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33

 手が温かい。

 最初に浮上しかけた意識でティアナはそう思った。夏の焼け付く太陽や、じっとりと湿った空気のような熱ではなく、それは人のぬくもりだった。その包んできた体温を握り返せば、それは一瞬だけ固まって、そうして指をからませてくる。

 誰かの手のひらだと気がついたときには、もう指の腹で手の甲を撫でられるようにくすぐられていて、ティアナは眼を開けてその手の主を確かめることなく頬をすり寄せた。

 そう、この部屋にはティアナ以外にはカロルしか居ない。この手のひらの持ち主は彼女で間違いないとティアナはまどろむ頭で考えていた。

 ティアナは昔していたように彼女の腕を引っ張り、ベッドに連れ込もうとする。彼女達にとってはそれはいつものじゃれ合いだったし、ティアナの甘えだった。

 ティアナは引き寄せた腕をまるで抱き枕のように抱きしめる。

「おい」

 突然そんな声が聞こえた。カロルの声よりは野太く低い声だ。まるで男性のような声色にティアナが動きを止めると、腹の辺りにまで押しやったカロルの手のひらが戸惑いがちに動いているのがわかる。そして、ぎゅっと握り拳を作った。

「起こしたいわけではないんだが、ちょっとこれは……っ」

「んんっ……」

 その戸惑った声に構うことなく、ティアナは更に彼女の腕を引き寄せ肩口に顔を寄せる。布団の中ではスカートがたくしあがり、太股がむき出しになっていた。

 まるで木に捕まる小猿のようにティアナはその腕にしがみつく。太股の間に手のひらを挟み込むと、ティアナはぐっと彼女の身体をたぐり寄せた。そして首に手を回す。

「ティ、ティアナ!? ちょ、ちょっと待ってくれ!! これはさすがに柔らかすぎると思うんだが!? 何かに挟まれ……って、わぁあぁぁっ!」

 さわさわと太股を撫でたかと思うと、いきなりカロルは手を引いた。そのあまりの力にティアナも思わず閉じていた眼を開けて、まどろんだ瞳を彼女に向けた。

 そこに居たのは彼女ではなく彼だった。

 カロルではなく、ヴァレッドだった。

「……え? ヴァレッド様……?」

「足の間に挟むヤツがあるかっ!! もう、馬鹿だろう! 阿呆だろう!!」

 ヴァレッドは赤い顔のままそう怒鳴る。ティアナはそんなヴァレッドの顔と右手を見て、ぼんっと爆発するように顔を赤く染めた。そして、頬に手を当てたまま狼狽えるような声を出す。

「わ、私ったらなんてはしたないことをっ! てっきりカロルなのかとっ……」

「次からはちゃんと相手を見てから行動に移せ! 俺じゃなく、変な輩だったらどうするつもりだったんだ!」

「はい。すみません」

 そう言って項垂れたティアナを見て、ヴァレッドははっと固まった。そして、ふーと長いため息をついた。

「いや、謝らないといけないのは俺の方だったな……」

「ヴァレッド様?」

「誤解もあるようだし、もうこの際、全部話すことにする。聞いてくれるか?」

 その問いにティアナは目を瞬かせた後、ゆっくりと頷いた。


◆◇◆


「え? あの女性はハルトさんなのですか?」

 ヴァレッドの話を聞いた後、ティアナが最初に発した言葉はそれだった。もちろん『あの女性』というのはヴァレッドと一緒に歌劇場へと赴いた女性のことである。金髪に藍色のドレスを着込んだ女性は、確かに言われてみれば小柄だった。だからといってそれがまさか女装をしている十三歳の少年とは想像だにしなかったのだが……

「そうだ。歌劇場に男一人というのは目立つから、ハルトに女装を頼んだんだ。最初はレオポールにやらせたんだが、どうにも見れたものじゃなくてな……」

 その時のことを思い出したのか、ヴァレッドはげんなりしたようにそう言う。

「それならば、私に言ってくださればご一緒しましたのに……」

「それは、……危険だからやらせたくなかったんだ」

「危険なのはヴァレッド様も一緒ですわ! それに、領地のことですのに、私一人がのうのうと守られてばかりいるのは嫌です」

 ティアナは眉を顰めながら緩く首を振る。そんなティアナにヴァレッドは困ったように頬を掻いた。

「君はきっとそう言うと思ったから、隠していたんだ。俺は自分の身は自分で守れる。だが、君の身までは守り切れないかもしれない。もちろんそういうことになれば、全力を尽くすつもりでいるが、予想外の事態がないとも限らないからな……」

