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破壊の御子  作者: 無銘工房
燎原の章
45/537

第44話 箱

 街からは人の姿が消えていた。

 昨日までは人で(にぎ)わっていた街の中央をうがつ大通りにすら猫の子一匹おらず、その代わりに、地面についた真新しい血痕と、道の両脇の家々に残された大きな破壊の痕が見受けられる。

 それは当然の結果と承知はしていたが、実際にその光景を目にした蒼馬は昨日までの光景との落差に、言葉が出なかった。

 そんな蒼馬のただならぬ様子を心配し、問いかけるような視線を向けてきたシャハタに、シェムルは「何も言うな」と小さく首を振る。

 これまでシャハタは、蒼馬に頼まれてホプキンスの家族の身柄を預かり、砦に残っていたのだ。

 いくらガラムやズーグたちが蒼馬の指示に従うことを誓ったとはいえ、ゾアンの中には人間に対してよからぬ感情を持つ者も多い。その中で、大事な人質でもあるホプキンスの家族の身柄を預けられるのは、シェムルを除けば一番信頼がおけるシャハタしかいなかった。

 砦を落とす戦いにも参加できず、蒼馬の護衛としてもついていけないのはシャハタにとっては不満もあったが、蒼馬の頼みとあれば断れるはずがない。

 過剰に怯えるホプキンスの妻と、それとは逆に困り果てるほど自分になついてしまった息子の世話には苦慮したが、それでも街を落とすのに合わせて約束通りふたりをホプキンスの元へ帰すことができた。これでやっと護衛に戻れると思って喜んでいたのだが、しばらくぶりに再会した蒼馬は街を見事に落としたと言うのに喜んでいるどころか、いまだに人間の感情を推し量るのが難しいシャハタですら分かるほど気落ちしていたのだ。

 何かあったのだとは思うが、シェムルもまた気難しい顔をしていて訊きづらい。

 どうしたものかと、シャハタもまたしだいに顔を曇らせてしまっていた。

 しかし、そんなふたりの様子にも気づくほどの余裕は、蒼馬にはなかった。

 ふたりを従えて無言のまま街を当てもなく歩いていた蒼馬の足は、いつしか奴隷商人のグロカコスの屋敷に向けられていた。

 自分の立案した作戦の結果とは知りながら、屋敷を見た蒼馬の口から小さなうめき声が洩れる。

 焼き煉瓦の屋敷は見る影もなく焼け落ちていた。屋敷の外からも、あの広い中庭とそこに転がるいくつもの死体が見て取れる。奴隷だった者たちの憎しみは、屋敷を囲んでいた土塀にまで及んでいたらしく、徹底的に破壊され、ただの土くれに変えられていた。

