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破壊の御子  作者: 無銘工房
燎原の章
35/537

第34話 火種

「君が、このゾアンたちの指揮官か……?」

 砦が落とされてから数日後、囚われていたマルクロニス中隊長補佐は後ろ手に縄で縛られたまま、かつての自分の部屋に連れて行かれた。

 てっきり自分を打ち倒した黒毛のゾアンがいるのかと思っていたが、そこで彼を出迎えたのは人間の子供とゾアンの女性だった。

 状況から見て、このふたりのどちらかが自分を呼び出したのだろう。

 そう思い、ふたりを観察したマルクロニスは驚いた。

 ゾアンの女性は警戒感を丸出しにし、マルクロニスの一挙手一投足に神経をとがらせているのがわかる。これはどう見ても人を呼び出して話を聞こうとする態度ではない。

 そうなると自分を呼び出したのは人間の子供の方になる。

 すでにゾアンを指揮するのは人間の子供だとセティウスからの報告で聞いていたが、こうして実際に目にしても、そんなことがあり得るのかと驚かずにはいられない。

「お呼び立てして、すみませんでした。僕は、蒼馬と言います。隣にいるのは、〈牙の氏族〉のシェムルです」

 捕虜を呼び出した占領軍の指揮官とは、とうてい思えない柔和な態度である。そんな蒼馬の顔をしばらく見つめてから、マルクロニスは言った。

「私はマルクロニス。階級は、中隊長補佐だ」

 額に鉢巻を巻いているため例の謎の刻印は見えないが、その顔には見覚えがあった。

「やはり、君だったか……」

 間違いなく、セティウスが砦に連れて来た謎の御子だ。

「僕をご存じなのですか?」

「君は覚えていないだろうが、君がこの砦に連れてこられたとき、私はその場にいたのだよ」

「連れてこられた……どこからですか?」

 マルクロニスは、ずいぶんとおかしなことを聞くものだと思った。

 自分がいた場所がわからなかったとでもいうのだろうか。

「詳しくは、君を連れて来た部下に聞くと良い。もっとも、死んでいなければの話だがね」

 皮肉を込めて言うと、蒼馬は少し迷うような素振りを見せた。

「……いえ。今は良いです」

 マルクロニスを部屋まで連れて来て、今も彼を縛った縄の先を握るゾアンに向けて蒼馬は言った。

「話をしたいから、縄を解いてやってもらえないかな?」

「いいのか?」

 縄を握ったゾアンの問いかける視線を受け、シェムルが代わって蒼馬に尋ねた。

「うん。ここで下手に暴れて部下の立場を悪くするような人には見えないし、それにシェムルがいるから」

「あまり感心はしないぞ」

 口ではそう言いながら、自分を信頼してくれる蒼馬の言葉ににやけそうになるのを我慢しているため、口許がむにゅむにゅと動いている。

「ありがとう。楽になった」

 シェムルが手ずから縄を解くと、マルクロニスは縛られて自由に腕を動かせなかったため、凝っていた肩をほぐすように腕を回した。

 そんな自分のことを不思議そうに見つめている蒼馬に気づく。

「どうかしたのかね?」

「彼女にお礼を言うとは思わなかったもので」

 マルクロニスはシェムルにいったん視線を転じてから、「ああ」と納得した。

「私がゾアンと普通に接したことを不思議に思ったのか」

「はい。僕がこれまで見た人間は、ゾアンを獣扱いしているような人だけでしたから」

「それは無理もあるまい。軍隊では、ゾアンを下等な獣だと兵士たちに教育しているからね。兵士ひとりひとりならばともかく、どういうわけか集団になると兵士たちはゾアンに対する残虐行為を競い合うようになる。おそらく君が見たのは、そういう兵士たちだろう」

「それなら、あなたはどうして?」

「私は、もともと流れの傭兵の出でね。生まれ育った傭兵団には、ドワーフやディノサウリアンなどの亜人種――っと、失礼」

 人間以外の種族を「亜人種」と呼ぶのは差別用語であるため、マルクロニスは言い直した。

「他種族の傭兵たちもいたんだ。私が小さい頃は、パンを盗んでドワーフのパン職人から拳骨をもらったり、無口だが気のいいディノサウリアンの戦士に肩車をしてもらったりしたものだ。まだあのころは聖教なんて聞いたこともなく、みんな普通に接していたよ」

