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破壊の御子  作者: 無銘工房
燎原の章
64/537

第63話 決戦3-弓箭兵(後)

「この街の支配者の方に、何卒(なにとぞ)お目通りを願えませんでしょうか?」

 とにかく自分らが置かれている状況を知りたかったエラディアは、まず自分らの世話をしてくれていたゾアンの女戦士たちに、蒼馬に会わせてもらえるように頼んだ。

 すると、蒼馬は訓練のために皆と街の外に出向いており、不在だと教えられる。しかし、エルフの女性たちの境遇に同情的だったゾアンの女戦士は、わざわざ太鼓を使って連絡を取り、返事までもらってくれた。

「夕方以降ならば、会えるそうです」

 ゾアンの女戦士が良かれと思い、もらってきた返事だったが、エラディアは「ああ、やっぱり」と、胸の中で小さくため息をついた。

 これまでの彼女の経験では、夕方以降にしか会えないというのは、そのまま寝室に連れ込む方便に決まっていたからだ。

 そのため、エラディアは井戸の水で身を清めると、唇に紅を差し、姉妹たちに髪をくしけずってもらい、できるだけ上等な衣服を選んで身を包み、蒼馬との面会に備えたのである。

 そうして着飾ったエラディアの姿は、触れれば消えてしまうような現実のものとは思えない美しさだった。そんなエラディアの姿に、彼女が自分たちのために人間に身体を差し出そうとしていると気づいた姉妹たちは、涙を流さずにはいられなかった。

 そんな姉妹たちの涙とともに送り出されたエラディアが通されたのは、蒼馬がガラムたち主だった面々と討伐軍への対策を打ち合わせている場であった。

 てっきり寝室にでも通されるか、少なくともふたりっきりにされるものと思っていたエラディアはわずかに戸惑う。

 それでもすぐに思考を切り替え、その場にいる人たちを素早く観察した。

 自分らの世話をしてくれたゾアンの女性たちの話では、この反乱を指揮したのは人間ということだ。

 今、この場にいる人間は、たったふたり。

 ひとりは貧弱そうな少年で、これは違うだろう。もうひとりは見るからに歴戦の兵士と言った面持ちの壮年の男だ。彼がこの反乱を指揮した人間に間違いない。

 そう思ったエラディアは、男がどのような女性を好むのか推し量ろうとしたのだが、彼女を案内してきたゾアンの女戦士が声をかけたのは、少年の方だった。

 まさかと困惑するエラディアのところに、少年はやって来ると、にこやかに微笑んだ。

「はじめまして。僕は、蒼馬と言います。えっと……」

 エラディアは微笑みを浮かべた仮面の下で、動揺していた。

 高級娼婦だったエラディアは、男を見定める目には自信がある。しかし、その目をもってしても、目の前にいる少年が、こんな大それたことをするような人間にはとうてい見えなかったからだ。

 だが、この場の人の動きを少しでも観察すれば、この少年がこの場の中心であることは疑いようもない事実である。

 自分が数十年ぶりに動揺しているのにわずかとはいえ驚きを感じたエラディアは、小さく息を吐いて、それを静めた。

「ごめんなさい。お名前をいいでしょうか?」

 そんなエラディアに、蒼馬はまず名前を尋ねた。

 やけに腰が低い物言いをする人だと不思議に思うが、それをおくびにも出さず、エラディアは自己紹介をする。

「ご尊顔を拝し、大変うれしく思います。私はエラディアと申します。何卒(なにとぞ)お見知りおきくださいませ」

 そう言いながら、ふわりと柔らかく微笑んでみせる。それだけで、女慣れしていない蒼馬は照れて視線がわずかに泳いだ。

 それを目ざとく見逃さなかったエラディアは、「思ったよりたわいもなさそうね」と胸の内で呟いた。

 そんな風に思われているとは知らない蒼馬は、照れ臭そうに頬を掻きながら尋ねる。

「僕に何かお話があると聞きましたが?」

 そういうお遊びなのか、とエラディアは微苦笑を浮かべる。

 これまで彼女の身体を(むさぼ)ってきた男たちの中には、問答無用とばかりに力ずくで押し倒す男もいれば、下卑た笑いを浮かべながら彼女の美を称賛し、その気を惹こうとする男もいた。そして、彼女が逆らえない立場であるのを理解した上で、こうして空っとぼけ、彼女の方から服従の言葉や卑猥(ひわい)な言葉を言わせ、それを楽しむ男もいた。

