第115話 濃尾大乱 その1 はじまり
濃尾大乱、はじまります。
【追記】
コピペミスで3行ほど抜けていたので追記しました。
美濃国 稲葉山城
波多野稙通死す。
年末に病で倒れた丹波の有力大名・波多野稙通は2月に亡くなった。
胃痛を訴えた彼だが、最期には胸の痛みを訴えていたらしい。複合的な病だった可能性もある。年明けに診察するかと考えていたら、本人から震える直筆で、
「畿内不穏にて何時でも御加勢頂ける様御準備頂きたく。」
という文が来て止められた。京に居た半井殿に頼んで向かってもらったが間に合わなかったそうだ。
そして、彼の死を知って活気づいた細川氏綱勢が大小合わせれば6回目の挙兵を行った。
内藤らが丹波で攻勢に出ると、細川国慶が管領細川晴元の近江行きの隙を突いて京に進軍した。
氏綱は摂津で三好勢と睨み合いを開始。とはいえここまでは敵の勢力的に予想の範囲内だ。四国から兵が畿内へ援軍に向かえば鎮圧できるだろう。
こちらでも援軍を派遣する為に大桑で評定が決まった。自分も参加すべく準備を始めたところで、父に蝶姫の婚儀の準備を進めるため残るよう言われた。
「とはいえ、遠江まで姫は輿入れと成ります故、確かに準備に手間がかかるのも事実で御座います。」
「しかしな、十兵衛。其れと評定に出ぬ事は別であろう。何より、七郎五郎を連れて行った理由も曖昧だ。」
俺より巨漢で目立つ奥田七郎五郎利直を護衛に連れて行った父の動きも不自然極まりなかった。最近は色々と悪だくみとは違った方向ではあるだろうが考え込んでいる日が多かった。
「其れだけ弾正忠家との婚儀を重視しているのでしょう。美濃と尾張は今や日ノ本でも有数の同盟関係と言われて居ります故。」
「……十兵衛、其方何か知って居るな?」
基本的にはほぼ無表情にクールな雰囲気で人と接するのが十兵衛光秀という男だが、今日ばかりは妙に多弁だ。
「別に、何も。其れより、大殿から預かっている仕事が結構な量に御座いまして。」
「父上は少し仕事を溜め過ぎではないか?態と押し付ける為に残した様にしか思えぬぞ。」
あと、無理にごまかそうとしているようにしか見えない。父の仕事丸投げはこれ幸いと俺に色々やらせるためだろうが。
少し疑問を投げかけるような視線を向けると、
「やれやれ、某もまだ未熟ですな。」
「大分長い事共に居るからな。で、父上の命か?」
「申し訳御座いませぬ。時が来るまで大殿より内密にせよと命じられて居りますし、某もそうすべきと思いまする。」
素直に認めたが、隠していることは明かせないらしい。
「まぁ、其れが不利益と成らぬなら良い。青染めの絹は職人に用意させる。例の件を教えるのは豊に任せるからな。」
「妊娠しやすい日の数え方ですな?蝶姫様は読み書き計算全て殿の『きょうかしょ』で習得されて居りますから問題は無いかと。」
史実では2人の間に子供は出来なかったという。原因は分からないが、僅かでも子供ができる可能性があるならそれを教えるのが蝶の、そして俺自身の為だ。
「蝶に、笑って過ごせる未来が訪れる事を願うばかりだ。」
吐く息はまだ白い。寝所で凍えないように綿で作った厚みのある布団をもう1枚持たせようと決めた。
♢
父の出発から2日後、早馬で屋敷に戻ってきたのは奥田七郎五郎と叔父上の一行だった。
数人が怪我をしており、その状況は明らかに異質なものだった。
「戦の支度をせよ!二郎様が太守様を討った!!」
帰ってきて早々叔父道利の言葉に、俺は言葉を失った。
