57話「夕焼けが目に染みる〜」
「居なくね? 冬浦の奴」
体育館の二階部分に腰を下ろしスマートフォンいじる男子生徒の集団のうち1人が呟く。グミを貪っていた男子が「なー」と脱力した声を返す。
「アイツ今日メイドやってたよな。こういう行事サボるタイプなん?」
「知らね。でもあんな見た目してるしサボりそうではあるくね?」
「いつも一緒にいる女連中はいるぞ」
「謎だな。まあでもアレか、性欲に狂ってレイプしよーぜみたいな事言ってたけど、ふつーにリスク高すぎるよな」
「バレたら退学よなー多分」
「だけで収まらんやろ。後ろ指刺されすぎてハリネズミなるやろ俺ら」
「絶対そう。だし、1人バレたら芋づる式に全員バレそうやし」
「なー。お前らすぐ保身走って他の奴の名前出しそうだもん」
「お前も例外じゃないんだけどな」
「ジョーシキ的に考えてその場の冗談で済ませる話だわな。質の悪いチンピラでもあるまいし、強姦とかヤバすぎるわー」
「俺は初めから冗談のつもりやったけどな。お前らのノリに合わせただけで」
「出た出た。可愛いって言ってたやん冬浦の事。ノリでは通用しなくね?」
「うっせ」
誰からともなく言い訳じみた会話が始まり、冬浦小依の身に迫っていた危機は本人の知らぬ間に頓挫。強姦計画は何事もないままに終焉を迎えた。
ーー同時刻。保健室にてーー
「知らない天井だ……」
「なわけないでしょ。今しっかり周囲を確認してたよね、僕とも目が合ったし」
どうやら俺は水瀬に抱えられたままお化け屋敷で気絶をカマしたらしく、目を開けると再び保健室のベッドに寝かされていた。セーブポイントなんか? ここ。
「しかしまさかお化け屋敷で気絶する人が現れるとは。初めて見たよ、奇声あげて気絶する人」
「う、うるせぇな! だって急に顔面に冷たいヌルヌルが落ちてきたんだもん、誰だって気ぃ失うだろあんなん!!」
「そんなポンポン気絶する人が出てたらとっくに中止になってるよ。D組の人が言ってたよ、気絶した人は初めてだって」
「ああそうですかそうでしょうね! はぁっ、まじ最悪。気を失ってる間、変な顔とかしてなかった?」
「小依くんが?」
「うん」
記憶がお化け屋敷の中から保健室までスキップされてるって事は、絶叫を上げた顔のままポックリ気を失ってたってことになるもんな。
情けない話だが、当然口は開けっ放しだろうからヨダレ垂れ流しになってただろうし、白目剥いてたらもう人前に顔を出せない。予め水瀬に先程までの俺の状態を聞き、本日早退するかどうかを判断しなきゃな。
「別に変な顔はしてなかったよ。安らかに寝落ちしてるみたいな感じだった」
「まじ? ならいいんだけど」
びっくり仰天して気を失ったのに綺麗な顔で気絶出来るんだな。我が事ながら中々に美少女力高いなそれは。常にその美少女力を発揮したいわ。髪を乾かさずに寝て起きた時の鏡に映る自分の姿、倒錯的な現代アートにしか見えないもん。美少女の対極に位置してるもんなぁ。
「あ、あと失禁してたよ」
「!? 失禁!? しっ、失禁!?!? え、ほんと? ねぇ、それ本当!?」
「……」
「え、え、あ…………」
「ちなみに冗談ね」
「……水瀬、顔こっちに近付けて」
「? いででででっ!?」
水瀬の鼻をギュッと力いっぱい握ってやる。
「調子こきやがっててめぇコラ」
「鼻もげる鼻もげる。千切れるって小依くん!」
指を離すと水瀬は自分の鼻を押さえて唸り声を上げながらしゃがみ込んだ。ざまあみろ。わざわざスカートの中に手を突っ込んで確認までしたんだからな。焦ったわー、嫌な汗出たわ。
てかコイツ、人が焦る姿を見たいが為に平然とおしっこ漏らしたって言い放つとか大分性格終わってないか? 全然セクハラで訴えれる範疇ですけど。
