第120話 濃尾大乱 その6 戦果と戦禍と戦火
美濃国 大桑城外 山県
戦場は中央に走る鳥羽川の左右に布陣する敵軍と対峙する部隊を先陣とする形で形成された。
うちの先鋒は不破氏の内乱で活躍した安藤守就・岩手重元・古田重定を中心とした西美濃衆1500と、斎藤正義殿を討たれた恨みを晴らさんと意気込む関綱長・佐藤忠能・妻木兼忠といった東濃衆2000が揃った。
両国人を左右に配置し、やや後方の小高い丘に俺の率いる本隊3500。そしてその後方で意味ありげな距離感で控えるのが父道三1000という布陣だ。
一方の二郎サマは先鋒右陣に相羽城主の長屋景興を配置。左陣に餌取広綱ら東氏と仲違いして二郎サマに身を寄せた人間と、村山一族の心中を覚悟した面々を並べた。見た目兵数は左陣が多く、こちらの方が士気も統率も目に見えてしっかりしている。
その後方には二郎サマの旗を持った子飼いの精兵。やや右寄りなのは右陣が逃げないよう圧力をかけるためか。
「左陣で此方を崩して右陣は耐える形か?如何見る十兵衛。」
「或いはそう思わせて右陣を囮に二郎サマが殿の御命を直接狙ってくるやもしれませぬ。」
「成程。有り得る話だな。少し後ろ目に居た方が良いか。」
「大沢殿と谷殿が我が本隊の前に居ります。そうそう敗れる事はありますまいが、念の為予定よりやや後ろ目にお願い致します。」
布陣が終わり、少しずつ距離を詰めていく。相手は火縄銃を警戒してかこちらに突撃してくる様子はない。弓矢が飛び交う距離程度なので、火縄銃は当然射程距離外なのだが、情報が精確に伝わっていないためか必要以上に相手に勢いがない。距離を不用意に詰めたら火縄銃で負けるとでも思っているのか。
「此度の戦は定石通りに進めます。相手の弱き部分を崩し、強気を逸らし。少しずつ相手の採れる策を封じながら、数と質両方で着実に追い詰めまする。」
「其れで良い。派手な勝利はもう充分。常道での強さを見せる事こそ、今後の為にも必要だ。」
弓矢の飛ばせる数で勝る。怯まず進める兵の数で勝る。相手の弱点に効果的に兵を送り込む。疲れの見えた兵を攻め手を途切れさせない様に交代する。
当たり前のような1つ1つの戦における重要な手を、十兵衛が着実に、そつなくこなしていく。
兵数の少ない相手は時間が経過するごとに少しずつ追い込まれ、劣勢になる。中途半端な策を打とうとする敵に、十兵衛の指示が丁寧にそれを潰す。それは距離が詰まり、接敵してからも同様だった。火縄銃を使うまでもない。
開戦から2刻(4時間)。じわりじわりとこちらが押し込み、容易に覆せない状況が出来つつあった。
「正直、もう少し早く崩れると思いましたが。」
「うむ。本来の二郎……ならもっと早くに怒りで我を忘れ突撃してきていただろうな。」
「彼の方も成長はされている様子。なればこそ、殿の策が如何に合理的か判断出来ていれば。」
「仕方ない。過ぎた事だ。」
そんな会話の中、遂に二郎サマが動いた。子飼いの騎兵と共に突撃の準備を始める。右陣側から左陣側へ移動を始める。その先にいるのは見る限りでは村山殿の子息、村山主計殿だ。
「まさか……」
その瞬間、村山殿の一族らが前線に躍り出た。皆が皆それまでの密集から散り散りになり、こちらの妻木殿らの軍に単独で切り込んでいく。
将の首が獲れると思ったのか、妻木殿の軍が陣形を乱したその場所に、二郎サマの騎兵が一気に突撃した。
「やられましたな。目の前の餌に釣られました。村山一族決死の、最期の奉公で御座います。」
「家臣を犠牲にする遣り方など決して認められん。が、其れを想定しなかったのは我らの落ち度よな。」
「しかし、挽回が効く程度なれば。日根野殿の部隊を送ります。」
「頼む」
そうこうしている間に、今度は餌取ら他の諸将までが乱戦の最中に躍り出ていく。目先の手柄に釣られた者から次々と形が崩れ、そこで二郎サマの騎兵がその隙をついて混乱が大きくなっていく。
