30話「朝食」
トントントントンッ、という軽快な音が聴こえる。
寮のベッドは安い二段ベッドだからか固い。その固さと今僕が使っているベッドの柔らかさと比較してしまい、目を開けて周りを見る前から昨日何があったのかを思い出してしまった。
小依くんの匂いがする。でも隣に本人はいない、残り香が鼻をくすぐっている。
……ちょっと数分くらい立ち上がれないかも。朝立ちにブースターキットが搭載されてしまっている、一秒でも早く落ち着かせるため心頭滅却に努めなければ。
かなまら祭りを鎮めて襖を開けると、ちゃんと服を着ている小依くんがキッチンで料理しているのが見えた。服、着てはいるんだけど、下穿いてるのかな。ダボダボのオーバーサイズのパーカーしか見えない。
「おはよう小依くん」
「お、おはよー。随分長いこと眠りこけてたな」
「今何時?」
「12時半くらい」
「!? 学校遅刻じゃん!」
「土曜日なんだが」
「そっか。焦ったぁ……」
「なんの茶番やねん」
切っていた食材をフライパンに入れると美味しそうな香りが充満した。
「水瀬、辛いものいける?」
「好物だよ」
「おっけー」
「小依くんって料理出来るんだね」
「メシマズ毒親育ちだからね〜」
「リアクションを返さないでおくべきか否か」
サラッと反応に困る事言うよなあ小依くんって。僕に対しての警戒心の無さもそうだけど、少々砕けすぎではなかろうか。まあ付き合い自体は子供の頃からあったから人となりを知らない同士でもないからいいんだけどさ。
「洗面台借りるね」
「んー。……変なの触んないでよ」
「触らないよ!」
「昨日、勝手に人のエログッズ触った」
「あ、あれは事故みたいなもんでしょ。見た事なかったんだもん」
「……」
ジトーっとした目で睨まれる。いやいや、そんな目で見られても。使った事ないから分からないけどさ、そういうものって普通使った後すぐに洗って仕舞っておくべきなんじゃないの? ベッドに置きっぱなしなのは明らかズボラな小依くん側に問題あるでしょ。
洗面所で洗顔し、歯ブラシは無いので口をゆすぐ。うーむ、口の中がスッキリしないが仕方無いか。コンビニ近くにあるし行こっかな。
……いや、女物の服を着たまま外に出るのはやばいか。そういえば僕の制服ってどうなったんだろう。
「あちち、あちあち」
ダイニングに戻ってきたタイミングで、料理を作り終えた小依くんがパタパタと机の方にお椀を運んできた。
グツグツ煮えた真っ赤なマグマのような麻婆豆腐。美味しそうな香りと共に辛みの強そうな刺激臭もミックスされた、本格的な麻婆豆腐が目の前に用意された。
「インスタントじゃない麻婆豆腐を出されたのは初めてだな……」
「中華料理屋とか行かないの?」
「料理屋さんなのここ」
「うざ」
「ごめんごめん。てかもう動けるの? 風邪は大丈夫?」
「んー、なんか朝起きたら楽になってた。治ったかも」
「そっか、よかった。でもまだしばらく安静にしてなよ、病み上がりは体調崩しやすいからね」
「うん」
「よし。…………? どうしたの、小依くん」
小依くんが僕の顔の下の方をジーッと凝視している。訊ねてみると、彼女はハッとした顔で僕の目を見てすぐに顔を逸らし立ち上がった。
「小依くん?」
「なんでもない」
「なんだよー。なんか顔見てたろー?」
「なんでもないって」
「落書きでもした?」
「してない。ってかなんでもないっつってんでしょ、しつこい」
小依くんはキッチンの方に戻り、スプーンを二つ持って戻ってきた。
「米は炊いてないから無しね」
「了解。美味しそう、早速食べても?」
「どうぞ」
「頂きます!」
スプーンで掬った一口分の麻婆を息で冷まし口に入れる。
「……ッ!」
瞬間、味蕾に刺激が走る。
口の中に爆煙が広がるかのような強烈な辛味と、その刺激を力技で押さえ込むように僅かな苦味さえも携えた山椒……いや、花椒の痺れ!