「……つまり、私は足手まといと言うことですか?」

「……そういうわけでは……」

 落ち込ませないようにとヴァレッドがそう言葉を濁せば、意外なことにティアナは明るい声を響かせた。

「わかりましたわ! 私、これからヒルデやハルトさんに護身術を習うようにします!」

「そういうことじゃなくてな……」

「ですが、今回は間に合いませんので足手まといにならないように行動しようと思います! 先ほど話を聞いていて一つ案を思いついたのですが、聞いていただけますか?」

「案?」

 ティアナの思わぬ提案にヴァレッドは驚いたような声を上げて首を捻る。そんな彼にティアナはにっこりと微笑んで見せた。

「はい! それで、ヴァレッド様に一つお願いがあるのです。速くて、正確な絵を描ける方を一人捜していただけませんか?」


◆◇◆


 二日後、自室でソファに座るヴァレッドの手元には、数十枚の紙が握られていた。その紙にはそれぞれ似顔絵が描かれている。その似顔絵は男性から女性まで、年齢も様々だ。

 ヴァレッドの隣に立つレオポールはそれを見ながら「ほぉ」と感心したような声を上げる。

「ティアナさんにこんな特技があったとは驚きです。まさか丸一日、歌劇場を見張っているだけでこれほどの成果とは……」

「特技というほどのことではありませんわ。ただ単に、怪しい方を覚えておいたというだけですから……」

 そう謙遜しながらティアナはヴァレッドの前でにっこりと笑う。

 ティアナのしたことは至極単純なものだった。歌劇場の敷地内に入るものを見張り、怪しい行動をした者の顔や特徴を完全に覚えて絵師に伝えただけである。

 説明だけなら単純だが、あの歌劇場は一公演で千人以上の人が出入りをするのだ。普通の人間ならばその出入りする人間を全て覚えているというのはまず不可能である。

「こちらの方達は、午前と午後が同じ演目にもかかわらずどちらの部も見に来られた方ですわ。こちらは午前の部の開始時刻に入ったにもかかわらず、午後の部や夕方の部開始時刻になっても出てこられなかった方々。そしてこちらは演目の途中で出てこられた方ですわ。この方達の中にそのオークションに参加されてる方が居られればいいんですが……」

 さらりとそう説明するティアナにレオポールは開いた口がふさがらないといった表情だ。そんなレオポールにティアナは困ったように微笑んだ。

「暗記は昔から得意なんです。ハルトさんのように変装までして性別まで変わられていたらわからないのですが、出てくる人たちの特徴を覚えるだけなら、あまり難しいことではありませんわ」

「そういえばそうだったな……」

 ティアナがまだヴァレッドの城に来たばかりの頃、彼が渡してきた百以上にも及ぶ決まり事を一晩で暗記してきたことがある。その事を思い出しながら彼は感慨深げにそう呟いた。

「それにしてもこの人たちをどうやって見分けるかが問題ですね。全員がオークションで取引をしている客というわけではないでしょうし……」

「ティアナ、この中で荷物が明らかに大きかった者を教えてくれないか?」

 ヴァレッドの言葉に、ティアナは数枚の紙を選んでみせた。

「特に荷物の大きかった方達はこの方達ですわ。でもこれが何か……?」

「あぁ、物々交換ですか!」

 レオポールが納得がいったとばかりに手を打つ。ヴァレッドはその言葉に一つ頷いた。

「カンナビスであれ、盗品であれ、オークションでそれらを買い取るにはそれなりの金額が必要になるだろう? 犯罪に手を染めている者達が約束手形なんて互いに信用が必要なもので取引をするとは思えないからな。基本的に即時現金取引になるはずだ」

「そして、皆が皆、そんな多額の現金をすぐ用意できるわけではない、というところに目を付けたんですよね? それで物々交換。特にここは鉱山の街です。価値のある鉱石はごろごろと転がっている。更にいえば、希少な鉱石ほど金額の変動は激しいものです。その鉱石が取れなかった年に市場に流せば、利益は最初に得たとき以上のものになるでしょう」

 ヴァレッドの説明を引き継ぐようにしてレオポールはそう言う。ティアナはその言葉に驚いたように目を瞬かせていた。

「レオ、この顔の者の素性を。明日までに出来るか?」

「これぐらいの人数でしたら可能でしょう。紋章がわかるものも居ますし、人員を割けば半日もかからないかもしれませんね」

「頼む」

 はいはいと頷きながらレオポールは部屋から出て行く。その後ろ姿を見ながらヴァレッドはソファに深く腰掛けた。そして、目の前のティアナを眺め見る。

「助かった。君のおかげで色々進展しそうだ」

「いいえ。少しでも助けになったのなら幸いですわ。それに、お礼を言いたいのはこちらの方です。それ、使ってくださっているのですね。ありがとうございます」

 嬉しそうにティアナはヴァレッドの手元にある万年筆に視線をむけた。ヴァレッドは自分の手元に目を落としてふっと表情を和ませる。

「あぁ、君から貰ったものだからな。……大切にする」

「はい!」

 ヴァレッドの言葉にティアナはまるで花が咲くかのように微笑んだ。

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