第19話 うつけ
勧められた椅子に腰を下ろしたヨアシュは、へらへらと軽薄な笑いを浮かべる。
「いやぁ~。こうして噂に名高い『破壊の御子』とお会いできるなんて、うれしいなぁ」
ジェボアの豪商の息子と言うのだから、どれほどの人物かと思いきや、ずいぶんと軽い人だな、というのが蒼馬の抱いた印象だった。
より正確に言えば子供っぽい。椅子に座っていても落ち着かない様子で、部屋の中をキョロキョロと見回している。そして、壁際に控えているエルフの女官と目が合えば、にっこりと笑って小さく手を振っているのだ。
さすがに見るに見かねたラザレフが小さく声をかけると、ヨアシュは照れ笑いを浮かべて見せる。
「こんな美女ばかりで、ついつい目移りしてしまいました。さすがに、噂に名高い『破壊の御子』。女官からして、他とは違いますねぇ」
「噂に名高い、ですか?」
そんなことにはなっているとは知らなかった蒼馬が尋ねると、ヨアシュは「ヨーホー!」と声を上げ、大げさに驚いて見せる。
「あれ? ご存じない? 今やこの西域で、あなたの名前が出ない日はないんですよ?」
ヨアシュは巷で囁かれている蒼馬の噂を披露する。それは、蒼馬が悪逆非道の限りを尽くしてかき集めた財宝で豪華な宮殿を築き、そこでエルフの美女をはべらして淫欲に溺れているなど、根も葉もないものだった。
さすがの蒼馬も、そんな噂を面と向かって言われれば、つい顔をしかめてしまう。
仮にも蒼馬は、この街の支配者である。生殺与奪の権を握る支配者を相手に、このような失礼な真似をすれば、普通なら首を切られても不思議ではない。
「まあ、まあ、そんなに気を悪くしないでくださいよ。最近では、良い噂もあるんですよ」
しかし、ジェボア十人委員である父親の威光で守られているのを承知しているのか、ヨアシュは悪びれる様子もなかった。
「ゾアンの窮地を救うために現れた神の使い! もしくは、遠い異国から流れてきた亡国の王子が、この地に王国を再建しようとしている! なんてね。いやぁ~、夢がありますね」
最近、ようやく自分の統治が認められつつあるとは蒼馬も聞いていたが、まさかそのような噂まで流れているとは知らなかった。思わず赤面する蒼馬に、ヨアシュは意地の悪い笑みを浮かべて、身を乗り出す。
「――で、本当のところはどうなんです? 私にだけ、ちょっと教えてくださいよ」
まるで街角の世間話のような気安さで尋ねられた蒼馬は、苦笑してしまう。
「僕は、そんな立派な血筋の人間じゃないですよ」
「それを言えば、私の家も曾々爺さんの代は海賊でしてね。南の砂の王国――ご存じですか? そこを拠点として、さんざん暴れ回ったそうです。それで溜めこんだ財宝を元手に商売を始めたというわけですよ。――そうそう、最近こんなことがありまして……」
蒼馬は自分の素性を探るつもりかと思いきや、ヨアシュはそれには固執する気配はなく、おしゃべりを続けた。
しかし、そのおしゃべりは留まることを知らない。ひとつ語り終えても、またすぐに次の話題が飛び出し、そうかと思うとまた別の話題に変わる。まさに、のべつ幕なしといった有様である。
その間、エラディアは静かに壁際まで下がると、控えの間を担当していたエルフの女官を密かに呼んだ。
「あの者の控えの間での様子は?」
「私をはじめ数名の女官を口説き、おしゃべりばかりしておりました」
女官の報告を受けながら、エラディアは今も蒼馬にペラペラとおしゃべりを続けるヨアシュの背中を睨みつける。
本当に、ただ軽薄なだけの男なのか?