 グロカコスの屋敷から顔をそむけた蒼馬は、たまたま目が向いた先にある路地に転がっていたものを見て眉根をしかめる。

 そこにあったのは、少女の死体であった。

 茶色く長い髪を大輪の華のように地面に広げ、少女はうつ伏せになって倒れていた。身に着けていた白いワンピースのような服は血と泥にまみれ、まだらに染まっている。

 痛切な悔恨の念に、キリキリと苦しむ胸に手を当てながら蒼馬は声を絞り出す。

「シャハタさん、あの子を丁重に埋葬してあげてください」

 そう言うなり、蒼馬は踵を返してその場を立ち去った。

 その蒼馬と、自分に素早く目配せをしてからその後を追うシェムルの姿が、街角に消えるまで見送っていたシャハタは、心配そうにため息をつく。

「ソーマ殿は、大丈夫だろうか……」

 しかし、今のシャハタにできるのは、あの少女の遺体をできるだけ丁重に弔ってあげることだけだ。それで多少なりとも蒼馬の気が安らぐならばいいのだが。

 そう思って少女の遺体を持っていこうとしたシャハタは、目を疑った。

 つい先程までそこにあった少女の遺体が消えていたのだ。

 慌てて周囲を見回すが、少女の遺体は影も形もなくなっている。何度か目を瞬かせてみるが、そんなことで少女の遺体がそこに現れるはずもない。

「……何かの見間違えか?」

 自分だけではなく蒼馬も見ていたのだ。そんなわけがないとは思いつつも、そうとしか説明のしようがない状況にシャハタは首をかしげる。

 そんなシャハタの視界の隅で、何かが動いた。

 慌ててそちらに目を向けると、ちょうど路地の角を曲がる少女の後ろ姿があった。

 何か嬉しいことでもあったのか、その足取りは軽く、スキップを踏むようにして路地の角に消えて行く少女。

 それにシャハタは、なぜだか自分でもわからぬまま、ブルッと身を震わせた。


                ◆◇◆◇◆


 この世界の人の生活は、太陽とともにあった。

 人は日の出とともに起き、日の入りとともに寝るのが一般的である。

 これは蝋燭などの照明器具が当時は高価なものであり、また火災の恐れもあったため、一般庶民がたやすく使えるものではなかったからだ。そのため、火の番をしたり、切れた蝋燭の補充をしたりする蝋燭専門の見張りを雇って夜遅くまで酒宴や集会を開けるのは、ごく一部の貴族や豪商に限られていた。

 そして、このゾアンに落とされたばかりのボルニスでは、蒼馬の指示によって深夜の外出を厳しく制限されていたため、街はいつもよりも早く、そして深く、夜を迎えていたのである。

 そんな明かりひとつないボルニスの街の中央にある、ゾアンたちが接収したばかりの領主官邸の寝室で、蒼馬はひとり部屋の片隅に両膝を抱えて座り込み、まんじりともせず悩んでいた。

 何が問題なのか、すでに蒼馬にも分かっていた。

 みんなの目的が、バラバラなのだ。

 ゾアンたちにとっては、自分らの生活の場である平原を守るのが最大の目的である。

 ガラムやズーグたちはゾアンが平原の外に出る必要性を理解してくれているが、その他の大半のゾアンたちは族長である彼らに従っているだけだ。もし、旗色が悪くなれば平原に引きこもってしまう可能性も捨てきれない。

 ドヴァーリンたちドワーフは、故国への帰還を強く望んでいるようだった。

 奴隷として船に乗せられ、自分たちの意志とは関係なく遠い国に運ばれてしまった彼らの望郷の念は理解できる。一刻も早く故国に帰りたいが、その目途が立たないため、やむなく蒼馬に従っているというのが実情だろう。これでは人間の大軍を目の前にしたとき、戦わずに逃げ出す恐れすらある。

 そして、一番の問題は、ジャハーンギルを代表とするディノサウリアンたちだ。

 彼らは、故国に戻るより人間への報復を第一に掲げている。好戦的な彼らは、人間の大軍を前にすれば、こちらの制止すら聞かずに戦おうとするだろう。彼らがそうやって自滅するのは勝手だが、それにこちらが巻き込まれては、元も子もない。

 このように目的も意志もバラバラな集団が、まがりなりにも今ひとつの場所にいるのは、これから来るホルメア国の討伐軍を恐れてだ。

 しかし、そんなのはまったく無意味としか、蒼馬には思えなかった。

 いくら数を集めようと、個人の武勇で勝ろうとも、連携すら取れないようでは、それは烏合の衆だ。それでは訓練された軍隊相手に勝てるはずもない。

 万が一、間違って勝利したとしても、次に待っているのは内紛による自滅だ。それでは人間に滅ぼされるのが早いか遅いかの違いでしかない。

 蒼馬の口から、ぼそっと呟きが洩れる。

「みんなの目的をひとつにし、意志を統一しないといけない……」

 目的がバラバラならば、それをひとつにまとめればいい。

 だが、どうやって?

 種族や個人によって目的は違う。どんなにすり合わせたって、それをひとつにすることは不可能だ。

「それなら、より大きな目的を作り上げる……」

 種族や個人の目的など、その前では霞んでしまうような大きな目的を掲げればいい。大きな目的で、すべて塗りつぶしてしまえばいい。

 みんなの目的がひとつになれば、おのずとその意志は統一される。

「そうだ。大きな目的が必要だ。それも、飛び切り大きな夢のような目的」

 それは、とても良い考えに思えた。

 目的は、大きければ大きいほど良い。

 たとえ、それを達成するには艱難辛苦が立ちふさがろうとも構わない。そればかりか夢のような目的の前では、立ち塞がる艱難辛苦ですら、それを乗り越えて喜びを得るためのものに変わるだろう。

 そして、蒼馬はそうした実例を知っていた。

 言葉も肌の色も違う多民族で構成された大国のやり方を。

 飢餓で苦しむ国民をまとめる独裁国家のやり方を。

「みんながひとつになれば勝つ可能性も高く……」

 自分が口にした言葉に、蒼馬はゾッとした。

 今、自分は何を考えていたのだ?

