第121話 濃尾大乱 その7 名家の終焉
最後の♢♢から三人称です。
美濃国 大桑城
二郎サマの剣は素直だ。太刀筋は基本に忠実で腰を入れた強い振りを主体に攻め続けるタイプである。
一方、俺は自分が矢面に立つ事は基本ないと割り切って守りを重視しつつ適度に身体能力を使って重い一撃を混ぜるスタイルだ。
以前は割と分かりやすくフェイントがフェイントになっていなかったが、飯篠殿の指導のおかげか近年はそういった部分も大分抜けてきていた。間違いなく剣の天才だ。
練習に一時期付き合っていなければ分からない程度の虚実織り交ぜた攻撃に、時に体格差を使いながら対応していく。それでも数合打ち合えば不利は充分に悟れる。
「新九郎よ。其方は何でも出来る。」
「如何しました?藪から棒に。」
「だからこそ、此れだけは負けぬと示さねばならぬ。」
それは誰に示すものなのか。どうして示さなければならないのか。
色々な疑問は頭に浮かぶが、思考する時間を彼はくれない。再び数合打ち合い、間合いをとる。
「攻めては来ぬのか?」
挑発するような一言。攻めが苦手なことを知っている癖に。こちらが攻めた時こそ隙ができると分かっているからこそだ。
しかし、その瞬間飯篠殿の一言が頭をよぎる。
『右肘を無意識に庇う動きをすることがあります。何故かは分からぬので幼き頃に何かあったなどで無礼と言われると困るので伝えておりませぬ。』
右肘………。
狙う価値は、ある。まだ教えていない。
「ほう、来るか。受け止めてやろう。」
少し意外そうな二郎サマに対し、僅かに剣線を下げて右肘を狙うように突きを繰り出す。特別な反応はない。克服したのか?冷や汗が背筋を伝う。
もう一度。今度は薙ぐように右肘付近を狙う。やはり普通に対応される。隙を作らないように踏み込み切れないせいか。
「甘いぞ!何時もの強力は何処へ行った!?」
「まだまだ!」
やや捨て身で八相から振り下ろす。斜めの刀に受け止められたところで右肘を狙うように思いきり踏み込みつつ横薙ぎ。
「ぬ」
小さな声が漏れる。庇うように無理な姿勢で受け止めたため、不自然な体勢が出来る。
思い切り腹を横薙ぎに行く。普段なら足捌きで躱されるそれが、足がもつれて無防備になる。鎧の揺糸の部分を切り裂き、へその下あたりを斬った。
二郎サマの顔が痛みで歪む。名刀の前には着込んだ鎖帷子もほぼ無意味だったようだ。切れた場所から血が滲んでいるのが見えた。
「ふ。ふ。ふ。まさか其の様な技を隠していたとはな。」
膝が震えているのが見えた。
「勝負は決しました。もう止めましょう。」
「勝負など、関係無いのだ。土岐が、土岐の、土岐の……」
もはや自分でも何が言いたいのか分かっていない様子の二郎サマ。
隣の剣術家が動揺した隙を付き、後からやって来て後方に控えていた谷大膳が投石で側の剣術家の肩を痛打し、視線を外された十兵衛が男を殺した。
「終わりです。御命、頂戴致します。」
「なぁ、新九郎よ。何故其方は土岐に産まれなんだ?」
血が滲む中で、彼はうわ言のようにそう呟く。
「なぁ、新九郎よ。何故父上は此方を見てくれなかったのだ?」
その瞳にはもう俺の姿は映っていない。慌てて彼を守ろうと最後まで残っていた剣術家が立ちはだかるが、護衛の1人によって斬り伏せられる。
「なぁ、新九郎よ。何故、何故……」
「……救え無かった貴方という人の事、忘れませぬ。」
俺はせめて苦しまない様にと、やや前かがみで無防備な首へ腰の力を入れた一刀を切り込んだ。
名刀はあまりにも滑らかな動きで、二郎サマの首を胴と両断した。
血が噴き出す。新七郎が慌てて二郎サマの体を倒し、顔の血を拭いてきた。
鎧の血も拭こうとするので止める。
「土岐二郎は討った。屋敷を出るぞ。遺体を持って来てくれ。」
消火活動の進む屋敷を出る。敷地に入ってから20分くらいの出来事だったが、長く長く感じた。
屋敷の外には幸の叔母がいた。部下の持つ首を見ると、少し悲しげな顔を浮かべた。
「死にましたか」
「出来れば救いたかったが。」
「いえ、彼れは救えぬ人。でも、だからこそ……歪めてしまったのも又我らですので。」
この日、土岐という室町幕府の名家は死んだ。生き残ったのは僅か2歳の子供。六角と一色と土岐の血を引く子供。
もう土岐は支配者ではいられない。土岐は最後まで、肉親同士が争い血を流し続けた一族として後世に語られるだろう。
「殿も、泣いて居られる様な気がします。」
「出来れば、救いたかった故、な。」
甘いかもしれない。後悔をしている場合ではないかもしれない。それでも。
「俺は貴方には勝てませんでしたよ。剣の腕では、最後まで貴方の方が上だった。」
僅かな時間祈るくらいは、次の為に許されるだろう。
♢
城下の外にいた父がやって来た。
「獲ったか?」
「ええ。獲りました。土岐二郎の首級です。」
父は布に包まれたそれをわざわざ広げて顔を確認した。
「本物だな。獲ったか、国を。」
「国、ですか?」
「あぁ、国だ。我らは国を獲ったのだ。国獲りぞ。其方は美濃の国主と成れる。」
別に国が欲しくて戦ったわけではない。ただ、戦乱を鎮めるにはこれが最善だっただけだ。
「彼の土岐の子を形だけでも主とすれば良いだけだ。始められるぞ、其方が望んだ天下泰平への道が。」
「まぁ、其れに就いては喜んでおきます。」
実際は信長も初陣を飾ったばかり。綺羅星のような戦国の英雄たちは沢山いるのだ。産まれていない人間もいる。
彼らとどう向き合うか、決めなければならない。
「さて、先ずは戦の後始末だ。江の方様を如何するか、遺児を如何するか、東濃で遠山に干渉して来た木曽を如何するか、三木との関係や朝倉・六角との関係も。全て其方がやらねば成らぬ。」
「いやいや、父上も働いて下さいよ。今も守護代は父上でしょうに。」
「わしはもう一つの後始末が先よ。其れが終わったら手伝ってやろう。」
以前言っていたいわゆる黒幕的な相手か。まぁ蛇の道は蛇だ。そういう輩の相手は任せるとしよう。
♢♢
美濃国 ???
