第103話 聖徳寺にて 上
前後編です。
美濃国 稲葉山城
天文13(1545)年の年初、父道三が突然こう宣言した。
「弾正忠の息子に会いたい。」
どうやら自分が今も蝶姫から手紙が貰えないのに吉法師とは頻繁に文のやり取りをしているのが気に食わないらしい。
狭量だなと思う一方、弾正忠信秀殿が遠江守護代となった事へのお祝いも兼ねているのだろうと察せられる話である。
「会って何を話すのです?」
「まずは今後の両家が何を目標とするか、だ。弾正忠は伊勢を目指すようだがその理由は長島の本願寺だ。北伊勢の本願寺に繋がる勢力は厄介故其処に手を付けるのは間違って居らぬ。」
「しかし北伊勢は六角氏の勢力圏でもある。故に予め六角氏との板挟みに成らぬ様我々の方針を話すべき、ですか。」
「その通りだ。そして次に婚儀をいつ行うかの取り決めをしたい。」
そろそろいつ婚儀をするか決めてもいい時期だろう。この時代の幼児は栄養や衛生、医療の面から死亡率がとても高いと考えていい。
しかし吉法師は今年数えで12歳、蝶姫も数えで11歳だ。一定の山場は越えられたとみていいだろう。
「しかし、何方も要件的には弾正忠殿と話せば良い話ですね。」
「勿論其れだけでは無い。婿となる男の事が知りたいと言う事と、会見場所として考えている聖徳寺は高田派に改宗した元本願寺派の寺院。尾張と美濃の境故視察もしにくくてな。周辺の民が動揺していないか確認しておきたいと思っておったのよ。」
結局の所、吉法師を呼ぶ理由は娘の婿の事が知りたい以外に理由はないわけだ。父親の弾正忠信秀殿と話せば済む話ばかりだし。
「では、その旨書状にして送りましょう。今日も幸と一局打つので?」
「うむ。そろそろ義娘に一泡吹かせようと思うてな。先日は観音寺で了心殿から碁の手解きを頂いて来たしな。」
最近の父は一部の仕事をこちらに任せて碁を打つ事が増えている。観音寺にも表向きは近江国一番の打ち手と言われる了心殿の指導を受けるために行った。
当然これも実態は先日産まれた太守様の嫡男についての話し合いだ。
土岐頼芸様に産まれた子は男の子だった。家中は大部分が飲めや歌えやの大騒ぎだった。六角氏との間の子だ。しかも二郎サマに代わる新たな後継者候補。喜ばないわけがない。既に公然と世継ぎはこの子にすべきと言い出す者も現れている。
二郎サマは現状は静観している。少し不気味なくらいだ。それもあってか父は六角の下に向かった。
誰もがその理由を理解している。とはいえ隠居に向けた趣味として囲碁をやっているのも本音だろう。父はやる事が無駄になるのを嫌う。カモフラージュでもあり、本気でもある囲碁なのだろう。
「幸は其方に碁を教わったという。ならば其方と打つ前に義娘に勝たねばな。あれもまだ童に学を教えられる程体の調子を戻しておらぬしな。」
「子供の相手は疲れますから。無理せず春が来るまでは休ませます。」
「そうせい。わしがその間忙しい其方の代わりに碁の相手をしておく故な。」
会談の取りまとめ頼むぞ、と俺に告げた父は上機嫌で部屋を出て行った。今はある程度当主の仕事をやってくれているから良いが、今後俺への代替わりに向けて仕事はどんどんこちらに流れて来るだろう。
ある程度仕事を任せられるような体制作りを考えているところだが、孤児出身の私設秘書的な形が今の所実現性が高そうだ。
父と入れ替わるように十兵衛光秀がやって来た。最近は平井宮内卿が高齢という事で弟子入りしている十兵衛が一部の仕事を代行しつつある。こちらも代替わりという事か。
「大内様の件、薬売りの耳役から報告が。」
「聞こう」
「大内様の御側室が懐妊為された様で。出産が夏頃と思われまする。」
「成る程。ならば小西を通じて産婆の派遣も求められるか。」
「恐らくは。多種の薬を買っているのは家臣で白崎八幡宮の大宮司を務める弘中氏の当主が体調芳しく無い為の様です。」
白崎八幡宮は岩国にあり、周辺への影響力が強いらしい。海の向こうにある宇佐八幡宮への対抗もあって大内氏に協力しており、その大宮司を務めるのが弘中氏。現当主・弘中興兼は高齢で病がちになり、息子の弘中隆包が実質的に当主の代行をしているらしい。
