第60話 柴
ずいぶんと久しぶりに登場する人物が1名います。忘れている方が多いと思いますが、2話の砦にいたあの人です。
最初に北の山の麓に築かれた陣地に気づいたのは、討伐軍の先陣で騎馬に乗る将校だった。その将校はすぐさま伝令兵を呼ぶと、ダリウスのところへ向かわせる
その伝令兵は巧みな手綱さばきで馬を走らせると、ダリウスの戦車に馬を寄せた。
「ダリウス閣下! 街道の北、山の麓に反徒と思われる勢力を確認いたしました! ご指示を!」
「ほう……」
伝令の報告を聞いたダリウスの呟きには、面白がるような響きがあった。
「全軍停止せよ!」
ダリウスの指示を受け、同乗していた兵士のひとりが戦車の後ろに載せてある大太鼓を叩く。どんどんと腸揺さぶるような重苦しい太鼓の音が鳴り響くと、討伐軍のそこかしこで部隊長たちが兵士に停止するように叫ぶ声が上がる。
それでも、七千もの討伐軍が停止するには、しばらくかかった。
その間にも、新しい情報がダリウスの下に届く。
「山の麓に陣地が築かれております! その中に、ゾアンなどの姿を確認いたしました! 反徒たちに間違いござません!」
ダリウスが乗る戦車の近くに控えていたマリウスの耳にも、その声は届いていた。マリウスは、昨夜ダリウスが語った策とまったく同じ状況になっているのに驚きを隠せない。
ぎしりと音を立てて椅子から立ち上がったダリウスは、兵士たちが立てる槍や旗の間からわずかに覗く、山の麓に築かれた敵陣を見やる。
「なるほど。あれか……」
ダリウスは、大きく右腕を横に振った。
「全軍に通達! 本日の行軍は、ここまでとする! 各自、野営の準備を始めよ!」
近くにいた伝令兵たちは、いっせいにダリウスの言葉を復唱しながら、全軍にそれを伝えに馬を走らせる。
「カドモス! カドモスはおるかっ!?」
ダリウスの呼び声に、兜に連隊長を示す緑色の房をつけた壮年の将校が馬を戦車に寄せて来た。
「はっ! 閣下の御前に!」
「騎兵の中から、心利きたる者を選び出し、敵陣並びにボルニスの街へ斥候として出せ。それと敵陣地の監視と周囲への警戒も怠るな。今さら攻めて来るとは思えぬが、ゾアンによる奇襲だけは警戒しておけ」
「御意!」
馬で走り去るカドモス連隊長には目もくれず、ダリウスはじっと敵陣を見つめる。
その目は、まるで収穫を祝う祭りの灯を見つめる子供のように、期待と興奮に輝いていた。
「平原に逃げずに、戦おうというのか。何と、わしを楽しませてくれるのだ」
◆◇◆◇◆
手でまびさしを作って討伐軍の様子を眺めていたガラムに、ズーグが声をかけた。
「どうだ? 攻めてきそうか?」
それにガラムは敵陣を見つめたまま、すげなく答える。
「うるさい。知りたければ、自分で見ろ」
「仕方なかろう。誰かさんのせいで、俺は片目で大変なのだ」
肩を小さくすくめ、おどけた口調で答えるズーグに、ガラムは「自業自得だろうが」と言い捨てる。
嫌味の応酬を始めたふたりの間に割って入った蒼馬が言った。
「できれば僕にも説明してもらえると助かります」
蒼馬も決して眼が悪いわけではないのだが、ここからでは討伐軍の姿はゴマ粒の塊のようにしか見えない。とても何をしているかまでは見て取れはしなかった。
それに対して、平原で生活していたゾアンたちは総じて目が良い。似たような広大な平原での狩猟生活を行っているアフリカの部族の中には、日中でもはるか上空を飛ぶ人工衛星を見つけられる人がいるというが、それと同じだろう。
蒼馬の隣でニヤニヤと笑って状況説明を待っているズーグに、ものすごく嫌そうな顔をしながら、ガラムは渋々と口を開く。
「歩くのをやめている。みんな、荷車に集まっているな。荷車から何かを下ろして……あれは天幕か? あとは袋と鍋のようだな……」
