89:選定の時 - 3
冷静に考えてみればおかしな話だ。
地上で眠った全人類は海底施設に閉じ込められた。
にも関わらず、アークを出てゾンビの如く海底施設を彷徨い始めたあいつらは何をしようとしているのか。
……少なくともそのヒントは、我々が潜水艦で施設を脱出した後に明らかとなった。
「た、大佐……! 潜望鏡に何かが……!」
潜望鏡を担当していた兵が恐る恐る報告する。
厭な予感が悪寒となって背筋を突き抜けた。
「何かとはなんだ? 具体的に言え!」
「大佐、実際に見た方が早いでしょう」
エリックが代わりに潜望鏡を覗き、そして、息をのんだ。
そんなエリックをも押し退けて、私も確認する。
「…………」
例えるなら巨大なクラゲである。
赤みの混じったピンク色の不気味な塊がプカプカと水面を漂って……いや、海中から浮かび上がってどんどん膨れ上がっている。
「あれはどうやら、海底施設から浮かんできたものらしいです」レーダーで監視を続けていた者が報告した。「考えたくはありませんが……」
「あのゾンビ共だ、とでも言うのか」
想像するだけで吐き気がする。
意思を持った塊。もしアレが蘇ったアークの乗客だとすれば、自由に姿を変えることも可能ではないだろうか。
「クラゲが姿を変え始めている」
次に潜望鏡を覗いた大神湊が言った。
「アイツが開発した現実化プログラムの影響か! このままだと全人類が……!」
「何だ!? 何が言いたい!?」
湊は潜望鏡から目を離すと、脂汗を浮かべながらこう言った。
「人類が、世界を滅ぼすぞ……!」
◆
永遠とも思える時が流れた。
実際には一時間程度なんだけど、とても長く感じるのは、早く冥主のところへ行きたかったからだろう。
「どうやら待たせてしまったみたいね」
強い風と共に聞き覚えのある声が吹きつけてきた。
風は次から次へと吹きつけ、セントラル・ペンシルを軽く揺らした。
ディオルクを入れて五匹の皇竜。
その背に乗ってきたのは、彼らが見込んだ代表選手、といったところだろう。
「全員遅刻したんだ、我が領土の勝ちではないのかね?」
ディオルクが冗談めかして言うと、真紅の皇竜が眉を吊り上げた。
「何を言う。約束の時は今、この瞬間だ!」
「だから何だと言うのだ? 勝利は明らかだ。お前たちはその誇りある背にプルステリアを乗せてきた。だが、この者らは違う。二度に渡り、自らの足で知恵を使い、ここまで来たのだ」
ディオルクの言葉に場の空気が張りついた。
しばらく、長い沈黙と睨み合いが続く。
「……ッ!? ヒマリっ!」
鋭いジュリエットの声に、わたしは咄嗟に振り返りながら腕を前に突き出す。
確かな衝撃が両の腕にビリビリと伝わった。
「へぇ。ちっこい女のくせに防げるんだな」
奇襲で殴り掛かってきたそいつは、派手なストリートファッションに身を包んだ、高校生ぐらいの長身の男だった。
代表に選ばれたとだけあって、運動神経も良さそうだ。
「誰とかどうでもいい。目に映る奴らをぶっ潰せばいいだけの話だろ」
「……随分な自信だね」
素早く蹴り上げると、相手は素早く飛び退いた。
「おい貴様、勝手な事をするな!」
真紅の皇竜が少年に叱咤する。少年は不満……というよりかは面白がるように口の端を上げながら背を向けた。
わたしはディオルクに尋ねる。
「……それで? いったい何をすれば冥主のところに行けるっていうの?」
選定、とは言うけど、どうしろとは言われていない。
何かして、代表になって、それから冥主のところへ行けるようになるのだと──それぐらいしか知らされていないのだ。
「お前たちが優れているか否かを示すのは、アニマの大きさで示される。驚異的な身体能力、高度な技術力、数多くの経験──その総てがアニマに集約される。それを……あの中心にある端末に掲げることで、冥主と面会できるかが決まるのだ」
「ちょっと待って」ジュリエットが遮った。「アニマはその者を示すデータの塊のはず。それを端末に預けるってこと? 失敗したらどうなるんですの!?」
ディオルクはジュリエットに軽く目を向け、一度瞬いた。
そして、正面に散らばる大勢の代表者に向けて声を張り上げる。
「率直に言おう。失敗すれば跡形もなく消えるのだ! 故に、捧げられる程の強いアニマを持ったプルステリアでなければならぬ」
「あなた、それで……ヒマリを命の危険に晒そうって言うの!?」
「そうではない。むしろ、案じているのは他の者だ。先程見ただろう。冥主がこの芯を通って最上階へ向かうところを。アレは例外もなく、冥主が自らのアニマを端末に掲げ、その動力で動かしたということだ」
ディオルクの言葉に、誰も反論しなかった。
本来なら何か言ってきそうな他の皇竜達も……恐らくは同じことを説明するつもりだったのだろう。黙ってディオルクの説明に任せていた。
異論も質問もない事を確認してから、ディオルクは話を続けた。