「なら、なんでゾアンを下等な獣だと教え込むんですか?」

 マルクロニスは、ずいぶんと奇妙なことを聞くものだと思った。

 たいていの人間は、こうした国の施策や軍隊の教練に疑問をはさまない。

 なぜなら、国の施策を定める国王は神の代理として民を治めるものであり、軍隊とはその国王から兵士たちを預かるものということになっているからだ。それは神が定めた自然の摂理のようなものというのが、ごく普通の民衆の認識である。

 しかし、傭兵として様々な国を渡り歩き、仕える主人を何度も変えてきたマルクロニスは、それはあくまで支配者側の論理の押しつけだと言うことを知っている。

「その方が、都合が良いからだよ」

 年配者にとって前途有望な若者に教えを施すことは楽しみのひとつだ。それはマルクロニスも例外ではなく、この変わった少年に自分の考えを教えてみたくなった。

「人間は、増えた。これからもどんどん増えていくだろう。増えればそれだけ食べる口も増える。みんなが飢えないようにするには、小麦やイモを作る畑を増やさなければならない。そして、そのための土地が必要だ」

「それはわかっています。平原を手に入れるために、ゾアンを追いやったんですね」

「そのとおりだ」

 優秀な生徒を褒める教師のような口調で言った。

「人間とは不思議なものでね。やることは野蛮なのに、なぜか正義とか正統なんて言葉が大好きなんだよ。ただ自分たちが食べるものを作る土地を奪いたいだけなのに、ゾアンは滅ぼすべき劣等種族であり、ゾアンを平原から追いやることは正義だと教え込んだ方が、兵士たちは気分よく働いてくれる。それが軍の方針だ」

「たとえ、あなたがそう信じていないことであっても、ですか?」

「ああ。たとえ私ひとりが軍の方針に逆らってどうなるというんだね? 私は罷免され、私の代わりに他の誰かが同じことをするだけだ」

 それが現実である、とでもいうようにほろ苦く笑って言った。

「他種族のでも、その命を奪うのに抵抗を覚える新兵は多い。だが、戦争では一瞬のためらいが、そいつを殺すことになる。だから、他種族は殺してもいい、それどころか殺すべき存在なのだと教える。いざというときに、ためらわないように」

 マルクロニスは、シェムルへと目を向けた。

「君らには不愉快な話だろうが、私は見ず知らずのゾアンより自分の部下の方が大事なんだよ」

「まったくもって、不愉快な話だな」

 シェムルは嫌悪感も露わに言った。

 シェムルの率直な物言いに、マルクロニスはわずかにうなだれると、上目使いになる。

「返す言葉がないな。私たちに比べ、ゾアンは捕虜を手にかけるどころか、怪我の治療までしてくれたというのに」

「当然だ! 我らゾアンは誇り高き戦士だ!」

 シェムルが胸を張って誇るのに、蒼馬は微苦笑を浮かべた。

 マルクロニスは自分を卑下してゾアンを持ち上げることで、捕虜となった兵士たちの身の安全を確保する言質を取ったのだ。

 この抜け目なさに警戒感を覚えるが、それと同時にどこか憎めない愛嬌を感じるのは、その抜け目なさが部下の安全を確保するために使われているからかもしれない。

「ご心配なく。もともと僕たちは、捕虜をどうこうする気はありません。負傷者の手当ても、これまで通り続けてくださって結構です」

 その意図を察した蒼馬が部下の安全を確約してやると、わずかに目を見開いてからマルクロニスは姿勢を正して深々と頭を下げた。

「ご配慮、感謝する」

「ただし、反乱を起こされないように、行動範囲や一緒に行動する人の数は制限し、監視を付けるつもりです」

「当然の配慮だ。――それで、私はそのことをみんなに伝えればいいのだね?」

 やはり抜け目ない人だ、と蒼馬は思った。

 すでにゾアンたちが捕虜に危害を加えないことを伝えてはいるが、自分たちの上官の口から伝えたほうが捕虜たちも信じてくれるだろう。まだ現状で捕虜たちに反乱を起こされれば大変なことになるため、念には念をだ。