 だから、エラディアはいつものように男の歓心を買うため、男の虚栄心をくすぐる言葉を口にする。

「ソーマ様のご慈悲を(たまわ)りたく存じます。私の喜びは、ソーマ様の喜びにございます。この身も心も、すべてソーマ様のものにございます。どうか、この卑賤(ひせん)なる身に、あなた様のご慈悲を」

 衣服の裾を花弁のように床に広げて膝をついたエラディアに、蒼馬はぽかんと口を開けた。

 その反応に、エラディアは対応を間違えたかと悔やむ。従順な女より、もっと抵抗を見せる女の方が好みなのかと思い、言葉とは裏腹に必死に恥辱を押し隠している風を装い、わずかに視線を背けて身体を小さく震わせてみる。

 しかし、むしろ蒼馬が慌て始めるのに、エラディアは困惑した。

「ちょ、ちょっと待って!」

 ようやく蒼馬は、意志の疎通に齟齬(そご)が生じていることに気づいた。

「それって、どういうことですか!?」

 その場に居合わせたマルクロニスが、見るに見かねて蒼馬に教えてやる。

「彼女は、君の寵愛を求めているのだよ。隷属と言ってもいい」

 しかし、それでも蒼馬は目をパチパチと(しばたた)かせるだけで、とうてい理解している様子ではなかった。これはもっと直接的な言葉を使わなければ駄目だと思ったマルクロニスは、噛み砕くように言う。

「彼女は自分を好きなように犯していい。それを喜んで受け入れるそうだ。その代わり、君の庇護を求めているんだよ」

 ようやく蒼馬は事態を理解した。とたんに顔を真っ赤にして、大きな口を開けて叫ぶ。

「えっ!? ええ~っ!?」

 蒼馬も男だ。現代日本で読んだ小説の中で、異世界にトリップした主人公がハーレムを作って、可愛い女の子といろいろやってしまう展開も嫌いではなかった。自分も異世界に行ったら、こんなハーレムを作ってと夢想したこともある。もちろん、そのハーレムにはエルフ娘の枠は、ちゃんと確保するつもりだった。

 しかし、実際にこうして異世界にやって来ると、そんなハーレムなんてとても作っている余裕なんてあるわけがない。もっとも、そんな余裕があったとしても、女性と交際したこともない蒼馬に、そんな甲斐性はなかっただろう。

 助けを求めるように周囲の人たちを見回すが、男性陣は一様になぜ蒼馬がそれほど取り乱しているのか理解できていないようだ。

 いまだ暴力がものを言うこの世界においては、征服者が被征服者のすべてを自由にする権利を得るのは当然のことである。それこそエラディアの言うように、彼女を性奴隷として我が物にしても誰にも批判はされないだろう。

 それがこの世界の常識なのかと理解した蒼馬だったが、それなら喜んで、と簡単に開き直れるはずもない。そんな度胸があれば、彼はもう少し違った人生を歩んでいる。

 それに何と言っても、隣で「ソーマをそのような下劣な奴と一緒にするな」とボソッと呟くシェムルの揺らぎない信頼が、とても恐ろしい。

 こんな状況でエラディアを受け入れるようなことが言えるほど、蒼馬の肝っ玉は大きくはなかった。

 とにかく蒼馬は誤解を解くため、手振り身振りを交えて、必死にエラディアを説得した。ある意味、「鉄の宣言」のときよりも必死だったかもしれない。

「……それは、ご本心なのでしょうか?」

 その甲斐あって、ようやくエラディアは自分の勘違いに気づいてくれた。先程まで人形のように作り物めいていた顔が、きょとんとした表情が浮かぶだけで、やけに人らしい顔になる。

