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破壊の御子  作者: 無銘工房
胎動の章
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第13話 農民(前)

 季節は、移ろう。

 長らく居座っていた厳しい冬がようやく重い腰を上げると、それを追いかけるように短い春が駆け抜け、いつしか燃え盛る夏を迎えようとしていた。

 その間、ノーフォーク農法をはじめ、様々な改革を打ち出した蒼馬にとって、毎日が試行錯誤の連続であった。専門家でもなく、ただの聞きかじりの知識しか持ち合わせていない蒼馬にとって、それは真っ暗な闇の中を手探りで進むのに等しい苦難の日々でもあった。

 しかし、もっとも警戒していたホルメア国の再侵攻は、その気配もなく、また開拓や技術革新でも大きな失敗もせずに、ここまでやって来られたのは幸運以外の何物でもない。それは蒼馬自身も承知しており、彼に「人生の運をここで使い果たしたかも」と言わしめさせたほどである。

 もちろん、まったく何もなかったわけではない。

 ゾアンと街の住人との軋轢(あつれき)や人間と奴隷だった者たちとの確執(かくしつ)、さらには蒼馬に従っている異種族の中でも、風習や言い伝えの違いからの種族間の対立など、小さなもめ事を数え上げれば切りがなかった。

 しかし、そのいずれも、ガラムやズーグ、ドヴァーリン、ジャハーンギル、エラディアなどの各種族を代表とする面々が力強く蒼馬を支えてくれたため、いずれも大事にならずにすんだのである。

 そのおかげで、もっとも頭を悩ませた騒動と問われれば、蒼馬は自身を「臍下(さいか)(きみ)」と(あお)ぐシェムルのささやかな反逆を上げたであろう。

「ねえ、シェムル。もしかして、()せた?」

 それは、春の足音も聞こえ始めたある日のことである。もともと無駄な贅肉などはなく、引き締まっていたシェムルの肢体だが、最近ほっそりとしてきたような気がした蒼馬は、何気なく尋ねた。

 すると、シェムルは明らかにムッとした表情を作ると、つっけんどんに答える。

「毛変わりしただけだ」

 どうやらゾアンも冬毛と夏毛の生え変わりがあったらしい。

 そのときの会話はそれだけで終わったのだが、それからしばらく、シェムルの態度が冷たかった。蒼馬の食事は、もっぱらシェムルが作っているのだが、その食事の量が少なかったり、品数が一品減らされたりしたのである。

 それを恐る恐る尋ねた蒼馬に、シェムルは険のある口調でこう言った。

「あまり食べすぎると、太るからな」

 明らかな意趣(いしゅ)返しである。

 後日、それに愚痴をこぼしていると、たまたまそれを聞いていたズーグの姪であるクラガ・ブヌカ・シシュルに、なじられてしまった。

「シェムル様は、『臍下の君』であるソーマ殿に恥をかかせてはならないと、毎朝毛づくろいを入念にされていたのに……」

 蒼馬は、ただ身を縮こまらせるしかなかった。

「女に毛変わりのことを指摘するとは、山猫の尾を踏むようなものだぞ」

 ニヤニヤと笑いながら、そう教えてくれたのは、ズーグである。どうやらゾアンの女性に毛変わりのことを尋ねるのは、大変な失礼に当たるらしい。

 ズーグが立ち去った後、そこにゴッソリと抜け落ちた毛の(かたまり)が残っていたのに、シェムルはずいぶんと自分のために気を使ってくれていたのだと深く反省したのである。

 それからは、何とかシェムルのご機嫌を取ろうと、食事のたびに「おいしい」とか何かしてもらうごとに「ありがとう」と言うようにしたのだが、かえって不機嫌さが増したシェムルから「わざとらしいから、やめろ」と言われ、蒼馬は途方に暮れてしまった。

 どうすればシェムルの機嫌を直せるのか、ほとほと困り果てた蒼馬が相談を持ちかけた相手は、ガラムである。

 話を聞いたガラムは、頭痛でも起こしたように額に手を当て、盛大にため息をついてから、蒼馬に言った。

「『頼りにしている』と言え。それだけで良い」

 称賛や感謝ではなく、そんな言葉だけで良いのかと半信半疑の蒼馬だったが、さすがはシェムルの兄だ。その言葉をかけたとたん、シェムルがコロリと気をよくしたのには驚かされたものである。

