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第108話 博多に異国の波押し寄せて

博多編です。

 筑前国 博多


 杉氏と宗像水軍に守られて博多に入った。

 かなり大仰な護衛となったが、これには理由があった。杉重矩すぎしげのり殿曰く、


少弐しょうに氏で内紛が御座いまして。肥前で最有力の国人・龍造寺氏がことごとく馬場頼周(よりちか)らに討たれたので御座います。」

「龍造寺って、佐賀の龍造寺ですか?」

「はい、佐嘉さがの龍造寺です。流石良く御存知で御座いますな。」


 龍造寺といえば5人いる四天王で良くネタにされる家だ。戦国ゲームでも島津家久の引き立て役に出てくるが、当主の龍造寺隆信はかなりの名将だったはずだ。何か自分の変えた歴史の部分が影響したのか?


「龍造寺は少弐氏の補佐として長年仕えて居りましたが、要職を軒並み一族が占めた為に他の家臣に恨まれて居りました。御子が産まれる大事な時故、此方に攻めて来られるのも面倒でしたのでな。」

「という事は、貴殿が?」

「まぁ、某だけではありませぬがな。少弐氏で厄介なのは今や龍造寺と松浦まつらちかしのみ。松浦には平戸の隆信殿を動かして抑え、少弐の一門千葉氏も分裂して居ります。少弐が動く事は此れで無いでしょうが、護衛は念入りに、と。」


 したり顔で説明されるが、龍造寺が滅ぶとなると歴史が大きく変わりそうだ。どうせなら誰か優秀な人材でも確保するか?鍋島とかいないかな?


「ふむ、若しかしたら誰か博多周辺に一門などで生き残りが居るやも知れませぬな。お調べしておきましょう。彼らも大内に仕えるのは嫌がるでしょうが、美濃でなら再起を図るに良いと考えるやも知れませぬ。」

「宜しくお願い致します。」


 誰か1人でも優秀な人が手に入れば良い。あとは博多の商取引用に鏡の安定供給か。



 博多に着いた後、博多随一の豪商である神屋かみや寿禎じゅていの屋敷に滞在する事になった。


「態々此方に出向いて頂き、申し訳御座いませぬ。本来なら此方が出迎えねばならぬのに。」


 屋敷で面会した神屋寿禎は右足が思うように動かないらしく、胡座あぐらの姿勢も満足に作れない状況だった。


「何、体の様子を見れば動けぬのも分かります。少し様子を診させて頂いても宜しいか?」

「かたじけない。然れど此の老体、既に迎えが来るのは間近と心得て居ります。心の臓が痛む事も増えました。」


 足を見ると甲の部分から足首までが同じ太さになる程むくんでいた。肌はパンパンに張り、くるぶしが分からない程である。

 ふくらはぎも筋肉はむくみで軽く触っただけで分からない程膨らんでいた。これは重症だ。


「京の御公家様方に昔流行った病だそうで、なかなか治らぬと周辺の名医と呼ばれる者も諦め顔で御座った。此れも又天命で御座いましょう。」

「京で流行った?足のむくみ、心臓……脚気かっけか?」

「かっけ?と呼ぶので?」

「少しお待ちを。調理場を見させて頂く。新七郎、見て参れ。」


 慌てて同行させていた半井瑞策なからいずいさくを呼び、新七郎に指示して調理場へ向かわせた。

 脚気は贅沢病などとも呼ばれたが、本質的には違う。ビタミンB1の摂取不足が原因だが、特にこの時代は上流階級で白米重視で猪や鴨などの肉食が忌避される関係で公家や将軍などの偉い人が罹るのだ。