「なんだ。今日は、あそこでお休みなのか?」
ズーグはがっかりしたように言う。
「兵士たちも長距離の行軍で疲れ切っているんでしょう」
蒼馬はかつて読んだ戦記ものを思い出していた。
多くの作品において、戦場に到着してきたばかりの敵の野営地に夜襲をかけ、大きな戦果をあげる展開が見られる。そんな夜襲をかけさせる隙を与えずに、さっさと攻めてしまえば良いのにと軍事マニアな友達に話したところ、こう言われた。
「重い装備をつけて、一日中歩くんだぜ。そりゃへとへとになるよ。とてもじゃないけど、数日は休ませないと戦いどころじゃなかったのさ」
なるほどと、納得である。騎馬や戦車に乗っている将校らはともかく、重い装備をつけたまま長距離を歩かされてきた歩兵の疲労は大きいだろう。疲れ果てて正体もなく眠りこけた兵士ばかりの野営地ならば、それを襲撃すれば大きな戦果が上げられるはずだ。
そう説明すると、血の気が多いジャハーンギルが、すぐにそれに飛びついた。
「ならば、あそこを襲撃するか?」
しかし、ガラムがそれを否定する。
「やめた方がいいな。それぐらいは用心しているだろう」
「すると、戦いは明日以降か?」
目に見えて、尻尾の先がしょんぼりと垂れさがるジャハーンギルに、蒼馬は苦笑いした。
「そうだと思います。――でも、向こうも悠長にしてはいられないでしょうね。たった一日でどれだけ兵たちの疲れが取れるかわかりませんが、早ければ明日。どんなに遅くても、数日中には戦いになると思います」
◆◇◆◇◆
討伐軍の野営地の中心にあるひと際大きな天幕の中に、ダリウスをはじめ、各部隊を預かる将校らと伝令兵たちが集っていた。
皆の顔がそろったところで、ダリウスは「はじめろ」とでも言うように手首を軽く振る。すると、まず敵陣地へ斥候に行ってきた兵士が一歩前に出て声を上げた。
「ご報告いたします! 山を背負うように陣が構築され、そこに多数のゾアンとドワーフなどの姿が見受けられました」
ダリウスはひとつうなずいてから、問いを発する。
「陣地の備えは、どのようなものだった?」
「見た限りでは周囲に壕を掘り、その土で土手を築き、柵を設けている程度です」
その答えに、ダリウスは拍子抜けしてしまった。
「ドワーフが作ったにしては、さほど堅牢そうではないな」
かつてこのあたりの山岳地帯にいたドワーフの集落を攻めた時は、山腹に何段にも渡って築いた堡塁によって、さんざん苦汁を舐めさせられた。あの時のドワーフの集落と比べれば、あの程度の陣地は丸裸も良いところだ。
しかし、それでも短時間で作ったにしては強固な陣地である。さすがドワーフたちと言えよう。それに、攻めやすいと思わせておいて、巧妙に隠された罠がないとも限らない。
「敵の数は、どれほどだった?」
「はっ! 敵の総数は、およそ千五百ほどでした」
その答えに、ダリウスは、妙だなと思った。
事前に掴んでいた情報を分析し、反徒の数は千から千五百と踏んでいた。斥候の報告では、ダリウスが想定していた上限に近い人数が、あの陣地に入っていることになる。
しかし、それでは伏兵に割ける兵数は、ほとんどなくなってしまう。
「……伏兵はおらんのか?」
そんな馬鹿な、と思う。
あの程度の陣地で、討伐軍七千を相手にできるとでも思っているのだろうか?
自分が把握していない増援があったのか? 平原で日和見していたゾアンの勢力でもあり、それがついに重い腰でも上げたのか?
いや、そのような勢力があったとすれば、自分たち討伐軍が押し寄せてくるこの時期に動くとは考えにくい。自分ら討伐軍との戦いの趨勢を見極めてから決断するだろう。
それでは反徒の頭目は、いったい何を考えている?