「はい。そうしていただけると助かります」

「礼には及ばない。お互いのためだ」

 そこで蒼馬はニコリと笑って見せた。

「ついでにお互いのために、いろいろ教えていただけませんか?」

「……いろいろとは?」

「たとえば、平原の南にある街のこととか、です」

 マルクロニスの笑みが強張った。

 平原に討伐隊は来るのか、来るとしたらいつなのか、どれぐらいの規模なのか。

 聞かれるとしたら、こうした質問だとばかり思っていた。

 ところが、聞いてきたのは街についてである。それはとりもなおさず、街を狙っていると言うことだ。

「あらかじめ言っておきますが、部下の方々からも後でお話を聞く予定です」

 それは、嘘や隠し事をしても無駄だぞ、という警告である。

 事前に口裏を合わせているわけではないので、ここで嘘や隠し事をしても、マルクロニスと部下たちの情報をすり合わせればすぐにばれてしまう。

 マルクロニスは肩を落としてため息をついた。

「……しまった。すっかり忘れていたよ」

「なにが、ですか?」

「私は、君の策略で砦を落とされたとき、こう思ったのだ。この策略を考えた奴は、砦ではなく兵士を攻めたんだとね。兵士も人間だ。毎日傷病兵の手当てに疲れていれば、注意もおろそかになる。傷ついた仲間が来たと思えば、疑う余裕もなく門を開ける。そして、抵抗しなければ殺さないと言われれば武器も下ろしたくなる。みんな人間の弱い部分を見事についている。」

「……卑怯ってことですか?」

 蒼馬の問いに、マルクロニスは大きく首を横に振った。

「そういうことではないよ。たとえば、私のような凡人では、砦を落とすならば攻城兵器を真っ先に用意させる。あの壁を乗り越えるには何が必要なのか、あの壁を壊すにはどれぐらいかかるか、とね。

 ところが君は砦ではなく、砦の中の人間の心を攻めた。なるほど、砦は敵兵がいるからこそ敵の砦だ。砦を壊すのも、敵兵を落とすのも、結果は同じだ。

 そして、今も同じだ。ゾアンたちを守ろうとするだけなら、平原に攻めてくる人間をどうやって撃退するか考える。だが、君はそれだけにとどまろうとはしていない」

 マルクロニスは、蒼馬の目をひたりと見据えた。

「君は、私たち凡人とは違うものが見えているようだ。そして、そんな人を私たち凡人は何と呼ぶか知っているかね?」

 蒼馬が首を横に振ると、マルクロニスは人が悪い笑みを浮かべて言った。

「英雄、もしくは破壊者と呼ぶのだよ。さて、君はいったいどちらなんだね?」


              ◆◇◆◇◆


「ねえ、シェムル。僕たちの敵って、何だろ?」

 話を終えたマルクロニスが部屋から連れ出された後、蒼馬はそばに控えていたシェムルに問いかけた。

「変なことを聞くんだな。もちろん、人間の兵士ではないか?」

 シェムルの答えは単純明快だった。

 しかし、その答えは、蒼馬にはしっくりこなかった。

 これまで蒼馬の中では、この世界の人間たちはゾアンを虐殺し、その死体をもてあそぶ兵士たちのイメージが強かった。

 ところが、そのゾアン虐殺の責任の一端を負うべきはずのマルクロニスは、宗教の熱狂でもなく嗜虐(しぎゃく)の愉悦からでもなく、ただの責務として行っているだけで理知的と言ってもいい人だった。

 もちろん、だからと言ってゾアン虐殺が許されるわけではない。

 確かにマルクロニスたち人間の兵士はゾアンを滅ぼそうとしている敵だ。

 それには間違いない。

 そんなことは頭では分かっているのだが、なぜか心が納得してくれないのだ。

 まるで大好きなRPGをやっていたとき、魔王を倒したのに、それまでの伏線がまったく回収されていなかったときのモヤモヤした気持ちである。そのときは、倒した魔王を操っていた大魔王が登場してすべての謎が明らかになったが、今回もそうなのだろうかと考えてみる。

 もし、人間の兵士たちが本当の敵でないとすれば、兵士たちが属する軍隊が敵なのかと考えてみた。

 だが、なんだか違う気がする。

 軍隊でないならば、それが属する国が敵なのかと考えたが、それも違う気がする。

 国でないのならば、聖教そのものかと考えたが、それも違う気がする。

 それならば、人間そのものなのかと考えたが、やはりそれも違う気がする。

 では、いったい何なのか?