 徳川幕府の将軍でも脚気で亡くなった将軍がいるが、白米以外を摂取できていればこれも防げたはずだ。


 即効性がある物ではないが、摂取するビタミンB1を増やしつつ体内に取り込みやすくなるように工夫すれば多少なりとも効果は出るはずだ。

 新七郎が帰ってくる間に瑞策にニンニクをすり潰したものを作らせる。大豆も悪くないが豆腐になると白米と同様にビタミンB1は大幅に減ってしまう。


「殿、やはり鴨や猪の肉は調理場に御座いませんでした。其れに加え米も全て白米に御座いました。」

「やはりか。鴨でもあれば良かったのだが。鱈子も美濃にすら流れて来ていないし……」


 ちなみに、我が家では鰻を食べるようになったので脚気の心配はない。鰻も豚肉と同じレベルでビタミンB1が豊富だ。夏バテに効く理由はこれもある。


「仕方ない。ひとまず海松子かいしょうし大蒜たいさん、其れと胡麻を混ぜて磨り潰してくれ。」

「はっ!」


 瑞策ともう1人の医師見習いが新七郎が借りてきたすり鉢を使って松の実・ニンニク・胡麻を磨り潰していく。ペースト状にし、仕上げに味噌を加えて寿禎に渡した。


「御飲み下さい。恐らく今までで最も効果が出るかと。」

「典薬頭様自ら作って頂いて恐縮に御座います。では。」


 白湯で溶かしたものを流し込ませる。食事量も減っているらしいがこれなら口にできるだろう。ぶっちゃけ味が薄い味噌汁だ。


「直に効果が出るものでは無い。だが数日、数週間と飲み続ければ効果が出ると思う。」

「典薬頭様は医学の事ならば何でも御存知ですな。有難いことです。」


 いいや。知らないことだらけだ。


 この世界に来て初めて脚気も実物を目にしたし、痘瘡だって前世では知識としてしか知らなかった。

 漢方だって大部分は先輩の処方を見ていただけだ。こうして道具の足りない、しかし前世より多くの人が自分を求める世界に来ると、嫌でも自分の実力不足・知識不足が見えてくる。本当は今作ったビタミンB1だってもっと効率の良い食べ物があるかもしれない。そもそもこれが必ずしも脚気とは限らない。


「とにかく、助才門すけざいもんが帰る迄は当屋敷で御寛ぎ下さい。典薬頭様は海の幸がお好きと伺って居りますので、近海で獲れた魚を御用意させて居りますので。」

「其れは有難い。此の博多へ来る迄も色々と堪能したが、まだまだ食べ足りぬからな。」


 それを聞いて目を細める寿禎を見て、ひとまず目の前の患者に不安を押し付けないようせねばと心の中で誓うのだった。


 ♢


 二週間ほど経つと、僅かだが足のむくみが和らいだ。とはいえまだ歩けるような状態ではなく、治るにしても完治は望めないだろう。何より厳しいのは心臓だ。こちらは蓄積したダメージが大きい。


「今までで一番良く効きました。流石は日ノ本一の名医。感服仕りました。」

「其れでも、其方を完全には救えぬのが申し訳なく思う。」

「いえいえ、もう暫く御仏が迎えに来るのを待って下さるおかげで、南蛮人とも会えるのです。贅沢は申しません。」


 そう。今日は南蛮人が来る。恐らくポルトガル人だ。


 豊後に滞在していた商人のジョルジェ・デ・ファリアという男から手紙が送られてきた。

 彼は大友義鑑おおともよしあきへの謁見を願い出ていたそうだが、そこで俺の作った一枚鏡の大物を手に入れたそうだ。


 本国でもそうそう手に入らない物だった為に興味を持ち、しかもその作った本人が博多まで来ると知ってやって来たらしい。


「本来、大友に世話になっている人間を博多に入れるのは如何かと思いましたが、相手も相応に品を用意しているそうなので。」


 儲け話になると、先日の弱弱しさや好々爺(こうこうや)の雰囲気は鳴りをひそめる。

 眼だけが強烈に鋭さを増し、それが体の不自由さとのギャップで怖さを感じさせる。


「他の者も幾らか儲けさせて貰う事で折り合いつけました。是非わしら博多と典薬頭様と南蛮商人、皆が笑顔になれる儲け話がしたいもんです。」

「三方良し、ですか。確かに、其れが理想ですね。」

「三方良し。良い言葉ですな。頂きましょ。うちは三方良しを目指します。」


 あれ?三方良しって誰の言葉だ?まぁ良いか。



 南蛮船の入港は大内様も許可を出さなかった為、来るのは普通の大型船らしい。それも一隻のみ。事前に宗像水軍が中を臨検した上でらしく、かなり厳しいチェックが入っているそうだ。


