第113話 説得と崩壊と
後半の♢♢から二郎サマの1人称、最後の♢♢は三人称です。
尾張国 津島
海路で紀伊半島を一周して尾張に帰って来た。近江・伊勢経由で届いた一色の手紙を受け取ると、津島まで来たところで織田弾正忠信秀殿が待っていた。
「お久しぶりだ、典薬頭殿。息災かな?」
「お久しぶりで御座います、弾正忠様。先ずは遠江守護代の件御目出度う御座います。此の通り瀬戸内の海の幸を堪能して参りました。其れと、此方大内の太宰大弐様から文です。」
「うむ、此れで我が家も名実共に大和守に並ぶ事が出来た。文も頂こう。一色からの文は読まれたかな?」
「いえ、未だです。暫し時間を頂きたく。」
「では、今宵また話しましょう。吉法師は遠江故、邪魔はして来ませぬ。」
ニヤリと笑う姿に少し年齢を感じさせる皺が出始めているものの、左のえくぼは健在だ。
遠江の守護に斯波義統様が任命された。守護代に選ばれたのは弾正忠信秀その人である。尾張守護代の大和守家と家格で並んだことになる。
遠江は井伊谷城主井伊直宗・曳馬城主飯尾連竜・犬居城主天野景泰らの協力で統治が安定化しつつあるそうだ。三河でやや宙ぶらりんな状態の吉良氏とは婚姻によって決着を付けようとしているらしい。ここが片付けば尾張東部の勢力圏より東は完全に安定させられるとあって弾正忠家はかなり力を入れている。史実より巨大な織田氏の誕生である。
大橋重長の屋敷に着いた後部屋で開いた丹後の一色氏からの手紙には、養子入りの件は問題ないという内容だった。家老の石川殿が近々こちらに来るつもりらしい。
大内義隆の息女珠光様との婚姻もかなり喜んでくれた。若狭武田氏と大友氏の関係性が近付いている事への危機感もあったそうだ。畿内の勢力としては最近イマイチぱっとしない丹後一色氏にとって復権のチャンスにもなるだろう。一色―土岐間の結びつきが強いことは悪い事ではない。
夜になってからやって来た弾正忠信秀殿も、頼んでいた根回しを進めてくれていた。
「東条の吉良からは一色の守護就任は問題無いと言質を取った。奴らからすれば傀儡が来るだけだからな。住まいは一色の城があった牛久保に用意し、牧野に監視させよう。」
「退屈されて何か妙な事をされても困る故、此方で剣の達人を定期的に送り剣術指南を受けて頂く予定です。安祥の三郎五郎(織田信広)殿にもご配慮頂きたく。」
「大丈夫だ。奴には既に年始の挨拶はまず守護様に、とするよう伝えて居る。」
名家としてのプライドが強い二郎サマだ。文字通りの名ばかりでは不満を持ちかねない。なので松平の一門や戸田・田原といった国人には年始の挨拶をきちんとさせる方向で調整中だ。
「魚肥は漸く安定して作れるようになってきた。三河の綿花に先ずは使って居るが、其方にもある程度なら回せるだろう。春頃に一度送ろう。」
「順調そうで何よりに御座います。瀬戸内の船大工はあと1月程かかると思いますが、村上の水軍が送り届けてくれます。」
「模型と図面で試作品は造ったが、如何にも全体が安定せなんだ。助かる。」
織田は現在佐治の水軍や水野・戸田の水軍の一部を使って干鰯作りを進めてもらっている。尾張・三河ではそこまで大規模には獲れないが綿花の増産には必須だ。三河木綿は収穫が増える程衣服の値段が下がる。もう少し栽培が軌道に乗ったら次の手を打たねばならないだろう。織田と斎藤が更に儲かる構図を作るために。
♢
美濃国 大桑城
稲葉氏の居城に寄った後稲葉山に帰った。子供たちも順調に育っており、父の道三は相変わらず我が子達に嫌われていた。本能が避けているのだ。もうそろそろ諦めたらと思う。
父と共に大桑の守護館へ帰還の報告を太守様に行い、その後出発前に話しておいた二郎サマの件についての進捗を伝えた。
「左様か。余の為に其方には苦労ばかりかけるな。」
「宮内少輔(二郎)サマが御家督を継ぐには無理が御座いますが、太守様の御長男なのは間違い無き事。御家争いを生まぬためにも、出来る限りを尽くすのが臣下の務めに御座います。」
「真、道三も良き跡継ぎを得たの。以前は一度隠居を止めたが、此の一件が穏便に終わり次第其方の暇乞いを許しても良いやもしれぬ。」