「それと三好・畠山・細川・大内の各家より通行に関して了解を得ました。紀伊に入った後は堺に寄らず紀之湊・洲本・宇多津・笠岡・尾道・倉橋・富田などを通る予定で御座います。」
紀之湊は雑賀衆の本拠雑賀荘の港。洲本は淡路島の港。宇多津が讃岐の港。笠岡が備中、尾道は備後。倉橋が瀬戸内海の島で富田が周防山口に最も近い港である。
「播磨や備前には行かないのか?」
「播磨は今酷い争乱状態ですし、何より播磨で土岐は嫌われて居ります。」
「其れは何故だ?」
「杉原紙と本願寺が原因で。」
播磨北部では、古くから杉原紙と呼ばれる山名領の杉原谷で作られる和紙が畿内の和紙需要を支えていた。ところが最近美濃和紙が多用途に大量生産されるようになり、値段と種類の豊富さで勝てなくなった杉原紙が衰退しているらしい。
おまけに尼子氏の進出や播磨守護赤松晴政の失墜、別所氏や浦上氏の台頭が重なり、北部の杉原谷から和紙を畿内に運ぶ流通路がボロボロになってしまった。
結果として経済的な安定を失った杉原谷を山名氏が3年前に失った。そして同年杉原谷の北部、但馬国で生野銀山が発見されたため、播磨守護の赤松晴政は守護権力復活を期して但馬侵攻を開始。但馬守護の山名祐豊は太田垣・垣屋・八木といった諸将に命じてこの死守を図り、同時に別所氏と結んで小寺を攻めさせることで状況が膠着している。
そしてこの状況で荒廃した地域でじわじわと活動を活発化させているのが本願寺派という構図だ。本願寺派は英賀を本拠として活動を広げようとしているらしい。
「つまり近寄らない方が良い、と。」
「というより、英賀の港なぞ行けば襲われるだけで済めば運が良いかと。」
そうか。黒田官兵衛は時代的に無理でもその父親とかに会えないかなと思ったんだけれど。
「三好様が播磨を安定化させでもしない限り、播磨に行く日はそうそう来ないでしょう。」
仕方ないか。とんでもなくごちゃごちゃしているのがよく分かっただけ収穫としよう。
「後、火縄銃の件は津田監物殿に連絡しました。紀之湊でお待ちしますとの事で御座います。」
「うん。種子島で複製に成功したって話だから、もう売っても変わらないからね。幾らで買うと?」
「種子島の物を買う予定があるようで、100貫との事です。一番最初に、という訳では無くなった為かと。」
これ以上普及を遅らせようとしても種子島で作り始めたから無理だ。ならば多少でも値が高いうちに2,3丁売って金にする。それを使って人々の生活を楽にするのだ。
「弾正忠殿は幾ら払うと?」
「既に我らが大量に作っているのは知って居られましたので、一丁二十貫でと。」
「まぁそうなるか。なら其れで良い。聖徳寺で会談する時渡すと伝えてくれ。もう1丁おまけで付けて二丁二十五貫で良いと。」
「畏まりました。当家に今あるのが百五十五丁で御座いますので、問題ありませぬ。」
予め4つの職人一家に分業させて作っているが、部品ごとの精度の問題で最初の半年では20丁しか出来なかった。度量衡を統一し同じ型で安定して作れるようになった最近は週に5丁作れている。これから複製作業に入る畿内とは開始時期の差で圧倒している。更に生産できる職人を今もう4家増やしているところだ。今年中に年産500丁体制に持っていけるはずだ。そうなったら織田にもある程度売ろう。
「紙で火薬を包むのは上々に御座います。美濃和紙の薄さと丈夫さが持ち運びにも困らず済むようです。」
「良し、思った通りだな。予め1発ずつ包めばある程度早撃ち出来るだろう。」
薬包紙という物がある。飲む薬を粉状にして紙で包んでおくやつだ。最近は飲みやすい薬が増えてあまり必要なくなっているが、あれがヒントになった。
父道三もこれで量産の許可が出た。年末に種子島の動向から火縄銃の少量だけ販売許可も出たのでこれで資金も確保できる。順調だ。
♢
尾張国 聖徳寺
父は予定より早く家を出ると言い出し、さっさと出て行った。置いていかれるわけにもいかず慌てて追いかける。