「僕は、誰かを奴隷にするつもりなんてないです! 本当です! あなたたちは自由です」

 その必死な態度から、蒼馬が嘘偽りを言っているようではないとエラディアは判断した。

 そのとたん、今まで乖離していたエラディアの意識が、すとんと身体に落ちてきた。

 そして、エラディアは泣いた。

 心も身体も汚し尽くされてもなお、ただ父親の最期の言葉を拠り所にし、姉妹たちを守り続けてきた年月が無駄ではなかった。すべてが報われた気がした。

「父様……! 父様……!」

 時折、嗚咽を上げながら、エラディアはすすり泣く。

 突如、泣き出したのに困惑する蒼馬たちを前に、エラディアはひとしきり泣き続けた。

 ようやく涙を流し尽くしたエラディアは艶やかに微笑むと、それまでの自分の非礼を詫びた後、蒼馬にこう切り出したのである。

「エルフの弓兵は、お入り用ではございませんか?」

 現在、蒼馬の勢力となっているゾアンにしろドワーフにしろディノサウリアンにしろ、いずれも強靭な肉体を持つ優れた戦士ばかりだ。しかし、その力は白兵戦でのみ発揮されるもので、どうしても遠距離での戦いが苦手となってしまう。

 そのため、討伐軍との戦いを前にして敵の弓兵をどうするか頭を悩ましていたのだが、そこに聞かされたエルフの弓兵という言葉は、蒼馬にとって願ってもないものだった。

 しかし、現代日本で蒼馬が知るファンタジー作品のエルフは弓が得意なのは当たり前だが、この世界では果たしてそうなのだろうかと疑問が沸く。

 そんな疑問が顔に出たのか、エラディアは小さく笑うと、まずは自分の腕をご覧くださいと言ったのだ。

 急遽、エラディアが皆の前で弓の腕前を見せることになり、領主官邸の庭にカカシを立てられる。そして、蒼馬たちが環視する中で、カカシから三十メルト(およそ三十メートル)ほど離れた場所にエラディアは立った。

 そこに用意された弓を手に取ろうとした時、エラディアはわずかに躊躇(ためら)う。

 弓はエルフにとって日常の道具であり、苦楽を共にする友であり、神聖なものでもある。汚れた自分が触ろうとすれば、弓に拒絶されるのではないかという不安が脳裏をよぎった。

 しかし、意を決して弓を手にする。

 握りの部分に巻かれた革の手触り。そして、それを通して感じられる木の存在。手のひらに吸いつくような感触とともに、そこから血が逆流するような興奮が一気に全身を駆け巡る。

 ああ。やっぱり私はエルフなんだ。

 エラディアは数十年ぶりに触れた弓の感触に、陶然(とうぜん)と感動に打ち震えた。

 ひとしきり、その感動を堪能してから、エラディアは改めて弓を確認する。握りの具合、弓のしなり、弦が張られた強さ。エラディアの理想よりも弓は大きいが、逆に張力や反発力は物足りなさを感じる。しかし、ずいぶんと弓を引いていなかったため衰えた腕には、下手に強い弓より良いだろうと割り切った。

 的となるカカシと正対したエラディアは、ちらりと腰の矢筒の中身を確認する。中にある矢は七本だ。

「初めて手にする弓ですので、二射ばかり試させていただきます」

 エラディアは髪を掻き上げて、エルフ特有の長く尖った耳を露出させる。

 エルフの耳は、無意味に大きいわけではない。元来、木々が生い茂って視界が悪い森の中において、獲物を見つけたり、逆に危険な獣の接近を察知したりするため、わずかな音も聞き逃さないように進化した結果だ。

 さらに、ただ大きいだけではない。よほど近くで観察しなければわからないが、耳殻(耳を構成する、外耳・中耳・内耳のうち、外耳の中でも身体の外に出ている部分。いわゆる一般的に耳と呼ばれるところ)の内側には微細なヒダが複雑な隆線を描いていた。これは長い耳が受けた音を効率的に集音する音響的なレンズの効果があると考えられている。

 しかも、一説によればエルフの耳は風向きやその風力ばかりか、気温や湿度、果ては気圧まで感じられる高性能なセンサーであるという。事実、エルフの耳殻には人間のものとは比較にならないくらい、細かく神経が通っているのだ。