「ったく。で、今ってなんの時間? お前はここに居てもいいの?」
「体育館での出し物には参加予定ないし無問題だよ」
「生徒会入る為にゴマ擦り奴隷やってんでしょ? 1番人手が欲しいタイミングだろ今って」
「気を失った小依くんを放ってはおけないでしょ」
「……へぇ。あれか、人の寝顔を眺めるのが趣味か? 激きしょだなその趣味」
「勝手な解釈して気持ち悪がるのやめてくれたら嬉しいなって」
「もしや寝込み襲ったか?」
「そんな事するかぁ! なんで火が無いのに煙を立たせるかね!」
「お前の場合やりかねないじゃん」
「寝てる時に変な事してくるのはむしろそちらでしょうが!!」
「っ!? いやいや意味わからない!? なんで俺が寝込みを襲うキャラになってんだよ!」
「寝てる間に勝手にキスとか」
「黙れ黙れタコナス間抜け!!!」
「その慌てようが何よりの証拠ではある」
「お、お前だって直接注意するまでタオル1枚の姿を見てくるし。ゲームしてる最中に胸覗いてくるし。パンツ見た事黙ってるし!」
「トントンって所か」
「トントン!? 全然違うね! お前の方がアレだから! 余罪ありだから、まだまだ叩けば埃出てくるだろ絶対!!!」
「余罪なんてないでーす。潔白なんで僕は!」
「どの口がっ!」
ちょっとした口論が始まりそうなのを察知したのか水瀬は俺の口に手を置いて強引に黙らせてきた。手のひらに噛み付いてやろうかな。
「手を置いたら途端に静かになったな。小動物みた、いたぁっ!!」
舐めた事を言ってきたので手のひらを噛んだ。甘噛みだったけど、突然歯を立てられたものだから過剰に驚いたらしい水瀬が手を擦りながらこっちを見てくる。
「小動物ならこうなるのは当たり前だよな? 顔面グワーッてしてきたらそりゃ噛まれるよ」
「野良猫すぎる……」
「野良猫に限らず手の皮膚ズタズタだろ。猫の気性舐めんな」
「ハート散らしてる時は子犬みたいで可愛いのになぁ」
「ハートなんか散らしてねえわ。で、どうすんの今から。体育館の方に移動する?」
「僕はどっちでも。小依くんがどうしたいかに任せるよ」
「観たくないの? 体育館演目」
「最初の段階から見逃してるから今更なぁー。来年もあるしね」
「内容変わるだろ。現三年も卒業して居なくなるし」
「別に三年生で仲良い先輩とか居ないしそこは割とどうでもいいかな」
「おーい生徒会志望。1番ゴマ擦るべき相手だろ三年連中は」
「体育館に見に行ったところでステージ上からは目立たないだろうし居ても居なくてもじゃない? そこはいいでしょ」
薄情な奴だな、生徒会の人らの手伝いをしてきたって事は三年連中とそこそこの付き合いはあるだろうに。本当に生徒会役員の肩書きが欲しいだけじゃん。内申点狙いなんだもんな、所詮そんなもんか。水瀬は生徒会選挙に出馬? 立候補? しても票はあんまり集められないだろうな。
「それに、あまり知らない人達の出し物を見るより小依くんと一緒にいた方が楽しいし」
「……急になに?」
「あ、照れた」
「眼球の代わりにヘドロ団子でも詰めてんの? 照れてないから。どこをどう見て照れたと思ったんだよ」
「目ぇ逸らしたじゃんか」
「逸らしてないし」
「目を逸らしたら負けゲームでもする?」
「やってもいいけど多分俺の圧勝だぞ?」
「僕も圧勝の自信あるから終わりがなさそうだね。やめよう」
なんだ、辞めるのか。ふーん。……珍しく水瀬の顔を合法的にジッと見られるかもだったから、少しだけ残念だ。
「小依くんは体育館向かう?」
「俺は……俺も行かない。今行ったら人の視界を遮って自分のクラスん所まで向かわないとだし」
「あー確かに。気まずいよね〜そういうの。映画館で立つみたいなね」
「そうそう。だから行かないかな」
「了解。じゃあどうしよっか、何して時間潰す?」
