第110話 物欲に釣られる者達
筑前国 博多
助才門が帰国した。王直という商人?と一緒だ。この王直が助才門を双嶼島へ招いたらしい。
王直は倭寇の親玉をやっていたら明が海禁政策をとり、倭寇の旨味が減ったために密貿易で利益を稼いでいるらしい。
浅黒く焼けた筋骨隆々の体つきを見れば海の男といった雰囲気がよく伝わるのだが、結局やっていることはマッチポンプ気味な何かだ。
「とは言いましても、此の男金には誠実でして。」
「金が稼げるなら何でもする。此の国は金になる物が多い。」
王直は特に銀と鏡を欲しがっていた。銀はわかるにしても何故鏡がと思ったら、中朝双方で需要が高まっていると教えられた。
「少し前に皇帝が妃に殺されかけてな。騒動で皇帝は紫禁城に戻れなくなった。新しい屋敷で道教の教えに縋る為に新しい鏡を探して居た処で一枚板の大鏡を手に入れた為、高官たちも取り入るために欲しがっているのさ。」
1542年に明の皇帝は紫禁城で暗殺されかけたらしい。しかも相手が妃だ。后に救われたそうだが、不信感で紫禁城に戻れずに居るそうだ。元々入れ込んでいた道教に更に熱中しており、道教に必須と言っていい鏡を求めているそうだ。
「朝鮮も先年に即位した幼い王を皇帝に認めてもらうのに宗氏から手に入れた鏡を使ったらしい。現王の母が明の皇帝へ認められるべく貢物として贈ったのもあって、朝鮮と明では此の鏡は欲しい人間が山ほど居る。」
「では、充分売り捌けると?」
「宗氏も取引には限度がある。明の分は任せて欲しい。」
李氏朝鮮の現王は13歳だそうだ。昨年に兄が急死し、跡を継ぐために明の皇帝に許可を求めた。その時に贈られたのが俺の鏡らしい。元々王の母は仏教好きらしく、仏教でも鏡は欠かせない。宗氏がわざわざ人を送って来た理由がよく分かる話だ。
「流石に宋銭はもう手に入らない。明銭で問題無いだろうか?」
「理想は宋銭。無ければ明銭で構わない。」
この時代日本で流通している主要貨幣が中国製というのも不思議な話だ。宋銭が畿内では好まれるが、明銭も普通に使える。とはいえ外国に貨幣の鋳造を頼るのは危険だ。今弾正忠家と話し合っている最中だが、そのうち貨幣不足になっては困るので対策を考えている。もう宋銭は手に入らないし、明銭も海禁政策で入手が大変だ。王直はこれを供給してくれるのでありがたい。
「何か明で手に入れてほしい物が有れば探して来よう。」
「ならば、まずは南蛮からガタパーチャの樹液を手に入れてほしい。可能な限り多く。」
ガタパーチャはマレー半島で採れるゴムの一種だ。世界最初の海底電線で被膜に使われた。ゴムノキはアメリカ大陸だが、ガタパーチャはアジアにある。アジアで用意できるゴムは早期に欲しい。
「マラッカと行き来している商人に頼んでおこう。他には?」
「フランキ砲が欲しい。弾以外は1つだけでも良いから手に入らぬか?」
「最近南の奴らが熱心に売っている大きな火砲か。何とか取ってこよう。」
若干不穏さを感じる受け答えだが背に腹は代えられない。現状で手に入る大砲を確保しないとノウハウがないから造れないのだ。
大砲で城攻めは是非やりたい。大坂城攻めでも効果がどれほどあったか分からないが使われたものだ。心理的な恐怖を煽るのにも使える分、無駄な死者を出さずに降伏させることも出来そうだ。
「支払いは鏡と刀剣、其れと一部は銀で頼む。」
「此方で用意しておこう。樹液は手に入れば入るだけ買い取ろう。」
「此方も刀剣なら質が良いなら数は幾らでも欲しい。上手く儲けられるよう協力していこう。」
太い幹のような腕と握手をする。身長の問題でこちらの方が手のひらは大きいが、腕の太さが比べ物にならないくらい違う。これでも二郎サマの剣術稽古もあって少し前までは鍛えていたのだが……やはり現場・前線の人間は違うなと感じた。
♢
博多を出発する前日。
肥前で手広く商売をしている商家から秘密裏に神屋の屋敷を尋ねる者がいた。
出発の際数名を共に連れて行けないか、というものだった。
「神屋様は大内様とも御懇意故、此処では言えぬ御方からの依頼に御座いまして。」
「とすると大内とは敵対的な者か?まさか佐嘉の?」
「左様に御座います。龍造寺から御連絡頂きまして。」
どうやら宗像水軍の探索する噂を聞いて大内の手を借りずにここまで来たらしい。
「大内に借りを作れば、何時其れを取り立てに来るか分かりませぬ故。」
屋敷で待っていたのは妙齢の女性だった。怜悧な光を放つ瞳と、力強い表情に合わない当時の喪服が強いインパクトをこちらに与える。
「我らは取り戻さねばなりませぬ。誇りを、強さを、領地を。」
「だから大内は頼らぬと?」
「左様で御座います、典薬頭様。大内を頼れば領地と強さを取り戻しても誇りが失われましょう。龍造寺とは肥前一の武家を目指す家で御座います。」