 とにかく、この程度のことで頭を悩ましていたぐらいなので、ボルニスの街はおおむね平穏と言っても良い期間であった。

「このままずっと、何事もなければ良いんだけどなぁ……」

 もともと蒼馬自身は戦いが嫌いである。成り行きから、こうしてホルメア国と戦うことになったが、相手がこれ以上手出しをして来なければ、わざわざこちらから攻め入るつもりは毛頭ない。

 出来得ることならば、この平穏がいつまでも続いてくれれば良いと言うのが、蒼馬の偽らざる本音である。

 しかし、平穏と思っていたその裏では、ひそかに新たな火種がくすぶっていることに蒼馬は気づいていなかった。


             ◆◇◆◇◆


「もう、我慢ならねぇ!」

 ノーフォーク農法を試験的に導入している開拓村で、その声は上がった。夜になり、農作業を終えた村人たちが集められた村長の家の中で、大げさな手振り身振りを交えて訴えているのは、村でも一番血の気が多い強面(こわもて)の男である。

「土をいじったこともねぇ野郎が、領主だからって俺たちのやり方に口出しするのは、我慢できねぇ! ――そうだろ、みんな?!」

 それに、村人の中から同調する声が次々と上がった。

 多くの漫画やライトノベルでは、ノーフォーク農法を導入すれば容易に大きな成果が得られ、農民らに歓呼をもって迎えられ展開がよく見受けられる。

 だが、実際の農業ではいくら画期的な改革を行ったとしても、その成果が出るのは、どんなに早くても年単位の時間を必要とする。とうてい一朝一夕で、その成果が見られるものではないのだ。

 この世界の農業を大きく発展させると信じて蒼馬が導入したノーフォーク農法も、農民らがその成果を実感できるまでは、これまで父祖らが長い年月をかけて築き上げた農法を否定する邪道なものに過ぎない。そして、それを押し付けてくる蒼馬に対して激しい怒りを覚えるのも当然であった。

 しかし、農民らの不満は、それだけにとどまらない。

「やれ畑の土を掘り起こせ、やれその土に変なものを混ぜろ、やれ草を刈って変な塔に詰めろ、やれ牛どもの(くそ)を集めておいて草と一緒に混ぜておけ。――ただでさえ新しい土地に移って、皆大変だっつうのに、こんじゃあ休む暇もねえ!」

 蒼馬は農民の生活を少しでも豊かにするため、様々な技術と農法を導入していった。しかし、それは同時に、農民らにこれまでになかった新しい労働を()いることでもあったのだ。そうした不慣れな労働が、さらに農民らに不満を募らせていたのである。

「その上、あの領主の野郎は、麦を作るのさ減らせって言うだ! こっただ馬鹿な話はねえ! この冬、村でどんだけ飢え死ぬ奴が出るか、わかんねーだよ!」

 これまでは農地すべてに穀物を育てられたのに対し、ノーフォーク農法では農地を四分割し、それぞれ別の作物を育てなければならないため、どうしても穀物が作付けできる面積は少なくなってしまう。この主食である穀物の減産に農民らは、冬の間に飢饉となるのを恐れていた。

「だども、ご領主様に逆らったら、何をされるか……」

 誰ともわからぬ村人のこぼした言葉に、その場の空気が重苦しく変わる。

 様々な不満を抱え、餓死者が出る不安に怯えながらも、それでも農民らが蒼馬の改革に従ってきたのは、彼らにとって蒼馬が生殺与奪の権を握る支配者だったからだ。

 もちろん、蒼馬はそのような支配者になるつもりは毛頭ない。そればかりか、これまで幾度となく自ら開拓村に足を運んでは、現状に不満はないか尋ね、もし困ったことがあれば遠慮なく頼って欲しいと、農民との融和を心がけていたのである。

 しかし、開拓民たちにとって天敵だったゾアンを従えて街を攻め落とし、街では逆らえば首を刎ねると役人たちを震え上がらせたと言う風聞によって形作られたイメージは、そう簡単にはぬぐい切れるものではなかったのだ。