「む。んー……」
時間潰しかぁ。確かに、体育館演目の時間って結構長尺だったはずだから終わるまで時間が有り余ってるんだよな。それが終わるまでは他の出し物も実質停止状態だし、人も居ないからやれる事は絞られるな。
服の上に被さっていた毛布を畳んでベッドの上に腰かける。一旦スマホを開き通知を確認、届いていたLINEに既読をつけないまま内容を確認する。
「あ、そういえば夏休み中に言ってたさ、桃果結乃に水風船ぶつけるって企画あったじゃん」
「あったねぇ」
「あれちゃんと実行したぜ。動画あるけど見る?」
「いいんすか!」
「いいですよ。こっち寄って」
隣に水瀬を座らせ、少しこちらに来るのを遠慮しているのか拳1つ分の隙間を空けていたのでこっちから水瀬に体をぶつけてくっつき、スマホを水瀬の方に寄せる。
「ほれ」
「いや、ほれじゃないが。なんの動画ですかこれ」
「コンビニ行ってる最中に犬の散歩してる人に声掛けられて。その犬が有り得んデカイ金玉ぶら下げてたから面白くて撮った動画」
「なんで見せようと思ったんだそんなん……でかいな!?」
同年代女子のあられもない姿を期待していた水瀬から落胆が滲み出た疑問を投げられたが、すぐに地面に着きそうな位の爆弾を股間に搭載した犬の勇姿に目を奪われ驚きの声を上げた。
「やばくない? これ、ほぼほぼ引きずって歩いてたんだぜ」
「笑えるけどギリ心配が勝つなそれは。パンッパンじゃん」
「ぶはっ! いやまじでそれな! パンッパン! 共有したかったーこれ。物が物だから気軽に送れないし、ワンチャン忘れ去られたロストデータになっちゃうかもと危惧してたんだよね。送る?」
「ちょっと欲しいかも」
「送る送るー」
「ちなみに水風船動画は?」
「見せるわけないだろ変態野郎め」
「話が違うじゃないか!」
「ふんっ。人の女友達の下着を見ようと鼻の下伸ばしてるゴミクズに恵んでやるエロなんかあるわけないだろ猿。慎めよ」
「そっちから提案してきたのにメンタルフルボッコにされるとは思わなかったよ」
知った事か、分かりやすいくらい期待しやがって。こんな奴に女友達のそういう姿を見せるのは危険だな、危険すぎる。あの二人には水瀬に近付かないようにと忠告しておこう、オカズにされてしまうかもしれない。危険だ。
動画を送信し終え、スマホを仕舞う。
「……」
「……」
会話が途切れた。
静かだ。外の蝉の声は窓に遮られて気にならない位の塩梅まで遮音されていて、廊下を歩く人もいないからエアコンの稼働音以外に音がしない。
話す事、ないなあ。話したい事も今は特にない。一緒に居ることに慣れてしまったからか無言が辛くなくて、だからこそ振る話題が思いつかないや。
水瀬の方も同じような事を考えているのだろうか、話す事ないなって。だとしたら俺と一緒にいる方が楽しいって言わせた事に罪悪感を覚える。絶対楽しくないもんね、今。
「……っ」
水瀬が今どんな事を考えているのか探りたくて、そっと水瀬の顔の方を覗きみようとしたら丁度すぎるタイミングでこちらを見てきた水瀬と再び目が合った。一瞬動揺したが、別に変な事をしている訳でもないのでしれっと視線を外し呼吸を整える。
「……」
「……いや、なんか言えし」
「え?」
「今目ぇ合ったじゃん」
「あー。こんな感じの雰囲気になった時僕から話しかける事の方が多かったから。たまにはね」
「たまにはね? なんじゃそりゃ。…………ガチで何も言わないじゃん」
「話しかけられ待ち」
「陰キャやん」
軽く悪口のジャブを打ってみる。水瀬は特にダメージを受けていないようだ。
チラっと顔を覗き見る。唇、ちょっと乾燥してんな。皮が剥けたりはしてないけど、気にならないのかな……じゃねえわ。どこを見てんだ俺、アホか!
