第112話 味方を強くして敵を弱くするのが理想
遅くなりました。出張中でスマホから投稿するのに手間取りました。
安芸国 倉橋
倉橋は大内に属する水軍の多賀谷氏の本拠だ。正確には倉橋を本拠にする多賀谷氏と蒲刈を本拠にする多賀谷氏がいるらしいが、行きでも村上水軍は実は複数いるくらい訳分からなかったのでここでは割愛させてもらう。
大事なのは、ここで海が荒れた為に滞在した日の夜、ある人物に会ったことだ。
「お初にお目にかかります。拙僧、安国寺の僧に御座います。」
安国寺は足利尊氏・直義兄弟が全国に建立したと言われているそうだ。日本の平和を願ったそうだが、その後兄弟で観応の擾乱をやらかして南北朝時代が数十年続いたことを考えると笑えない冗談である。
「実は、甲斐の武田とも縁がある典薬頭様にお願いが有って参りました。」
「わざわざ荒れた海を渡って来られたからには理由があるのでしょう。お聞きします。」
この僧、幼子を連れて自ら船を漕いで荒海を越えて倉橋まで来たそうだ。余程の事でもない限りそんなことはしないだろう。
「実は、此の童を引き取って頂きたく。」
「辰王丸に御座います。七つに御座います。」
子供の目を見た瞬間、驚いた。何を考えているのかこれほど分からない子供も初めて見た。
かといって感情が無いのかといえば違う。確かに表情もあり緊張しているのは額の汗からも伝わってくるが、目は何の感情も現さないのだ。
「此の子は、一体……?」
「安芸には昔から武田一門が居り、一時は守護も務めて居りました。然れども大内氏や山名氏に圧迫され勢力が衰えていき、先年遂に大内氏家臣の毛利元就に一族皆討たれたのです。辰王丸はその数少ない生き残りで御座います。」
「安芸武田……確か、若狭武田氏の本家筋でしたな。」
「左様。安国寺はその安芸武田氏の菩提寺を務めて居りました。其の縁も有って此の童を匿っておりましたが、数年間坊主の修行をしながら得度せぬ事を不審がられて居りました。此度の典薬頭様の来訪は正に薬師如来様の采配と思いましたので突然で失礼とは承知の上で参りました。」
そして事前に渡された安国寺からの手紙にも同様の事が書かれていた。こちらに来る数日前に出家の儀式である得度をさせようという話まで決まっていたらしく、この時期でなければ僧になっていただろうと聞くと正に時の運である。同時にこの子を美濃で預かってほしいとも書いてあった。
何故美濃なのかと疑問に思ったが、畿内では政治利用された挙句警戒した毛利元就に命を狙われかねないかららしい。
成程。つまりこの時期には既に毛利元就という人物は危険だと認識されていたのか。さすが謀神。
「拙僧と共に寺を逃げ出した事に成っております。典薬頭様の優しさに付けこむ様で申し訳ないのですが。」
「気にしないで下さい。しかし、此の子は得度したら何という名に成る予定だったのですか?」
「恵瓊。そう名乗らせようかと考えていたそうです。」
お寺の名前から疑っていたけれど、やはりそうだったか。安国寺恵瓊。秀吉にも気に入られた毛利の外交僧。大名にもなったらしいから、とてつもない才覚のある人だったのだろう。
「仏門に入れるかは本人に選ばせたいと考えております。拙僧も稲葉山迄同道させて頂きます故。」
既に稲葉山城下の寺院にも連絡済みだそうだ。根回しがされていてしかも将来の有名人らしいとなればこちらに否やはない。
「分かりました。此方で共に美濃へ向かいましょう。美濃は畿内含め各地から人がやって来ております故、言葉遣いも不審がられる事は御座いますまい。」
「御心遣いかたじけない。必ずや此の御恩に報います故。」
毛利が弱体化すれば織田にも良い。本人の希望次第では僧になっても良いし、文官として活躍させても良い。美濃ならばそれは自由だ。誰にも強制させない。
♢
備中国 笠岡
笠岡は村上水軍の拠点でもある。特に因島を拠点とする因島村上氏の拠点で、陸海共に要衝といえる。塩田もあり、安価な塩を中国地方に提供している。
因島村上氏の当主村上隆重は大内義隆の麾下で活動している。村上水軍の惣領といえる能島村上氏を支え、対立する来島村上氏と半ば敵対中だった。
ところが、昨年以降三好氏の圧迫を陸から、大内氏の圧迫を海から受けた伊予の河野氏は方針を軟化。
河野氏の支援を受けて来た来島村上氏も態度を軟化させ、今年の夏頃に来島の村上通康の8歳の娘を正室に迎える事で和睦したそうだ。
「武断派が勢力を盛り返した御蔭で来島の連中も辛くなったのさ。良い気味さね。」
村上隆重は因島の村上氏として能島村上氏を支えてきたためか来島村上氏には辛辣だった。
「此れも安産の為と大内様が典薬頭様を呼んだ御蔭さね。海路で典薬頭様を呼べる様にと支援が厚くなったんだ。万万歳さね。」
「お役に立てたんですかね?」
「有難や有難や。鏡の取引でも精一杯御力に成りましょう。」
彼らからすれば今回の件で能島村上氏が村上水軍の惣領的立場となれた部分もある。感謝もしてくれよう。
「で、お願いしていた船大工なのですが。」
「矢張り普通の船大工は地元を離れたがりませぬ。新しい船とやらを見てみたいという奇特な男が居たので、其の者は如何でしょうか?」
「構いませぬ。此の地方の船が造れる者を探して居たので。」
今弾正忠家で試作実験しているのが菱垣廻船だ。大阪での修学旅行で行った博物館で実物を見た事が生かせた形だ。
菱垣廻船は江戸と大坂を江戸時代に結んでいたという。元々の原型になったのが弁才船であり、弁才船は瀬戸内海でこの時期良く使われていた。
うちから桑名経由で北条領まで荷物を運ぶために造ろうと思い立ったのだ。物流の活発化は美濃にも尾張にも好都合だ。協力出来る限りしていきたい。
「では、其の者が一月ほどで尾張に着きますので、宜しくお願い致します。」
「其れで頼みます。我らにとっても有難や有難やに御座いますよ。」
「此れは上手く返されましたな、ハハハ!」
豪快に笑う姿を見つつ、信長には鉄甲船よりまず物流にも使えるこちらの方が良いですよと伝える心算である。
上手く物流を安定化させる事で出来る事を増やしつつ、弾正忠家の東の更なる安定と繁栄により彼らの天下取りをサポートする予定だ。
先行させた十兵衛光秀は土岐一門の遠縁だ。大内義隆という大人物との手紙が無視される事もないだろう。
三河守護をエサに一色へ二郎サマは養子に入る。その流れが上手く作れたか。
正念場になるだろう。頑張って説得材料を揃えねばならない。
安国寺恵瓊は1551年頃までは安国寺で隠れて修行していたそうですが、本作ではこのタイミングで拾われます。
安国寺(不動院)は薬師如来が本尊なのでうまくコンボしています。
村上水軍関係は時系列がイマイチな状況なので、あくまで本作での設定で違和感ないようにこうしました。
菱垣廻船については完成時に細かい話を書きます。




