戦で生き残った諸将を中心に動員。更に合流した長島本願寺の決死の兵により、数だけは7500を揃えた。
しかしその大半は農兵と一向門徒であり、特に一向門徒は長島の開発が思うようにいかないことによる困窮から合流前に各地で略奪を働いていた。このため門徒への怒りから弾正忠家の士気は高く、逆に一部大和守領でも略奪被害があったことで大和守・本願寺両者の反目が燻っているのが連合軍であった。
両者の合戦開始は昼前だった。先鋒の三郎信長配下柴田・下方・佐々・佐久間らは勢いに乗って織田三位の軍勢を圧倒。横から支援に回ろうとした坂井大膳は犬山城主で信秀の弟の信康と松平広忠により防がれた。本願寺勢は粘り強く当たった織田信光・水野信元らに各個撃破され、坂井大膳が松平広忠配下の本多忠高に討たれたことで勝敗は決した。
一気に瓦解した大和守の軍勢は佐久間全孝らに執拗に追われ、清洲城は守る余裕なく陥落。飯尾連竜が織田三位を、佐久間全孝が願証寺の証恵をそれぞれ捕縛し、大和守信友は長島に逃げ込んだ。
清洲入城後、弾正忠は息子と2人で上機嫌に笑った。
「しかし、まさか饗談を使い大和守領内で略奪し、その罪を一向門徒になすりつけるとは。其方何時其の様な悪巧みを覚えた?」
「いや、父上。もうすぐ父が増えるであろう?義兄上の絵本では調略の仕方は載って居らなんだが、義父殿は随分手が長いと聞いてな。」
「成程。其れでわしの動きと噛み合った訳か。わしの流した噂も有って、烏合の衆とは斯様の者也といった動きであったぞ。」
「火縄銃の噂に尾鰭が付いて居た彼れか。父上も悪どい事を為さる。」
「十丁の音で怯む程度にしか鍛錬して居らぬのが悪いのよ。」
「左様に御座いますな。」
玻璃のグラスで清酒を呑みつつ、2人は夜まで親子水入らずを楽しんだ。
翌日。
「父上。頭が痛い。今日は父上だけで頼む。」
「何を言うか。わしこそ頭が痛くて割れんばかりよ。父を労わって話を任せるぞ。」
2人が面倒事の押し付け合いをする中、那古野城で幽閉されていた土田御前が清洲に送られてきた。
彼女の所業もあって扱いは仕方ないものだったが、しかしいざ会うのは嫌なのが共通の状況である。酒に逃げても日は昇る。
「御二方とも、逃げる事敵いませぬぞ。」
「しかし佐渡、わしらは体調が悪い。会うのは又にしよう。」
「そうじゃそうじゃ、体には気を付けよと義兄上も良く申して居る!」
「既に評定の間に通って頂いて居ります。懐に何やら御持ちです。立場上誰も触れられませんでしたが、小刀の御様子。御気をつけ下さいませ。」
2人の酔いが一気に醒める。
「さて、わしか三郎か。念のため三郎はわしの右後ろに居れ。」
「やれやれ、大和守より母上の方が命がけじゃな。」
小姓に鎖帷子を巻かせ、自身も身を固めた上で2人は謁見の間に向かった。
部屋には憑き物が落ちたような顔つきの土田御前が居た。
「大殿も三郎殿も、ご機嫌麗しゅう御座います。」
「うむ、此の通り我らと武衛様に仇為した者はほぼ打倒した。大和守もすぐ其の首を武衛様の墓前に供える事が出来よう。」
「殿に御戦勝の祝いに、首謀者の一人の首を御届けしようと参りました。」
実際は単純に彼女を近くに置いておかないと家臣に何をさせようとするか分からない故に彼女は呼ばれたのだが、矛盾する言葉を彼女は口にする。
「首謀者?はて何者かな?」
「其処の津々木蔵人に御座います。」
そして、後方に控えていた津々木蔵人を指さす。
顔面蒼白でトカゲのしっぽ切りにあったことを理解した彼は、しかし彼女の剣幕に押され言葉を発せない。
「此の者、我が子を当主に据えて大殿の跡を継がせると大和守に告げて家中の動乱に呼応せんとしたのです。おのれ逆賊、此の手で成敗してくれる!!」
彼女は懐の小刀を出すと刀が手元にない津々木を襲う。
それでも仮にも武士である津々木はその手を止め、辛うじて攻撃を防ぐ。しかし座った状態の彼は、力が満足に入らず女性である土田御前の手を振り解けない。
「御前様!いけませぬ!刀を御仕舞い下され!」
「黙れ!其方も邪魔をするか!?」
側にいた佐久間全孝が慌てて止めに入ったところ、土田御前は狂気の目で全孝に小刀を向ける。
浅く腹部を斬られたことで全孝がたたらを踏むと、振りぬいた隙をついて土田御前が羽交い絞めにされる。
「手を離せ!邪魔する者は皆殿の敵ぞ!殿!此の者たちをお切り下され!!」
「……御前は病だ。暫し静かな場所で休んで貰え。連れて行け。」
「殿!殿も殿の敵に御座いますか!?者共!殿を止めよ!!殿を討て!!」
騒ぎ続ける彼女を、場にいる全員が呆然と見送った。
「当分、彼れを部屋から出すな。世話役には鎖帷子を着せ、万一の時は斬る事も許す。」
「は、腹に子が居りますが……」
「構わぬ。危ういと思ったら斬れ。」
大きく息を吐いて弾正忠信秀はその場を後にした。
三郎信長は、少し寂しそうに、母の連れて行かれた通路の先を眺めていた。
三河・遠江が落ち着いてしまえば彼我の戦力差は絶大。しかも仕込みの余裕まで与えてはこうなるのも当然ですね。
実は最大の決戦は相手が土田御前でしたという話。
彼女は幼い子供相手だと正気に戻るのですが(信長除く)、幽閉もあって完全に精神的に歪んでいます。
お腹の中の子はお市です。妊娠が精神的に不安定な状態の一因でもあります(もちろんそれだけではないです)。