ダリウスは髭をしごきながら、しばし考え込む。
ちょうどそこに、ボルニスへ斥候に出していた兵士が戻ってきたと報告が来た。すぐさま天幕に通された兵士は挨拶もそこそこに、ダリウスに報告するよう急かされる。
「ボルニスの街門は、開放されております。見る限りではゾアンや奴隷どもの姿はありません」
その兵士の報告に、天幕に集まっていた将校たちは顔を見合わせた。
「これはいったいどういうことなのだ?」
「それではまるで、街を取り戻してくれと言っているようなものではないか」
「街を略奪して放棄したのではないのか?」
「だが、そのような気配は見えんぞ」
彼らの想定では、反乱を起こした奴隷たちが立て篭もるボルニスの街を解放するはずであった。
それなのに、解放するはずの街が無防備のまま放置されているとは、想像すらしていない事態である。これが略奪され、火を放たれた後ならば、まだしも納得がいく。しかし、街は見る限りでは大きな破壊の跡は見受けられないのだから、彼らの困惑も無理はなかった。
「敵の姿がないのならば、街に入らなかったのか?」
街に敵の姿が見えませんでした、で終わってしまえば偵察に出した意味がない。ダリウスの咎めるような口調に、兵士は背筋を伸ばして返答する。
「はっ! 私もそう思い街に近づこうとしましたところ、街壁の上に不審なものを見つけ、不用意に近づくのも危険と考え、引き返してまいりました」
「不審なもの? もっと正確に言え」
「はい。遠目でしたので、確かではございませんが――」ここでいったん区切ってから、次の言葉を言った。「――おそらくは柴の山だと思われます」
天幕の中に、小さなどよめきが起こる。
「柴? 柴の山だと?」
「何故、そのようなものが……?」
首をひねる将校らの中から、ある言葉が洩れた。
「もしや、火攻めの準備では……?」
それに他の将校たちの口から、「あっ」と小さく驚きの声が上がる。
「そうか! 彼奴らは、討伐隊を火で包み、焼き殺したというではないか」
「なるほど。また同じ手を使って、我らを街ごと焼き払うつもりか!」
「我らも舐められたものよ! そのような同じ手が何度も通用すると思うてか!」
「しかし、これではせっかく街が空になっても攻められませぬな」
「然り、然り」
敵の悪辣な策を見破ったのに興奮した将校たちが、反徒への嘲りや苛立ちを口々に言う中で、いきなり大きな笑い声が上がった。
「ダリウス閣下?」
「閣下、いかがなされました……?」
笑い出したのは、ダリウスだった。
ダリウスは髭を震わせながら、座っていた椅子の背もたれに背中を押しつけ、のけぞるようにして笑い声を上げている。
このダリウスの突飛な行動に面食らった将校らは、誰もが唖然としてしまう。
そんな将校たちに、ダリウスは肩を笑いの余韻でわずかに震わせながら言った。
「やるではないか、反徒の頭目め」
将校らは顔を見合わせる。今しがた反徒の策を見破ったばかりだというのに、なぜダリウスが敵を称賛するのかわからなかった。
ひとりの将校が意を決して、それをダリウスに尋ねる。
「閣下、それはいったいどういうことでしょうか……?」
ダリウスは、ぎろりと天幕内に居並ぶ将校らを見渡した。それだけで天幕内に、ちりちりと肌に静電気が走るような緊張が生まれる。
「火攻めの準備ではない」
ダリウスは、重苦しい声で断言した。
「柴の山も、おそらくは街壁の上に置かれたひとつだけであろう」
「なんと……!?」
驚く将校たちに、ダリウスは説明する。
「もし、街ごと我が軍を焼き払うつもりなら、それ相応の火種の準備がいるだろう。街壁に限らず、街の要所要所に油や薪などを配置せねばならん。
ゾアンどもが山に攻め入った討伐隊を火攻めで焼き殺したことは、すでに街の民どもも知っておろう。それなのに、奴隷たちの姿も見えず、また街門も開放されているというのに、街を逃げ出す住民はごくわずかしかおらん。
つまりは、そうした火攻めの準備をしておらんのだ」
ダリウスの言い分は、いちいちもっともだった。
しかし、それでは街壁の上に置かれた柴の意味がわからない。
「ですが、閣下。街壁にある柴の山は、いったい……?」