 そして、当のエルフたちは理論的にではないが、本能的に耳を露出することで、より周囲の状況を感じ取れると知っていた。

 エラディアは、まず一本目の矢を放つ。その矢は、カカシより大きく右に逸れ、しかもはるか手前でポトリと落ちた。

 続いて第二射。今度はまっすぐ飛んだが、やはりカカシの手前で落ちた。

 それを観賞していたみんなの中に、噂に聞いていたエルフの弓はこんなものだったのかという失望にも似た空気が流れる。

 エラディアは、三本目の矢をつがえた。

 緊張していないと言えば、嘘になる。

 今までの二射で、この弓の癖や力はだいたい把握できた。しかし、それよりも数十年も弓に触れていなかった自分の腕が、思ったよりも落ちていたのだ。

 しかし、ここで自分たちエルフの力を見せておかなければ、他の種族に遅れを取ってしまう。

 ギリギリと音を立てて引き絞られた弓の弦のように、エラディアの神経も緊張で悲鳴を上げていた。

 その時、ふわりと一陣の風がエラディアの耳をそよいだ。

『ダメだよ、エラディア。そんなに力んでは、右にズレてしまう』

 エラディアの耳に、かつて父親に弓を習っていたときの言葉がよみがえる。

 エルフは、何かに執着することが少ない。その長い寿命によって、その時々に興味を持ったものを楽しむだけの余裕があるからだ。

 しかし、唯一の例外が弓である。

 エルフは弓を握って生まれる。

 これはセルデアス大陸で広く口にされるエルフの弓の腕前を讃えるときの言葉だ。

 さすがにそれは誇張が過ぎるが、エルフは赤子の時より弓の玩具を握らされ、物ごころつく年頃になれば成長の祝いとして弓が贈られ、それで練習を始める。エラディアもまた、物ごころがついてから帝国軍に囚われるまでの間、父を師として毎日訓練に励んできた。

 それは、エルフにとっては短い時間だったが、実際にはひとりの人間が生れ落ち、大人に成長するまでの年月に匹敵する。その長い年月をかけてエラディアの中に築かれた基礎が、今も彼女の中に息づいていた。

「……わかりました、父様」

 エラディアは、わずかに狙いを修正した。

 そして、矢が射られる。

 すとんっという軽い音がした。

 最初、皆はそれが何の音かわからなかった。しかし、目を凝らすと、カカシの胴体の真ん中に一本の矢が突き立ち、かすかに震えていたのだ。

「……おおっ!」

 皆の口から、感嘆のどよめきが起こる。

 続いて射られた矢は、先の矢よりもやや右上に突き立つ。それを蒼馬たちは、多少は狙いがぶれているのだろうと思っていた。ところが続いて射られた矢が、カカシの咽喉、眉間、頭部へと突き立っていくのに、先の二本の矢がそれぞれ鳩尾と心臓を射ぬいていたのだと知る。

 弓矢に詳しくない蒼馬は、すごいとは思うのだが、それがどれほどのものかまではわからなかったため、自分が知る中で最も弓矢に詳しいシャハタに尋ねた。

 すると、シャハタは恨みがましい目つきで答えた。

「ソーマ殿は意地悪です。蝋燭の灯に、太陽のまぶしさを聞くようなまねは勘弁してください」

 あの距離ならば、シャハタでもカカシに当てるのは難しくはない。だが、さすがにあそこまで正確に急所を狙うことは無理な話だ。自分では、それなりの腕前と思っていただけに、シャハタはがっくりと肩を落とした。

 その様子に蒼馬は、それほどのものなのかと感心する。

 そこに矢を射終えたエラディアが歩み寄ってくると、蒼馬に向けて優雅に一礼する。

(つたな)い技を披露し、お恥ずかしい限りです。これでは、これが精一杯ですわ」

「その弓が悪いの?」

 まるで、弓が良ければもっと良い結果が見せられたと言う口振りに、蒼馬は驚いた。

「いえ。人間の弓としては、良い方ではないでしょうか? ですが、エルフィンボウを知っていると、どうしても不満を感じてしまいます」

「エルフィンボウって?」

「私どもエルフに伝わる弓です。時間があれば作りたいのですが、今回はこれで我慢するしかありません」

 エラディアの言葉には、強い自負が感じられた。よほどエルフィンボウとやらに自信があるのだろう。それに興味をそそられた蒼馬は、何とはなしに質問する。

「へえ。どんな弓なの?」

「ご興味がおありですか?」エラディアの目が妖しく輝いた。「エルフィンボウの製法は、決して他人に教えてはならないものですが、ソーマ様がどうしてもというのならば……」