 勝つために、みんなの目的を塗り替える。

 勝つために、みんなの意志を統一する。

 これではまるで思想統制か洗脳ではないか?!

 自分の考えが危険な方向に走り出したのに気づき、蒼馬は慌てて頭を振り、その考えを振り払う。

 しかし、その考えは血糊(ちのり)のように、べったりとこびりついて脳裏から消えない。

「でも、みんなを救うには……」

 そればかりか、拭い去ろうとした手にまで血糊がつくように、どんどんと蒼馬の思考に広がっていく。

 それだけ魅力的な考えに思えてならなかった。

 それだけに恐ろしい考えに思えてならなかった。

「ねえ、私の愛しい蒼馬。何をそんなに迷っているの?」

 誰もいないはずの部屋の中に響いた少女の声に、蒼馬は跳ねるようにして立ち上がる。

 素早く周囲を見回した蒼馬は、部屋の隅にある暗がりの中に、ひとりの少女の姿を見つけた。

「姿形すら異なる種族の人たちが、たったひとつの目的のために結束する。誰も彼もがその目的のために生き、誰も彼もがその目的のために死ぬ」

 白い貫頭衣のようなワンピースを着た、長い茶色の髪の少女は、自らの言葉に酔うように、うっとりとした表情を浮かべ、暗がりの中から足音もなく蒼馬に歩み寄る。

「たったひとつの夢のために、繰り返される生と死が積み上がった螺旋の階段。誰もがその階段を上るのを夢見て、そしてその半ばで力尽き、自らもまた螺旋の一部となる」

 蒼馬がいる領主官邸は、気を高ぶらせる奴隷たちやいつ蜂起するやもしれない住民たちを警戒し、ゾアンたちが厳重な警備を敷いていた。その中を誰にも見咎められずに、この部屋まで侵入してきた少女に蒼馬は恐怖する。

 昼間の戦いで家族を殺された住民の少女の復讐なのか?

 それとも、早くもホルメアという国が自分に向けて放った暗殺者なのか?

 しかし、そんな想像を軽く吹き飛ばす確信めいた予感が蒼馬にあった。

 この少女は、復讐者でも暗殺者でもない。

 そんな可愛いものではない。

 これは、もっと古いものだ。

 これは、もっと恐ろしいものだ、と。

「果てのない夢と、そこにつながる生と死の螺旋(らせん)。それは、とてもとても素晴らしいものではないかしら? ねえ、私の可愛い蒼馬?」

 愛らしい仕草で小首をかしげ、少女は蒼馬に同意を求める。

 しかし、恐怖に縛られて何の反応も返せない蒼馬に、少女はふてくされたように、その小さな唇をちょこんと突き出す。

「勝たなければ、みんな死んでしまうわよ。それじゃあ、何もかも終わりになってしまう。みんなを助けるためですもの。仕方ないわ。仕方ないに決まっているでしょ? あなたは好きでやっているわけないものね。それを知れば、誰もが納得してくれる。ねえ、そうでしょ?」

 それは蒼馬の犯す罪への免罪符。

 その甘い誘惑に手を伸ばしたくなるが、それでも蒼馬は自分の考えに躊躇(ためら)いを覚える。そんな煮え切らない態度に、少女の愛くるしい笑顔が消え去り、侮蔑の表情が浮かぶ。

「何を良い子ぶっているの? 忘れてしまったのかしら? とっくの昔に、あなたの手は血で真っ赤。あなたの足元には死体の山。あなたの背後には亡者の群れ」

 少女の言葉とともに、手にヌルッとした感触が伝わる。

 慌てて両手を開いてみれば、その手のひらは自分のものではない鮮血で朱に染まっていた。悲鳴を上げて後ろに下がろうとすると、何かに足元をすくわれ、無様にその場に尻もちをついてしまう。自分の足が引っかけたものを確かめた蒼馬の口から、再び悲鳴が洩れる。いつの間にか足元には無数の死体が積み重なっていて、そのひとつに足を取られたのだ。

