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第104話 聖徳寺にて 下

 尾張国 聖徳寺


 寺の坊主に呼ばれ、会見の部屋に向かう。昨年の遠江での戦で弾正忠信秀殿も正式に遠江守護代に任じられ、父と名実ともに同格となった。なので上下を設けず並んでの対面となった。


「道三殿、典薬頭殿、此度は御足労頂き感謝致し申す。」

「いやいや、弾正忠殿も遠江守護代、真に目出度く存じまする。」


 先に部屋に入っていた弾正忠家の2人は当然の様に正装。側に控える小姓が手に持っているのは先日の今川義元を討ち取った時に手に入れた左文字という刀だそうだ。挨拶もそこそこに、まずは双方の親同士の話が続く。


「お互い、順調な様で。」

「いえいえ、わしらは美濃を抑えるので手一杯。其の点弾正忠殿は今や尾張・三河・遠江の三国に跨る武衛様の第一の家臣では御座らぬか。」

「いやいや。正直少し我らが目立ちすぎたと反省しきりに御座います。大和守様を失ったのは大きな痛手に御座った。」


 事前に父から得た情報では、大和守家は因幡守家から養子に入った織田信友が跡を継いだらしい。そしてこの信友と共に生き残った坂井大膳・織田三位の計3人は反弾正忠家を隠そうとしないメンバーなのだとか。歯止めをかける人物がいなくなった大和守の家中は、弾正忠家討つべしと公然と言い放つ者も出てきていると聞いている。


「では、婚儀は其方が落ち着いてからの方が宜しいかな?」

「いや、相手に主導権を握られるなど御免被る。来年は吉法師を元服させ遠江守護代を継がせる心算故、其れが終われば例え如何なる状況でも婚儀まで進めたい。」


 その言葉に、父も弾正忠殿もにやりと笑う。そうだ、この人達は自分たちが物事を動かす側でないと嫌なタイプだ。というより成り上がりたい思考の人は自分の権限や出来る事を大きくしたい人が多い気がする。

 一方、話をじっと聞いていた吉法師も自分の婚儀となれば興味深いらしい。隣の弾正忠殿に許可を求めて前のめりに話に参加してきた。


「となると義兄上と正式に義兄弟になるのは来年か。待ち遠しい!」

「いや、まずは夫婦になる蝶を気にしてあげて欲しいんだが。」

「無論、彼の娘はかなりの器量良し故。色々な物を贈って来るので実に愉快!故に同じ物を返して仲を深めようとやり取りしている由に御座います!」


 残念だが、同じ物をより高いクオリティで送り返すのは嫌味に思われているぞ。手紙でそれちゃんと書いているか?


「毎回良き物を贈ってくれた感謝を書いて居りますぞ!」


 絵本や手紙で伝えてきたつもりだったが、それでもまだ言葉足らずな部分が抜けていない気がする。とはいえ、蝶姫もまんざらでもなさそうだったので、これに関しては放置でも良いかもしれない。

 むしろ対処すべきは隣で眉毛をぴくぴく震わせながら必死に怒りを抑えている父の方かもしれない。父を良く知らない目の前の2人なら気づかない程度だが、親子を10年以上やって来た俺には分かる。とはいえ、私情をこういう場では持ち込まないのも又父の道三という人間である。


「婚儀については承知致した。わしとしても蝶の身が安全ならば異論はない。後は互いが次何処へ向かうかだけ確認したい。」

「ふむ。暫くは三河と遠江の安定化に注力するが、大和守様次第であろうな。最近大和守様は本願寺と仲が良いらしいからな。」


 大和守家と長島本願寺は既に協力体制になったのか。


「そも先日亡くなった大和守は以前から興善寺の統制に苦労しておった。興善寺を抑えられる様になったのは本宗寺の先代だった実円じつえんのお蔭。」

「興善寺は洪水の折に、本宗寺は岡崎攻めの折に弾正忠殿が潰したのだったな。双方が手を結ぶなら、成程攻めるに大義は充分か。」


 実円は本願寺蓮如(れんにょ)の孫で、今の本願寺法主である証如しょうにょの大叔父に当たる人物だ。既に亡くなっているが、尾張・三河で絶大な影響力を当時は持っていたらしい。