 そこに、おかしな声が上がる。

「うぎょ!」

 それはドヴァーリンが驚きの声を無理やり飲み込んだために出た、へんてこな声だった。

 この場において、エルフィンボウの価値を知る者は、エラディアを除けばドヴァーリンだけだっただろう。

 弓矢の射程や威力は射手の技量にもよるが、一般的には使用する弓自体の張力や反発力で決まる。そのため、ごく単純に射程や威力を高めようとすれば、より大きな張力をかけられる大きな弓を作ればいい。つまり、ロングボウだ。

 しかし、森林で狩猟を営んでいたエルフたちにとって、弓は日常の道具である。その弓が大きくては、枝葉や蔓が生い茂る森の中で持ち歩くのは大変不便だ。

 そこでエルフたちは、大きさではなく、材質を改良することで弓を強化したのである。

 そして、作られたのがエルフィンボウと呼ばれる弓だった。

 この時代の弓が1種類の木材だけで造られていたのに対し、エルフィンボウは木材だけではなく金属や動物の角、骨、皮、腱などの複数の素材を張り合わせて造られている。こうした硬さも弾性も異なる素材を複合させることによって張力と反発力を調節し、それら素材のズレが弓に加えられる力に耐えられるようになっているのだ。

 こうした素材の複合や形状の工夫によって、エルフィンボウは小さな弓ほどの大きさでありながら、ロングボウと同等かそれ以上の射程と威力を持つ超兵器なのである。

 戦いに明け暮れる帝国をはじめとした人間の国々が、そんなエルフィンボウとその製法を求めたのも当然だろう。しかし、エルフィンボウの製法はエルフの秘伝であり、その製作に挑んだ人間の職人はことごとく失敗した。

 そこで帝国の皇帝は、製法を知るエルフの王を捕えると、拷問にかけて製法を吐かせようとした。しかし、いかなる拷問をかけられようともそのエルフの王は決して口を割らない。それに怒り狂った皇帝は、その王の目の前でその妃と姫を散々凌辱して見せたが、それでもエルフの王は口を割らず、ついには見張りの一瞬の隙をついて窓から身を投じ、自らの命をもってエルフィンボウの秘密を守り抜いたと言われている。

 そのような経緯やエルフィンボウの価値を知らない蒼馬は、日本人特有の遠慮をして見せた。

「ううん。そんな大事な製法なら、無理に教えてくれなくてもいいよ」

 それに、しっかりと聞き耳を立てていたドヴァーリンが、わずかにため息を洩らす。

 ドワーフの工匠であるドヴァーリンにとって、エルフィンボウには複雑な想いがあった。

 この世に造れぬものはないと豪語するドワーフの名工たちが挑みながら、ついに造ることができなかったのがエルフィンボウである。

 わずかに手に入れたエルフィンボウを解体して徹底的に調べ上げ、まったく同じ素材を使い、どちらが本物か見分けられないほどの複製品を作り上げても、なぜか本物の威力には到底及ばないものしかできない。

 ついにはドワーフの名工のひとりが恥を忍んで、金銀財宝を山と積み、その製法を教えて欲しいとエルフの王に願い出た。しかし、そのエルフの王は、こう答えたという。

「おまえは同じ量の財宝を積み上げれば、私にガラスの製法を教えるのか?」

 エルフにとってのエルフィンボウの製法と同じく、ドワーフにとってガラスの製法は門外不出の秘法である。

 その名工はエルフの王に一言も言い返せぬまま、すごすごと引き下がったと言う。

 落胆しているドヴァーリンに、エラディアはクスリと笑ってから、表情を改めると蒼馬に向かって深々と頭を下げた。

「ソーマ様を試すような真似をして、大変失礼いたしました」

 その言葉に、エルフィンボウの秘密を聞き出すためにエルフたちにおもねっているのではないか自分が試されていたのに気づいた蒼馬だったが、苦笑するだけで(とが)める素振りすら見せなかった。そればかりか、彼の代わりにエラディアの非礼にむくれるシェムルを必死に蒼馬はなだめる。

 それから改めて、エラディアの弓を絶賛した。

 それはシャハタから彼女の腕前のすごさを教えられたからだけではない。

 何しろエラディアは、弓の達人であるエルフの美女なのだ。それはまさに蒼馬が現代日本でさんざん読み込んだファンタジー小説の中の人物そのものであった。そんな人が目の前にいるのだから、ファンタジー好きな蒼馬ならば興奮せずにはいられなかったのだ。

