A.D.2217.07.06:#2
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世界は、穢れきっていた。
有毒なスモッグが陸上を覆い、人間は水中で空気を求めてあえぐように、次々に高い場所へ逃れていった。
家畜を除く野生の獣たちは、溢れる人間どものわがままな判断で見捨てられ、蹴落とされ、暗い地獄の底で朽ち果てた。
食物連鎖のピラミッドは最小単位まで崩れ、小さな表彰台には人間、家畜、アンドロイドだけが残った。
人間は、神にでもなったつもりなのだろうか。
わたしが生まれたあの年。
人間たちはスモッグの雲海を見下ろしながら、ついに母なる地球を見捨てる計画を実行した。
ある者は、地球のような楽園を探しに天へ旅立ち――
ある者は、元々ありもしない楽園へと旅立ち――
残りは、海の底に閉じこもった。
……いや、閉じ込められた、と言うべきか。
そこは出るに出られないちっぽけな地球で、これといった変化を待つわけでもなく、非常に安定的で、しかし、ごくごく平凡な暮らしを強いられていた。
物心がついた時、わたしは最も堅実的で「母親」想いの環境を選ばされていた。少なくとも、まともな選択であったことには感謝している。
顔も知らない父さんが大手ゼネコンで建設に携わっていたというシンガポール近海の海洋都市「EVER SPHERE」。
本来なら教科書にも載り始めている「世界三大移民計画」の一つに数えられる予定だったのだが、圧倒的大多数が他の二つの計画に賛同したため、結局は民間企業による小規模なものとして実行された。いわば、他の移民計画に乗り損ねた人のための避難所みたいなものだ。
わたしは、有無を言うこともなく、そこの真新しい病院で生まれた。入居開始から間もなくのことだった。
建設計画の中心に携わったという恩賞で一番いい部屋を授かったのは良かったのだが、その代償とでも言うように、父も母も、建設中にかかったと見られる汚染病で亡くなったそうだ。何か予防処置を受けていたのだろう、わたし自身は至って健康だった。
以来、わたしの育児や世話は、周りの暇な大人たちが引き受けてくれた。
六歳になるとスクールに通い始め、昨年には無事、早めの義務教育を終えてついに独立した。自分で言うのもなんだが、わりと真面目に育ったんじゃないかと思う。
そんなわけで、地上から人間がいなくなってから十四年もの歳月が経った。
ようやく海洋都市自体の運営も軌道に乗り、当初から問題を抱えてきた自給自足部分が安定してきた。
順調だ。誰もがそう思っている。
生きるための施設は一通り揃っているし、娯楽施設にはカラオケやカジノ、ゲーセン、映画館、MRゲームルームだってある。
ところが、小さい頃から好奇心や冒険心を封じ込められたわたし達子供にとっては、何も満たされてはいなかった。例えるなら、ミルクを水で薄めて零したような──地上の景色と同じようで曖昧な気分である。
それがこの、本物の地球の中に漂う、マガイモノのちっぽけな地球。
やがてここで生まれる子供達は、ここが本物の世界だと疑わずに育っていくだろう。それはわたしとて例外ではない。
人に与えられた世界。
そこで暮らす一生。
外を知ることもなく、知る必要もない。
箱庭で飼われ、意味もなく生き続け……
いつかは死んで、海の藻屑となる。
……そんな地味な人生、絶対にイヤだ。
§
――西暦2217年7月6日。
目ざましを鳴らすわけでもなく、誰かに起こされるわけでもなく。
うつ伏せの状態から自然に目を覚ましたわたしは、のろのろと転がりながらベッドから這い出た。
すがるような格好で時計を見る。時刻は十二時を回っていた。
昨晩はシリーズモノのSF映画を観た後、興奮して続きをもう一本、また一本と追加で五本も立て続けに観てしまった。
シアターを出る頃には朝になっていて、巨大なドームの中がうっすらと朝の光に満たされていたのだけは覚えている。
ふらふらと倒れ込むようにエレベーターに乗り込み、半ば意識が途切れた状態で重い足を交互に動かし。
気付いたら今だ。……よく見たら着替えすらしていないし、靴も履いたまま。髪もボサボサで、我ながら年頃の女の子とは思えない。
初めに浴室でシャワーを浴びた。……六割起きる。
歯を磨き、髪にドライヤーを当てる。……これで八割。