「……ねえ!」
「はい」
「なんか話題振って」
「えー。今夜の晩御飯は?」
「くっそつまらん話振ってくるなー。……んー、回鍋肉作ろうかなって思ってる」
「中華だねぇ。少し前に麻婆豆腐作ってたよね、中華料理好きなの?」
「ん。辛いのが好きだから」
「有り得んほど辛かったな〜小依くんの麻婆。香辛料めっちゃ入れるよね」
「めっちゃ入れるね。その方が美味いんだよね」
「激辛料理なー。僕はそこまで辛さに強くないけど、時々無性に食べたくなるよね」
「俺もそこまで強くないけどさ。YouTubeの動画流し見してると飯テロ動画みたいなの流れてくるやん? アレで流れてくる激辛料理とか油とかチーズを馬鹿みたいに使う料理とかそういう類、めっちゃ食欲掻き立てられるんよな」
「だから自分でもやってみようって思ったんだ」
「うん。好奇心をくすぐられなかったら自炊なんて面倒な事しないし」
「三食カップ麺の人に比べたらだいぶ健康的だね」
「お前とかまさにそのタイプっぽいよな。心配なるわ」
「小依くんちにお邪魔する時以外は確かにそういうタイプではある。でも塩分濃度と香辛料の度合いで釣り合い取れてると思うけどね、僕ら」
「こっちのが健全だろ。汗だくデトックスよ。食べ終えた後のシャワーめっちゃ気持ちいいし」
「汗の出しすぎで体積減りそうだよねー。ただでさえちっこいのに」
「殺すぞ?」
「いいじゃん可愛いじゃん、ちっこいの」
「っ……ばか。1人だけ身長めきめき伸ばしやがって、竹かよお前」
「あははっ! いつの間にか大分身長差出来たよねー。久しぶりに身長比べしてみる?」
「何の為に!? 俺の自尊心傷つけたいの!?」
「子供の頃に背中合わせっこした以来じゃんか。久しぶりにやってみたいな〜って、まあ傷付くなら無理にとは言わないけど」
「……」
悪意があって提案されたものでないのなら、別に、まあ、乗ってやってもいいか。頭の位置が全然違う時点で身長比べなんかする意味分からんけど。
水瀬の手を引いて保健室の壁際まで歩く。
「小依くん」
「?」
「普通身長比べって背中合わせで行うものじゃない? なんで向かい合ってるの?」
「第三者居ないから仕方なく。背中合わせにしたら身長差目視出来ないじゃん」
「それもそうか。にしても」「言葉選び気をつけろよ? ノータイムで股間殴れるからな、今の俺」
「待って待って待って」
機敏な動きで俺から距離を取る水瀬。
「どうした? 来いよ」
「今の脅しを聞いて近付くのは怖すぎるな! 確かに丁度股間に正拳突きできそうな位置に肩があるし!」
「身長比べをしたいって言ったのはお前だぞ? 来いよ」
「とりあえず両手をポッケに入れてくれる!?」
「片方しかないし手を突っ込みにくいから突っ込まないぞ? てか巻いてるからそもそも……」
「それスカートじゃなくて!? ブレザーの方のポッケには突っ込めるよね!」
「中身パンパンだから無理〜」
「そんな風には見えないけどな〜!」
「いいから来いって。大丈夫大丈夫、よっぽど舐めた口叩かなけりゃこっちも股間を叩かないから」
「やかましいわ! こえ〜、パンツに鉄板でも突っ込んどけばよかった」
「歩きにくいだろ。ほら、ピシッと立って」
こちらへの警戒を怠らない様子で恐る恐る元の位置に戻ってきた水瀬が目の前に立ち、こちらも背筋を伸ばして、若干踵を浮かせて立つ。
「お前の胴しか見えないんだけど」
「僕からは小依くんのつむじが見えるよ」
