第101話 今川の終焉 中
遠江国 長上郡 市野
「殿、御下がりを!!此処は我らが抑えまする!!斯波の生け捕りを!!」
真っ先に丘の上の弾正忠軍に反応したのは岡部元信であった。彼は弾正忠信秀が市野の戦場に突入するのに使わざるを得ない道を封鎖していた。そのため自らの率いる兵を即座に弾正忠の軍勢に向けると、先陣をきって彼らに向かっていったのである。
「させぬわっ!!柴田権六、御相手仕る!!」
弾正忠の兵で最初にこれに反応したのは先頭にいた柴田権六勝家。両軍の若きエース級が最初に激突することとなった。両者は自ら先頭で互いと激しく干戈を交え、それに勢いづいた両軍も長槍のみならず近接で刀での斬り合いや取っ組み合っての乱戦を始めた。
隘路で両者が道を塞ぐように展開した事で弾正忠の軍勢は動きを止め――なかった。
今川勢の最後尾(天竜川に最も近い位置)には朝比奈信置の父である朝比奈親徳がいた。ここを迂回していた下方弥三郎貞清・佐々隼人正政次・織田造酒丞信房といった勇将たちを先頭にした信秀の叔父・織田秀敏隊が襲ったのである。
「下方弥三郎、逃げも隠れもせぬぞ!!」
特筆すべき動きの良さを見せたのが下方弥三郎と佐々隼人正であった。両者は朝比奈隊の連携のとれた動きを、個人とその供周りの武と連携で崩してみせた。遠江西部で領地を失った国人たちが押し留めようと奮戦したが、兵数の少なさが2刻(4時間)近い戦闘になった事で顕著に現れ出した。
疲弊した今川兵はそれでも目の前の僅かな可能性に賭けるべく奮闘した。義元の鼓舞もあり、将が率先して最前衛で戦うことで士気を高く保っていた。
しかし、長期にわたる合戦はそれ以前の渡河や最初の大和守軍への突撃による疲弊で足を、手を、腰を、頭を重くした。
それが、武衛の軍勢がギリギリの所で踏ん張り、織田三位に坂井大膳が合流したことで大和守の軍勢が僅かながら立て直す余裕を与えた。
こうなってくると数の差が戦場の流れを大きく左右することになる。
岡部元信の精鋭は休み休みでも戦える柴田ら織田本隊に徐々に潰されて劣勢となる。朝比奈親徳の軍勢は下方・佐々以外の兵を止める為休みなく戦い、それでも止まらない敵に押し込まれた。
援軍で士気を取り戻した武衛の本隊も孕石らの攻勢に耐える事が出来るようになり、逆に焦りから今川方の久野元宗が突出して肩に矢を受けてしまうほどであった。
そして、勝敗を決定づける出来事が起きた。
ほんの少し。僅か数秒。数秒だけ荒い息を落ち着かせるため瀬名伊予守氏俊が歩みを止めた時、その額に一本の矢が刺さった。
膝から崩れ落ちた彼は、そのまま糸の切れたマリオネットの様に抵抗することなく地面にその身を横たわらせた。
3秒ほどのタイムラグの後、松下加兵衛がそれに気づいた時には遅かった。恐慌を起こした雑兵が逃げ場を求めて今川の歯車を破壊し、機能不全となった武衛を攻めていた軍が押し返され始めた。
攻めている立場という思い込みが支えていた朝比奈親徳隊はこの一報で支えを失い、一気に崩壊した。織田兵の濁流にのまれ、朝比奈親徳は10を超える槍で刺されて絶命した。
そして、朝比奈隊の壊滅によって最後方となった今川義元の本隊に、多数の兵と将が雪崩れ込んだ。
「やはり、届かなかったか……なれど、此のまま座して死ぬ気はないぞ!」
今川義元は松下加兵衛らに最後まで武衛の首を狙うよう厳命した上で殺到する敵軍と自ら対峙した。
最悪でも斯波義統の首を、自分の首と刺し違えてでも獲る事を狙った形である。
周りを固める今川の精鋭は下方・佐々らでも容易に崩せる相手ではなく、また忠誠心の高さから周囲が混乱する中でも整然と戦闘形態を維持していた。
既に雑兵たちは東西南北の主要な道を封鎖され、田畑の中か林の中に逃げ込み始めている。しかし今川の中核となる兵は戦い続けていた。
遠巻きに戦場を眺める弾正忠信秀は、予想以上の奮戦ぶりに思わず唸る。
「見事よ。先日の戦では今川の本隊と戦う前に西遠江の兵が崩れ伏兵を見破った故に勝てたが、一手間違えば危うかったかもしれぬな。」
しかし、弾正忠信秀は戦場を俯瞰し評価していられる程度に余裕があった。それは兵力の差であり、ここまでに三河・遠江で積み重ねてきた自軍の優位であり、そして何より、
「遅かったな、佐渡守。やはり戦場ではまだまだよな。」
最も命を狙われている斯波の武衛に、早い段階で援軍が向かっている為に出来た余裕であった。