 いまだ色も形もわからない曖昧なものだが、蒼馬の中に芽生えつつあった。


              ◆◇◆◇◆


 ホグナレア丘陵の端にある小さな洞窟の中で、異変が起こりつつあった。

 その洞窟は、かつて近隣の開拓村から子供や娘たちをかどわかし、邪悪なものに捧げていた邪教徒の巣窟である。

 しかし、そこにいた邪教徒たちはホルメアの兵士たちによってひとり残らず斬り殺され、その骸は捨て置かれた。今では、その骸も冬を越す動物たちの貴重なエサとして食い荒らされ、わずかな腐肉と骨と髪ぐらいしか残っていなかった。

 そして、祭壇だった場所には、邪教徒たちの信仰を一身に集めていた邪悪な女神像が、粉々に砕かれて、瓦礫の山となって放置されていた。

 その瓦礫の山から、チチチッと小さな鳴き声をあげてネズミが顔を出した。

 ネズミはせわしなく周囲を嗅ぎまわる。敵がいないのに安心したネズミは瓦礫の山から飛び出すと、ちょこまかとした動きで邪教徒の骸に駆け寄ると、骨にこびりついた腐肉をその前歯で削り取り始めた。

 こりこりと音を立てて腐肉を削り取っていたネズミだったが、不意にその動きがピタリと止まる。そして、髭がプルプルと小さく震え始めたかと思うと、ピィと小さく鳴き声をあげて洞窟の外へと駆けて行ってしまった。

 小さな家主が立ち去ってしまった洞窟の中は、息苦しいほどの静寂が満ちた。

 その静寂を打ち消すように、小さな笑い声がどこからか聞こえてくる。

 それは幼い少女のあどけない笑い声にも、古い獣のうなり声のようにも聞こえる笑い声。

 不意に、洞窟の中に散らばっていた邪教徒の骸が、見えない手に掴まれたように地面の上を引きずられるようにして動き始めた。

 真上から見下ろせば、それはまるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように、ある一点を中心として集まっていく。

 その中心とは、打ち砕かれた女神像だ。

 集まった邪教徒の骸は、女神像だった瓦礫の山を覆い尽くし、骸の小山を作る。

 そして、その骸の小山の中から湿った音を立てて一本の白い腕が突き出た。その一点のシミもない真っ白な細い腕は、虚空を掴むと、骸の小山の中から自分の身体を引きずり上げる。

 そして現れたのは、汚れひとつない純白の貫頭衣を身にまとった少女だった。

「ああ、私の愛しい蒼馬! 私の賢い蒼馬! ついに気づいたのね!」

 少女は洞窟の壁となった一方を見つめたまま、けたけたと笑い出した。

「私の愚かな蒼馬! 知らずに、そこへ至ろうとするのね!」

 もし、この世界を俯瞰(ふかん)できたならば、その少女が見つめるはるか先に、ソルビアント平原に建つ砦があることに気づいただろう。

「それは、あなたがもたらす死の種火(たねび)! ゾアンだけではなく、ディノサウリアンもマーマンもドワーフもエルフもハーピュアンも、そして人間すらも! 誰もが身も心も焼き尽くさずにはいられなくなる炎に育つ、小さな種火! その炎は大陸全土の人を焼き尽くすだけではすまないわ。遠い未来まで燃え上がる劫火となる!

 それは、あなたが()く破壊の種子! 村も街も国々も、すべてを瓦礫(がれき)に変え、それを養分にして芽吹く、小さな種子! その芽はやがて大樹となって、大陸全土を覆い尽くすことになるわ!」

 少女の哄笑が洞窟に陰々とこだまする。

「ああ、蒼馬! 私のたったひとりの御子! 私の愛しい、愛しい蒼馬!」


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