「あなたは、みんなを救うために前へ進む決意を固めたのでしょ? そのために、他の誰かを殺す覚悟をしたんでしょ? それなのに何を今さら揺らぐのかしら?」

 尻もちをついたまま両手で自分の身体を抱きしめ、歯の根が合わないほど恐怖に震える蒼馬を見下ろした少女は、憐れむように言った。

「でも、それも無理ないわ」

 一転して、少女は満面に喜悦の感情を浮かび上がらせる。


「だって、本当のあなたは空っぽなんですもの」


 その言葉は、鋭いナイフのように蒼馬の心に突き刺さった。

「可哀想な、蒼馬。あなたは自分を御子だと認めた、あの夜からまったく変わっていない。あなたは、中身が入っていない空の箱。外側を飾りつけただけの空の箱。

 だから、ちょっとつまずいただけで簡単にひっくり返ってしまう。ちょっとつついただけで簡単に揺れ動いてしまう。

 あなたがしたはずの決意も覚悟も上辺だけ。本当のあなたには、どんなことをしてでもみんなを救おうと言う覚悟がない。すべてを賭けてみんなを救おうと言う決意がない。ああ、なんて無様で哀れな、私の蒼馬」

 少女の言う通りだと蒼馬は思った。

 思い返してみれば、自分はすべて成り行きでやってきたに過ぎない。

 日本から右も左もわからぬこの世界に落ちてきた不安と絶望の中で、唯一やさしく接してくれたシェムルに依存してしまった。その彼女の苦境が見過ごせなかったから、ゾアンと人間の戦いに知恵を貸して助けてしまっただけだ。そして、そのために多くの兵士の命を奪った負い目から、その尻拭いを続けているだけに過ぎない。

 そんな自虐の想いに浸る蒼馬に、少女はさらに追い打ちをかけた。

「あなたの中にあるのは、たったひとつ」

 まるで、とっておきの秘密を明かそうとする子供のような悪戯めいた笑顔を少女は浮かべる。

「それは、この世界で初めて見た美しいもの」

 その言葉に、蒼馬の心臓がひと際大きく鼓動を打つ。

「あなたがこの世界とつながったとき、それはあなたの二度目の生誕のとき。生まれたばかりのあなたが目にしたのは、とてもとても美しく気高いもの。

 だから、あなたは憧れた。だから、あなたは心惹かれた。

 あなたはそれが傷つくのが許せなかったのでしょ? 嫌われたくないから、良い子でいたのでしょ? 好かれたいから、英雄を演じてきたのでしょ?」

 少女はその白い繊手を前に出すと、その手首から先には人形がはめられていた。

 それは、黒い毛糸の頭髪に、墨で乱雑に描かれた黒い目と、少女の指の動きに合わせてパクパクと開閉する大きな口をした腹話術人形。

『僕を見て! 僕を捨てないで! 僕と一緒にいて! 僕をひとりにしないで!』

 人形の口をパクパクと動かして、少女は裏声で言う。

「ああ! なんて滑稽なのかしら。なんて可愛らしいのかしら。そして、なんて醜くて、なんておぞましいのかしら!」

 心底楽しそうにケタケタと笑う少女への恐怖より、隠していた気持ちをさらけ出された羞恥心と怒りが勝る。

 蒼馬は立ち上がると、少女に指を突きつけて叫んだ。

「黙れ、アウラ!」

 蒼馬は確信を込めて言った。

 そのとたん、少女の茶色だった髪から、すうっと色が抜け落ちて真っ白に染まる。

 シミひとつなかった真っ白な額に、8と∞を組み合わせたようでもあり、二匹の蛇が互いの尾に食らいつきながら、からみつき、のたうちまわるようにも見える不気味な刻印が浮かび上がり、ギラギラと赤光をにじませる。