「これ、やって意味あったか? 虚しい気持ちになるだけなんだけど」
「小依くんって身長何センチなの?」
「…………160センチくらい」
「絶対嘘じゃん。盛りすぎだよ、女子の平均身長がそれくらいでしょ?」
「うるせぇな! 直近で測った時は……146! 文句あるか!」
「あれっ、思ったより……それも少し盛ってない? クラスで1番低いよね、身長」
「高熱出るまで殴ってやろうか?」
「ごふっ! 殴ってきてるじゃん……」
「ふんっ! …………そこから3センチ引くと、ガチの身長に、なるかも」
「しかも結局盛ってるんかい」
「うっさい! そういうお前は身長何センチなんだよ!」
「大体身長40センチ差くらいかな」
「40センチ差!? お前ってそんなにでかいの?」
「180あるからね」
「は? ナチュラルに巨人すぎない? 成長曲線バグってるやん」
「成長ホルモンが頑張ってくれたおかげだね。あと筋トレに使ってるプロテインも関連性はありそう」
「100それじゃん。ドーピングで作り出した巨体ってことか。チートめ」
「でも身長って遺伝がほとんどって聞くよね」
「そうなん? ……ほな母親のせいだな明らかに」
顔の造形もそうだし、胸もそうだしね。やたらと外見の母親譲り要素が多くて萎えるわ。
「で。身長比べの下りが終わったな」
「終わったね」
「とりあえずベッドん所戻ろうぜ」
「ソファーの方が腰疲れなくない?」
「……いや、ベッドの方行こう」
「? おっけー」
再び水瀬の手を引いてベッドの所まで戻る。先ほど座っていたのと同じベッドの、奥の方に腰掛けて隣に水瀬を座らせる。
丁度窓が正面にある位置で、保健室の戸からは障害物の影響で直接見えなくなっている場所だ。太陽が地平線に沈みかけ、夕焼けが差し込んできて屋内はオレンジ色に染まっている。
「あと20分ほどで体育館演目が終わるっぽいね。虚無タイムもあと僅かだ」
「だな〜」
体育館演目が終わると同時に一般公開が終了して、出し物の片付けから後夜祭という流れに移行する。クラス毎に別れての行動になるから水瀬とダラダラ話していられるのもあと20分程になった。
……。つまり、アレだ。水瀬に前もって言ってた時間をくれってやつ、アレのタイムリミットもあと20分間だけって事になる。
「水瀬」
「うん」
「……あー。えっと」
やべっ、詰まった。告白する気満々だったのにここ一番で言葉が喉で渋滞を起こしてる。やっべ〜、言いたい内容は決まってるのに言葉が定まらないわ。難しすぎんか? 告白。
「……ちなみに小依くん」
「な、なに」
「僕、実は小依くんに言いたいことがあるのですが。わかってると思うけど。それって」
「駄目。俺から言わせて。順序あるから」
「んー。順序、ねぇ。今回ばっかりはそのわがままも」「リップ使う!?」
「えっ」
「いやあのっ。唇! 乾燥してるみたいだからさ、リップ使う!?」
「え。じゃあ使う」
「!? わ、分かった。はい」
使うんだ。苦し紛れに出した言葉にまさかの返答。使うんだ……。
ポケットからリップクリームを出し、水瀬に手渡す。
「つ、使うの?」
「使っていいんじゃないの?」
「いいけど……あの、か、間接キスだよ? ふつーに」
「……」
「そっちがいいなら、別に、使えばって感じ、だけど」
言葉の節々が引っかかって円滑に会話が出来ない。水瀬の方も受け取ってから顔を仄かな朱色に染め上げている。こいつもこいつで、冷静を装ってるだけで心中穏やかじゃなかったのかもしれない、勢いに任せて使うって口走ったんだろうなきっと。