「やはり戦の才は非凡。真に惜しい才ですな。」
十兵衛の呟きと共に、半ば強引に日根野備前守弘就隊が戦場に雪崩れ込み、合わせて妻木・佐藤らの隊が後方に下がる。日根野の奮戦ぶりに崩しきれなかったと悟ったらしい二郎サマは、驚くほどあっさりと撤退を開始した。殿は村山芸重殿。傅役必死の行動に、我々も深追いは困難と判断。
西日が差す頃には敵の将兵も武装解除が終わり、戦場で争う者はいなくなった。
十兵衛の作戦はほぼ想定内で戦を終わらせ、村山一族の死以外敵も目立った死者はなく多くを降伏させて終わった。
♢
美濃国 大桑城
翌日。朝から軍勢を大桑に向けて動かし始めた。
川を北上すると黒焦げとなった建物が見えた。天台宗の寺院・妙安寺だ。
天台宗と俺の繋がりから戦の前に焼かれたのだろう。御坊様たちが忙しなく使える物がないか探し回っていた。
彼らに尋ねると、二郎サマは大桑の城の方向へ向かったとのこと。再建の支援を約束して先へ進む。
途中で奇襲などがあるかと慎重に進んでいたが、そういったものは全くなく。
拍子抜けするほどあっさりと大桑の城下に辿り着いた。
先行していた部隊から報告が届く。
「城下の町各所で火の手が!」
「次郎左衛門!弥次右衛門!直ぐに消火を始めよ!火の手が広がらぬ様に多少建物を壊しても構わん!」
二郎サマは何がしたいのか。慌てて連れてきた部隊から大沢・日根野を消火活動の部隊として派遣する。
「火の手が更に広い範囲で!」
「殿、土岐の兵を発見しました。十数名で何者かを守るように動いて居りましたので競り合いとなり、全員を討ち取りましたが敵将に非ず!同様の敵を他の場所でも発見して居ります。」
「くっ。関殿や青木殿にも助力を頼め!」
降伏した兵の監視に残した部隊を除けばかなり大規模に兵を派遣する。本陣を大桑での滞在に使っていた屋敷とし、各所で火付けをしていた二郎サマの兵が捕縛される中、大桑城には二郎サマが不在であることが服部から報告される。小規模な集団で見つかる騎馬武者の一団も、二郎サマの影武者のような存在で無視できないが本命がいない。
「何処だ?大逆人土岐二郎を探せ!」
「火付けをしている者達は金で雇われているだけの様子。如何致しますか?」
「大桑城下の屋敷は見たか?」
「いえ、彼処は――」
「申し上げます!太守様の御屋敷から火の手が!」
服部が答えようとした瞬間、太守様が使っていた屋敷から火災の発生が報告される。
「しかも、屋敷の中で旗が掲げられて居ります!土岐の家紋に御座います!中に御本人を確認致しました!」
その瞬間、二郎サマは死ぬ気だと思った。急ぎで動ける部隊は既に各地で動いている。至近距離にいるのは俺だ。死ぬ気で俺を呼び寄せている。
「行くぞ、此のまま二郎の首を獲れぬのは不味い!」
「亡霊が出ては困りますからな!」
十兵衛はその意味を正しく理解していた。そう、万一彼の遺体が回収出来なければ困るのだ。
実は生きていて、という伝説は枚挙に暇がない。源義経、真田信繁、豊臣秀頼などなど。
二郎サマがその類となって利用されては困るのだ。特に朝倉は先の戦で土岐一族を全て失った。美濃への手駒に捏造さえ可能なのだ。
数分の時間で太守様の屋敷を囲んだ。城門は開け放たれており、谷大膳を先行させると、燃え始めた屋敷の中に二郎サマを見つけたと報告が来る。
「捕まえたか!?」
「其れが、横に狭い部屋で刀を振り回し我らを拒んで居ります。殿を連れて来いと叫びながら。」
槍が振り回せない部屋で、供の剣術使いと篭って抵抗しているらしい。人数は5人ほど。勢いで突っ込めば討てるが、建物が耐えられるかは不透明だ。
同様に側面の壁を壊せば相手の陣形も崩せるが、火が迫る建物がどうなるかわからない。
「後方の部屋に、例の女子が居る様ですが。他に出入り口が無いらしく。」