しかし、すぐにその考えを自分で否定する。先程からエラディアの勘は、ピリピリと危険を訴えていたのだ。
自分の勘を信じたエラディアは、静かにヨアシュの後ろに立つと、蒼馬に向けて自分の右耳をいじくって見せる。それは予め蒼馬と決めていた注意を促すときの合図だった。
ヨアシュのおしゃべりに圧倒され、半ば機械的に相槌を打つだけになっていた蒼馬は、エラディアの合図に我に返る。咳払いをひとつしてヨアシュのおしゃべりを止めると、またしゃべり出さないうちに、蒼馬は急いで用件を切り出した。
「ヨアシュさん。実はあなたにお願いしたいことがあるんです」
「ヨーホー! そうですね。いやぁ、ついおしゃべりが楽しくて」
ニコニコと無邪気な笑みを浮かべるヨアシュは、続けて尋ねた。
「それで、私に頼みごとと申しますと、商談と思ってよろしいのでしょうか?」
ホルメア国との仲介に手間をかけさせるのだから、当然仲介料を払うつもりである。商談と言えば、商談だろうと思った蒼馬は、肯定した。
すると笑顔のままヨアシュは、さらに目を糸のように細める。
「では、商談に入る前に、人払いをお願いできますか?」
◆◇◆◇◆
「人払い、ですか?」
突然の申し入れに、蒼馬はヨアシュの言葉を繰り返すしかできなかった。
「ほら、商談ともなれば、いろいろ内緒の話もあるでしょ? ふたりっきりでお話した方が何かと都合もよろしい」
そこでヨアシュは、隣で置物になっていたラザレフに顔を向ける。
「ラザレフさんも、ちょっと席を外してくださいね」
ヨアシュは笑顔のままだったが、それは有無を言わさぬ口調であった。
もともと、国との交渉の話など荷が勝ちすぎていたラザレフは、これ幸いとばかりに、そそくさと席を辞してしまう。
気づけば蒼馬が止める間もなく、人払いしなければならない雰囲気になっていた。
この状況に、ヨアシュの後ろに立っていたエラディアは、ほぞを噛む。
やはり、ただのおしゃべりだけではなかったのだ。
ヨアシュはおしゃべりを続けながら、蒼馬を観察していたのである。
どんな話題に興味を示すのか? どんな話題を知っているのか? 逆に、何を知らないか? そして、どんな反応を示すのか?
そして、おそらくはおしゃべりの中で蒼馬が答えに窮したりすると、無意識にエラディアの方に目をやってしまうのに、ヨアシュは気づいたのであろう。
この人払いは、交渉の席で陰から蒼馬を支えていた自分を排除するのが目的だと、エラディアは確信した。
エラディアは、蒼馬を暗愚とは思っていない。そればかりか時折自分すら目を見張る発想を見せるところなどは、高く評価していた。
しかし、それでも経験不足からくる不利は否めない。
ここでふたりきりにさせてしまえば、おそらくヨアシュは言葉、態度、提示する条件などあの手この手で蒼馬の心に圧力をかけてくるはずだ。
そんな手を使われれば、経験が少ない蒼馬は対処し切れずに頭がいっぱいになる。そうなれば、後はいくらでも好きなように料理できてしまう。
しかも、蒼馬には交渉において致命的な欠点があった。
だからこそエラディアは、蒼馬に小さな交渉から少しずつ経験を積ませようとしていたのである。それが、まさか、こんなところにヨアシュのような曲者が紛れ込んで来るとは、さすがにエラディアも予想していなかった。
これは、非常にまずい事態だ。
ここは何としてでも自分が居残る理由を作りたいが、ヨアシュはすでにラザレフを追い立ててしまっている。それなのに、今さらこちらが人払いできないとは言い出しにくい状況だった。
相手が、ただの商人だったのならば、悪い噂を立てられるのも覚悟して領主の強権で押し通すこともできる。
だが、これがジェボアの商人となると難しい。
商人ギルドの力が強いジェボアでは、豪商たちに準爵位を授けていると聞く。
準爵位とは高い功績を上げた平民などに授与する一代限りの爵位である。継承されていく爵位より一段低く見られてはいるが、それでも準爵位を持つ者には貴族に準ずる扱いをしなくてはならない。そんな相手に強権を押し通そうとすれば、礼を失することになる。そして、それは相手の国への無礼――最悪の場合は、宣戦布告とも取られかねない。
どう対処したらいいか困っている蒼馬のすがるような視線を感じてはいたが、エラディアも即断できずにいた。
ところが、そんな場の空気を読めない者がいた。