その将校の問いに、ダリウスは苦笑を浮かべる。
「おぬしらがすでに答えを出しておるではないか」
言葉の意味がわからずに「はあ?」と、気の抜けた声を上げる将校たちに、ダリウスは鼻を小さく鳴らして言葉を続けた。
「火攻めを恐れ、容易には街を攻められぬと」
その言葉に、将校らはきょとんとする。
「面白い奴だ。柴の山ひとつで、我が軍勢から街を守って見せるか!」
再びダリウスは、髭を震わせて笑い出す。
それとは逆に、ようやく自分らが見事に敵の策にはまっていたことに気づいた将校らは、顔を真っ赤にして怒り狂った。
「おのれ! そういうことか!」
「我らをコケにしおって! こうなれば、先に街を取り戻して、奴らに目に物見せてやりましょうぞ」
それに同意する声が次々と上がる。
しかし、ダリウスは即答しなかった。
火攻めはないとダリウスは断言したが、それは将校らの手前だからだ。
まずは十中八九、外れてはいないと思うが、十中の一がないとは言い切れない。
たとえば、あえて柴の山をひとつだけ見せて偽装だと思わせておき、その裏をかく。もしくは、柴の山を見て街に入らなければよし。もし街に入れば、そのときこそ住民に気づかれぬように用意した火種で街ごと焼き払う準備がされている恐れもある。
先程までは、本隊で反徒どもを牽制している間に、別働隊を編成してボルニスを制圧するのも手かと考えていた。
しかし、万が一火攻めの準備がされていれば、その別働隊は全滅してしまう。
もしかしたら、別働隊ごと街を燃やし、それによって本隊の兵たちを動揺させ、そこにつけ込むのが反徒たちの策とも思える。
それならば、不安要素がある街を取り戻すよりも先に敵本隊を叩くべきか?
街に罠が仕掛けられていたとしても、敵本隊を叩き潰してしまえば意味はない。
ましてや、こちらの兵数七千以上に対して、敵はわずか二千にも満たないのだ。普通に戦えば、負ける要素などどこにも見当たらない。
しかし、それ故にダリウスは迷った。
これまでの反徒たちの動きを見れば、それを指揮する者が、その程度のことに気づかぬわけがない。それを承知の上でなお、あそこに陣地を張り、こちらを挑発しているのだ。
何かある、とは思うのだが、それが何なのかがわからない。
このまま敵の思惑どおりに攻めると、とんでもないしっぺ返しを受けるのではないかという不安がある。
しばらく様子を見るために待つか、とも考えた。
だが、居並ぶ将校らの顔を見れば、それはできそうにない。
強固な砦ならばともかく、全軍をもってすれば、ひともみで押しつぶせそうな陣地でしかないのだ。その程度のものを前にして攻めるのを躊躇していれば、全軍の士気にもかかわる。
それに、この討伐軍を維持するのもタダではない。七千人分の糧食はもちろんのこと、それを運ぶための荷車を曳く馬や竜の餌など、ただいるだけで驚くほどの資金を食いつぶしているのだ。出来ることならば一刻も早く終わりにしたいというのが本音である。
そして、それにもまして問題なのが、自分の脇で、でっぷりと肥えた腹を突き出して偉そうにふんぞり返っている聖教の従軍神官だった。
「何を迷われております、閣下! 今すぐ、あのおぞましい亜人類と、その頭目と申す輩を成敗するのです!」
このミルダスと名乗った従軍神官は、本人の弁によればボルニスの街にいた時、ゾアンの反乱に遭ったという。幸運にも難を逃れてルオマの街の教会に身を寄せていたが、その間も彼は汚らわしい亜人類に占拠されているボルニスの街のことを思い、義憤に身を焦がしていたそうだ。そんなところに、ボルニスの街を解放するために討伐軍がやって来ると聞き及び、自分の信仰心が力になるのではないかとダリウスに接見を求めたということだ。
「獣のような鋭い目で住民たちを見張り、少しでも逆らえば容赦なく殺される。そんな恐ろしいボルニスの街から、私がこうして傷ひとつ負わずに逃げおおせたのは、まさに人間の神の御加護に他なりません! この身に余る御加護を討伐軍の勇士たちに分け与えるためにも、是非とも従軍をお許しくだされ!」