「おまえは、アウラだ! 死と破壊の女神だ!」

 蒼馬の怒りの声にも、アウラはただニヤニヤと蒼馬を見つめるだけだった、

 その態度がよけいに(かん)(さわ)り、蒼馬は怒鳴るようにアウラを問い詰める。

「僕に何をさせるつもりなんだ?!」

 しかし、蒼馬の怒りをそよ風ほども感じていないのか、アウラはさらりと答えた。

「あなたがしたいと思うことを」

「おまえの目的は何なんだ?!」

「あなたが、あなたであること」

「ふざけるなッ!!」

 真面目に答えようともしないのに激怒する蒼馬をアウラはわざとらしく涙のひとつも浮かんでいない目尻に軽く丸めた拳を当てて泣き真似をする。

「ああ、私の言葉を信じないなんて、つれない蒼馬。でも、本当なのよ。あなたに何かをさせる必要なんてないんですもの。だって、あなたは、存在そのものが世界の猛毒なんだから」

「……猛毒?」

「ええ。あなたは猛毒。身体の機能を狂わして、人を死に追いやるものが毒。それなら、世界の(ことわり)を狂わし、人々を死に追いやるあなたを毒と呼んでも良いでしょ?

 あなたの考えが、言葉が、行動が、すべてがこの世界にとっては異質な猛毒。猛毒(あなた)は、猛毒(あなた)であれば良いの」

 それは、蒼馬自身も感じていた。

 この世界の常識から外れた自分の言動が、とんでもない事態を引き起こそうとしていることを。

 この世界にはない自分の知識が、恐ろしい結果を生もうとしていることを。

 恥も外聞も忘れ、蒼馬は本音を吐いた。

「僕を日本に帰せ! 今すぐ元いた世界に帰せ! 帰してよ!」

 それは決してシェムルたちの前では口にできない弱音だった。

 しかし、それにアウラはむしろ嬉しそうに答える。

「ええ。良いわよ、哀れな蒼馬」

 少女の白い(おもて)の中で、横になった三日月のようにパックリと笑みの形に口が開く。

「でも、あなたは本当に帰れるのかしら? あなたを信じてついてきた、みんなを捨てて帰れるのかしら? あなたが消えれば、残されたみんなは皆殺し。

 それも、とってもとっても惨たらしく殺される。

 目玉をえぐられ、舌を切り取られ、耳をちぎられ、鼻を削がれ、血を抜かれ、歯を折られ、生爪をはがれ、肌を焼かれ、髪をむしられ、指を落とされ――」

「や、やめて! 言うな! やめてよ!」

 アウラの言葉のひとつひとつが蒼馬の心をズタズタに切り刻む。そんな蒼馬の苦しみにアウラは淫蕩(いんとう)な笑みを浮かべ、彼の顔を覗き込んだ。

「帰れるわけなんてないわよねぇ。私のやさしい、やさしい蒼馬ぁ」

 蒼馬は絶望から身体の力が抜け、その場にストンッと腰が落ちた。

 そんな蒼馬の姿に、アウラはケタケタと笑い声をあげる。

「賢い蒼馬なら、とっくにわかっているでしょ? もう、手遅れ。あなたは前に進むしかできないの。それなのに、うじうじと悩んでばかり。それだと私もつまらない。とっても、とってもつまらない。だから、今回だけは特別よ。あなたの背中を少しだけ押してあげる」

 そう言って腹話術人形の背中をちょこんと押した。その衝撃で人形の首がポロリと落ち、蒼馬のつま先までコロコロと転がる。

 怯える蒼馬の前に、アウラは人形が消えた右手をゆっくりと差し伸べた。

 すると、アウラの右後ろに戦場の光景が広がる。

 あまたの兵士たちの屍が並び、血が河となって流れ、折れた槍や剣が墓標のように大地に突き立つ光景を背にし、アウラはおごそかに告げた。

「あなたの大事な人を助けるために、他の人たちを殺すか――」

 そして、次に左腕を伸ばすと、アウラの左後ろに焼け落ちたボルニスの街の光景が広がった。

 街のいたるところにゾアンやドワーフやディノサウリアンの骸が積み重なり、槍に突き刺された生首が恨めしげな表情で蒼馬を見つめている。

 そして、その中には、蒼馬が知る人たちの生首もあった。

 あそこには、ガラム。こちらには、ズーグ。あちらには、バヌカが、ドヴァーリンが、シュヌパが、ヂェタにシェポマが。

 そして、そこには、そこには……!