♢♢
武衛こと斯波義統への援軍は林佐渡守率いる800程だったが、それでもこの戦場の趨勢を完全に決定づけるのには充分だった。
今川義元は優秀である為にその意味を正しく理解しており、その姿を視認した時点で南へ撤退する法螺貝を鳴らさせた。
「既に我が命脈は尽きたか。此の後の今川の為、勇将を失うわけにはいかぬ。」
彼はそう呟き、自身を殿として南を塞ぐ織田三位の軍勢に兵を向けさせようとした。
しかし、これに従ったのは混乱して誰の指揮下にも入らず逃げる事も出来ずにいた一部の雑兵だけであった。大多数の部隊は合戦を続行し、特に岡部元信は柴田権六勝家を最期まで押し留め数に押し潰され討ち取られるまで戦い続けた。
これは乱戦になり過ぎて法螺貝の音さえ敵味方が認識できなかったこともある。しかし何よりも大きかったのは、今川軍の将兵が武衛の首を獲るという最後の方針に向けて死力を尽くさなければ義元が死ぬという意識を持っていた為であろう。それ程までに、今川義元という人を何とか生かそうと諸将は思っていた。それだけの名将だったといえる。
伝令を送る余裕さえない義元は周囲の様子に僅かに唇を噛み、そして覚悟を決めた。
「陣形の一部を崩せ。武衛の首に一番近いのは朝比奈の隊であったな?其処に向かえ。この身が討たれようと止まるな!」
「「ははっ!」」
義元は自らを守る優秀な兵を一部引き剥がし、武衛を討とうと奮戦する朝比奈信置の下に送った。
間もなく守りの薄くなった所に佐々隼人正がやって来た。崩されかけたそこを、義元本人が埋め佐々と対峙する。
既に近距離故に槍も使えない距離。そのため義元は躊躇せず腰の刀を抜いた。
「佐々隼人正、御命頂戴致す!!」
「今川当主の重み、其方の様な若造には早いわ!!」
義元の左文字は美しい太刀筋で佐々の槍を両断。辛うじて後方にいた弟の孫介の助力で一撃を受けずに済んだものの、返す刃で肩口に傷を負って撤退を余儀なくされた。
「如何した!?其方らの狙う首は此処にあるぞ!臆したか!?」
その堂々とした立ち居振る舞いに思わず織田兵が一歩後ずさる。
「斯波の兵は弱兵ばかりよの!義統の父も弱かった!我が父に生け捕られ、情けで生かされた軟弱者よ!」
嘲る様な口調で、しかし鋭い眼光で織田の兵を威嚇する義元。
「今も満身創痍の我が前に立ちながら、切り込まんとする武士は居らぬ。何と情けない事か!」
その口上は時間稼ぎでもあり、陣形を再び整え武衛の首へ手を届かせる為の足掻きである。
それを見抜いていた下方弥三郎により、彼の独壇場は終わりを告げた。
強烈な矢が義元の左上腕を貫通。左文字を落としよろめいた義元を見て、正気に戻った兵が殺到した。
100近い兵の突撃に10数名まで減っていた義元の馬廻りでは対応できず。
今川義元は誰とも知れぬ数十の雑兵の槍によってその命を落とした。
享年・数えで26歳であった。
♢♢
その一報を聞いて尚、朝比奈信置は止まらなかった。
義元の馬廻りで彼の援護に回った者が既に全滅していても、彼は止まらなかった。
後方では置いていった松下加兵衛が南へ抜ける為一部の将兵の先陣で撤退を支援していたが、それでも彼は止まらなかった。
共に進んでいた孕石隊が壊滅し、孕石主水佑が討死しても、それでも彼は前に進んだ。
自らの親族悉く討死し、産まれた頃より共にした自らの馬が命を落とし、歩くしか近づく術がなくなっても尚止まらなかった。
「今川義元、恐ろしき男よ。死して尚此の命を獲らんとするか。」
そして、武衛まであと5間(約9m)に迫った時、3本の槍に上半身を串刺しにされてようやくその歩みを止めた。
「無念……殿……御許し、くだ……」
朝比奈信置が屍となったその瞬間、斯波の、そして弾正忠の勝利が決定した。
今川義元、退場です。
話の中でもわかるようにはしていますが、信秀は徹底して自分が直接今川義元と戦う状態にはしようとしていません。それだけ警戒していたということになります。
林佐渡守秀貞はかなり大回りしてきています。それ以外まともな道がないのでやむなし。
文中では出てきていない武将も一部画像では入れてあります。彼らも頑張っています。
南に今川兵も多いのは混乱しているとはいえ大和守の兵も数はいるので、それに対応せざるを得ないためです。これでも結構いる意味はあるのです。