「わしには過ぎたる者に御座いますれば。」
さり気なく御家争いを燃え上がらせた父に皮肉をこめてみたが、こういう時の父は厚顔無恥などという四字熟語では表せぬ程の面の皮が厚い様子を見せてくれる。
「では、余が場を整えよう。余からでは話も出来ぬであろうから、彼奴の事は其方に任せるぞ。何とか彼奴を、土岐の呪縛から解き放ってやって欲しい。」
最近は太守様と顔を合わせようとすらせず自分の屋敷に籠っているという二郎サマ。幼子と御正室に万が一があってはならぬとこの屋敷に二郎サマを入れるのは国人によって反対されている。
太守様は話し合いの当日は御正室や赤子と共に屋敷を出るそうだ。この屋敷で腰を据えて説得しろということだろう。
「かしこまりました。」
説得できなければ二郎サマが生き残る道はなくなるだろう。これは自分の為ではなく、二郎サマの命の為の戦いだ。
♢
屋敷では平井宮内卿や国人代表の妻木兼忠殿、鷹司左衛門督政光殿と共に鷲巣六郎光敦様や森可成殿が待っていた。二郎サマを積極的に味方しないがこちらに寄っているわけでもない人々だ。反二郎サマ、中立、二郎サマ寄りの全ての人々が関わる状況が出来上がった。
上座に座った土岐一門の方々に促され、話を始める。
「今日は若様の今後について御話させて頂きたくお越し頂きました。」
「二郎が家督を継いで、赤子は二郎の養子ではいかんのか?」
開口一番こちらに口を出してきたのは揖斐様である。親二郎サマだが、どちらかというと甥っ子が可哀想なので見捨てられず肩を持つ情だけで動く人だ。
「其れで二郎サマに子が出来たら如何なさる?六角とて気づけば当主が今の弾正親子に受け継がれるようになった。二郎様がそう為さらぬとは到底思えませぬ。」
「黙れ簒奪者め!其方の言う事など聞きたくない!」
「ならば、下がりましょう。御話を聞いて頂くのが目的なのに、聞いて頂けぬでは意味がありませぬ。」
「そうだな!其方が居なければ少しは話を聞いてやっても良い!」
売り言葉に買い言葉だが、ほぼ予定通りだ。左衛門督殿を使って話を聞くという言質をとったところで彼には下がってもらう。間髪容れずに入ってくるのは、いわゆる西美濃三人衆。国人代表としては大本命の面々である。
「い、稲葉!其方我が義父の癖に我が廃嫡を願うか!?」
「娘が大事にされて居れば話も違うのですがね。閨にも呼ばれぬのでは御味方せよとは無理な話に御座います。其れに、典薬頭様の母は我が姉の深芳野で御座いますよ。」
東濃の国人代表である妻木殿、西濃の代表である稲葉殿らが揃った時点で家中の意見は良く分かるものだ。彼の支持者はここにはいない。
まずはきちんと現状を全員が共有する状態を作った。次はこの厳しい状況に更に負荷をかける。
「若様、残念で御座いますが若様が土岐の跡を継ぐのは最早厳しゅう御座います。」
その言葉に、二郎サマは特に表情を変えない。村山殿とその子息だけが無念そうな表情を見せている。
「六角との血縁は彼の家と接する我らには是が非でも欲しい縁。朝倉に居る当主を名乗る頼純を討つのに集中する為にも、この縁は失えませぬ。」
次に、共通の敵の存在を思い出してもらう。ついでに自分の負けた因縁の相手にヘイトを肩代わりしてもらう。
「若様の武は此処に居る諸将も良く分かって居ります。しかし戦は其れだけでは勝てませぬ。味方を増やし、敵を討つ最善を尽くす。若様にもご協力頂きたいのです。」
「頼純を討つ為に、我らに犠牲になれと申すか?」
「いえ、其の様な心算は御座いませぬ。若様には三河守護に成って頂き、三河守護として頼純討伐に参加して頂きたいのです。」
「如何いう事だ?」
ここで、初めて眉間の皺が緩んだ。訝しむ様子はあるが、少し意外な言葉だったのか険がとれた。
続ける言葉に、鷲巣六郎様も援護をくれる。
「若様が土岐の名を継ぐのは状況的に無理で御座います。ですので、一色氏と話し合いを進め若様に一色氏に養子に入って頂き、三河守護に任ぜられて頂きたく。」
「頼栄、其方が土岐の名に拘る事は重々承知して居る。だが今の赤子が当主に就いた後、其方は一色土岐を名乗れる様典薬頭も一色とも話を進めて呉れた。其方自身の為、此処は曲げて受け容れてくれぬか?」