「ソーマとふたりっきりにするなど、もっての外だ!」
それは、シェムルである。
「ソーマは、私の『臍下の君』だ。それをひとり敵の前に残すなどできるはずがない!」
それには、エラディアばかりか蒼馬も肝を冷やす。これから仲介役を頼もうとする相手に、その面前で敵と言い切ったのだ。無礼と言われても仕方がない。
しかし、言われた当人であるヨアシュは、へらへらと笑って見せた。
「いやだなぁ。私は、ソーマ様と友好的にお話ししたいだけですよ?」
それに、シェムルはフンッと鼻を鳴らす。
「嘘をつけ。おまえの目は、獲物を狙う狼の目だ」
それにヨアシュは笑顔のまま、目を光らせた。
度重なる無礼ともとれるシェムルの言動に、エラディアは卒倒しそうになった。
もし、これでヨアシュが「無礼だ」と言って席を蹴ってしまえば、再び彼を席に戻らせるには、こちらから何らかの条件を提示しなくてはならなくなる。
ところが、ヨアシュは思わぬ反応を示した。
「ヨーホー!」
怒ったふりをして席を立つかと思っていたのに、ヨアシュは感嘆の声を上げたのである。
「なるほど、言われてみればその通り。商人にとって言葉は剣であり、交渉とはまさに決闘。それを感じ取るとは、さすがですねぇ。――よろしい。この決闘の立会人として、あなたは残っていただいても結構です」
それに、さも当然だと言うようにシェムルはうなずいた。予想外の展開に驚いていたエラディアも慌てて「それなら自分も」と言おうとしたが、ヨアシュはそれに先んじて言う。
「私から人払いをお願いしたのですから、それぐらい譲歩いたしましょう」
つまりは、これ以上の譲歩はしないと言う意味である。
ちらりとエラディアを横目で一瞥したヨアシュの目は、「あなたは駄目ですよ」と言っていた。
相手の要求の一部を認めることで、それ以外の要求を跳ね除けるという交渉の手のひとつである。
ヨアシュは、シェムルが立ち会うのを認めることで、エラディアが介入してくる余地を排除したのだ。そして、残ることができたシェムルも、決闘の立会人と言われれば、いくら目の前で蒼馬が苦境に追いやられても、彼女の気質を考えれば手は出せないだろう。
完全に先手を打たれてしまったエラディアは、無念を胸の内に押し込め、笑顔を作ったまま隣室へ下がるしかなかった。
しかし、エルフの聴力をもってすれば、隣室にいながら蒼馬たちの会話を聞き取ることも可能だ。もしもの場合は、ジェボアとの関係が決裂しようとも会談を打ち切るために飛び込む覚悟を決める。
「お姉様、あの者のことを訊いてまいりました」
そんなエラディアの許に、ひとりの女官が耳打ちしてきた。エラディアが送った合図を受け、退出したラザレフからヨアシュのことを聴き出していたのだ。
しかし、ただ利用されていただけのラザレフは、それほどヨアシュについて知っているわけもなく、現状を覆すような情報は得られなかった。せいぜいわかったのは、ひとつの噂である。
父親の右腕として商会を切り盛りする兄とは異なり、勝手に商会の船に乗って異国巡りをしたかと思えば、ジェボアに戻って来ても毎日のようにわけのわからない友人らと馬鹿騒ぎばかりする放蕩息子。そして、ついたあだ名が、これである。
「シャピロ商会の大うつけ。――そう呼ばれているそうです」
普段は穏やかな笑みを絶やさないエラディアには珍しく、舌打ちをせんばかりの口調で吐き捨てた。
「あれが、うつけなものですか」
そのエラディアの推測は間違っていなかった。
確かにヨアシュは、シャピロ商会のうつけ者として知られている。
だが、より近しい者たちからは、次のように呼ばれていた。
メナヘムの秘蔵っ子、と。
ジェボア十人委員のひとりメナヘムの秘蔵っ子ヨアシュ。
彼は、その声、言葉、態度。そのすべてを使って蒼馬を追い込んで行く。
エラディアという頼みの綱を断たれ、付け焼刃の交渉術しか身に着けていない蒼馬は、それに対抗することもできず、ただ翻弄されるしかなかった。
そして、ついにはエラディアが恐れていた欠点まで露呈してしまう。
次話「欠点」
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ヨアシュの口癖「ヨーホー!」は、先祖が海賊だったという設定から、海賊なら掛け声は、ヨーホー!だろう、ってことになりました。