 新しい領主に逆らえば、皆殺しにされる。

 そう思えばこそ、農民らはたとえ邪道な農法を押しつけられても、たとえ過酷な労働を強いられても、たとえ村の半数が餓死しようとも、不平を洩らさず我慢していたのである。

 しかし、その忍耐すらも吹き飛ばす話が飛び出した。

「おめえは、これを聞いても、我慢できるのか?! おらが聞いた話じゃ、集めておいた牛の(くそ)をおらたちに食わせるらしいぞ!」

 それに男たちは屈辱と怒りに顔を真っ赤にし、女子供たちは悲鳴を上げる。

 これまでどんな暴虐な領主でも非道な役人たちでも、そのような真似はしなかった。まさに、それは農民を人とは思わぬ、悪鬼の所業に他ならない。

 これまで必死に我慢していた農民らも、これにはついに我慢の限界を迎えたのである。

 しかし、それは誤解だった。

 蒼馬がやろうとしていたのは、肥料の導入である。

 これまでのように休耕地を設けたり転地したりして地力を回復させないノーフォーク農法では、失われた分の地力を外部から肥料と言う形で補わなくてはならない。

 そして、その肥料として蒼馬が使おうとしていたのが、ゾアンへの土地の賃貸料のために飼育するようになった牛が出す、大量の糞を利用した堆肥(たいひ)だったのである。

 もちろん、この世界の農民らにとって、堆肥が未知のものだとは蒼馬も承知していた。

 あらかじめ開拓村の村長たちを集めて、作物を育てるのに堆肥がどれほど役立つのか説明し、受け入れてもらえるように努力を行っていたのである。

 だが、まさか農民たちが、植物を育てるための栄養分を与える肥料という概念が理解できていなかったとは、蒼馬も想像していなかった。

 すでにこの世界の農民らも、同じ土地で繰り返し作物を育てると、次第に地力が失われ、作物の出来が悪くなるのは経験則で知っていた。

 しかし、それはまるで土地が生物のように、植物を育てるのに疲労して力を失ってしまったものと考えており、まさか植物の成長に必要な栄養分の枯渇によるものとは、思っても見なかったのである。

 もちろん、地面に落ちた動物の糞の周りで、植物が大きく成長しているのに気づいている人もいた。本来ならば、そこから動物の糞尿を肥料として農地に与える施肥という発想が生まれるはずだったのだが、このセルデアス大陸では、ある理由からそれが阻害されていたのだ。

 男は憤怒に顔を赤く染めて、ひと際大きな声を張り上げた。

「ふざけるなや! それでは、おらたちはゲノバンダでねぇか!」

 施肥と言う発想を阻害していたのは、セルデアス大陸全土に古くから伝わる、ゲノバンダの伝説のせいであった。

 ゲノバンダとは、神話の時代に七柱すべての神々の怒りを買い、醜い怪物に姿を変えられてから地の底にある糞尿の沼の中に落とされてしまった男のことである。彼は今でも地の底で糞尿を漁りながら、神々に慈悲を乞うていると言う。

 セルデアス大陸では、相手をゲノバンダと呼ぶことが、七種族に共通する最大の蔑称ともなっているぐらい、それは大陸で広く知られた伝説であった。

 衛生観念の低い古代においては、糞尿から広まる疫病などを予防するために広まったとも言われるゲノバンダの伝説であるが、これが大陸の人々に糞尿への忌避感を強めさせ、動物の糞尿を肥料として活用する道を閉ざしてしまっていたのである。

 蒼馬が堆肥を導入しようとした際に、やはり仲間たちから、牛糞を使うのに懸念の声が上がっていた。

 しかし、いくら彼らから話を聞いて理解しようとも、しょせん蒼馬は異邦人だ。他人から知識として教えられたものと、この世界の人が生まれてから常識として(つちか)ってきたものとの間には、深淵の(へだ)たりがある。

 それを察するには、蒼馬は若く、そして人生経験が不足していた。

 また、蒼馬の仲間たちも農業には(うと)い異種族や兵士たちばかりで、ノーフォーク農法をやるために肥料の力が必要不可欠だと言う蒼馬の主張に、強く反対できなかったせいもある。

 そうして生じた蒼馬と開拓民との間のズレは、時を追うごとに広がり、ついには大きな亀裂となっていたのだ。

 もはや農民らの不満と怒りは、限界を迎えていた。

 このままでは、今すぐにでも農具を手にして決起しかねない彼らを(いさ)めたのは、村長だった。

「待て、皆の衆! 慌てるでねえだ!」

「だども、村長様。もう、おらたちは我慢ならねぇ!」

 その声に、大半の村人たちは「そだ! そだ!」と同意の声を上げる。しかし、村長はそんな村人たちに向かって声を張り上げて言った。

「いいが! よぉ~く考えるだ。反乱ともなれば、失敗は許されねぇ。おらたち男どもが死ぬのは仕方ねぇ。だども、失敗すれば女子供も皆殺しに遭うだ! それでもええんか?!」