「既に公方様の了解も頂いて居ります。吉良も文句は無いそうですし、弾正忠家も長男の三郎五郎(信広)様の守護代補任を命じて頂けるなら臣下として尽くさせて頂くと。」
中立の鷲巣六郎様からすればこの話は穏便に家督問題が終わる唯一にして最大のチャンスだ。親とその兄弟が、そして兄同士が家督を争ったことを知っている六郎様はこの問題とは距離をとっていた。ここまで呼べたのは今回の案が成功すれば誰も傷つかずに済むからだ。
やや呆気に取られている二郎サマに、ここで思わぬ人物が口を出した。村山芸重殿の息子である村山主計殿だ。
「殿、お願い申し上げます!此の件、どうか御受け下さいませ!!」
土下座姿勢で頭を深々と下げる姿に、全員が彼の姿に目を奪われる。
「若様なら三河守護として必ずや御力を発揮出来まする!ですのでどうか!どうか!」
「其方は我らの子守りが嫌になっただけであろう!?」
「違いまする!若様が三河に向かわれるなら、某も共に三河に御供仕る所存!村山の家督は必要ありませぬ!」
僅かに上げた顔から、涙がこぼれる。
「お願いに御座います!何なら某の首を不忠者と斬って晒して頂いても構いませぬ!」
「お、お待ち下さいませ。若様、倅は本心から若様の為を思って居ります!命だけはご勘弁を!」
慌てる村山芸重殿と、強い覚悟を目に込めて二郎サマに見せる主計殿。
「新九郎」
呟くように呼ばれる。
「何で御座いましょう?」
「父上は、此の事何と?」
伝えるべきだろう。太守様の想いを。命の奪い合いにならないで欲しいという想いを。土岐の名にこれ以上縛られて欲しくないという想いを。
「太守様は、土岐に縛られず自由に生きて欲しいと。家督を継がせられぬのは済まぬが、其れでも若様に生きてほしいと。」
「……そうか」
呟いた二郎サマは、「話を進めよ」と呟いて部屋を出て行った。
眉間の皺はとれ、憑き物が落ちたような表情だった。
僅かでも伝わったのだろうか。そう信じたい。
♢♢
不思議な程頭が冴え渡った感覚がある。
全てを聞いた時点で、怒りは湧かなかった。人間とは頂点を超えた思いは却って醒め切ったまま受け止める物の様だ。
「叔父上、準備を頼みます。」
「頼栄よ、戦は止めよう。もうわしは争うのは嫌じゃ。」
「ならば某只一人でも戦いまする。」
「ううむ……其れはもっといかん。」
叔父上は優しい。いや、甘い。甘すぎる。だからこの程度で我らを見捨てられなくなる。
「今峰、久々利と織田の大和守と大河内、其れと遠江の小野・長島の一向宗にも文を出せ。」
「御意」
分かって居らぬな、典薬頭。主君の愚かさが。
我が願いは土岐の名ではない。強い土岐の復活だ。そして、何よりの願いは父に認められる事だったのだ。
自覚したのが父に見捨てられた後とは皮肉な話よの。もう、土岐にこの身の居場所はないのに。父と同じ氏を名乗る事さえ許されなくなったのに。生きていく上での願いも、奪われたのに。
「ううう。何故争わねばならぬのだ。何故其方は止まれぬのだ。」
「済まぬな、叔父上。地獄まで付き合って呉れ。」
誰にも聞こえない様に、そう呟いて己の屋敷の門を潜った。
♢♢
「やれやれ、人の想いってものは難しゅう御座いますねぇ。大殿に何と言えばいいやら。」
耳役の呟きは、今度こそ誰にも聞かれずに虚空へと消えた。
ベタな擦れ違いですが、これまでの積み重ねで正しい意味で言葉が届かなかったという話です。
二郎サマという人は境遇を考えると何とも言えない人です。
物心つく頃は父親と伯父が家督を争い、(恐らく)母と死別。
その後大人に近づくにつれて太守となった父親は今度は太守の仕事で相手をしてくれない。
今作では史実が不明瞭なためこういう人物としましたが、鬱屈したものを抱えていたのは十分あり得るでしょう。
史実では廃嫡から一色姓を名乗りますが、子供は土岐姓を名乗らせています。土岐への想いは強かったのでしょう。
村山主計は芸重の子供の名前がイマイチ出てこなかったので『美濃明細記』に出てくる一族の名前からとりました。なので息子の名前かはわかりません。