 興善寺は尾張の荷ノ上(にのうえ)にあった本願寺の寺院。こちらは浚渫しゅんせつの影響で長島が洪水に見舞われた時、服部党を攻めた弾正忠殿がついでに潰してしまった。本宗寺は三河岡崎の近くにあった。此処も石川党や大久保党が抵抗した時に潰されている。


 つまり、親大和守家の本願寺は弾正忠家に様々な理由をつけてその勢力を削られてきたというわけだ。そして大和守家と弾正忠家が対立すれば長島も大和守の支援に動かざるを得ない。そこをまとめて叩こうというわけだ。


「武衛様は暫くは越前に関わらずとも良いという御判断だ。まずは実権を取り戻した遠江を盤石にしたいらしい。越前を土岐が狙うのも理解を示して居られた。」

「では、わしらは当分越前との戦を中心に進めさせて頂く。」


 父と弾正忠殿は数度頷き合うと互いの話は終わったとこちらに告げる。



 父はここで吉法師と話すため隣の部屋に移動し、弾正忠殿と2人きりとなった。

 小姓を少し下がらせた後、向こうから話しかけてきた。


「典薬頭殿には頭が上がらぬよ。」


 何のことか分からずつい怪訝な顔つきになったからか、弾正忠殿は笑みをこぼす。


「吉法師は産まれた時から普通ではなかった。母親の体の中に居た時間が長かった為だと言われて納得したが、乳母に強く吸い付くから嫌がられてな。言葉を覚えるのも早かったし、立ち上がるのも早かった。余りの速さに物の怪が乗り移ったのではと言われた事もある。」


 少し遠い目をする弾正忠殿。


「頭も良い。やる事為す事言われれば納得出来るが、言われねば何の為にと成る事が昔は多かった。其れが貴殿から絵本を頂く様になって少し落ち着いた。」


 実際には前もって一言あるだけだが、大きな成長よ。と呟く声に、大なり小なり自分のした事に意味はあったかな、と考える。


「我が子を受け容れてくれ、認めて下さった事、感謝に絶えぬ。今後も良き兄貴分として、共に在って欲しい。」

「御任せ下さい。何せ義兄ですので。」


 背筋を伸ばし、胸をドンと叩いて見せる。頑張ろう、彼が天下を獲るその時まで。


 ♢


 僅かに眉間に皺を寄せて帰ってきた父と共に帰路に就いた。寺を出ると耳役たちが周辺の状況を報告してくる。

 基本的な教えが変わったわけではない為か住民は特に動揺なく高田派への改宗を受け容れたようだ。ただし一部の本願寺派一筋な人々が長島に移ったらしい。そして5年前の洪水で開拓が進まなかった為に一部が戻ってきて改宗に応じたとか。