「他の人たちを助けるために、あなたの大事な人たちを見捨てるか――」

 ふたつの光景を背にし、アウラは伸ばした両手の手のひらを大きく広げ、どちらかを取ることを蒼馬に迫る。

「さあ、選びなさい。私の可愛い可愛い蒼馬ぁ」

 蒼馬の足元で、こちらに顔を向けて横倒しになった人形の頭が、口をパクパクと動き出して声を上げた。

『選べ! 選べっ! 選べっ!!』

 人形の耳障りな声を消し去ろうと、蒼馬は両耳を塞いで必死に声を張り上げる。

「いやだっ! もう、いやだ! 僕は、誰も殺したくないんだ! 何も壊したくないんだ!」

 その蒼馬の醜態に、アウラは少女には似つかわしくない(なま)めかしい舌使いで、ぺろりと舌なめずりをする。

「選ばないと言うのも、ひとつの選択よね。その選択の結果は……」

 そう言ってアウラは片方の手をゆっくりと下げる。

「だ、駄目だっ!」

 思わず蒼馬はアウラの下げようとした手を掴み取った。

 その場に、耳が痛くなるような沈黙が下りる。

 いつまで経ってもアウラが何も言わないのに不安を覚えた蒼馬は小刻みに身体を震わせながら、わずかにうつむいて陰になっているアウラの顔を上目づかいに見やった。

 すると、少女の顔の中では、ふたつの双眸(そうぼう)がギラギラと輝いていた。

「選んだわね、蒼馬」

 アウラのささやきに、蒼馬はとっさに掴んでいた手を振り払う。

 その振り払われた自分の手をアウラは嬉しそうに撫でまわしながら、

「とっても、とっても偉いわぁ。私の可愛い、可愛い蒼馬ぁ。

 見守っていてあげる。あなたがどれほど屍を積み上げるのか。あなたがどれほど大地を赤く染めるのか。自らが積み上げた屍の上で、流した血の海の中で、いつかあなたが息絶える、その時まで。ずっとずっと見守っていてあげる」

 アウラの頬はわずかに上気し、その目は淫欲にトロリと溶けていた。

「ああ! 愛しい、愛しい蒼馬。私はとても気分が良いわ。だって、あなたが初めて私の名前を呼んでくれたんですもの」

 そして、まるで愛を告白するように、蒼馬に甘くささやく。

「だから、あなたに恩寵(おんちょう)をあげる」

 それはこの世界において神々が与える親愛の証であり、本来は人がもたざる神秘の力。

 しかし、それを与えられると言うのに、蒼馬の背筋に言い知れようのない悪寒が駆け抜けた。

「私のたったひとりの御子。愛おしくてたまらない御子。どんな恩寵を上げたらいいか悩んでいたけど、あなたの望みを叶えてあげる。あなたが望んだ恩寵をあげる」

 身体が触れ合うほど近づいたアウラは、その白い指先を蒼馬の額の刻印に添えた。その一連の行動は、あまりに自然体だったため蒼馬は逃げることも手で払うこともできずに、それを許してしまう。


「それが誰であろうと、あなたは傷つけることはできない。それがなんであろうと、あなたは壊すことはできない。――それが、私からあなたへの恩寵」


 その途端、蒼馬の額に激痛が走る。

 小さな苦鳴をあげて額を手で押さえる蒼馬を見下ろし、アウラは歌うように言った。

「ああ、なんて傲慢(ごうまん)な蒼馬。生きるには自分以外のものを食らわねばならないのに、誰も殺したくないなんて! 誰かを守るには、何かと戦わなければいけないのに、何も壊したくないなんて! これが傲慢と言わずして、何と言うの?」

 苦しむ蒼馬を前に、アウラはケタケタと笑う。

「あなたは生きるために、誰かを利用しなくてはいけなくなった。あなたは愛する者を守るために、愛する者を戦わせなくてはいけなくなった。ああ、なんて愚かで、傲慢で、醜悪で、残酷で、そして、なんて愛おしいんでしょう! 私の蒼馬! 私の愛しい蒼馬!!」


                ◆◇◆◇◆

「大丈夫か、ソーマ?」

 自分の肩が優しく揺さぶられているのに気づいた蒼馬は、はっと目を開けた。

 目の前にあるのはアウラではなく、心配そうにしかめられているシェムルの顔だった。

「僕は、いったい……?」

「ずいぶんとうなされていたんだぞ、ソーマ」

 周囲を見回せば、そこは自分に宛がわれた領主の寝室だった。窓から射し込む青白い月光に照らされた部屋には、自分とシェムルしかおらず、あの狂った女神の姿は影も形もない。