反対に、分かっていたとばかりに十兵衛光秀と平井宮内卿が矢継ぎ早に命令を出し始める。
「火縄隊、すぐに用意しておいた紙包の火薬を蔵から出せ!」
「婚儀の準備で城内に詰めていた部隊を武装させよ。急ぎ城から先発する。」
十兵衛の言っていたことはこれだったのか。
「何故隠した?」
「殿、大殿は既に二郎様か太守様の何れかが死なねば治まらぬと仰せでした。」
「ならば二郎サマを!」
俺だってそういう状況と分かれば二郎サマを討つのに躊躇はしない。
「いいえ。此処は共倒れが最上に御座います。土岐が滅べば、美濃は斎藤の物で御座います。」
「だから親殺しの二郎サマを討つ形にしたのか?太守様が、側に居た多くの臣が失われたであろうに!」
「亡くなったのは太守様と極一部のみに御座います。御正室も赤子も御無事に御座います。」
「しかし、二郎サマだけならもっと少ない犠牲で済んだのでは無いか!?」
十兵衛は冷静に自身の命ぜられていたであろう各所へ用意していた文を渡していく。俺だけが外されていたのか、という疑問も湧いてくる。
「土岐の血を僅かでも継ぐ某だからこそ言わせて頂きます。土岐はもう終わった家で御座います。これは好機に御座います。美濃が、斎藤が、乱世で羽ばたく為の好機なのです。」
「だからといって、主君が討たれるのを見ていたなぞ許されぬであろう。しかも、稲葉山に居たなぞ更に……」
「大殿は、逃げ出す事叶わぬ時は殿だけは確実に無事に済むよう諮ったので御座います。」
「あのマムシが簡単に死ぬ筈無かろう!七郎五郎は影武者にしたのか!?」
「御本人も覚悟しての事で御座いました。最悪でも殿の為に死ねるなら本望と。」
「そういう問題ではない!」
そして、こうして喚き散らしていても時間は戻ったりはしないのも分かっている。荒く吐いた白い息が霧散し、いつもの冷静な十兵衛の顔が視界に戻ってくる。
「少し落ち着かれましたかな?」
「不愉快だがな。止めようとすれば却って混乱が起きて父上が制御出来なくなる。だから誘導出来る様に外されたのだろう。」
「殿のご理解が早く有難い限りに御座います。で、如何されますか?」
深呼吸を2回。
「弾正忠家に援軍を貰えるか?」
「二郎様は大和守家と頻繁に文を交わしていました。彼方も何がしか動いていると思われます。」
とすると南にも警戒が必要だな。当の大和守家は父ならマークしているはずだ。
「朝倉や大和守家の動きは?」
「朝倉は西へ浅井の援軍を集めて居りました。ほぼ間違いなく此方に来ます。大和守家はまだ連絡は御座いませぬが、文の遣り取りを断片で知る限り武衛様が狙われるかと。」
「まずは朝倉を止めるぞ。叔父上には居城で南に備えて頂く。」
「兵を集めていたのは大野郡司を受け継いだ朝倉式部大輔(景鏡)で御座います。西に兵を送っていたので油坂峠から来るかと。」
「近い領主は鷲巣六郎様と揖斐五郎様か。揖斐様は十中八九二郎サマの味方だ。彼の御方は一度頼られると断れぬ。」
「鷲巣様は兄弟の争い自体を嫌って居りますからな。朝倉が匿っている土岐家中を前に出したならば危ういかと。」
「稲葉殿や氏家殿、竹腰殿は?」
「不破家中だけが揉めて居りますな。他は襲われながら奥田らに守られて逃げたとの事で此方に付くと。」
ここまで来れば肚をくくるしかない。戦で勝ち、美濃で強力な集権体制を構築し戦国大名となるのが今の最善だ。
「氏家殿に不破の対処を頼もう。竹腰殿には此方に合流してもらえ。長島にも警戒を。」