二郎サマの側に派遣されていた、耳役の協力者である幸の叔母が二郎サマと今もいることは分かっていた。しかし、この様子だと軟禁状態だ。助けるには二郎サマを討たねばならない。銃は火災の起きている屋敷では怖くて使えない。
「分かった。行こう。」
「危のう御座いますぞ。」
「分かっている。奥田、前を守れ。」
「御意」
できれば誰も危険に晒したくはなかったが、火事で兵を分散させられたのも、太守様の屋敷を選んだのも俺を自分の前に引きずり出す為だろう。ならば前には出るが、命まではかけない。
屋敷の中は邸内の井戸から運ばれる水で一部鎮火しており、安全な道を辿って俺はその部屋に向かった。
近づく程に二郎サマの声が聞こえてくる。剣撃の澄んだ音は微かに聞こえるが、無理をしないよう伝えてあるからか小競り合い程度のようだ。
最後の角を曲がる。通路より部屋自体は少し広いが、大の男が2人戦えるか否かといった広さ。当然槍を振り回せる広さはない。そして二郎サマの血と汗と泥に塗れた顔が見えた。
「来たか、新九郎!」
「部屋の向こうに居る女子、先ずは助けたいのですが。」
相手の声は無視する。部屋には入るが、交渉に応じる気はない。
「ふん、真に其方は女子想いよな。」
彼の合図に対し後ろに控えていた剣術家が謎の突起を押すと、空間が開いて押し出されるように女性が1人出て来た。
「申し訳御座いません。若様を危険に晒すとは。」
「良い。無事で何よりだ。幸も喜ぶ。」
彼女は軽やかにこちらに向かって来る。止める気はないようだ。
しかし彼女を保護した瞬間、2人の剣術家が一斉に彼女に向かって剣を抜いた。後ろで見ているだけだった俺は叫ぶことすら出来なかったが、奥田七郎五郎が必死に片方を、もう片方を十兵衛が受け止めた。
「新九郎おおおおおお!!」
突撃してきた二郎サマに、奥田が力任せで剣術家を振り解いて立ち塞がる。
しかし剣の腕では美濃随一と言われた二郎サマは、体格のギャップを生かして奥田の懐に飛び込み、右拳で内臓に一撃撃ち込むとそのまますり抜けるように俺に突きを繰り出して来た。
「甘い!!」
「やるな新九郎!!」
何度も練習相手をして来た俺だからこそその切っ先は読めた。ソハヤノツルキでこれを受け止めた。
鍔迫り合いに近い姿勢になった。奥田は相当な衝撃だったのか蹲りつつも必死の形相で小太刀を抜いて振り抜いた。
俺と二郎サマとの距離が開く。手練れの剣術家の相手をしていた十兵衛が叫ぶ。
「七郎五郎、下がれ!足手纏いで殿に迷惑をかけるな!」
「……申し訳御座いませぬ。某は下がりまする。」
「いや、其方が止めたからこそ受け切れた。礼を言うぞ。」
渋々といった様子で下がる奥田七郎五郎に、しかし二郎サマは眼もくれない。
護衛の兵が俺の前に来ようとするが、止める。
「今まで散々相手をしてきた、太刀筋の分かる俺で無くば止められぬよ。我が側面を守れ。隣の手練れも相当だ。」
「その通りだ、新九郎。今日は体の動きが良い。死を恐れなくなったからか。僅かな希望と我が身に縋りつく者達を失ったからか。」
彼はその場で刀を数度振る。腰が入った強い振りなのに、いつもより速さがある。護衛の兵も思わず息をのむ。せめて直線の廊下なら弓矢で殺すのだが、実に厄介な構造だ。恨むぞ太守様。
「さぁ、死出の旅路に土産を寄越せ、新九郎。腕の一本くれれば死んでやるぞ!」
「残念ながら。斎藤守護代家代々の名刀で冥府へ御送りする事以外出来かねます。」
医者の腕は命を救う腕なんだよ。奪う事しか出来なかった人にはくれてやるものか!
二郎サマと家臣による乾坤一擲の策。大桑の城下を使って対主人公の場を整えたわけですが、二郎サマはそもそも勝つ気はなく。主人公を道連れにすることしか考えていないあたり、最後までずれがあるのが分かって頂ければと思います。
明日、対土岐二郎頼栄決着。