 その言葉に、多くの村人たちが押し黙った。

 しかし、このまま我慢を強いられるのには納得できない若い者たちから声が上がる。

「村長様は、これでも我慢せえっちゅうんかい?」

 それに村長は首を大きく横に振った。

「うんにゃ。わしとて、我慢の限界じゃ。だども、なぁ~んも考えずに反乱さ起こしても、皆殺しに遭うだけじゃ」

「だば、村長様はどうせぇっちゅうんじゃ?」

 村人の問いかけに、村長は自信たっぷりに答えた。

「わしらだけでやるんでねぇ。やるなら、仲間さ、集めるだよ」

「仲間をけ?」

 村長は大きくうなずいた。

「そうじゃ! 他の村々はもちろんじゃが、一番大事なのは兵隊さんたちを仲間につけるこった!」

「兵隊さん? だども、ホルメアの兵隊さんは負けて、ずうっと遠くに逃げちまったでねぇか」

 困惑する村人たちに向かって、村長はとっておきの秘密を話すように、意味ありげな笑みを浮かべた。

「よぉおっく考えるだ! この近くに、いっぱい兵隊さんたちがおろう!」

 しばらく村人たちは首を傾げて考え込んだ。そのうち、ひとりが「あっ」と小さく声を上げる。

「そか! 捕虜になっちょる、兵隊さんたちか!」

「そうじゃ! 今は捕虜になっちょるが、兵隊さんは兵隊さんや。わしらより戦い方を知っちょる! 兵隊さんたちに、おらたちの仲間になってもらうだよ!」

 この村長の提案に、村民たちは(ふる)い立った。

「兵隊さんたちが仲間になってくれれば、おらたちの勝ちだ!」

「もう、新しいご領主様にはついていけねぇ!」

「そだ、そだ! 反乱だ! 反乱を起こすべ!」

 こうしてソルビアント平原の開拓民たちの中で、ひそかに反乱の(くわだ)てが進められて行ったのである。

 何か理由をつけては若い者たちを近くの開拓村にやり、互いに連絡を取り合った。そして、武器には蒼馬が貸し与えた鉄製の農具ばかりではなく、戦場跡から剣や槍など拾い集めた。そして、それを開拓村の家々に隠し、着々と反乱の準備を整え始めたのである。

 その企ては、まだ平原の開拓民たちの心を掌握しきっていない蒼馬にとって致命的な一撃となり、ノーフォーク農法を試験的に行っていた開拓村のみならず、平原すべての開拓村まで巻き込んだ大規模な反乱へと発展するはずだった。

 ところが、その反乱は決行寸前のところで、思わぬ人から制止され、未遂に終わってしまうのである。


             ◆◇◆◇◆


 その日、開拓村の近くにある居留地から、捕虜の男たちを密かに村へ招待していた。

 このような平原の真ん中では逃走する恐れがないと思っているのか、居留地で捕虜たちを監視している兵士やゾアンたちの数は少なく、また警備も甘いものだった。そのため、昼間の開拓作業で親しくなった捕虜らが、こうして村で食事に誘われることもしばしばあったのである。

 しかし、今回ばかりは友好を図るためのものではない。

 反乱に協力してもらうため、捕虜のまとめ役をしている男たちを選んでの招待である。

 まずは、まだ若い未亡人らに酌をさせて男たちのご機嫌を取りながら、村長はそれとなく水を向けて、男たちから日頃の開拓作業や待遇の不満を引き出して行った。

 そうして男たちの口から望郷の念や開墾の大変さを聞き出した村長は、これならばいけると判断すると、ついに反乱の話を持ち出し、それに加わってもらえるように嘆願したのである。

 この突然の申し入れに、男たちの顔からいっぺんに酔いが吹き飛んだ。

 確かに今の境遇に不満はあったが、それでも男たちは即答せず、互いの顔を見合わせた。

 二つ返事で引き受けてもらえると思っていた村長は、見るからに困惑している男たちの姿に背筋に冷や汗をかく。

 しばらくして、捕虜たちの中でも兄貴分と目されているダグと言う男が口を開いた。

「話は分かる。だが、あの領主もそんなに悪い奴ではない。しばらく様子を見てはどうだろうか?」

 農民らの反乱を制止したのは、ソルビアント平原開拓に従事させられていた、ホルメア国軍の兵士であった。

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