彼女は先日の龍造寺一族殺害事件で夫と義父、そして義養父に義弟まで殺された。その恨みは内心凄まじいものだろう。
「我らが手で仇は討たねば成りませぬ。義祖父様も其れ迄は死ねぬと仰って居ります。しかし、其れは其れとして血は残さねば成りませぬ。」
「若し仇討ちを成功させても、一族が滅んでは意味が無い、と?ならば他家の事とはいえ出来れば戦は避けて欲しいですが。」
「戦無くして馬場は討ち取れぬでしょう。相手も此方の生き残りに警戒して居ります。恐らく我らの動きも追々知るでしょうね。」
避けられぬ戦となるのか。彼らの意地は今日会った外部の人間で覆せる程軽くない。
「で、我らに一族の者を預けようと?」
「典薬頭様の御噂は肥前にも轟いて居りました。義に厚く民を慈しみ戦でも負け知らず。帝の信頼も厚く公方様も頼りにされ美濃太守からも信頼厚いと。」
誰だそいつ。箇条書きマジックだな。
「実物は其処迄のものでは御座いませんよ。噂には尾鰭が付く物故。」
「京では痘瘡に罹る者は殆ど居なくなり、施餓鬼で幼子も老人も飢えを凌いだと聞き及びましたが。」
「過ぎた謙遜をする気はありませぬが、自分1人で出来た事では有りませぬよ。」
「其の様な御仁なれば、我が一族も預けられると思いました。」
怜悧な光が一瞬失われ、代わりに子を思う母のような暖かい視線が背後に控えていた少年に注がれる。
「御当主である豊前守様の弟君である新次郎様。我が夫の次男である安房守。そして鍋島の次男彦法師丸で御座います。我らが御用意出来る最高の品を御用意致しました。」
「此れは……碁石。其れも見事な光沢の黒い石ですね。」
「豊後の黒ヶ浜で獲れる石を加工した物に御座います。典薬頭様が囲碁の名手とお聞きしたので、家中の者を預かって頂くには不足とは思いますがせめてもの誠意と御思い下されば。」
碁石はこの時代高級品だ。ほぼ同じ大きさに加工しなければならないので、石では加工に時間がかかる。
中国や普通の武士でも碁石は木製のものが一般的だ。石じゃないもので代用していたわけだ。
現代の日本では黒は那智、白は蛤が最高級品と言われている。この時代白の蛤碁石は常陸で朝廷への献上用に作られるくらいだ。
そして豊後の黒石。これがこの時代の高級品だ。黒ヶ浜の黒石は中国でも注目された逸品である。
最近は桑名で蛤が良く獲れる関係で桑名の蛤から白石を作らせている。この黒石と合わされば美濃で最高級品のセットが作れるということだ。
「此れ程の品を頂いては御期待に応えねば成りますまい。3人は必ず立派に育ててみせましょう。」
「宜しくお願い申し上げます。我らは刺し違えても仇を討ちます故、龍造寺を語り継いで下さいませ。」
深々と頭を下げる彼女から漏れ出る覇気を感じつつ、俺は3人と側付きの数人を連れて神屋の屋敷に戻るのだった。
神屋の人間は余計な詮索はしなかった。そのまま翌日船で出発する時も何も聞かれなかったし、こちらも特に何も教えなかった。必要はない。知れば彼らも色々と面倒な事になるだろうし。
見送りには神屋寿禎も屋敷の出入口まで来た。僅かだが動ける様になって良かった。とはいえ心臓の状態は既にこちらで出来る事は殆どない。冬を越せるかが勝負になるだろうと伝えてある。白米の粥ばかり食べるなよとは伝えたが、なかなか難しいかもしれない。
特別に用意しておいた例の味噌汁に必要な材料を渡せるだけ渡したが、冬前には切れてしまう。美濃に材料を送るよう伝えてあるので、そのうち船で送られてくるだろう。一日でも長く生きて欲しいと思いつつ、博多の町とも別れを告げた。
章分けを以前提案頂いたのでしてみました。改稿は余裕がないのでなかなか出来ませんが、章分けは結構簡単だったので年別でつけてみました。
今作での表現では后=正室、妃=側室、と思って頂ければ良いと思います。
ガタパーチャは東南アジア原産のゴム。この時点で手に入る貴重なゴムです。
何気なく高等学校化学の教科書にもゴムの項目で名前が出てきます。
フランキ砲はこの時期に明で採用され始め、秀吉と戦う頃には明でもかなり一般的になります。
早い段階で王直と繋がりが出来たので主人公は確保に乗り出しています。
龍造寺から来るのは龍造寺新次郎家就・龍造寺安房守信周(共に元服済み)と幼年の彦法師丸君です。共に次男で庶子もいますので家督継承では弱いですが家督で火種にもなりうる人物ですので慶誾尼はこれ幸いと送り出しています。
碁石は蛤の碁石が最高級品で今も変わりませんが、加工の面倒さがあって当時は木製が主流。
このあたりも囲碁を扱う以上触れたいと思いここで登場です。主人公は蛤碁石に並ぶ黒石を探し求めていました。ここで揃うので保護した武将のこと以上に喜んでおります。