「つまり、本来、冥主にしか動かせないはずの昇降機を動かせるだけの、膨大な力を持ったアニマが必要だということだ。冥主の器を上回るアニマ。それこそがここに選ばれた皆である」
「それは、一人しかダメなのか?」
代表の誰かが訊いた。
「いいや。不可能ではない。だが、リスクは一人だけで充分であり、冥主と出会って意味があるのはたった一人だけだ」
「ディオルク。ちゃんと説明してくれ」今度はお兄ちゃんが言った。「その先に、何があるんだ?」
「世界の全貌。そして、誰もが求めている、『答え』だ。それを知るのは一人だけで良い。例え、ここにいる全員が最上階に行けたとしても、その事実……重みに耐えられる者は、ごく僅かでしかない」
ディオルクはそこでわたしを見下ろした。
「ヒマリよ。それでも冥主の下へと行く覚悟はあるか? 二度と、同じ暮らしは戻って来ないかも知れぬぞ」
「…………」
わたしは、これまでの事を深く思い返した。
ユヅキからヒマリの身体に乗り移り、以後、タイキお兄ちゃんの妹として、この新しいフロンティアで第二の人生を始めた。
ディオルクの手痛い試練でミカルちゃんやママが怪我を負い、レンやコウタが迷子になったことをきっかけに危険な洞窟に乗り込んだこともあった。思えば、アレがディオルクと初めて会話したきっかけだった。
ハロウィンにはエリカと初めて出会った。プルスセリアンとなって孤独な生活を強いられていた彼女を、わたし達家族が引き取ったっけ。
そして、運動会以来、不具合を起こしたわたしの身体を治すためにVAHの世界に入ったり、そこで出会ったキリルくんに出会うために、みんなで旅をした。パパやママには凄く心配をかけちゃったっけ。
いろんな人に出会い、別れ……ようやく辿り着いたキリルくんのお家ではジュリエットにも会って……それから……多分その時から、本当に世界の事を知りたくなってた。
知ってどうなるか? そんなの分からない。
だけど、これは好奇心とかじゃない。わたしのアニマのどこかで、冥主に会って話をつけろって──誰かが、そう言ってる気がするのだ。
もしかしたらまた、ミカルちゃんを泣かせてしまうことになるけど、わたしは、皆のためにここにいるんだから、それでも構わない。
冥主の目的を知って、悪いことだったら止めるだろうし、そうでなければ、皆にちゃんと説明したい。
折角手に入れた新しいフロンティアを、たった一年の短い期間で済ませるだなんて。誰だってそんなのはイヤだって思う。
「……覚悟はあるよ。そのためにここに来たんだもの」
わたしはディオルクに笑って見せ、それから全員に向き直った。
「わたしだけが代表だとは思わなくていい。ここにいる、全員が代表でいいと思う。……だけど、少しの間、わたしに任せて欲しいの」
「娘よ。それはどういうことです?」
青い皇竜が丁寧に尋ねた。
「確証はないんだけど、冥主はわたしの命を狙っていたし、初めからわたしと会いたいようだった。その理由を知るために、わたしが話をつけたいんだ。一対一で」
「だが、勇気ある娘よ。一人で乗り込むことは危険だとは思わぬのかね?」緑の皇竜が言った。「我らとて、民を滅ぼすために遣わされた皇竜ではない。むしろ護るためにそなたらを選定するのだ。一人とて、民は民。その命を無惨に散らすことは我らとて望まぬことよ」
その言葉は、意外だった。
前に訪れた時は全力で殺されそうになったというのに。
「……まぁ、あの時は仕方ないわ」
わたしの疑問に答えるかのように、真珠色の皇竜が透き通った声を奏でた。
「侵入者は敵。ルールを破ったら命も何もないもの。……あの時は本気で殺そうと思っていたけどね」
「あはは……」
わたしはもう一度、ディオルクに顔を向けた。
彼は少し寂しそうな目でわたしを見下ろし、軽く目を伏せた。
「行け、ヒマリ。自ら命を捧げるなど馬鹿な行為をする輩は、お前しかおらぬ」
「ありがとう」
わたしは踵を返して「芯」へ向かう。
「ヒマリ!」
お兄ちゃんが呼び止めた。わたしは振り返る。
「……ここで、待っているからな」
「うん」
お兄ちゃんの、精一杯の信頼。
……ジュリエットも寂しそうな……というか泣きそうな目を向けてきたけど、わたしは、わたしらしく笑うのが精一杯だった。
(さて……と)
端末の中央にそれと分かる明らかな窪みがある。ここにアニマを掲げるらしい。
でも、いったい、どのようにして……?
一瞬、ディオルクに訊こうかと思ってしまったけど、これも試練なのだろう。
訊いたところで断られたら、それはそれでみんなの不安を仰ぐようなものだし。
……というか、カッコつかないじゃないか。
そもそも、これを動かすためには、一人でどうにか出来るはずだ。ディオルクが言うように、冥主が「例外もなく自らのアニマを捧げて昇降機を使った」のだから。
わたしたち──つまり、プルステリアが、この世界で手ぶらで出来ること。
その方法で、自らのアニマをここに捧げる。それってつまり──
「…………そうか、そういうことなんだね」