「……夢? だったのか」

 とんでもない悪夢だった。

 今後の方針や明日に控えた奴隷だった人たちをどう説得するかなど、あまりに頭が痛い問題が多すぎて、自分が思う以上に心の負担となり、それが悪夢となって現れたのだろう。

 蒼馬は脳裏にこびりつく悪夢の残滓を振り払うように頭を軽く振ってから、シェムルに声をかけた。

「心配かけて、ごめん。明日、みんなを説得するので、思ったより緊張しているのかも」

「それなら良いんだが。あまりに無理をしないでくれ、ソーマ」

「うん。でも、もう少しだけ、明日みんなをどうやって説得するか考えたいから、ひとりだけにしてくれる?」

 あまり納得はしていないようだったが、そこまで蒼馬に言われてしまうとシェムルは何も言えなくなった。

「……わかった。だが、本当に無理だけはしないでくれ」

 耳の先をわずかに下げ、後ろ髪をひかれている様子ながらも、シェムルは部屋から出て行った。割り切りの良い彼女がそんな様子になるのだから、よほど自分は心配をかけてしまったのだろうと、蒼馬はひとつ大きくため息をつく。

「変な夢を見るなんて、やっぱり疲れているのかなぁ」

 そうひとりごちたときである。

 部屋の中で、ごとりと音がした。

 蒼馬が音のした方に振り返ると、そこには小さな木箱がひとつ床に落ちていた。

 おそらくは机の上に置かれていたその箱が、何かの拍子に床へ落ちたのだろう。

 月光を浴びて、キラキラと輝くその箱は、宝石箱のような貴重品を入れておくようなものなのだろう。表面には凝った装飾が施され、金箔や小さな宝石のようなもので飾られている。

 しかし、その派手な装飾とは裏腹に、床に落ちた拍子に開いた蓋の隙間から覗く箱の中身は、空っぽであった。

「なんだ、ただの空の箱か……」

 そう呟いた蒼馬の耳に、夢の中で聞いたアウラの言葉がよみがえる。

 蒼馬は総毛だった。

「まさか、あれは夢で……ただの夢で……?!」

 現実と幻想の区別がつかなくなり、蒼馬は頭が混乱してきた。

 よたよたと後ろに下がると、背中が壁にぶつかる。そのまま壁に背中を圧しつけながら、その場に座り込んだ蒼馬は、腰の辺りに固い感触が感じた。触れてみるとそれは、シェムルから護身用にと渡された小ぶりの山刀である。

 その山刀をしばらく見つめていた蒼馬は、不意にその鞘を払った。

 そして、ギラリと青白い月光を反射するその刃に、そっと指先を当てる。

 咽喉元まで迫り出したように大きく心臓が鼓動を打つのを感じながら、蒼馬は刃に当てた指を一気に滑らせた。

 ところが、その指先には、一筋の傷すらついてはいない。

「まさか……?!」

 蒼馬は立ち上がると、寝台に垂れ下げられた薄布の前に立った。そして、大きく山刀を振りかぶると、薄布めがけて一気に振り下ろす。

 しかし、それも斬れなかった。

 山刀をめちゃくちゃに振り回して薄布に斬りつける。

 それでも髪の毛ほどの傷すらつけられない。

「これが……こんなのが、僕の御子としての恩寵なのか……?!」

 蒼馬の手から、山刀が滑り落ち、床に音を立てて転がる。

「アウラ! アウラめ! みんなを助けるために、みんなを騙して、みんなに血を流させろと言うのか!」

 蒼馬はその場で膝からくずおれた。

「この僕に……!」

 すべての退路は閉ざされた。

 蒼馬に残された道はただひとつ。

 大事な人を守るために、それ以外すべての者を打ち倒す。

 そのために、ゾアンや奴隷たちに向け、蒼馬は「破壊の御子」がもたらす死の種火と破壊の種子を解き放つのだった。

 次話「宣言」


 ついに、後世に名高い破壊の御子の宣言が下される!


*********************************

5/19 誤字修正&一部文章を改定

11/11 脱字修正

2014/6/15 誤字修正

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