 そんな子供っぽい興奮で目をキラキラさせて自分を絶賛する蒼馬に、エラディアは思わず微笑を洩らしてしまう。

 なんて、可愛らしい方なのだろう。

 まさか自分が人間に対して、このような感情を抱くとは、エラディアも自分に驚いていた。

「それで、私を弓兵としてお雇いいただけますでしょうか?」

 もちろん、その申し出を蒼馬が拒絶するわけがなく、蒼馬の陣営にエルフたちが加わることになったのである。

 余談だが、後日蒼馬も試しに弓を引かせてもらった。

 ところが、エラディアが楽々と引き絞っていた弓なのに、蒼馬はいくら力を込めても、半分ほども引けない。

「弓は力だけではなく、理で引くものですわ、ソーマ様」

 そう言われたが、蒼馬にはさっぱりわからなかった。必死になって弦を引いていたが、ついに指が限界を迎え、思わず離してしまう。めちゃくちゃな引き方をしていたせいか、つがえていた矢が、どこがどうなったのか何と回転しながら横に飛び、そこにいたガラムの胸に当たった。

 ガラムは足元に落ちた矢と蒼馬を見比べてから、こう言った。

「ソーマ。おまえは恩寵があった方が、周りの迷惑にならんな」

 蒼馬は恥じ入るしかなかった。


                ◆◇◆◇◆


 蒼馬の了解を得たエラディアは、すぐさま弓を一張り手にして姉妹たちの元に駆け戻った。

 出て行く時は、どこかおぼろげで今にも壊れてしまいそうな雰囲気をまとっていたエラディアが、生気に満ち溢れた表情で駆け戻って来たのである。姉妹たちは、いったい何事があったのかと驚いた。

 困惑する彼女たちの前でエラディアは蒼馬の意志を噛み砕くように伝えると、こう言った。

「奪われた自由と尊厳を取り戻したい者がいれば、私とともに弓を手に取りなさい!」

 もちろん、誰も否やとは言わなかった。

 こうして弓を手に立ち上がったエルフの女性たちは、それまでの無為な時間を取り戻すかのように、意欲的に動き出したのである。

 長い年月の間に忘れかけていた弓の感覚を取り戻すため、寝食を忘れて訓練を始めた。そのうちボルニスの守備兵が使っていた弓では満足できなくなったのか、ドワーフたちから工具を借り受けると、自らの手で弓を改造したり、それにも飽き足らず自ら弓を作り始めたりする者まで出た。

「弓矢を作るのは良いんですが、みなさん大丈夫ですか?」

 その作業場を訪れた蒼馬が心配したのも無理はない。蒼馬が知る限り、エルフの女性たちはほとんど不眠不休で訓練と弓矢の製作を続けている。頑張ってくれるのは助かるが、このままでは倒れてしまいかねなかった。

 しかし、エラディアは小さく首を振る。

「ソーマ様にご心配をおかけして、申し訳ございません。ですが――」

 エラディアは、弓矢を作る姉妹たちに視線を向ける。

「ご覧ください。あの嬉しそうな顔を。あの娘たちは、今とてもうれしいのです。もう二度と触れることができないと思っていた弓に触れ、作ることができないと思っていた矢を作っていられるのですから。今は、あの娘たちの好きなようにさせてください」

 そう言われてしまえば、蒼馬は何も言えなくなってしまう。

 確かに、弓矢を作るエルフの女性たちの顔は、生き生きと輝いていた。その姿はもはや、その生に悲観し、ただ生きるだけだった性奴隷のものではない。自らの意志で戦おうとする戦士の姿であった。

「必ずや、ソーマ様のご恩に報いる働きをご覧にいれましょう」

 そして、エラディアは陣地に入った二百名ほどの姉妹たちとともに、北風を背負うと言う圧倒的に有利な条件であったとはいえ、その宣言通りホルメア国の弓兵大隊に対して、相手にほとんど矢を射る余裕すら与えず、これを撃退して見せたのである。

 この時エルフの女性たちは、性奴隷だった負い目から戦場で顔を晒すのを恥じて口許を黒い布で覆い隠していた。

 これは、初めてゾアンが蒼馬に従って夜襲をかけた時、ゾアンたちが黒い布で顔を隠したという話を聞き、それを真似したものである。これ以降、彼女たちは戦場に立つときには必ず口許を黒い布で隠すようになった。