 寿禎に許可を得て屋敷の外に出る。博多の町を少し歩き港が見える位置まで行くと、船首にそこそこの大きさの人魚像らしき物体を付けている船が近づいてきた。

 慌てて持って来た望遠鏡で覗くと、人魚像が少し傾いており、それを2人の船員が必死に押さえていた。後ろではつばの広い帽子を被った男が2人に身振り手振りで像を直させようとしていた。


 隣で同じく与えた望遠鏡を覗いていた十兵衛光秀もその様子に訝しんで、


「殿、彼れが南蛮人に御座いますか?」


 と聞いてきた。


「多分、そう、なのか?彼の人魚像は何だ?」

「人魚なのですか?なかなか以前見た絵とは違う雰囲気ですな。南蛮の人魚という事でしょうか?」


 確かに日本の人魚は服も着るし姿を変える事もあるが、ヨーロッパの人魚は下半身が魚そのままなイメージがある。


「とはいえ、あれだけ慌てているという事は何か特別な物なのだろう。まだ入港して居らぬ故何も出来ぬが。」

「南蛮人とは不思議な者ですな。何が人魚に有るやら。」


 暫く眺めていると人魚像は傾きが直り、指示していた男があからさまに胸をなでおろしていた。

 そして入港。船員たちは小船に移りつつ荷物を下ろし、自分たちも小船で移動し始める。臨検していても完全には船を中に入れないらしい。


 上陸した面々の中で出迎えた商人と上陸した南蛮人の間で通訳らしき動きをしていた男数人がこちらを指し示した。博多商人には見に来ると伝えていたので俺の事を示したのか。南蛮人の先程指示していた男が目を見開いてこちらに近づいてきた。


 ある程度の距離の所で彼は帽子を脱ぎ、こちらに一礼して来た。

 しかし通訳がいないので何か言っているが分からない。


 少し困惑していると通訳らしき男たちが追いついた。中国語とポルトガル語?と日本語が飛び交う。


「この人が、ジョルジェ・デ・ファリアです。御会いできて光栄と言ってます。」


 彼がにこりと笑いかけてきた瞬間、大きな音が港に響いた。


「あ、落ちた」


 新七郎が思わずといった形で声をあげ、見ると先程の船から人魚像がなくなり、船首で大きな水しぶきが上がっていた。

龍造寺と馬場の一件を主人公は知らない為ここで龍造寺が滅ぶのかと思い込んで動いています。

結構マニアックな出来事ですよね、これ。


神屋寿禎は1546年死去の説もあるので脚気になってもらいました。

当時はビタミンB1の多い食物が上流階級に行くほど摂取できなくなる傾向がありますね。

猪肉や鰻あたりは当時の貴重な栄養源。胚芽も食べていれば問題はないのですが。

作中では主人公が知らない為出てきませんでしたが、干しシイタケも結構ビタミンB1入ってます。

寺社ではあまり脚気が流行らない理由の1つかもしれません。それでもなる人はなりますが。


ジョルジェ・デ・ファリアが1545年から3年間豊後府内に滞在し、大友義鑑と様々な欧州の話やインドの話をしたそうです。戦国大名と明確に結びついた最初の名前が残っている商人かもしれません。名前については読み間違えとかシーンを書いてみましたが面白くないので没にしました。わかりやすく最初から読み方は統一させて頂きます。


次回はジョルジェ・デ・ファリアとの会談からになります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 龍造寺って確か出家してた隆信と曽祖父の家兼以外馬場頼周によって全滅しましたよね。 隆信が還俗して家兼が後見する形だったけど家兼はすぐ亡くなって、継いだ時は大変だったらしいって知った気がする。…
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