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現在、ピッコマ様にて『公爵さまは女がお嫌い!』のWEBTOONが始まっております!
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「なぁにが、『ドレス、よく似合ってたよ』ですよ!」
カロルがそう捲し立てたのは、その日の夜だった。バン、と手を打ち付けるのは、木製の机。場所はレオポールにとあてがわれている自室だった。
机の上には、昼間街に出たときに、レオポールへの土産にと買った茶葉の袋がおいてある。仕事の終わりにこうやって一時間ほど一緒に過ごす。それが、ここ最近のカロルたちの慣例になりつつあった。
「いつになく荒れてますねぇ」
「そりゃ荒れますよ! あんな澄ました顔して、そくもいけしゃあしゃあと! ティアナ様がいまお幸せそうだから良いものの! 本当にムカつきますわよ!」
カロルはまた机を、バン、と叩いた。
レオポールは慣れた手付きでカロルが持ってきた茶葉を淹れ、彼女の眼の前にカップを滑らせてくれる。レオポールのために用意したものをここで一緒にいただく、それも二人の慣例になりつつあった。
カロルはむやみやたらに机を叩くことをやめ、カップを手に取った。しかしまだ文句は言い足りないと唇を尖らせる。レオポールはいつもの調子でそれを穏やかに聞き流していた。
二人の間に、少し前に流れた気まずい雰囲気などはもう無くなっていた。いや、カロルの方は多少もやもやが残っているのだが、レオポールが少しも気にしていない以上、意味のない独り相撲をやるような気にもなれず、忘れたように振る舞っていたのだ。
散々フレデリクの悪口を履き終えて、カロルは改めてレオポールが淹れてくれた紅茶で唇を湿らせた。
そして、話題を少し前から気になったことへと移す。
「そう言えばここ最近、ヴァレッド様の様子がどうもおかしくないですか?」
「おかしいというのは?」
「貴方が気づいていないはずがないでしょう? ティアナ様への態度ですよ。なんか避けているというか妙によそよそしいと言うか。いつもどおり優しいようなので、そこまで腹は立たないんですが、ティアナ様が気にしておられるんですよねー」
カロルはふぅっと息を吐き出し、レオポールに視線を投げる。
「レオポール様は理由を御存知なんですよね?」
疑問形ではあったが、それは問いかけではなかった。ヴァレッドのことでレオポールが知らないことはない、カロルはそんなふうに考えていたからだ。
レオポールは首を傾げながら、困ったように眉をひそめる。その手にはカロルと同じように紅茶があった。
「知ってはいますが、カロル様にお教えできることはなにもありませんよ」
「別に私は知らなくても構いませんよ。私はただ、ティアナ様が傷つかなかったらそれでいいだけなので」
「次に傷つけたらティアナ様を連れて故郷に帰る、でしたっけ?」
その言葉にカロルはレオポールを改めて見る。正直、少し驚いていた。だってそれは、以前カロルがヴァレッドに放った言葉だったからだ。
「ヴァレッド様が言ったんですか?」
「えぇ。『こっぴどく怒られた』と反省しておりましたよ」
数ヶ月前、ティアナを傷つけたヴァレッドにカロルは先程と同じような台詞でそう啖呵を切った。勢い余って言った台詞だったが、後悔はない。あのときの気持は本当だし、今だって同じように思っている。カロルの一番はいつだってティアナで、ティアナが幸せになることが、カロルの望みなのだ。
「もし、あちらへ帰ったらカロルさんはどうするんですか?」
「私ですか? というか、なんで故郷に帰る前提で話が進んでいるんですか? いまお二人はうまく行ってるでしょう? ヴァレッド様がよそよそしいのだって、きっと一時のものでしょうし」
「もしも、ですよ。もしも。……人生何が起こるかわからないじゃないですか」
涼しい顔でそう言ってはいるが、声にはどこか真剣さが含まれていた。もしかしたら自分の預かり知らないところで、ティアナとヴァレッドの仲が引き裂かれようとしているのかもしれない。そんな予感がカロルに芽生えたが、口にはしなかった。レオポールは自分がティアナに幸せになって欲しいと思っているのと同じぐらい、ヴァレッドに幸せになって欲しいと思っている。そんな彼がこんな事を言ってしまうようなどうしようもないことは、きっと過労にだってどうもできない。それならそれで、それでもティアナが幸せになれるように道をできるだけ整えてやるのが自分の仕事だと、カロルはそう思っていた。
カロルはすべてを飲み込んだ表情でレオポールを見る。
「ティアナ様に新しい結婚相手が見つかって、私が必要なら同じようにそのままついていくと思いますわ。今となにもかわりません。なにかまかり間違って、平民に嫁ぐような事があったら、そのときはお役御免ですわね」
「そうなったら、結婚されるんですか?」
「……はい?」
突然ふってわいた結婚話に、カロルが怪訝な顔でレオポールの方を見る。しかし、彼の表情からは感情は見て取れなかった。どういうつもりで彼はそんな事を言っているのだろうと考えて、浮かんできた答えに唇の端がぐぐっと下がった。
「それは、……嫌がらせですか?」
「嫌がらせ?」
「冗談にしては、行き過ぎているのでは? と思ったんですよ」
カロルはため息を付きながら肘をついた。そして、忌々しげに眉を寄せてから、レオポールから視線を外す。
「私の年齢はご存知ですわよね?」
「十九、……そろそろ二十歳ですか?」
「そうです。私は一応貴族の娘で、二十歳になろうかというのに結婚相手がいないんです。この意味がレオポール様にわからないわけがないと思いますけど?」