 これが後に「『破壊の御子』の娼婦ども」と罵られるのと同時に、その忠誠心と卓越した弓術によって近隣諸国に恐れられることになる「黒エルフ弓箭兵」の原型である。


                ◆◇◆◇◆


 一時の衝撃が去ると、ダリウスは冷静になって敵陣を観察した。

 敵陣の中の動きやこちらの弓兵大隊に向けて放たれた矢の数から、エルフの弓兵は、およそ二百程度と見積もる。いくらエルフの弓兵であろうとも、その程度の数ならば恐れることはない。

 また、どこかに身を潜めているであろう伏兵にしても、それが敵陣にいる数よりも多いとは思えなかった。さすがにそれほど大規模な増援があったのならば、いくらなんでもどこかで気づくはずだ。

 そう考えると、やはり伏兵は当初の予想どおりか、それよりもやや多い程度。それならば無為に伏兵を恐れるより、全軍をもって敵陣にこもる敵本隊さえ倒してしまえば、この戦いに決着がつく。

 そう決断したダリウスは、伝令兵に命を下した。

「これでは埒が明かぬ! 重装槍歩兵連隊に伝達! 前進し、敵陣を蹂躙せよ!」

「復唱いたします! 重装槍歩兵連隊に伝達! 前進し、敵陣を蹂躙せよ!」

 ダリウスの命を受けた伝令兵は乗馬に一鞭くれると、重装槍歩兵連隊へと駆けて行く。その姿が連隊の中に消えてから、しばらくすると太鼓が打ち鳴らされ、その拍子とともに連隊が組んだ陣形にさざ波のようなものが走った。

 ついに、ホルメアが誇る重装槍歩兵による密集陣形が動き出したのである。

 ついに動き出した重装槍歩兵連隊。

 エルフの弓もゾアンの投石も跳ね除けて迫り来る連隊に、蒼馬は何とか時間を稼ごうとする。

 そして、それに合わせ伏兵を任されていたバヌカが動く。

 だが、それはすべてダリウスの予想の範囲内であった。

 勝利を確信したダリウス。

 しかし、そのときダリウスは、あるものを目にとめる。それは……!


次話「決戦4-鳥」

****************************************

エルフについて――

エルフ耳は浪漫です! そんなわけで、耳に関しては細かい設定を作ってありました。ちなみに、エルフにとっては耳は繊細な感覚器官ですので、いきなり触ったりすると、大変エロい……じゃなくて、大変えらいことになってしまいます。とっても敏感な場所ですから、めちゃくちゃ怒られます!


質問が多かった性奴隷だったエルフの弓の腕前についてですが、まず性奴隷だった年数はエラディアだけが突出しています。心と体を乖離させる術を身につけていたおかげでエラディアは生き延びましたが、一緒に捕まった他のエルフたちはたいてい心を病んで死ぬか廃棄されてしまいました。そんな理由もあって、性奴隷歴が長いエラディアはみんなからお姉様扱いされているというわけです。

現在、蒼馬の下にいるエルフは性奴隷になってから日の浅い者もいるので、そんなにブランクのない娘もいると言う設定になっています。

あとは、エルフ耳センサーと改良された矢、エルフ娘たちが基礎を数十年かけて叩き込んであったことに加え、北風を背負うという好条件もあって、ホルメア弓兵大隊を圧倒できたというわけでした。

さらにエルフィンボウと弓籠手が加われば、人間の弓兵10人分の働きをすると言われるエルフの弓兵の完成ですが、今回はそこまでの強さはありません。


おまけ――

エラディア「私たちエルフは、男にはわからない屈辱を味わってきました」

ガラム「男としては、立場がないな」

ズーグ「うむ。何と言っていいか……」


エラディア「男にわかるわけがありません! 読者の感想に悪乗りして、作者にガチムチで毛深い猿人エルフにされかけ、『ぐはははは! わしの矢は1本で確実に敵ひとりの命を奪う。すなわち、「一矢一殺」よ!』などと高笑いするキャラクターにされかけた屈辱なんて!!」


シェムル「良いじゃないか。毛と筋肉」

シシュル「良いですよね。私ももう少し欲しいですよ、毛と筋肉」

エラディア「……! これだからゾアンはっ!!」

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