承諾されて当たり前とでも思っているのか、ダリウスに対して時候の挨拶すらせず、ミルダスは自分の言い分だけをぬけぬけと言い放ったのだ。
この時、その後ろではミルダスの無礼な態度に激昂したマリウスが剣の柄に手をかけていた。ダリウスがかすかに手を浮かせてマリウスを制止するのがわずかでも遅ければ、ミルダスの首は宙を舞っていただろう。
「閣下! 私がいれば、亜人類どもなど恐れるに足りません! ああ、偉大なる人間の神よ! あなたに忠実なホルメアの勇士たちに、神の御加護を!」
今、自分が危うく死にかけたことにも気づかず気持ち悪い声で祈りをささげるミルダスに、ダリウスは侮蔑の念しか湧かなかった。
ボルニスの街から逃げられたのを神の御加護と言っているが、すでに同じように街から逃げ出して来た商人らから、反徒たちが住民を力で押さえ込むどころか、街から退去するのを認めているのをダリウスは知っていた。
このミルダスと言う神官も、おおかた神官服を脱ぎ捨てて住民の中に紛れてコソコソと街を逃げ出したのだろう。神の御加護が聞いて呆れるというものだ。
それに徹底した現実主義であるダリウスは、戦いに神の加護を当てにはしていない。
しかし、聖教の権威を馬鹿にはできないのも事実である。
これからソルビアント平原開拓によって国力を高めようとすれば、必ずや隣国のロマニアが口出しをしてくるだろう。そのときソルビアント平原制圧に聖教の神官を従軍させておけば、この開拓は人間の神の承諾によって行うものだと強弁するためのひとつの材料となる。
ダリウスとしては何とも馬鹿らしい話なのだが、これもひとつの政治であり、外交なのだ。
そうした思惑もあり、ダリウスは従軍を認めていたのだが、ミルダスもミルダスで思惑があった。
ミルダスの思惑とは、復讐である。
うまいこと邪教徒の首領の首を手に入れたミルダスは、それを持って聖教の中心地である聖都へ上ろうとしていた。ジェボアの商人に帝国領まで船に乗せてもらう渡りもつけ、信者たちから浄財を名目に巻きあげた金品を持ち、いざ街を出ようとした矢先にゾアンの反乱に遭ったのだ。
聖教の神官が亜人類に捕まれば、どのような目に遭うかぐらいは、ミルダスにもわかっている。
すぐさまミルダスは、聖教の神官であることを示す神官服や聖印や聖像を躊躇いもなく投げ捨てると、高価な装飾品だけを身に着け、その上からわざと泥で汚した外套をひっかぶった。そして、大事な邪教徒の首領の首が入った首壺を抱えて、路地裏に身をひそめたのである。
しばらくして街が落ち着いてくると、馬鹿な亜人類どもは街から住民が退去することを許しているという話を耳にした。念のため、門の近くで出て行く人とそれに対応する亜人類の様子を観察してみたが、聖教の神官を探そうとしている気配もない。これなら、このまま下賎な民のふりをすれば街から逃げ出すことは簡単そうに見えた。
しかし、問題なのは、首壺だ。
住民らが街を出るときに家財などの財産を持ち出すのは自由とされてはいるが、門のところで怪しいものを持ち出していないか、簡単な通関の真似事ぐらいはやっている。そんなところに人の生首を持ったまま、のこのこと行けるわけがない。
それならば、夜にこっそりと街壁から縄を下ろして首だけ持って逃げようかとも考えたが、隣の街まで自分の足で歩いて行くなんて、とんでもない話だ。
しかし、一刻も早く逃げなければ、自分の命が危なかった。自分が乗る輿を担がせてやった温情も忘れ、騒ぎに乗じて逃げ出してしまったドワーフの奴隷たちから、いつ自分のことが露見しないとも限らない。
泣く泣くミルダスは首壺を街の片隅にある木の根元に埋めて隠すと、街を出る商人の馬車に便乗させてもらい、ルオマの街に逃げ出したのである。
一連の出来事を思い返すと、ミルダスの胸の中には憎悪がぐつぐつと煮えたぎった。
輝かしい未来が待つ聖都に行くのが遅れたのも、街を出る馬車に乗せてもらう時に商人に足元を見られて金品のほとんどを巻き上げられたのも、聖教の神官である自分が下賎な民の真似までして逃げなければならなかったのも、すべては汚らわしい亜人類どものせいだ。
いや、もっと許せないのが、その亜人類どもを率いていた、あのアウラの御子だ!