「……それじゃ、使います」
「あ、うん」
使うんだ。
水瀬はリップの蓋を取り、慣れない手つきで唇にクリームを塗布する。
「ありがとう」
「うん」
水瀬にリップを返される。今しがた使用されたリップ。……。
「……水瀬」
「は、はい!」
「あっち向いて」
「は、はい?」
「あっち向いて目を瞑って」
「え、なんで」
「いいから!」
「えぇ……」
俺の言う事に従い水瀬が俺から背を向ける。アイツの目が無くなった所で、俺はおもむろにリップの蓋を取って自分の唇にもクリームを塗布した。
蓋をしめてリップをポケットに仕舞う。
「水瀬、もういいよ」
声を掛けると水瀬は無言で姿勢を元に戻した。体の向きを変える時、一瞬俺の唇に目が止まっていた。彼は口には出さなかったけど、水瀬が使った直後のリップを俺も使ったのがバレていたからなんだろうな。
普段ならそういう事があったらズケズケと、デリカシーとか無視して指摘してくる水瀬なのに今回ばっかりは何も言ってこなかった。緊張とかするんだな、水瀬でも。
唇を引き結んで、わざと『ぱっ』と音を鳴らした。どうにか水瀬にリップの事を指摘させて、会話のくだりを作って時間を引き伸ばしたかった。そんな俺の目論見に気付いているのかいないのか、水瀬はリップの事については言及しなかった。
「……小依くん」
数分間互いに黙った後、水瀬の方からようやく口が開いた。けど、何を言おうとしてるのかは分かっている。
「もう、言ってもいいですか。タイミング的にも、ベストだと思うので」
黙らせたい。けど何も言い出せない。水瀬の言葉に期待してしまっているのだろう。
散々俺の方から告白しようと思っていたのに、水瀬の方からもそれを匂わせる発言をしていたせいで相手からの言葉を欲して保守的になっている自分が情けなくなってくる。恥ずかしい。
「……お」
恥ずかしくて、悔しくて、求める感情と相反する感情が胸の中で衝突し合った結果、僅かにこちらから言い出したいという勇気が勝って喉の奥から一音溢れる。あとは更な勇気を振り絞って、残りの音を繋げるだけだ。それだけなのに、思うように発声できない。
「おっ、俺の方から、言いたい事が、ある」
「小依くん。僕、水瀬真は」
「!? えっ、流れ的に一旦待つ流れじゃない!? そのまま進行はエグい!?」
「小依くんの事が好きです」
「まっ」
あっ。
言い切られてしまった。
こちらのリアクションに一切取り合わず伝えたい言葉だけを淡々と告げた水瀬は、そこからは何も言わずただ気恥しそうに耳まで赤くした状態で床を見つめていた。
初めてだ、こんなの。男から告白をされて、それがたまらなく嬉しくて、心臓が張り裂けそうなくらいバックンバックン鳴っていて全身が火照っている。
こちらからの返事を待っている水瀬に、なんて言葉を掛けたらいいのか分からない。大袈裟なリアクションを取ったり、突っ込んだり、悪口を言う時とかは口がよく回るけども、それを除くと俺ってかなりの口下手だから、なんて言えばいいのか本当に分からなくて頭の中が真っ白になっていく。
「……小依くん?」
口が動かない代わりに手が動いた。言葉を探し出せないまま、俺は自らの右手を水瀬の左手のひらに重ねて、無理やり指を相手の指の間に絡めて水瀬の手を握りこんだ。
「っ!」
手を通してそのまま水瀬の体を引き寄せ、近付いた水瀬の唇にキスをした。