「遅れてやってくる濃厚なタレの旨味と柔らかくて豆の旨味を閉じ込めた豆腐の香りが味の黄金比を作り上げている! 一流の中華料理人が作ったかのような確かな麻婆豆腐らしさが凝縮してる! 一般料理にしては度の過ぎた辛味とガリッと塊を噛んだ時の痺れの濁流はまさに四川風そのもの! 驚いたな、まさか友達の手料理でここまで本格的なものを食べられるなんて……ッ」
「うるさいんですけど」
「! 途中から口に出ていた!?」
「出てたね。てかなに、飯食う度に頭ん中でそんな味っ子みたいな激しめモノローグ流してんの? 変な人じゃん」
「ミスター味っ子だったら口から火吹いてたよ。うまーーーー! って叫びながら溶岩遊泳してるよ」
「過剰リアクションすぎるなあ」
「だからどちらかと言えば美味しんぼに近いかな」
「そこまで本格的に美味さを追求してるわけじゃないんだけど。あとどっちも見た事ないから食戟のソーマで例えてよ」
「周囲から火柱を出して早口で味の解説をしてたよ」
「ありそ〜」
「で、最後に服が弾け飛んでたね」
「なんでやねん」
話しながら食を進める。どっと汗が出てくるな、体が熱くなる。熱がこもって仕方ないので、腕をまくり服の前のチャックを下げる。
「ふぅ、暑い暑い」
「おぉ……」
小依くんが用意してくれた麦茶を飲んで熱を冷ましてまた食を進める。手が止まらない、想像を絶する程に辛いのにそれがかえって食欲を増進させているのが分かる! 美味しさが成立する塩梅での激辛に上手く落とし込められている!
「ふぅー」
あっという間に食べ終えてしまった。チャックを下げて開けた部分をパタパタと扇いで風を送り込む。暑い暑い。……? 小依くんの方は麻婆豆腐を半分程食べた所でスプーンを止め、彼女はじっと僕の方を見ていた。
「小依くん?」
「ッ、な、なに?」
「何見てるの?」
「何も見てない!」
「なわけないでしょ。……あっ」
視線を下げて気付いた。そういえば小依くんが貸してくれたこのパーカーの下に何も着ていなかったんだった。チャックを腹の上辺まで下げているから、胸板が丸見えになっていた。
やっているムーブがそのまま"やらないか"の人で草。小学生の頃の給食の放送でやらないかの歌が流れてきた時を思い出す。調べてみたら相当昔のネタでびっくりした、なんでそんなものが小学校で流れるんだろうって思ったな。
「お目汚ししてしまった、申し訳ない」
「タンマ」
チャックを上げて胸板を隠そうとしたら小依くんに阻止される。彼女はスプーンを置き、僕の方に少し近付いた。
「身体見して」
「はい?」
「あ、ち、違う、変な意味じゃなく! お前、結構鍛えてるだろ?」
「うーん? 多少?」
「男が鍛えたらどんな風に筋肉付くのか見てみたい。そういうのに昔憧れてたから」
「なるほど。……え、脱ぐの?」
「嫌なん?」
「嫌というか、昨日と同じ問答になると予想されますが」
「嫌ではないんだ?」
「おっと新しい切り口。男女の問題を回避して僕の気持ちの問題に着眼するか……」
「だって水瀬は俺に乱暴しないし。後はそっちの気持ちの問題だろ」
「絶対それ以外にも色々考えるべき所はあるよ」
「うるさい。脱ぐの? 脱がないの?」
「逆セクハラなんじゃないのこれ……」
「違うよ」
「違わないよ! 脱ぐのは流石に駄目、いよいよ不純異性交遊だよそれは」
「どこが不純なん?」
「とにかく駄目! 脱がないで今の状態のままなら、どうぞお好きに……」
「分かった」
ギシッと音が鳴る。小依くんが床に膝を着け、また一歩僕に近付いた。彼女の頭が口の近くに来た。今まで感じていた女の子の良い匂いが直に鼻に入ってくる。
口には出してないからもう言い方も考えずに素直に言うけどさ、小依くんってエロすぎじゃない? 昨日から通算で10回以上勃起させられてるんだけど。その度に頭の中で叔母さんの顔をAVの映像に当て嵌めて鎮める作業をしないといけないから辛いんですけど。童貞キラーすぎるんだよなこの人。
視線を下げればダボダボのパーカーを着た彼女の、白くて眩しい太ももが見える。穿いてないなあ……。
無防備過ぎないか? 僕もしかしてぬいぐるみか何かだと思われてる? 性的な事にトラウマを持つような子が性的でしかない行為を連続で仕掛けてくるのなんて拷問なの? 人の良心をユンボで掘削し続けるのやめてよ本当に。
「痛い?」
小依くんがネイルの先を胸板に押し付けた。
「痛くないよ」
「これくらいの力ならノーダメ?」
「ノーダメ」
「分かった。……胸筋ってこんなに硬くなるんだね」
「自分じゃよく分からないけど、そんなに硬いの?」
「うん」
ネイルの先がつんつんと僕の胸に触れる。なんか変な感覚だ……恥ずかしいな。
「かっこいい……」
「えっ!?」
び、びっくりした、筋肉の話か……。小依くんは胸筋から腹斜筋の方に指を移動させ呟いていた。
あまり横方向に服を広げないでほしいんだけど。はだけの範囲が広くなってしまうじゃないか。前のめりになって筋肉を触るから腰が持ち上がっていて目に毒だし……。