こそこそと街を逃げ出す時に見た、汚らわしい亜人類を引き連れて我が物顔で街を歩くアウラの御子の顔を思い浮かべると、ミルダスは胸の内で罵声を浴びせかけた。
そもそものケチのつきはじめは、あのアウラの御子から始まった。砦を出立するのが遅れたのもあいつのせいだし、とっくに駆除されたはずのゾアンが逆に街を制圧したのもあいつのせい。
みんなみんな、あいつが悪いのだ! 邪教徒の首領の首ともども、貴様の首も塩漬けにして聖都に差し出してやらねば、この胸の中で煮えたぎる憎悪は、とうてい鎮まりはしない。
何としてでも、あの亜人類どもとアウラの御子を殺してやる!
そう決意したミルダスは、目を血走らせて将校たちを煽った。
「ホルメアの勇士たちよ! 今こそ、神への信仰心を表すときなのです! この戦いにおいてその信仰心を示された勇士は、このミルダスが聖都の大聖堂にて、その名を讃えましょう!」
戦士たちにとって、その名をこの世に広く知らしめることは、最高の名誉である。ましてや、それが大陸の中心と言っても過言ではない聖都ともなれば、これに勝るものはない。
これをことあるごとに聞かされていた一部の将校たちは、すっかり焚きつけられてしまっていた。
今もミルダスの狂気が感染したように、ギラギラと脂ぎった目つきでダリウスの決断を待っている。
ダリウスは、やむを得まいと胸の内で呟く。
「街を解放するのは、反徒どもを叩きのめしてからでも遅くはない」
本当に街に火攻めの準備がされているかどうかを調べている余裕はない。それならば、あえて危険を冒すよりも目の前の敵本隊を叩く方が確実だ。
「まずは、全軍をもって反徒どもを叩く!」
天幕の中に、歓喜と興奮に彩られたため息が満ちる。
「カドモス! ジュディウス!」
名前を呼ばれた、ふたりの連隊長が立ち上がる。
「両名に重装槍歩兵一個連隊を預ける。正面より敵を蹂躙せよ!」
「「閣下の御意のままにっ!」」
「ガウディアスとブラフスの両名に、歩兵一個大隊を預ける。重装槍歩兵連隊の側面を守れ!」
「「謹んで拝命いたしますっ!」」
「ブージス! 貴公に歩兵一個大隊を預ける。左翼より敵陣地を脅かし、本隊を援護せよ!」
「承知いたしましたっ!」
「カシアス! 貴公に弓兵一個大隊を預ける。戦端を開くが良い!」
「お任せください!」
ダリウスは、ゆっくりと椅子から腰を上げる。
その様は、あたかも巨大な獅子が立ち上がるかのようであった。
「わしの本隊は重装槍歩兵連隊の後方に配置し、ゾアンの奇襲に備える!」
そして、ダリウスはその右腕を天へと突き上げた。
「明日! この大地を反徒どもの血で赤く染めるのだっ!!」
ついに蒼馬とダリウスの戦いが始まった。
互いに鬨の声をあげて、武器を打ち鳴らし、互いを牽制する。
まず、動き出した討伐軍。反徒たちであるゾアン、ドワーフ、ディノサウリアンといずれも白兵戦でこそ力を発揮するが、射撃や投擲武器はあまり使わないことで知られている。
そこでダリウスは、弓兵によって矢の雨を降らし、戦端を開こうとした。
しかし、反徒の陣から、思わぬ反撃が……!
次話「決戦1-戦端」