聖徳寺に行くと弾正忠家の親子が来る途中の道まで行って様子を見たいと出て行った。確かこれ某戦国ゲームのイベントであったな。服装を見て父が油断する奴。違うとしたら火縄銃を持ってきているのはこちらだし、大量でもないことか。
手持ち無沙汰なのも嫌なので後を追いかける。数人の護衛と共に向かったところ、出入口の割と近くの道からやや離れた藪の中に父は居た。護衛の数人が周囲の藪を棒で叩いて安全確認していた。突然こういう仕事をエリートたる彼らにさせるなんて嫌な上司だぞ、父よ。
「来たか。何度も会うて居るだろうに。」
「父上が阿呆な事を仕出かさないか不安で。」
「ちょっと顔を見たいだけじゃよ。わしも話し合いに遅れる心算は無い。」
「で、先に見て如何したいので?」
「蝶に相応しいかはわしの前に出る時だけでなく、普段の何気ない様子から見えるのだ。油断しているであろう此処でこそ其の本性が見える。」
遠眼鏡を覗きながら力説しているが、結局のところ吉法師への嫉妬である。蝶姫から手紙が貰えない腹いせ以外の何者でもない。
思わず溜息を1つ。耳役が弾正忠親子の接近を報せに来たので慌てて同じ藪に隠れる。
息を潜めていると馬に乗った一団がやって来た。服装はかなり確りした物だ。父親同伴だからか。見れば吉法師は不機嫌丸出しの表情である。微かに声が聞こえてくる。
「父上、やはり正装のまま此処まで来る必要はなかったのでは?」
「吉法師、道三入道という男は油断ならぬ。何処で我らの言動を見ておるか分からぬ相手よ。油断を見せれば矢で殺しに来てもおかしくない。」
「大丈夫。何せ義兄上も一緒に会うのだから。脅かしに来ても命までは義兄上が許さぬ。」
「だと良いがな」
そんな会話に対し、父は俺にしか聞こえない小声でポツリと呟く。
「ちっ。隙がないのう」
会談相手の隙を探るな。
目の前を順当に一行が通過していく。特に何もなく終わりかと思い別の道で戻ろうかと思った瞬間だった。吉法師が突然馬を止めた。
「む?父上、義兄上が近くに居りますぞ。」
とか吉法師が言い出した。
「近くに?何故其の様に思った?」
「義兄上は市で売られている物とは違う石鹸を使って居られる。蝶姫も其れを使って居る。その匂いがする。」
父がこちらを睨んでくる。目は「お前そんなの使ってたのか!?」と如実に語りかけてきた。良いじゃないか。嫁さんと妹と自分用に特別な奴作ったって。
「分からぬな。少し前に此の辺りを通ったのやもしれぬ。」
「かもしれませぬ。少し匂いが薄い。」
そう言うと途端に興味が無くなったのかさっさと馬を進ませ始めた。怪訝な表情でその様子を見ていた弾正忠信秀殿も、動き出したのを確認して聖徳寺へ動き出した。
一行が見えなくなった所で、父に首根っこを掴まれた。
「今度其の特別な石鹸とやらを寄越せ。」
「母上と小見の方様にはいつも差し上げて居りますよ。」
「何故わしだけ渡さぬのだ?」
「以前高い石鹸をわざわざ使う必要が無いと仰っていたので。」
すると父は手を放し、
「家族がわしに対し冷たい気がするのう……」
と少し落ち込み始めた。いやいや、これに関しては言われた通りにしていただけでしょうが。
落ち込んだ父をまた聖徳寺に引っ張っていくのに苦労しつつ、今度蝶姫に父にも手紙を書くよう伝えることを考えるのだった。
関係が良好なことと道三の親ばか面から聖徳寺会談が早まり、かつ2対2の会談となりました。次回は会談自体になります。
播磨の状況は杉原の和紙の衰亡が絡んで史実と変わっています。収入が減った山名氏が播磨の勢力を後退させ、結果として生野銀山が発見されたのが重なり生野のある但馬と播磨の国境周辺で争いが行われています。
また本願寺も大々的な活動をできる力がないため隙間を縫って活動範囲を広げる形に変わっています。何かを変えればそれが様々な変化があってしかるべきかな、という話になっています。
火縄銃の部品は噛み合う部品同士を合わせているだけなので、規格が揃っているわけではありません。ただ、別々の職人が作っても合わせやすくはなっています。
【追記】
紙包は試作が秋、会話は冬で時期的に乾燥しているので運用できていますが、日本の雨期が来ると厳しいです。
次話でそれが露わになって繋がっていく予定です。