「あ、ちょっと!」
しばらく腹斜筋を触っていた小依くんは、突如僕のチャックを摘み下に下ろした。完全に前を開かれてしまい、やめさせようとして肩を掴んだら小依くんが上目で見上げてきた。
「筋肉触ってるだけだろ」
「ちょ、ちょっとそれ以上は良くない! たつ!」
「あ?」
「とにかく駄目!」
「知るか。腹筋だけ触らせてよ、それで最後にするから」
「小依くん〜!」
宣言通り、小依くんは僕の腹筋に手のひらを当てて凹凸を確かめていた。感動したように「おぉ……!」と声を上げているが、こちらはそれどころじゃない。もう始まっている。
「いいなぁ……俺もこんな風になりたかった」
しみじみと呟きながら、指先で腹筋をつんつんされる。
「……水瀬?」
「な、なんでしょうか?」
「なんか顔赤くない?」
「き、気の所為だよ!」
「ふーん」
小依くんはポーっとした目で、指で腹筋を触りながら何故か僕の顔を見つめていた。筋肉に興味があったんじゃないの!? 必死に興奮を抑えようと悶えていたら、段々小依くんの顔も紅潮していくのを見て取れた。
「も、もう終わり!!」
変な雰囲気になりそうだったので強制的に小依くんから離れて行為を中断させる。小依くんは「あ……」と名残惜しそうにしていたが、こちらとしてもこれ以上いたら友情を破壊してしまう確信があったので心を鬼にして立ち上がる。
「ぼ、僕今日シフト入ってるからそろそろ行かなきゃ! 僕の服はどこ?」
「あっちのカゴに畳んである」
「ありがとう!」
小依くんに言われたカゴを持って脱衣所に篭もり着替える……ワッ!? 小依くんの下着が入ったカゴがあるっ!! 色とりどりのブラとツルツルそうなパンツがあるーっ!!!
「……っ」
ゴクリ、と生唾を飲む。いやいやいや、ここで本当に下着泥棒なんてしたら本当に男同士の友情が成立しなくなる! というか普通に常識的に考えて、そんな事しちゃ駄目だろ!
思い切り自分の頬をぶっ叩き、伸ばした手を引っ込めて畳まれた自分の服を漁る。
「あれパンツがない!?」
『あ、パンツなんだけど、普通の服と一緒に洗うのはダメかと思って後で洗おうとしてた』
「え!?」
『洗濯機にもう突っ込んであるから洗い終わるまで時間かかるかも。どうする?』
「なら大丈夫! ノーパンのまま失礼するよ! 僕のパンツは後日回収しに来るし気持ち悪かったら捨ててもらって構わないよ!」
さっさと制服に着替え直し、借りた服は……畳んで代わりにカゴに入れておく。
「じゃあ失礼するから! あと、男の前でパンツ丸出しスタイルは良くないと思うよ!」
「は? パンツ丸出し?」
「丸出しというか、見えてはいないけどそれパーカーだけでしょ! 良くないからねそういうの、童貞キラーです!」
「童貞なん?」
「あっ……」
「てか、パーカーだけじゃないし」
服を着替えて玄関でしゃがんで靴を履こうとしていたら、ペタペタと小依くんが歩いてきて僕の背後に立った。
「ほら。下にショーパン穿いてるよ」
小依くんが僕のすぐ目の前で、パーカーの裾をペラっと捲ってきた。
確かに灰色で紐の結ばれたショートパンツを穿いていた。けれど、その仕草と白くて程よく太く柔らかそうな太ももと、少し見えてしまっているへその三連コンボにやられてまた立ち上がれなくなってしまった。
「……帰んないの?」
「帰れないの」
「忘れ物?」
「……裾から手を離そうか」
「はあ。分かった」
裾から手が離れ、パーカーの布が彼女のショーパンの上に被さって見えなくなる。おかしいな、目に映る肌面積は減った筈なのに全然エロさが軽減してないや。
「……小依くん、全部無自覚なの? 素でやってる?」
「は? 無自覚? ……何の話?」
「無自覚っぽいなぁ。後日ちょっと真剣に注意しようかな」
「え!? な、なんだよ! 確かに泊まらせたのはワガママだったけど、そんなの友達同士ならよくある流れだろ!」
「男同士ならね」
「子供の頃もよく遊んだ流れでお前ん家泊まってたじゃん!」
「子供の頃はね。あと、男同士だったからね」
「俺は男のままだっつってんだろ」
「中身はね」
「あ? 何お前、喧嘩売ってんの?」
小依くんがしゃがんで僕の顔を至近距離で睨んでくる。ショーパンの隙間から見える布はパンツかな。穿いてる意味ないじゃん……。
その後、何故か不機嫌になった小依くんを何とか「男友達として大切に思ってるよ!」と言って宥め、股間の血液を分散させて移動できるようにして早足で小依くんの家から脱出した。
バイトのシフトなど今日は入っていない。嘘でその場しのぎをして迅速に帰宅した僕は、そこから夜が明けるまで自家発電に興じた。
小依くんの家で過ごした全ての時間がオカズの目白押しだったせいで、一日をかけても全然興奮は収まらなかった。無精子症になる勢いで出したせいで、そのあと一日ぐったりしてしまって日曜日の記憶はほとんどなかった。