そこに叔父の道利がやってくる。
「既に怪我の無かった家臣を城に帰した。命じてある故南は心配するな。領内の元本願寺派も耳役が監視して居る。」
「叔父上、父上は?」
「御正室と共に身を隠しながら帰って来て居る。赤子にもしもが有ってはならぬので慎重に帰るそうだ。」
「承知致しました。なれば其方は任せます。」
「迎えに行かぬのか?」
「宮内卿が先程大急ぎで出て行きました。任せて良いでしょう。」
叔父はやや試すようにそう聞いてきたが、あの様子は間違いなく父と御正室達を保護するためのものだ。任せて問題ない。
「此処に至れば後は出来る限り急ぎ各地へ手を伸ばし、二郎サマに味方する余裕を与えず動く。森殿には御正室と御世継ぎを守っている事を伝え、大和守と本願寺への備えに加わって貰う。」
森一族は土岐への忠義は厚い。こちらの味方にするなら土岐の後継者はこちらにいると伝えるのが一番だろう。
「兵がまとまり次第油坂峠に向かう。美濃は我らが土地。余所者に荒らす余地を与えるな!」
いつの間にか参集していた斎藤氏の諸将に対し、俺は号令をかけた。応、という頼もしい声が稲葉山に轟いた。
♢♢
稲葉山に近い山中で、平井宮内卿は斎藤道三と太守土岐頼芸の正室・江の方らと合流した。用意されていた輿に乗った江の方も視界の端に目視しつつ、宮内卿は主君の元にまず駆け寄った。
「御無事で何よりに御座います。」
「片腕くらいは持っていかれるかと思うたが、二郎サマに天運は無かったな。此の通り膝に矢を受けただけよ。」
不敵な様子を崩さない道三だったが、顔色は優れなかった。
「如何なさいましたかな?」
「帯刀がわしを守って死んだ。いや、典薬頭の父であるわしを守って死んだ。」
斎藤帯刀左衛門尉利茂は二郎頼栄の凶刃に倒れた。評定の間で時間を稼いだのが彼である。老齢ながら腕自慢の二郎の側近を2人切り伏せ、1人と相討ちとなったその表情は修羅の如きだった。
「我が子の仁に、彼の男は命を懸けた。……わしの子らしくないな、真に。」
自らの命を投げ出さんとする友も、家臣もいないと考えている道三にとって、それは衝撃的であった。
「いいえ、若様は正しく殿の子で御座いますよ。」
しかし、それを宮内卿は否定する。
「何故なら若様は、己の娘に泣かれる御仁に御座いますれば。」
皺くちゃの笑顔でそう告げる宮内卿に、道三は微かに笑みをこぼす。
「そうよな。マムシの子が化け猫というのも乙な物よ。」
道三は頬を両手で1回叩くと、一行を見て腹の底から力強い声を発した。
「行くぞ、親殺しの逆賊を討つ。わしらの国獲りの始まりぞ!」
逃げる過程で泥だらけとなった者も、救援に駆け付けた忠臣も、その声に重く響く声で応じた。
波多野翁は史実より半年ほど長生きして死亡しました。そのため内藤氏の勢力は史実より弱くなっています。
太守土岐頼芸、史実より圧倒的に早く退場。結果として土岐を名乗る一族は残り5人のみとなりました。
(遺児・二郎頼栄・次郎頼純・恵胤(政頼)・七郎頼満)
もう1つの守護代家だった帯刀も討死。それ以外の各家の状況と尾張などについては次話で明らかになります。
国を盗んでいないので表現はあえて「国獲り」です。
ちなみに、本文では書きませんでしたが前話で分かる通り道三は主人公が失敗したとは思っていません。あくまでこの流れは「太守の子育て失敗の責任を太守に死で負わせた上で自分が美濃の支配者になる正当性を得られる状況にする」ために道三が少しずつ流れを整えたものです。