森の中。切り開かれた道で。
2人の男が周囲を気にしながら駆け足で西へと向かっていた。
「割に合わないとは此の事だ。」
「左様。伊賀忍の服部一族には大桑の屋敷で見つかったし。顔だけでは分かるまいが。」
「甲賀が動いて居るのは察したであろうな。逃げるのに我らの技を使わざるを得なかった。」
服装は一般的な旅装そのものだが、走ることで僅かに乱れた胸元から微かに鎖帷子を覗かせている。
良く見れば足首も確りと固められている。
藪の中から、突如2人に向けて矢が放たれる。
「ちっ!」
片方が手首に仕込んだ大ぶりの苦無で矢を弾く。踏ん張るために片方の足が止まる。しかし、合図もせずもう1人は足を緩めずに走り続け、その場を抜けた。
「ふむ。流石甲賀の影。此れは二人共、とは行かぬ様ですな。」
「さて。旅の者に何を求められるか……などと嘯く必要はない、か。」
藪から出てきたのは特徴のないのっぺりとした顔の男だ。印象に残そうと意識しないと忘れてしまうような、そんな男である。
そしてその側には仮面を被った5人の部下らしき人間。性別すら分からない髪型で、肩の肉付きも服が特殊な形状故か筋肉でも男女は見分けられない。
「甲賀の者です、とだけ答えて頂ければ有難いですな。」
「さて、嘯く気は無いが何者とも答える気は無い。土岐の為に雇われた、という事だけよ。」
「河内との繋がりを教えて頂くだけでも良いですよ?」
河内、という言葉に僅かに眉が動くが、確証に至らせる動きではない。
「せめて足掻かせて貰おう。仲間が逃げる時は稼がねばならぬでな。」
「手練れの方が残って良かったやら悪かったやら。まぁ、尋問しても答えてはくれぬでしょうし、せめて首を頂きますか。」
その言葉と共に両者は交錯し、しかし特徴のない男は自身を守る動きしかしなかった。
5人の仮面が示し合わせたように様々な道具を用いて彼を攻め立てた。それは肩に、肘に、背中に確かな一撃を与えた。
「ちっ……やはりそう来るか。一人でも道連れにしたかったぞ。」
男が崩れ落ちると、特徴のない男は彼に語りかける様に独り言をこぼす。
「若様と違って、耳役は為すべき事を只為すだけなのでね。卑怯も卑劣もマムシ殿の御家芸に御座いますぞ。」
仮面の5人は心臓に一撃を加え直すと、衣服をはだけて持ち物を確認する。持ち物の1つを特徴のない男に見せる。
「灰色で板状の石……何処の物です?」
仮面の1人が答える。
「甲賀の……黒川で採れる石かと。其処まで自信は有りませぬ。良く在る石と言えばそうですので。」
「自分の処の石ではない、と言えなくも無いですか。仲間同士なら認識できる違いというのは厄介ですね。」
厄介極まりない。と彼は溜息をつきつつ、しかし使い道はあるぞという表情で遺体を眺めていた。
二郎サマ、死す。
癖の話は72話のものです。大分前からの仕込みでした。
主人公も言っていますが、本作の二郎サマの剣の才は本物です。ただし彼自身は史実でも様々なものに翻弄される人生を送りました。もし癖が本人に知らされていれば、父親ともう少しきちんと話が出来ていれば。もう少し短気が抑えられれば。
そんな後1つ足りない生涯を描こうと決めていました。
甲賀の石は二十一家の黒川家の領内で採れる石です。ただし一般的な粘板岩とも言えるのでちょうど良いかな、と思い採用しました。