誰もいないだだっぴろいキッチンで代わり映えのしない服装に着替えながら、タブレットをモニタに接続し、SNSを一通りチェック。
ながら作業で朝食のパンをトーストし、同時にハムエッグを調理。
マーガリン替わりのマヨネーズを冷蔵庫から取り出す頃、モニターから着信音がして、残りの二割が覚醒した。
『グッヌーン、マオー!』
間の抜けた大声が部屋の壁を無駄に震わせた。
噂好きなかつてのクラスメート、ケイシーである。
「はいはい、ぐっぬーん」
気のない返事を返しつつ、わたしはマヨネーズをジグザグに塗りたくった。
『聴いた聴いた!? 地上探査の話!』
「知らないよ。今起きたばかりだし」
トーストにハムエッグが乗っかった。これを零さずに食べるのは難しい。
『近々、地上に向けて探索隊が出発するらしいの。十四年ぶりだって』
「ふぅん。てことは、わたしたちが生まれてから何もしてなかったんだ?」
言ってからトーストに齧り付く。黄身が零れそうになったところで一気に舌を動かして塞き止める。……よし、今日は成功だ。
後は食べながら聴いているだけでいい。朝のラジオよろしく、ペラペラしゃべってくれるだろう。
『そういうこと。何せ、今まで都の安定化に力を注いでたから、外の様子を観に行く準備すら整ってなかったわけだし。それに、十四年で環境は大きく変わってるだろうって話もあって、そのための調査も兼ねてるそうよ。噂じゃ、スモッグがすっかり沈殿して、雪みたいになってるんだって』
……考えただけで吐き気がした。
飯時に聞くニュースじゃない。
「……悪いけど、別の話はないの?」
『えー? とっておきだったのになー』
と言いつつ、彼女は楽しげな口調で話題を切り替える。
『じゃあ、宇宙生物襲来! とかは?』
「…………ばっかみたい」
わたしはトーストの残りを口に放り込んだ。
火のない所に煙は立たぬ──とか、昔から言われていただけはある。ケイシーの話は満更でもなかった。
先日、太平洋のド真ん中に何か隕石のようなものが落下したという話があったらしい。宇宙人がどうとかはさておき、一つ違えばこの海洋都市が全滅しかねないレベルだ。
「地上とか言う前に海底探査じゃないの?」
食後の紅茶を満喫しながら、ようやくケイシーの話に耳を傾ける努力をした。
『幸い、と言っていいか分からないけど、あの隕石が降ったことは公表されてないのよ』
そんな大層なものが降ってきたのに秘密裏に?
「さすがに無理があるんじゃない? 海面上昇だってぱっと見分かるだろうし……って、そういや、こないだ、ちょっと揺れたっけ」
ニュースでは震度3とか言っていた。本がちょっと倒れる程度の揺れだった。
『そう、その揺れ。公式には地震がどうとか言ってるんだけど、そもそも地震で揺れない設計だってのはみんな分かってるんだよね』
「ふーん。隠すだけの秘密があるってこと?」
『多分。だから、カモフラで地上探査って話が出てる』
……本当に?
カモフラージュにしては幼稚過ぎやしないだろうか。
そんなわたしの考えを、ケイシーが敏感に汲み取った。
『ね、馬鹿馬鹿しいでしょ? けど、一般人には何も出来ない。だって、出られないもの。だから、偽装も簡単でいいってわけ』
「何だかなあ。っていうか、バレてもいい、ぐらいの考えだよね、きっと」
『だね。それか、地震っていう嘘自体が……』
──嘘自体が本当。或いは嘘がとんでもない規模の大嘘か。
ケイシーはその言葉を飲み込んだ。
「……あー、やめよ、この話。監視が付くよ?」
『ん、それもそうね。んじゃ、あたしはそろそろバイトに行くかな。またね、マオ!』
「はいはい。いってらー」
うるさいのがぷつりと消えると、途端に静かになった。
「隕石……ね」
一人呟きながら、食後の紅茶を楽しむ。壁時計を見上げると、間もなく十三時を回るところだった。
眠気と格闘しながら仕事をする他の人間と違い、わたしは無駄に覚醒した頭でのんびりくつろいでいる。卒業してからずっとこの調子だ。
……ホント、何やってるんだろう。
胸の中が満たされない代わりに、ねばねばしたガムのような何かがまとわりついている。家にいることすら億劫だ。
「……出かけるかな」
実はもう一話ストックあったんですが、ここが書きかけなので、一旦ここで完結とします。
どういう話にする予定だったのか、とか、ある程度は考えておりましたので、興味のある方はどっかで遠慮なく聞いていただければと。