長い長いキスだった。恥ずかしくて目を瞑って、ひたすらに水瀬の熱を感じていた。右目の端から涙が滲んで、頬を伝って下へと落ちていく感覚もした。
唇を離して、水瀬の顔を見る。今までにないくらい余裕が崩れた表情で俺を向ける水瀬を見て、少しだけ心が軽くなった気がした。
「俺も、水瀬の事が好き」
言えてしまった。今までの俺ならきっと気持ち悪くて想像しただけでも吐き気を催していたであろうセリフを、正面から、相手の目を見ながら堂々と言い切れてしまった。
次の言葉、繋げるべき言葉を模索するもやはり頭の機能が低下しているのか良い物が浮かんでこない。だからもう、思いついた言葉をそのまま口に出してしまう事にした。
「付き合ってください」
「つ、付き合いましょう」
「まじ?」
「……うん」
「…………じゃあ、水瀬の方からキスして」
「分かった」
分かった!? と驚く間もなく、今度は水瀬の方からキスされる。相手の方から身を寄せられて、繋いでいた手を離されたと思ったら腰に手を添えられてキスされるもんだから、驚いてしどろもどろになってしまう。
初めて水瀬の方からリードされたものだから、今までにないくらい心の中が満たされた感じがした。無意識に水瀬の体に手を回し、相手のキスに身を任せる。
唇を離し、互いに少しだけ無言になり、姿勢を元に戻し床を見つめる。
告白は成功した。いや、先に告白をしてきたのは水瀬の方だったから、この場合はなんて言うんだろう?
「……」
立ち上がり、水瀬の目の前まで移動して、水瀬の膝の上に腰を下ろす。突然意味不明な行動をしたのに水瀬からの注意はなく、彼は俺が何も言わずとも俺の体に手を回してきた。水瀬の指先が俺の太ももに当たる。
「えっち」
「抱きしめるのは正解じゃなかった?」
「この抱きしめ方は正解じゃない。もっとギュッてして」
「じゃあこっち向いて」
「え?」
向かい合うように指示されたので、1度水瀬の上から退いて顔を向き合わせ、ベッドの上で膝立ちするようにして水瀬の膝の上に腰を下ろした。すると水瀬は俺の背中に手を回し、ギューッと抱き寄せてきた。
俺も水瀬に倣い背中に手を回し抱きしめる。互いの距離が0になって、鼓動を伝え合う形になる。
「水瀬、ちょっとだけ力を緩めて」
「痛かった?」
「違う」
水瀬に腕の力を緩ませると、俺は再び水瀬の唇に自らの唇を重ねた。
「んっ。水瀬、俺水瀬の彼女なんだよね」
「そうだよ」
「〜〜〜っ!」
「おっとっとっと!?」
水瀬の口から堂々と語られたのが嬉しくて、悶絶して水瀬にグイグイと頭を擦りつけてしまう。
「彼女なんだし頭撫でろ!」
「えっ、なんだその要求、可愛いな」
「っ、もっと言って!」
「お?」
「もっと可愛いって言え! あと頭撫でろ!」
「おー? 今までと真逆の反応、そして予想だにしない要求。流石に可愛すぎるなあ……」
しみじみと言葉を吐きながら水瀬が俺の頭を撫でてくれる。
誰にも取られたくなかった。他の誰かを見てほしくなかった。俺は間違いなく水瀬に対して独占欲を抱き、嫉妬し、振り向いてほしかった。それらに蓋をして気付かないフリをしていたからこそ、今この瞬間水瀬が俺の事を好いてくれている事が嬉しくて、恋人である証明としての行動を沢山したくてつい甘えてしまう。
そもそも人と恋愛できるなんて思っていなかったし、好きになった相手がよりによって男時代からの知り合いだったし希望なんてないと思っていた。抑圧されていた分、反動で好きの感情が抑えきれなくなっている。
「あっ。小依くん、そろそろ時間……」