 報告を聞きながらもやや上の空だった父に話しかけると、大きく息を吐いてから話し始めた。


「恐ろしい小僧よ、吉法師。今後何に化けるか、其方と同じく夢で先々を見ておるのではないかと疑いたくなったわ。」

「素直で元気な良い子というだけではないと?」


 あえて惚けた聞き方をしてみると、父は太陽を睨むように上を見上げる。


「其方が次期当主で無かったら、美濃が先々あの小僧に奪われていたであろうな。津島の意味、街道の重要性、子飼いの家臣が如何に得難き者か。あの歳で分かって居った。」


 俺が渡した絵本の影響で漢文の書籍の方が吉法師は好きらしい。そういえば先日孫子を読んだと言っていたか。


「しかし、何故次期当主で無かったらなのですか?」

「あの小僧は其方を義兄として慕って居る。あれで情が深い様だからな。其方は人を裏切る気骨はない故上手くやれるであろうよ。」


 裏切るのは気骨ではないと思う。


「しかし、今日の話を聞いて確信したな。時間が無い。」

「時間が無い……ですか?」

「大和守が二郎サマと文のやり取りをしている。吉良の家老大河内(おおこうち)ともだ。此のままだと大和守と共に二郎サマが暴走するであろう。」


 二郎サマの暴走。それはつまり、土岐家中の御家争い。内乱だ。


「しかし、今の所二郎サマは静かで大きな動きは無いとの事でしたが。」

「人は誰しもが自分なりの考えで動くものだ。如何に二郎サマでも二郎サマなりに常に考えて動いて居る。」


 二郎サマが彼なりの理由で武勇に拘るのは以前聞いた。名門の跡取りとして父に、そして国人に認められるために武家としての分かりやすい力を求めた、と。


「今の状況で下手に動けば己が廃嫡されるくらいは彼の御仁も理解出来て居るのよ。阿呆だが無能でないのだ。だからこそ、大和守と連携しようとして居る。」


 もし二郎サマと大和守と吉良氏が同時に動いたら。織田は大和守と吉良で手一杯だろう。そこに今川の残党や長島の本願寺が絡めば弾正忠家は大混乱だ。援軍のアテが無くなることになる。それは二郎サマにとって悪い事じゃない。


「窮鼠猫を噛む。二郎サマは今追い詰められたねずみよ。一色への養子とする件、早く進めねば噛み付きに来るぞ、化け猫。」

「誰が化け猫ですか。毒蛇から猫は産まれませんよ。」


 しかし、父が言っていることも間違いないだろう。博多へ行かねばならないが、それが終わった頃には体裁を整えていられるよう本気で人と財を使わなければ。


 ♢


 美濃国 稲葉山城


 梅雨の頃、無事に豊の子の首がすわり、家中の緊張感が幾分和らいだ頃。

 十兵衛光秀が困惑した表情で火縄銃の訓練から帰って来た。


「紙包の火薬が使えない?」

「今日は久しぶりの晴れに御座いましたので、兵と共に訓練に向かったのですが……」


 倉庫に保管していた火薬を現地で詰めたところ、弾が発射出来なかったそうだ。

 実物を持ってきてもらうと、紙自体もそうだが中の火薬まで湿気っていた。


「そうか。湿度が高いから……やられたな。そこまで気が回らなかった。」


 湿気った火薬は使えない。紙包は乾燥している時季専用とすべきだろう。


「雨に強い火縄銃作りの方を進めねばならぬか。あとは湿度計もこの際作るとしよう。」


 十兵衛はあまり感情を顔に出さないが、「またうちの殿様何か作る気だよ」という顔をしているのは露骨すぎて良く分かった。覚えてろよ、婚儀を済ませた嫁さんに協力してもらうからな。


 ♢

 

 数日後。


 十兵衛の嫁となった妻木殿の娘の長く美しいと評判の髪の毛をもらい、毛髪湿度計を作った。

 部品精度の問題もあって作りやすくシンプルな毛髪湿度計は一昔前まで各地で使われていた。前世でも身近な科学実験で使われていて夏休みの科学館の定番の1つだった。


 人間の髪の毛は湿度が高いと伸び、湿度が低いと縮む。日本人より欧米人の方がその変化は顕著らしいが、日本人でも変化は見ることが可能だ。


 部品もあまり多くない。拡大鏡で一定の精度を確保すれば量産も可能だ。

 気圧計のある地点に設置してもらうため生産を開始しつつ実験をした。


 記録は美濃和紙で行う。竹ひごの先端には木炭の欠片をつけて記録をとる。

 数値が変化するか見るために意図的に湯を沸かして湿度を上げると、髪の毛は伸びたらしく1寸の半分(約1.5cm)くらい動いた。脱脂してより変化が顕著に出るようにして整備した。湿度は体調管理上知る手段があった方が良い。


 これであとは温度計だけだ。液だまりを作れれば完成だけにもどかしいが、これが出来れば温度・湿度・気圧の測定が各地で開始できる。地道に頑張ってもらうしかない。

本願寺と大和守家は1536年頃からかなり密接なようです。しかしこの世界だとその頃から高田派による本願寺弱体化工作が始まるので、大和守家はかなり涙目な状況だったという裏話。


織田信秀が結構ぶっちゃけた話をしていますが、このあたりは主人公も情の厚い人間だと見抜いた上で吉法師(信長)の味方を少しでも増やそうという魂胆です。いわゆる泣き落とし。


毛髪湿度計は小学校では百葉箱とかで戦後も使われていました。人体の不思議ですね。精度は結構すごいです。都内の科学館で見た時年甲斐もなくはしゃいでしまいました。



色々な史実エピソードを絡めつつ聖徳寺の会見を終えました。次回から博多編です。

火曜日はちょっと微妙なので月曜日の22時前には活動報告で投稿できるか報告します。

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