厭味ったらしくそう言ったのにもかかわらず、視線の端に映るレオポールは本気でわからないというような顔をしている。カロルはそのまま顔をレオポールに向けず、少し声を大きくした
「こんな嫁ぎ遅れ、誰がもらってくれるっていうんですか」
「はい?」
「はい? じゃないですよ。公爵家の家令を務めてらっしゃるんですから、その辺の事情は誰よりもご存知でしょう? この前から何なんですか。貴方なりのユーモアなのかもしれませんが、そういう冗談は正直好きじゃありませんからね!」
強い口調でそう言って、カロルは残っていた紅茶を全部飲み干した。そして、カップを机の上に置く。いつもより力がこもっていたのか、がちゃん、とソーサーとカップが喧嘩したような音がした。
「ごちそうさまでした。もう部屋に戻りますね」
そう言って、立ち上がりカロルは足早にレオポールの部屋を後にしようとする。しかし、カロルの手が部屋のドアノブに掛かる前に、腕が引かれた。何事かと振り返ると、レオポールがカロルの手首を掴んでいた。その表情は今までに見たことがないほど困惑している。
「ちょっと待ってください。モレル伯爵は?」
「はい?」
「貴女、婚約しておられるでしょう。モレル伯爵と」
カロルはその言葉にレオポールを振り返った。そして、
「モレル伯爵は、一応、私の婚約者ですが、彼と結婚する予定はありません」
「結婚する予定はない? 婚約者なのに?」
「はい。伯爵には名前を貸していただいているだけなので」
レオポールの顔に更に困惑が広がった。そこでカロルはレオポールがしている勘違いに気がつく。彼はモレル伯爵の噂を知らないのだ。彼が生涯独身を掲げている稀有な貴族だと。
カロルはしばらく迷った末に、額を掻いた。
別に、ここで彼に自らの過去も含めた諸々の事情を話しておく必要はない。しかし、これ以上変に勘違いされるのも面倒くさかった。しかもその勘違いで自分が嫌な思いをしていいるのなら尚更だ。
「特に面白くもないし、長いし、ただ私の胸糞が悪いだけの話なんですが。……聞きますか?」
カロルのその問いに、レオポールは少しだけ固まった後、一度だけ頷いた。
「って、ことで、これ以上父が変な横槍を入れてこないように、メレディス伯爵――ティアナ様のお父様が友人であるモレル伯爵に頼んで形だけの婚約者にしてもらったというわけなんですが……」
話の要点だけをかいつまんで説明したはずなのに、結構な時間話してしまっていた。淹れてもらった二杯目の紅茶はもう冷たくなっている。カロルはそれに口をつけながら、ちらりとレオポールを見た。彼は組んだ手に額を載せて「はぁ……」と深い溜め息をついていた。
なんというか、申し訳ないな、と思う。
聞いて面白い話ではなかっただろうし、話が話なだけに感情がこもらないように事実だけ話すようにするのも難しかった。きっと、カロルが想像しているより、聞く側は面倒くさかったに違いない。それでも、なんとなく彼には聞いてもらっていたほうが今後のためにもいいと思ったのだ。もうあんなことでからかわれたくはなかったし、これ以上傷つきたくもない。
なんとなく反応を待っていると、レオポールはもう一度大きなため息を付いた。そしてそのまま「すみません」と絞り出すように言った。
「いえ。別に勘違いしていただけでしょうから、謝らなくても大丈夫です。でもまぁ、そういう事情なので、これ以上この件には突っ込まないでいただけると助かります。そういうことを言われると、一応、その、傷つきますので」
そう言った自分の言葉に傷ついた。別に恋愛や結婚に夢も見ていなければ、それを望んでいるわけでもないのに、『傷つく』という事実に胸の奥の願望に気付かされたような気がしたからだ。
カロルだって幼い頃は、父があんなことを言い出すまでは、人並みに、普通の女の子のように恋愛や結婚に憧れを持っていたのだ。
(あぁ、いやだいやだ)
これ以上ここにいると、変な感情に絡め取られてしまうような気がした。カロルは一息ついて立ち上がると、レオポールを見下ろした。
「一応、先程の話は誰にも言わないでいただけると助かります」
「いいませんよ、こんなこと」
唸るような声を出しているが、うつむいているので表情は見えない。
なんとなく、彼の表情を見るのが怖かった。
「あの。それでは改めて聞いていいですか?」
そう声をかけられたのは、扉を出る直前だった。カロルはレオポールを振り返る。
「なにがですか?」
「好みの男性のタイプは?」
「……はい?」
思わず怒ったような声が出た。まだ言うかこいつ、と眉間にしわが寄る。
「身分は平民ですが、公爵家の家令もしていて、それなりにいい暮らしもさせてあげられると思いますし、女性のことも大切にする自覚があるのですが、どうでしょうか?」
「なんの話を――」
「とりあえず、一度デートでもしませんか?」
その申し出に、思わず唇が真一文字に結ばれた。以前同じようにデートに誘われた事が頭の中でリフレインする。手のひらを無意識にギュッと握りしめたが、同時に浮かんできた自分の感情がよくわからなかった。怒りなのか、悲しみなのか、呆れなのか、悔しさなのか、はたまた期待なのか。
「冗談なら、今はよしてください。さすがにデリカシーがなさすぎますわよ」
「冗談ではないですよ」
「なら、口説いてるんですか?」
「口説いています」
真っ直ぐな断言に、カロルはその場ではたと固まった。呼吸を止めて数度目を瞬かせた後、レオポールを改めて見る。
「あの……」
「とりあえず、どこに行きたいかだけ考えておいてください。日程はこちらが合わせますから」
告げた言葉は事務的だったのに、レオポールの頬はいつもよりも少しだけ赤くなっていた。