「やだ」
「やだ!?」
「離れたくない」
「離れないよ。だけどそろそろ移動しないと」
「クラス毎で分かれるじゃん。やだ、サボるぞ」
「とは言ってもですね」
「水瀬は俺と一緒にいるの嫌なん……?」
「うわそれキラーワードすぎる、流石に童貞殺しすぎるよ小依くん。気を付けて!」
「あっ。そっか、俺ら恋人じゃん」
「うん、何に気付いたんだろ」
「いや、もう合法じゃんって思って。エロい事しても」
「!? ま、まあ、そうか。そうね」
「今までやった誘惑、全部シカトされてたけど、もう直接しよって言ってもいいんだもんな?」
「今までやった誘惑!? 初耳情報なのですが!」
「お前が鈍感だっただけな」
「そうかなぁ!? いやそうかもしれない、思えば僕って全然小依くんの思考エミュレート出来てなかったしな……」
「なにそれ? エミュレート?」
「簡単に言うと気持ちを理解してなかったなーって」
「あー、まじでそうな。俺みたいな単純な人間の直球なアプローチに全然気付かないんだもんな、頭悪いのかって思ってたわ」
「そんなに分かりやすいかなあ!? 小依くんからの好意って相当気付きにくい仕組みになってると思うけどなぁ!?」
「でも周りはみんな火を見るより明らかみたいに言ってたぞ」
「そりゃ女子だったら乙女の心も分かるでしょうよ。それに」
「誰だー! 保健室を勝手に使ってるのはー!」
「「っ!!?」」
急に保健室の戸が開けられ、体育教師の男の方の先生が中に入ってきた。急いで水瀬にベッドの下に隠れてもらい、俺は一瞬で服装の乱れがないか確認してベッドの影から姿を現す。
「あ、あはは。すいません、ちょっと熱中症で倒れちゃって、休ませてもらってたんです〜」
「そりゃ災難だったな。一年か? 何組だ?」
「C組です」
「それなら体育用具室に待機だ。体調が回復したら向かうように」
「はーい」
先生が伝えることだけ伝えて保健室から出ていく。
「やっぱ、片付け向かった方が良くない?」
「……ん。わかった、仕方ない。でも、今日一緒に帰るからね」
「あれ? 打ち上げとかしないの? てっきり仲良しギャルトリオで集まるのかなと」
「打ち上げは後日クラス会するって。だから水瀬と帰りたい。……だめ?」
「勿論良いけど上目遣いの『だめ?』やばいな」
「は? やばいってなに?」
「いい意味でね! 可愛いなあって意味!」
「なら最初からそう言えよタコ。……もう1回可愛いなって言って」
「え? 可愛いな、小依くんは」
「っ。んふっ、えへへ」
「えへへ!?」
顔のニヤニヤが抑えきれなくなってそのまま込み上げてくる嬉しさをまろびだしたら水瀬が何かに驚愕していた。どうしたんだろう? よく分からないが、時間も時間だし指定された場所まで向かう事にした。
……てか。てかてか、恋が成就してしまった! こんな事、あるんや!? 俺、女の子始めてまだ年月の浅い中身男の化け物なのに、彼氏が出来ることなんてあるんや!? やっばいなこれ、やっばいわ……この後展開が急転直下して不幸な出来事に巻き込まれたりしないかな? なんか怖いわ、逆にここまで事が上手く行き過ぎると……。
「水瀬」
「? はいよ」
分かれ道にて。人がまばらにいるにも関わらず水瀬の腕を掴んで振り向かせ、耳打ちで「大好き」と伝えた。
水瀬は再度顔を真っ赤にして何か言いたげな顔をするも、周りに人がいるせいで何も言えずに居るのをケラケラ笑った後、改めて俺はC組の群れに向かって歩みを進めた。




